33話

道中で買ったたこ焼きを持って歩く。

芽衣は焼きそばを持ってくれている。

じきにご飯を食べられそうなベンチに到着した裕也たちは、ひと息つくことにした。


「人混み凄すぎ、結構疲れる……」

「がんばって、裕也くん!」


ベンチにぐてっと体を倒し弱音を吐くと、芽衣の元気な声が横から聞こえてくる。

頭をベンチの奥に傾けると、自然と空が見えた。もう空はかなり薄暗くなってきている。

灰色の雲が空を覆う気配を感じて少し気味が悪いけど、天気予報は見てきたので大丈夫だろう。


「裕也くん、あ~ん」


横から声がしたので体を起こすと、芽衣はたこ焼きを箸で持って、スタンバイしていた。


……経験上、これは逃げられないやつだ。


「……あー」

「どう?おいしい?」

「緊張で、味がよく分からない……」

「そっか~、じゃあもいっこたべる?」


……なんとなくそんな気はしていたが、ひと口では終わらない。


「……いただきます」

「ふふっ、あ~ん」


その言葉を聞いた裕也は口を開けると、二つ目のたこ焼きが放り込まれる。

移動時間で程よく冷めているそれは、はふはふするほど熱くない。


「……おいしい」


ふわふわの生地を通り抜けるとコリっと食感のタコを感じられる。

ソースの味も合わさって、とても美味しい。


「ねね、わたしも食べたい」

「……つまり?」

「食べさせて?」


……なんとなくそんな気はしていた。

芽衣からたこ焼きが入った舟と箸を受け取り……。


「あ、この箸……芽衣、焼きそばの所に入ってる箸取ってもらえる?」

「あ、うん。えっと~」



芽衣は横に置いてある焼きそばの方に体を向け、がさごそと漁って……じきに、ぷるぷると震え出した。


「……な、ない」

「へっ?」

「箸、入ってない」

「…………なるほど?」


自分で割り箸を取らないといけない系の屋台だったのかもしれない。

……そんな屋台、覚えはないんだけど。


「ど、どうしよっか?」

「お店まで戻って、貰ってこよ――」

「まってっ」


ベンチを立とうとすると、芽衣に腕を掴まれた。


「どうしたの?」

「裕也くんが嫌じゃないなら……この箸のままでもいいよ?」

「え、でもそれって……」


――間接キスにならないかと、ここで逃げるのは弱いだろうか。

そう考えながら、しぶしぶ了承する。

もちろん間接キスが嫌なわけじゃない、気恥ずかしいだけだ。


「それじゃあ……」

「う、うん」


ぎこちない動きで、緊張しながらたこ焼きを持つ。

少し手が震えているが、せっかく一個サービスしてくれたたこ焼きを落とさないためにも冷静を保つ。


「あーん」

「あ~む」


恒例の掛け声と共に、芽衣は箸に口をつける。

なんだかいけないことをしている気分になるけど、別にたこ焼きを食べさせているだけだ。


「……どう?」

「……おいしい」


耳が赤くなっているのがここからでもよく分かる。

恥ずかしいならやらなければいいのにという言葉を出そうものならとんでもないブーメランが返ってくるから「そっか」と短く返事をするだけにした。




途中から慣れて……くるわけもなく、ずっと気恥ずかしい思いを持ちながら焼きそばも完食すると、裕也たちは行動を再開した。


夏祭り会場にあるゴミ箱はすぐ埋まってしまうと記事で見ていたのでゴミ袋を持ってきていたが、奇跡的に捨てられたのが少し嬉しい。


「両手が空いているというのは快適だね」

「うん、これで思う存分遊べる」


花火大会開始までは、まだもう少し時間がある。

ご飯以外の娯楽を楽しもうか、芽衣とそう話し、降りてきたのだ。


「それにしても、人増えたねっ……」


芽衣はたまに苦しそうにしながら、そう話す。

裕也としてもこの道を歩くのは結構大変で、はぐれないようにするのが精一杯だ。


「手、つなごっか」

「……うん」


気恥ずかしさなんて感じている間もないくらい、はぐれないことに全神経を使う。

そのため、この提案はとても良いものだった。

よく手入れがされているであろう、もちもちすべすべとした小さな手を握って、歩みを進める。


――そんな時だった。


「……雨?」

「ん?」


空から、ぽたっと一滴の雫が降ってきた。

でも……人混みもあるし、ヨーヨー風船や金魚すくいといった水を使う屋台もあるから。


――きっと、気のせいだと信じたい。





それから、疑問が確信に変わるまでそう時間はかからなかった。

一度は気のせいだと思考から振り払った裕也たちは、気にせず屋台で遊んだ。


実際、それから雨に当たることはなかったのだ。


二人でお面を付けて、笑いあったり。

射的で五百円を溶かし、しっかりなにもゲットできず終いだったり。

ヨーヨー風船釣りで余計な荷物を増やしたり。


そんな楽しい時間を過ごしていた、その時。

ざぁざぁと、突然の大雨が夏祭り会場を覆った。


「えっ!?」

「やばっ、濡れる」


前触れもなく、大量の雨が全身を濡らす。

会場もざわざわと騒がしくなり、体を押される。


「裕也くっ――」

「芽衣っ!?」


そんなことを考えているうちに、裕也は今日一の大失敗を犯すことになる。

会場の混乱。

そんな慌ただしい大移動に為す術もなく、裕也は芽衣とはぐれてしまったのだ。



◆side:葉月由佳◇


「はやく……」


会場の騒ぎを少し遠くで聞きながら、智樹を待つ。

あたし自身もかなり雨に当たってしまい、全身濡れている。

それでも、考えているのは二人のこと。


「おーい!」


待ち望んでいた声がする、勢いよく振り返ると、そこには傘を差しながら走ってきた智樹が居た。


