エピソード1-13 勇者カティナの部屋へ


「ハァ……ハァ……。急がないとッ!」



 繁華街を抜け、街の大通りを真っ直ぐに走りながら僕は勇者カティナのいるリッチモンド家の屋敷へと向かう。


 背中にくくり付けて固定した伝説の竜殺しのクロスボウ『ドラグール』は、想像よりもだいぶ軽かった。

 けれど流石さすがに、この巨大なクロスボウを背負ったまま走り続けるのは、体力が消耗してしまう。



「でも……それをなげいているような時間はもう無いんだ。あと少しでレッドドラゴンが勇者を抹殺まっさつする為に、リッチモンド家の屋敷に降り立ってしまうのだから……!」


 これだけ大きな武器を背負いながら走り、大通りのど真ん中を堂々と走っているというのに。街にいる人々は誰も僕の存在に気付く事はなかった。


 黒子くろこの姿は、誰にも見る事が出来ないから当然だ。


 そして黒子くろこが所持している『物』も、人々の目には見えなくなる。


 だから僕が背負っているこの巨大なクロスボウも、街の誰にも気付かれるような事は無かった。そして人間の体をすり抜ける仕様しようになっている僕は、大通りのど真ん中を堂々と進み。

 仕事帰りの人々でにぎわう大通りの真ん中を、余裕で突っ切りなから。真っ直ぐにリッチモンド家の大邸宅を目指して走り続ける。



 既に空全体が、夕暮れの朱色しゅいろに染まりつつある。


 そして不穏な色をした大きな雲が、イルシュタインの街全体をおおい始めていた。


 おそらくあと一時間くらいで、夕方の18時を知らせる大鐘おおがねが大聖堂から鳴り響くはずだ。そのかねと共に、上空の雲を突き破り。空から巨大なレッドドラゴンがリッチモンド家の屋敷の上に降臨するんだ。



 普段は魔王城を守っているというレッドドラゴンが、わざわざ誕生したばかりの『勇者』を殺害しに、この街にまでやって来るなんて……。

 400年ぶりに復活した『魔王』は、それだけ本気で勇者の抹殺をくわだてているという事なのだろう。


 この街に伝説の『勇者』が誕生した事は、大聖堂の巨大女神像から聖なる光が空に向けて放出された事で、敵にも気付かれてしまっている。

 その事に気付いた途端に、すぐに魔王城からラスボス級のモンスターを放ってくるのだから。新たな魔王は本当に油断のならない存在である事は確かだった。


 それに比べて……せっかく伝説の『勇者』のスキルを与えられても、自身に課せられた運命を受け入れる事なく部屋の中に一人で引きもり。

 可愛いクマのぬいぐるみを抱えて、ブルブルと震えてばかりのあの勇者カティナに、狡猾こうかつな性格をした魔王が本当に倒せるのだろうか……?



「――いや、今はそれを考えても始まらない。まずは、あのレッドドラゴンを倒す事だけに集中しよう!」



 ようやくリッチモンド家の屋敷に到着した僕は、すぐに近くの貴族の屋敷から作業用のロープを取ってくる。


 それを屋敷を囲む高さ5メートルの外壁に向かって放り投げ。前回と同じように、壁をよじ登るようにしてリッチモンド邸への侵入を試みた。


 この壁の上には、侵入者をこばむ為の『鋼鉄のくぎ』が張り巡らされたトラップが仕掛けられている。


 それを既に『身をもって体験』していた僕は、今回は自分の足を傷付ける事なく外壁を上手に登り切り。そこから屋敷の中庭に降りて、無事に邸内に侵入する事が出来た。



『グギュゥゥアッ!! ギュル、ギュルッ!!』


 出来るだけ、勇者カティナの部屋から近い場所にある外壁から庭に侵入したはずなのに。

 前回と同じように、屋敷の庭には狼のような姿をした小型の魔獣達が待ち伏せていた。


 そして庭に降り立った不審な侵入者の僕に対して、大きな声で吠えかけてくる。


「……今回は別に負傷をして血を流している、という訳じゃないのに。どうやらかなり鼻のく奴らみたいだな。外から来た侵入者の匂いには敏感に反応するように特別な訓練がされている……という訳なのか」



