春を知ってる
冬部 圭
春を知ってる
二月に入ったけれど寒い日が続いている。暦の上では春。なんていうけれど、今年の春が来た実感はまだない。北風に震えながら家路をたどる。
「春が来たら、また会えるよね」
京子からそんなことを言われたのは何年前だっただろう?
当時僕は受験生だった。一学年先輩の京子は東京の大学に進学していた。
正月に帰省した京子と二人で初詣に行って、二人でそれぞれおみくじを引いて。京子は、待ち人 来たらずとあるのを見て結構動揺していた。待ち人より恋愛を見た方がいいのではなんて間の抜けた指摘はできないくらいに。
京子は進学するために町を出るときに、
「一年後には必ず追いかけてきてね」
と言っていたので、
「大丈夫。頑張って追いつくよ」
と僕は約束していた。約束の事は常に頭にあったから、僕はそれなりに頑張って受験勉強をしていたつもりだった。
不安を隠そうとしない京子に、
「頑張るから。信じて」
と伝えたけれど、
「頑張っているのは信じる。だけど。信じる信じないと不安なのは別」
と京子は言った。自分の受験であれば頑張ることで不安は解消されるのかもしれないけれど、他人の受験だと、頑張ってくれることを信じることしかできない。頭のどこか片隅に会った不安をおみくじに指摘されたような感じだったのだろう。
京子は普段、僕のことを子ども扱いするのに、あの時は京子の方がよほど子供みたいだった。
「あまり気にすることは無いと思うよ、僕は頑張っているから」
と慰めの言葉を掛けたら、
「その楽観的なところが心配なの」
と言われて答えに詰まった。最後には不安いっぱいの声で
「春になって会えなかったらどうしよう」
と泣きつくような口調で言われた。
同じ学校に行けたらそれが一番。田舎と違って近くにいくつか学校があるから、何とかなると思っていた。それにそうするための努力もしているつもりだった。でも、悲観的になった京子の様子を見ると僕の自信は根拠のないもののように思えてきた。
そんなわけでその日から僕もなんとなく不安を覚えて、それまで以上に受験勉強を頑張った。
夜、自分の部屋の窓から見る外の景色。さびれた県道をまばらに通る車のヘッドライトの灯を見れば不安が募った。かといって車が通らなければ静寂が迫ってきてそれはそれで不安になった。要は何があっても不安に感じてがんじがらめに縛られたようになっていた。
不安に思っているだけじゃ何も進まない。だから少しでも受験勉強を進めることで不安を和らげようとした。はかどっているのかいないのか。判別がつかなくなって、机の前に座っている時間の長さだけが心の拠り所になっていた。
そんな拠り所も、担任の先生の
「ただ、長い時間漫然と長い時間やるより、密度の濃い集中した時間の方が重要だ」
と言う言葉を受けて崩壊した。
心の拠り所、自信となる何かが有ろうが無かろうが前に進まなくては。そんな気持ちで自分の部屋で電気ストーブで足元を温めながら、入試の過去問を解いたり、参考書を読んだりした。ひたすらに頑張っているつもりだったが、前に進んでいる実感は持てなかった。
受験勉強の合間にコーヒーを飲みながら京子は今何をしてるだろうかとふっと考えたりした。京子と一緒に学生生活を送るため、と言う不純な動機を思い起こしてモチベーションを維持した。
そうこうするうちに受験日が近づいてきた。
受験のために上京したら京子に会う時間を作れるかも。京子に会いたい。試験の直前はそんな気持ちが膨れ上がった。そんな雑念で頭の中が満たされて、更に受験勉強の効率は落ちたような気がした。
受験のために上京した際は、京子に会いたいという気持ちをぐっとこらえて試験に集中した。ぐっとこらえないといけない時点で集中できていなかったと試験を終えた後気付いた。そこそこ手ごたえがあったから、どうしても京子に会いたくなって、連絡して一目会ってから田舎に帰ることにした。
京子に電話すると、
「どうだった?」
と恐る恐ると言った様子で自信のほどを尋ねられた。
「自信はあるよ。大丈夫」
と伝えると、電話の向こうで少し京子の不安は和らいだようだった。
京子が時間を作ってくれたので、学校の最寄り駅で待ち合わせて近くの洋食屋に入った。
お店の小洒落た感じが落ち着かなくて、ああ、僕はやっぱり田舎者だなと認識した。一方で同じ田舎者のはずの京子は東京に出て一年しかたたないのにお店の雰囲気になじんでいて、僕が浮いているだけのような気もした。気の早い僕は、試験を受けたばかりなのに、東京で暮らせば僕も街にむのだろうかなんて街での暮らしを妄想した。試験に受かっていようが落ちていようが、四月からは今までとは別の暮らしが始まる。望む暮らしを送ることができるだろうかなんて京子の様子を見ながら考えたりもした。
料理を待ちながらまるで初対面かのように二人でぎこちない会話を交わした。
話したいことはいっぱいあったはずなのに何を話していいのかわからなくなって、あの時僕はどんな話をしたか覚えていない。
「待ってるから」
京子はそう言って最後にようやくかすかに笑ってくれたのだけは覚えている。
自信はあったけれど、一抹の不安は感じていた。滑り止めの学校の受験に取り組むことで不安を見ないふりして日々を過ごした。
あれだけ心配したのに案外あっさりと合格通知が届いた。あまりに京子が不安をあおっていたから、合格通知は本物だろうかなんて馬鹿なことも考えた。
「大丈夫だったよ」
電話で京子に伝えたら、
「また、会えるね」
と嬉しそうな声の返事が返ってきた。
あの年は、あの瞬間に春が来たと感じた。外は冷たい風が吹いていたけれど、そんなことは関係なかった。「暦の上は春」だって、暖かさや日の長さからは実感できなくても春なのだから、どれだけ外が寒かろうとあの時僕たちのもとに春は来たのだと思う。
じゃあ、今年はどうだろう?
特段イベントはないけれど。何か春のしるしを見つけた時に春を感じるだろうか?
梅が咲いたら? 鶯が鳴いたら? ひとつひとつの事柄に春らしさを感じるけれど、これがあったら春になったという実感にはつながらないような気がする。春の花が咲いても春になったと感じないなんて言うのは僕だけかもしれないけれど。
家に帰りついて
「ただいま」
と声を掛けると、
「おかえり」
と返事がある。そんな些細なことに家庭の暖かさを感じる。外がどれだけ寒くても、家の中には暖房の所為だけではない確かなぬくもりがある。
この暖かさを知ってしまったから、僕は常に春の中にいるのかもしれない。そう、長い春の中に。
春を知ってる 冬部 圭 @kay_fuyube
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