失恋は 新たな恋への 第一歩
平 遊
花言葉は、幸せ。そして、別離。
「桜、散っちゃったね」
隣を歩く彼女が、さして残念そうでもない口調で言う。
「そうだね。ははっ、もう少し早く誘えばよかったね」
「まぁでも、いいお天気だし、人も少ないし、お散歩にはちょうど良かったよ」
ここでちょうど、公園の出口に到着。時間も丁度みたいだ。
「今日はありがと。じゃあねー」
バイバイ、と手を振ると、彼女は駅の方へと歩いて行く。見送る俺を振り返ることなどない。まぁ、当然と言えば当然かも知れない。彼女が向かっているのは、彼氏との待ち合わせ場所なのだから。
「彼氏がいるなら、俺の誘いは断れよ」
彼女の背中を見送る俺の口からそんな恨み言が漏れ出てしまったが、それくらいは許して欲しいというものだ。
考えてもみて欲しい。
意を決してようやく花見デートに誘った片想いの彼女。昼間だけなら、という条件付きではあったものの、OKの返事がもらえた時の俺の喜び。
そして迎えた花見デートの最中に、『彼氏との待ち合わせ時間が繰り上がっちゃったの。だから、早めの解散で♪』と告げられた、俺の心情たるや……
ハラハラと、頭上からなけなしの桜の花びらが舞い落ちる。
まるで、砕け散った心の欠片のように。
「俺の恋も砕け散ったよ」
追いかけるようにして彼女が向かった最寄り駅に向かう気にはとてもなれず、俺は別の方向へと足を向けた。
足元ばかりを見て歩いた。
空を見上げる気になんてとてもならなかった。そこには、ほとんど花びらの残っていない桜が見えてしまうから。まるで俺の、砕け散った彼女への恋心のように、無残で見ていられない。
だからといって、前を向いて歩くこともできそうになかった。向いから歩いて来る見知らぬ人に、今にも泣き出しそうな、この上なく惨めな顔を見られるなんてごめんだ。
トボトボ、トボトボ、歩く。
歩いたことのない道を、俯いたまま。
胸が痛くて苦しかった。追い払っても追い払っても、頭に浮かぶのは、彼女が初めて見せてくれた、嬉しそうなキラキラとした笑顔だった。それは彼氏の話をした時に一瞬だけ見せた笑顔。
俺には彼女にあんな顔をさせることはできなかった。
悔しくて情けなくて。
それでも彼女が好きだと。彼女が幸せそうに笑っているのならそれでいいじゃないかと。
そう思う一方で、俺の気持ちに気づいていただろうに、気づかないフリをして俺を便利使いしたあんな女なんかどうにでもなれと。
でも結局、やっぱり俺は彼女が好きで。好きな人には幸せになって欲しいわけで。
「はぁ……」
ため息が出てしまう。
誰だろうな、ため息をつくと幸せが逃げる、なんていい出したやつ。幸せじゃないからため息が出るんじゃないのか? これ以上幸せに逃げられるなんて、踏んだり蹴ったりもいいとこじゃないか。
なんて、必死に胸の痛みと格闘していると、視界の端で黄色いものがチラリと動いた気がした。
沈んだ気分のせいか、全体的にくすんだ視界に、あまりに鮮やかに映り込んだ黄色に、思わず足を止めてその黄色へと近づく。
タンポポ。
そう気づくと同時に、鮮やかな黄色が足元一面に広がる。ギョッとして顔を上げようとしたとたん、いつの間にか俺の足元にしゃがみ込んでいた小さな女の子が、俺を見上げていることに気づいた。
「下ばっかり見てると、大事なものみんな、落っことしちゃうよ?」
「は?」
「たのしかったこととか、うれしかったこととか、やさしいきもちとか、――とか」
「えっ?」
最後だけが聞き取れず、聞き返した俺を無視して女の子は立ち上がり、ニコッと笑う。
「でも、そのおかげでわたし、見つけてもらえた。ありがと、おにいちゃん」
女の子の小さな手が、俺の手を取る。
頼りないほど小さくて、壊れそうなくらいに柔らかくて、でも心地よいほど温かい。
「見て。この子たち、みんなおにいちゃんが咲かせてくれたお花だよ」
俺と手を繋いでいる方とは反対の手で女の子が指し示したのは、黄色く染まった地面。よく見れば、それは一面に咲いたタンポポの花。
「おにいちゃんが落としたもの、たのしかったこととか、うれしかったこととか、やさしいきもちとか、全部この子たちのお花になったの」
「俺の……?」
「きれいだと思う?」
女の子の言っていることは俄には信じられなかったが、一面の色鮮やかな黄色いタンポポは、それは純粋にきれいだと思った。