 僕の周りに集まってきた魔獣の数は合計で4匹。


 このままコイツらえさせてしまったら、他の場所にいる仲間の魔獣達を呼び寄せてしまう可能性もある。


「悪いな。僕の進む道には、この街の未来がかかっているんだ! お前達もこのままだと、灼熱しゃくねつの炎で焼き殺される運命になるんだぞ? だから僕の行動の邪魔はしない事をおすすしておくよ!」


 僕は腰に巻きつけた荷物袋の中から、対魔獣用の『聖なる銀粉』を取り出し。

 それを右手で大量につかんで、目の前で吠えかけてくる小型の魔獣達に向かって、思いっきりぶちけてやった。



『――ギュゥアアアァァ!? グギュウゥゥ!?』


 銀色に光る聖なる粉をかけられた魔獣達は、慌てふためいて僕の周りから退散していく。


 魔獣達は、銀粉が大の苦手だからな。

 それを、これだけの量で一気に振り掛けられたんだ。それは、一目散いちもくさんに逃げ出していくに決まっている。


 この僕が魔獣達への対策を何も考えずに、無防備な状態でここに戻ってくる訳がないじゃないか。


 ここに来る前に、繁華街の中で僕は『魔獣用の銀粉』を販売している武器業者の店から、高価な銀粉を大量にくすねてきた。


 行商人が旅に出る時に、魔獣用の銀粉を持っていくのはこの世界では常識だ。だけど聖なる銀粉はかなり高価なものなので、一般人には手の届かない貴重品になっている。


 だけど『黒子くろこ』となった僕は、どんなに高価な商品だって盗み放題だからな。姿の見えない『透明な泥棒』の存在を、普通の人間が気付けるはずがない。

 だから僕はレイモンド家で頂いている給金では、とても買えない大量の銀粉を勝手にくすねて。道具袋に入れて、ここに持ってくる事が出来たんだ。

 

 まぁ、武器商人には、悪いと思うけど……。

 これも、このイルシュタインの街を救う為なんだ。ちょっとくらいの悪事あくじは見逃して欲しい。


 もし『ふざけんな!』と反論をしてきたなら。

 『あと一時間で、ドラゴンの炎で全てを燃やされて死ぬのと、一掴ひとつかみの銀粉を僕に盗まれるのと、どっちが良いんだ?』と、逆に強く言い返してやるさ。


 後で、もしこの街が無事に救われて――。


 あのレッドドラゴンを倒す事が出来たなら、銀粉の品代くらいちゃんと返しに行ってやるさ。だから悪いけど、今回は盗んだ銀粉は遠慮なく使わせて貰うぞ。



 魔獣達の攻撃を退けた僕は、広大なリッチモンド家の屋敷の中で道に迷う事なく。真っ直ぐに、大令嬢カティナのいる部屋へと辿り着く事が出来た。



 カティナの部屋の前には、誰も居なかった。


 前回ここに来た時には、屋敷で働くたくさんのメイド達がカティナの事を心配して、部屋の前に押しかけてきていたけれど……。

 おそらく、もうカティナを説得して部屋から出すのは無理だと諦めたのだろう。メイド達は、いったんカティナの心が落ちつくまで、彼女をそっとしておく事に決めたに違いない。



「それなら、僕にはなおさら好都合こうつごうだ。このまますぐに、カティナの部屋の中に向かわせて貰うぞ!」


 物理的な障壁を通り抜ける事が出来ない黒子くろこの僕は、前回と同じように。廊下側の小さな窓を開けて、屋敷の屋根づたいにカティナの部屋の外にあるベランダへと向かう事にする。



