Sea:20 ペンギンは翔ける、海を越えて|すれ違う気持ちと、海風にまぎれた言葉。
海のあそびラボに、ちいさな展示コーナーができた。
テーマは──「ペンギン特集」。
「わぁ、かわいい〜!」
ミオが目を輝かせながら、パネルに顔を近づけた。
そこには、雪原をドタドタ歩くペンギンたちの写真が並んでいる。
となりでケンタが、腕を組みながら首をかしげた。
「でもさ、ペンギンって、飛べないんだろ? あんなドタドタ歩きでさ〜」
ミオは振り返って、くすっと笑った。
「いいじゃん! 飛べなくても、がんばってるの、めっちゃかわいいよ!」
「んー。でもなぁ……せっかく鳥なんだから、ビューンって飛びたくね?」
ケンタは両手を広げて、飛行機ごっこのポーズを取る。
ミオは小さく笑って、首を振った。
「空飛ぶのがカッコいいだけじゃないよ。地面を一生懸命歩くのも、かっこいいんだよ」
そんなやりとりを聞きながら、ハルキが小さく口を開いた。
「……でも、水の中じゃ、速いよ」
「えっ、マジで?」
ミオとケンタが一斉にハルキを見た。
ハルキは静かに、展示パネルの隅を指差す。
『ペンギンは水中で最大時速30km以上のスピードで泳ぐことができます。』
「三十キロ……!?」
ケンタが二度見した。
「クルマ並みじゃん……!」
ミオもびっくりしてパネルに顔を近づけた。
そこへ、ふわりとした声が割り込んできた。
「ほんとうだよ。しかも、海の中では急なターンもできるし、獲物を追うときはまるで空を飛ぶみたいに動くんだ」
ラボの奥から、汐ノ宮教授がにこやかに現れた。
「あ、教授!」
ミオたちが一斉に手を振る。
教授は、手にタブレットとファイルを持って近づき、にっこりと笑った。
「せっかくだから、ペンギンの本当のすごさを、ちゃんと紹介しようか」
ファイルを開くと、そこには分厚い資料とともに、泳ぐペンギンたちの姿が映し出された。
汐ノ宮教授は、ファイルをめくりながら語る。
「実はペンギンの祖先は、空を飛んでたんだよ」
ミオとケンタが、そろって目を丸くする。
「飛んでたの!? このドタバタな子たちが!?」
教授はくすりと笑った。
「うん。もともとは空を飛んでた鳥が、海の生活に適応するために進化したんだ。
証拠が見つかったのは最近──ニュージーランドで発見された『クメイマニ・ボナポルティ』っていう6000万年前のペンギンの化石だ」
タブレットには、現代よりもはるかに大きなペンギンの復元図が映し出される。
「彼らはまだ空を飛ぶ力を持っていた。でも、狩りを効率よくするため、少しずつ羽が短く、頑丈になって……
ついには空を捨て、海を翔ける鳥になった」
教授は、泳ぐ現代のペンギンたちを映しながら静かに言った。
その声は、やさしく、どこか誇らしげだった。
ミオは、胸の奥がふるえた。
失ったものは、たしかにあった。
でも、その代わりに、ちゃんと手に入れたものがあったんだ──。
「ねえねえ、見て!」
ケンタがまた別のパネルを指差してはしゃぐ。
「ペンギンってさ、プロポーズのとき、石をあげるんだって!」
「石!?」
ミオが目をぱちくりさせる。
「きれいな小石を拾って、好きな子にプレゼントするんだよ! 『これ、ぼくの愛だよ!』って!」
ケンタがオーバーに胸に手を当てると、ミオは吹き出してしまった。
「それ、めっちゃかわいい……」
「ジェンツーペンギンが有名だよ」
ハルキが静かに補足する。
「あと、パパペンギンも卵温めるんだって!」
ハルキは別のパネルを指差した。
「エンペラーペンギンのパパは、ママがエサを取りに行ってる間、何も食べずに二か月も寒さに耐えながら卵を守り続けるんだ」
「二か月!?」
ミオとケンタがまた驚く。
教授は、タブレットに映った吹雪のなか立ち尽くすペンギンたちを見せながら、ふっと目を細めた。
「──本当に、命を懸けて家族を守るんだよ」
ミオは、小さな胸に、あたたかく、でも少し苦しいものを感じた。
そのとき、ふとケンタが言った。
「……でもさ、30キロで泳げるんなら、敵なんてへっちゃらじゃね?」
ミオも、ちょっとだけうなずく。
すると、教授が、ふと表情を引き締めた。
「たしかに速いよ。でも──海には、もっと速い、もっと強い生き物がいるんだ」
教授はファイルをめくる。
「たとえば……シャチは時速50km以上で泳ぐ。
マグロだと70kmを超える種もいる。
バショウカジキなんて、100kmで突っ込んでくることもあるんだ」
「ひゃ、ひゃく!?」
ケンタが腰を抜かしかける。
「オットセイも、意外と速いしね。ペンギンにとっては、どれも本気の天敵だ」
教授はタブレットに映ったシャチの群れ、マグロの弾丸みたいな泳ぎを見せた。
「だから──ペンギンたちは慎重なんだ。
水に飛び込む前、みんなでウロウロして、押し合ったり、じっと見合ったりする。
……最初に飛び込むって、それだけ命懸けなんだよ」
ミオは、ぎゅっと胸が締めつけられるような気がした。
かわいい。
でも──生きるって、すごく、すごく必死なんだ。
海は、ただ楽しいだけじゃない。
それでも、
彼らは──飛び込む。
命をつなぐために。
──────
───
海のあそびラボに、やわらかな音が響いた。
からん──と、ドアベルの音。
ミオたちが振り返ると、
小さな段ボール箱と封筒を抱えた月島先生が、そっと立っていた。
「あ、先生!」
ミオが思わず手を振ると、月島先生も軽く笑って、ちいさく手を振り返した。
「こんにちは。すみません、遅くなって……」
先生は少しだけ声をしぼめて、遠慮がちに近づいてくる。
まるで、そこに“入っていいのか”を確かめているような歩き方だった。
「如月先生からのお預かりものです」
教授が封筒を受け取って、丁寧に頭を下げた。
「わざわざ、ありがとう。……助かるよ」
その声は、いつもより少し低くて──
なんとなく、“昔からの知り合い”にだけ向ける響きだった。
ミオたちは顔を見合わせた。
(……ん?)