「うん。きれいだな。それに」
「それに?」
女の子が真剣な眼差しで俺を見る。あまりに真剣なので照れてしまったけれども、それでも俺は続けて言った。
「可愛いな。小さいけど、みんな一生懸命に咲いていて」
「そう! 一生懸命なの!」
嬉しそうに大きく頷くと、女の子が俺の手を離して黄色い絨毯の中に走り出し、中から何かを手にとって俺を手招く。なるべく花を踏まないように慎重に近づいた俺に女の子は手にしたものを差し出した。
「これは……」
「一生懸命咲いた子はね、幸せがたくさん詰まった種をおすそ分けするんだよ、まわりのみんなに。だからみんな、幸せになるの。そうやって、まわりのみんなを幸せにしていくの」
俺は女の子が差し出したものをそっと受け取った。フワフワで真っ白な、タンポポの綿毛の花だ。
「ため息はね、幸せを逃がすためのものじゃなくて、幸せを運ぶためのものになるといいよね」
女の子が、期待に満ちた目を俺に向ける。その期待がなんなのか察した俺は、大きく息を吸い込んでから綿毛の花に顔を近づけると、胸の奥から全てを吐き出すように、綿毛に息を吹きかけた。
「わぁっ!」
一面の黄色の絨毯。真っ青な青空の下。真っ白な綿毛がフワリフワリと漂いながら遠くへと旅立っていく。
その光景を、再び俺と手を繋ぎながら眺めていた女の子が、ポツリと言った。
「こころがあるから、胸が痛むんだよ」
「えっ?」
「やわらかくてやさしいこころは、傷つきやすいの。でも大丈夫。傷ついたこころは、もっとやわらかくて、もっとやさしくなれるから。そんなこころを持っているおにいちゃんは、誰よりも幸せになれるから」
小さな手が、俺の手をぎゅっと握りしめる。女の子の言葉が、ぬくもりが、小さな手から俺の中に流れ込んでくるようで、胸の痛みが少し和らいだ気がした。
「だからね、おにいちゃん」
「ん?」
クイッと繋いだ手を引かれて女の子を見ると、女の子がじっと俺を見て、言った。
「おにいちゃんは絶対に、落としちゃダメだよ。こころだけは」
気づくと俺は、歩道脇の街路樹の根元に咲く小さなタンポポの前にしゃがみこんでいた。道行く人たちがみな、怪訝そうな顔で俺をチラ見して通り過ぎて行く。
「なんだったんだ、今の」
思わず呟いた俺の言葉に反応するように、上から声が降ってきた。
「あなたも出会ったのですね、蒲公英の少女に」
「えっ?」
見上げると、袈裟を身に着けたお坊さんが、にこやかな笑顔で俺を見ている。
「この辺りで、たまにお話を伺うのですよ。どうしようもなく落ち込んだ時に現れて心の傷を癒してくれるという、少女のお話を。そこには必ず蒲公英の花が咲いているというので、この辺りに住む人は皆『蒲公英の少女』と呼んでいるのです」
「そうなんですか」
「はい。なんでも、蒲公英の少女に会うことができた人はその後、皆とても幸せになるそうですよ。蒲公英の花言葉は【幸せ】だそうですからね。もっとも、綿毛になると花言葉は【別離】になるそうですが……」
両手を胸の前で合わせたお坊さんは、念じるように目を閉じ「あなたに大きな幸せが訪れますように」と呟くと、再びにこやかな笑顔に戻って歩き去った。
「蒲公英の少女、か」
俺は腕を伸ばし、人差し指で軽くタンポポの花をつついた。まるでジャレているように、タンポポが揺れる。
小さな小さなタンポポの花。普通に歩いていたらきっと、そこに咲いていることさえ気づかなかっただろう。
それでもこのタンポポは一生懸命に花を咲かせているのだ。そして時が来れば、幸せがたくさん詰まった種を、風に乗せてみんなにおすそ分けするのだろう。
「俺も頑張らなきゃな」
もう一度人差し指でタンポポの花を軽くつついてから、俺は立ち上がった。かなり長い間しゃがんでいたようで、足が若干痺れていたけれども、構わずに大きな一歩を踏み出してみる。
「がんばってね、おにいちゃん。さようなら!」
あの女の子の声が背中越しに聞こえたような気がして、俺は大きく頷き、そのまま真っすぐ前を向いて歩き出した。
まだ少しだけ痛む、だけどホッコリと温まった心を胸に抱いて。
【終】
失恋は 新たな恋への 第一歩 平 遊 @taira_yuu
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