「智樹っ!」

「びしょ濡れじゃねーか、とりあえず傘入っとけ」


傘に入ると、手に持っているもう一本の傘が目に入った。


「それじゃあ、この傘持って二人のこと探しに行くわね」

「オレが行く、風邪ひくだろ。傘やるから待ってるか帰っとけ」

「じゃあ……待ってるから」


こちらに無駄に上手なウィンクを飛ばし、「おうよ!」と言いながら人混みの中へ突っ込んでいく。

あたしはその背中を見ながら、雨でぼやけた傘越しにお願いをするのだ。


「頼んだわよ……」



◆◇◆◇



……失敗した。


裕也はそんなことを考えながら、とにかく人混みの中を駆け回っていた。


(くそっ……どこだ……)


頭を回し、とにかく考える。

芽衣が飲み込まれていった方向を、それからどこに避難するかを。



「はぁ……はぁ……」


走り回って数分が経つ。

徐々に人が減って、周りが見えるようになってきた。


「よっ」


そんな時だ。

後ろから、ここからするはずのない声が聞こえてきたのは。


「……智樹っ!?」

「話は後だ、この傘を持っていけ」

「でも智樹が」

「由佳が待ってる、オレはそこまで走れば問題無い。でも芽衣はまだ雨に当たってるはずだ」

「……早く探さないと」

「その意気だ、ほら、さっさと行け!」

「ありがとう智樹、このお礼はまた今度する」


振り向かず、大きな声でお礼だけ口にして走り出す。

雨粒で少しぼやけた透明のビニール傘は、とても強い味方だった。



「……あそこか?」


智樹と会話したことで、冷静さを取り戻せた。

よく周りを見ると大きな木が一本、遠くに見える。

かなり距離もあるし、明かりもない。

それでも、この雨を一番凌げるのはあそこかもしれない。


「……一か八か」


どうせ、無闇やたらに走り回ってても埒が明かないのだ。

あそこに賭けるしかない。

そう思い、傘を持ちながら出来るだけ急いで進む。


「はぁっ……は、はぁ……」


死ぬほど息が上がる。


幼馴染と再会してからは、こんなことばっかだ。


振り回されて、くたくたになるまで遊んで。


――それでも、そんな日々を悪いと思った日は一日たりともない。



足が動かなくなるギリギリ。大きな木を目印に坂を登り、とうとうたどり着いた。

暗闇の中、大きな気の根元。

それでも一人輝く、浴衣姿の女の子。


「……見つけた、芽衣」

「裕也……くん」


息を切らしながら不格好に、芽衣の方へ傘を差し出す。


するときょとんとしていた芽衣は立ち上がったと思えば――。


「ぐえっ」


勢いよく、抱きついてきた。


左手は傘で埋まってしまっているから、右手を芽衣の背中に回す。

少しの静寂のあと、芽衣は口を開いた。


「裕也くんなら、見つけてくれると思ったよ」

「結構、遅れちゃったけど」

「それでも。傘はどうしたの?」

「探してる途中に智樹が来た。由佳も居るって」

「二人も来てたんだ、気付かなかったね」

「……本当に」


きっと、気付かれないようにしていたんだろう。それも含めて、あとで感謝しなければ。


「……ねぇ、裕也くん」

「どうしたの?」

「……今日は、言ってくれない?」


顔を上げ、少し悲しそうにそう呟く芽衣。

一瞬なんの事かと思ったが、すぐに理解した。


「…………あんまり、というか、ムード的にはよくないですが」

「ふふ。ある意味、わたしたちらしいんじゃない?」


皮肉なもので、雨にはなにかと縁がある。

またこの雨を、悪い思い出にしてしまわないように。


「……あの」

「うん」


――深呼吸をして、息を整える。


ざぁざぁと雨のカーテンがふたりを隠し、邪魔するものは何も無い。


一度体を少し離し、しっかり目を見る。


――そして。


「ずっと前から、好きでした」


何を言おうか考えていたことは、全て飛んで行ってしまった。


「付き合ってください」


それでも――芽衣に、全力で想いを伝える。


「うん、わたしも大好き!こちらこそ、よろしくおねがいしますっ!」


芽衣はキラキラの笑顔で、そう返事をしてくれた。


◆◇◆◇


それから、雨に濡れないようにという口実のもと、十分以上の時間抱き合っていた。


「やっと……やっとなんだよ」

「……うん」


表情は見えないけれど、芽衣は震えた声で声を絞り出している。


「わたし、何年も、何年も待ったんだよ」

「……ごめん」

「今日……やっとかなって思って」

「……うん」

「たくさんおしゃれして、裕也くんはどんなのが好きかなって……たくさんたくさん考えて」

「うん……ありがとう」

「花火のタイミングかなって、楽しみにしててっ」


じきに、ひっぐ、ひっぐと声が漏れてくる。

裕也の目にも涙が溜まるが、必死に我慢する。


「わたしの楽しいは、いつだって雨に邪魔されちゃうのかなって……思って」


前のあの日も、大雨だった。


「それでも裕也くんは見つけて、傘を差し出してくれた。わたしに、好きだって言ってくれた」

「……はい」

「…………わたし、結構重いからね」

「いくらでも受け止めるし、俺もちゃんと行動するから」

「へへ、しあわせものだ、わたし」


芽衣と二人、笑い合う。


じきに、二人の距離は更に近付き――。




初めてのキスはレモンの味がする――なんてのは、きっと嘘だ。


――それでもこの味を忘れることはきっと無いと、そう強く思ったのだった。

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