「如月先生って……担任の?」
ケンタが小声で聞く。ハルキが、うん、とだけうなずいた。
「へえー……なんか、あの先生、妙に距離感近いよな」
ケンタがボソリとつぶやく。
ミオの中にも、ほんのすこしだけモヤモヤが立ちのぼる。
──ただの“お届けもの”にしては、
教授のほうが、なんだか落ち着かないように見えるから。
そのまま、教授は荷物を奥に運んで封筒を開き、中の書類にざっと目を通す。
──その端に、手書きの一筆。
『今年も頼りにしてます!センパイ😊』
それを見た教授の顔が、ふっと崩れた。
「まったく……アイツは昔からこうだな」
いつもの穏やかな声とはちがって、ちょっとだけ素が出ていた。
子どもたちの前では、あまり見せない表情だ。
──そして次の瞬間。
「すみ──」
教授の口からこぼれかけた名前に、
ミオたちの耳がぴくりと反応する。
けれどその直後──
「……先生。これも、どうぞ」
慌てて言い直したその声は、
あからさまに“取り繕った感”満載だった。
教授が差し出したのは、小さなリボンのついた包みだった。
「えっ、あ、ありがとうございます……?」
月島先生は驚きつつも、それを受け取る。
でもその目線はどこかよそよそしくて、笑顔も、少しぎこちなかった。
ふたりの間に、短い沈黙が流れた。
ミオたちは、黙ってそのやりとりを見つめていた。
ケンタが、そっとささやく。
「……これ、もしかして……ってやつ?」
ハルキが真顔で答える。
「“余ったやつ、よかったらどうぞ”戦法……」
「あるぅ〜〜! そういうやつ、あるぅ〜〜!」
二人の囁きボケが静かに炸裂するなか──
サンゴちゃん(標本SH-03)が、ふわりと一瞬だけ、青白く光った。
まるで「さて、どっちなんでしょうねぇ」と言いたげに。
──────
数日後。
放課後のラボにて。
ミオは、ずっと気になっていた“あのやりとり”を、思いきって聞いてみた。
「ねえ、先生。
この前……教授からもらってた、あれ、なんだったんですか?」
月島先生は、ふわっと目を丸くしたあと、すぐにくすっと微笑んだ。
「ああ、あれですか?」
先生は、机の上に小さな包みをそっと置いた。
ラッピングはシンプルで、でも、なんだか可愛らしい。
(……え、やっぱりプレゼントっぽくない?)
ミオが心の中でざわついたそのとき、先生が口を開いた。
「これ、ハーブティーなんですって。
“在庫が余ってるから、よかったらどうぞ”って渡されました」
あくまで事務的です、と言わんばかりの口調。
でもその手つきが、ちょっとだけ──丁寧すぎる気がした。
「今度のは、ハイビスカスがメインだそうで……
“子どもたちにも合う香りだから、みんなでどうぞ”って」
「あ、はい──私も前に、赤いお茶、好きでした」
ミオは、なんとなく照れ隠しのように答える。
すると先生が、小さく笑って言った。
「教授って、意外と……細かいところに気がつく人ですよね」
その言葉の裏に、何か“知っている人”だけが持つ距離感があって。
ミオの心の中に、またしても“ざわざわセンサー”が反応した。
──なんだろう、この空気。
ケンタとハルキがラボの隅で、またもやこそこそ囁いていた。
「……なあ、これ、完全に“お茶で距離詰める戦法”だろ?」
「ていうか、“余ってるから”って言いながら、ちゃんと包んであったよな……」
「やっぱアウトじゃね!? もう、なんかアウトじゃね!?」
あまりの解像度に、ミオが思わず吹き出しそうになる。
でも──
ふと先生のほうを振り返ると。
月島先生は、あの包みをそっと両手に抱えたまま、
ほんの少しだけ、笑っていた。
それは、“もらえて嬉しい笑顔”というよりも、
懐かしさと、少しだけ後ろめたさを混ぜたような、やさしい笑顔だった。
ミオは、それを見て、何も言えなくなった。
──ただ、風の音だけが窓を揺らすように、
胸の中のざわめきだけが、いつまでもそこに残っていた。
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