 屋根の上を進みながら、ふと足を止めると――。


 リッチモンド家の高い屋根の上から見渡した夕暮れ時のイルシュタインの街の景色は、本当に綺麗だった。


 こんなにも高い場所から、街全体を見回す経験なんてそうそう体験出来る事じゃないからな。

 


「この街の中で、大勢の人達が自分の人生を歩み。そして一生懸命に生きているんだ……」



 遠い西の方角を見つめると、そこにはレイモンド家の屋敷が見えた。



「クレア様……」


 あの屋敷の中で、クレア様は今も孤独な運命の中で一人で苦しんでいるに違いない。

 


「クレア様、待っていて下さい。僕が必ずこの街を、そしてクレア様の運命をお救いしてみせますから!」



 屋根の上で一度、静かに深呼吸をして。僕は勇者カティナの部屋のベランダへと、屋根から飛び降りた。



 残りの時間は、おそらくあと一時間も無いはずだ。


 ベランダの窓から侵入して、部屋の中をのぞいてみると。勇者カティナはやはり、可愛いクマのぬいぐるみを抱きしめながら、ソファーの上で一人で涙を流しながら嗚咽おえつの声を漏らしていた。


「うぅ……。どうしてわらわが、このような事に巻き込まれてしまったのだ……」


 勇者カティナは、前回この部屋に来た時の様子と何一つ変わっていなかった。

 『勇者』という選ばれしスキルを与えられた責任から逃げて。自分のからの中に閉じこもり。屋敷のメイド達を全て遠ざけて、ひたすら部屋の中に一人でこもっているだけの状態だ。



 その光景を見て、僕は改めて確信する。


 カティナを伝説の勇者として、今すぐに覚醒させるのは不可能だ……と。


 いつかは目覚めてくれるのかもしれない。彼女が自分に与えられた伝説の『勇者』としての能力に覚醒し。そして勇者に相応ふさわしい品格と勇気を持って、凶悪な魔王との戦いに挑むような未来が、いつかは来るのかもしれない。


「でも今は、それをゆっくりと待っているような時間は無い! カティナが勇者として覚醒してくれる時間を待つ前に、この街はレッドドラゴンの火炎ブレスで全て焼き尽くされてしまうのだから!」



 そうなったら……全てが『終わって』しまう。


 実際に過去二回のやり直しの中で。勇者カティナは、部屋の前にやって来たレッドドラゴンの火炎ブレスを防ぐ事なく、街の人達と同じようにその身を焼き尽くされてしまっている。


 黒子くろこである僕が、クエストのやり直しを強制されているのだから。おそらく勇者カティナも一緒に死亡しているのは間違いないはずだ。


 ならば、ここで僕が残された時間の中でやるべき事は……。クマのぬいぐるみを抱えて泣いている、勇者カティナを説得する事じゃない。

 どのみち黒子くろこの僕は、カティナに話しかける事さえ出来ないのだから、そもそも説得なんて無理だ。


 僕は武器屋の店長である、タルタニット・アドニスさんが話してくれた言葉を頭の中で思い出した。



『――さぁ、もう行くんだ。黒子くろこよ! 必ず魔王を倒して、この世界を平和に導いてくれよな。そして、くれぐれも間違うなよ。ドラゴンを倒すのはあくまでも勇者だ。黒子くろこのお前はそのサポートにてっするんだ。それが伝説の黒子くろこのスキルを与えられた、お前の使命なんだからな!』



 僕は両手のこぶしを硬く握りしめ。

 

 その場でゴクリとつばを飲み込んで、目を大きく見開き。そして、大きな声で叫んだ。



「――そうさッ! 伝説の黒子くろこである、この僕が全ての準備を整えてやる。僕の姿が誰にも見えなくても、僕の声が誰にも届かなくても、伝説の勇者が何もしないというのなら。黒子くろこのスキルを手に入れたこの僕が、無能勇者が魔王を倒すのを、かげから完璧にお膳立てフォローしてやるよッ!!」

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