Sea:17 かくれた宝物|笑い声と、胸に残る小さなざわめき。
ほんのりと砂の匂いを乗せた風が、
ラボの中を、そっと流れていった。
潮干狩り遠足から数日後。
海のあそびラボでは、
子どもたちが「お疲れさま会」と称して、
わいわいとお菓子を広げていた。
テーブルの上には、家から持ち寄ったお菓子たち。
潮干狩りの思い出話や、次に挑戦したい海遊びの相談が飛び交っている。
少しだけ、潮の香りが残る午後。
ラボには、やさしい時間が流れていた。
「じゃーん! オレんちの、超スペシャルお菓子セット!」
ケンタがドヤ顔で、大きな紙袋をテーブルの上に広げた。
「うわっ……ポテチしかないじゃん……」
ミオがあきれたように言うと、
「ポテチは正義だろ!?」とケンタが即座に反論する。
「俺は、クッキー焼いてきたよ」
ふわりとした声で、ハルキがラップに包まれたクッキーを差し出した。
「えっ、ハルキが!? 手作り!?」
ミオが目を丸くすると、ハルキは小さく肩をすくめる。
「うん、まあ……うち、親がうるさくて」
「……ハルキ、意外と家庭派なんだな」
ケンタがポテチを抱えながらうなった。
そんな子どもたちの様子を、
ラボの隅で、汐ノ宮教授と副担任の月島先生が微笑ましく見守っていた。
「遠足、無事に終わってよかったですね」
月島先生が、そっと言う。
「ええ。大きな怪我もなく、全員元気で良かったです」
教授は、白衣の袖をまくりながら、穏やかに頷いた。
月島先生は、手に持ったカップを少しだけ揺らして、
ふわりとした笑みを浮かべる。
「……いい香り、センセー、私このハーブティー好きなんです」
教授も、手にしていたカップを静かに持ち上げた。
「うん、いい香りだね。初めて飲んだけど、僕も好きかな。この前のカモミールのハーブティーも美味しかったよ。」
穏やかな声だった。
「それは、良かったです」
月島先生は、コロコロっと可愛く笑う。
教授は一度だけ、静かに微笑みで応えた。
(……センセー?)
ミオは、小さく首をかしげた。
先生が、先生同士で「センセー」なんて呼び合うの、
ちょっと変な感じがする。
けれど、ふたりはとても自然で、
なにも気にしていないようだった。
(……なんか、仲良すぎない?)
なんでもないはずのやりとり。
なのに、胸の奥がふわりとざわめいた。
すぐにケンタの元気な声が飛び込んできて、
ミオはそちらに引き戻されたけれど──
心のどこかには、
ふわりと、消えない小さな違和感だけが、
そっと残っていた。
「教授、食べないの?」
ケンタが教授のもとへポテチを差し出す。
「んー……油っぽいのは苦手でね」
教授が困ったように笑うと、
「じゃあ、クッキーあげます」とハルキがすかさず手渡した。
「助かる。ありがとう」
教授は、クッキーを一口かじり、目を細めた。
(……この感じ、悪くないな)
そんなことを思いながら、
教授はふと、ラボの片隅に置かれた棚に目をやった。
そこには──
少し色あせた、古びた標本箱。
砂にまみれた貝殻。
乾いた海藻。
薄くなったラベルに、かすれた文字。
忘れられた、小さな宝物たち。
そして、その箱に──
ミオが、そっと手を伸ばしかけていた。
「わあ……なにこれ!」
ミオが棚から箱を引っ張り出すと、
ケンタもすかさず駆け寄った。
「宝箱か!? 開けろ開けろ!」
ミオはわくわくしながら、そっとフタを開けた。
中には、色とりどりの小さな貝殻、乾いた海藻、
小瓶に詰められた砂。
「すごーい! これ、ラボにあったんだ!」
ミオが目を輝かせる。
ミオが貝殻を拾い上げる。
それを見ていた月島先生が、
ほかの子どもたちに目を向けながら、ふと一瞬だけ、ミオの手元に視線を送る。
けれど、すぐに何事もなかったように、また全体を見渡した。
「見ろよミオ、この貝──なんか笑ってね?」
ケンタがひとつの貝を持ち上げた。
「ほんとだ! にっこり顔だ!」
ミオも別の貝を拾い上げる。
「オレのは、絶対寝不足顔だな。
“テスト前日のオレ”って感じ!」
ふたりで並べて、
「スマイル貝!」「おつかれ貝!」
と即興で名付けてはしゃぐ。
その様子を見ていた汐ノ宮教授が、ふらりと歩いてきた。
そして、貝をひとつ手に取って、ふっと笑う。
「これは……“絶妙な仕事終わりフェイス”ってところかな」
「……」
「……」
「教授、それリアルすぎる!!」
「まさかのノリノリーー!!」
ミオとケンタが笑い転げ、
ハルキもふわっと微笑んだ。
ラボの春の光に、またひとつ、笑い声が弾けた。
そんな中で、月島先生が、標本の中からひとつ綺麗な貝殻を手に取った。
そして、何気ない仕草で、ミオの前に差し出す。
「……それ、あなたに似合うと思ったから」
ふわりと、微笑む。
ミオはきょとんとしながら、
「えへへ、ありがとう」と受け取った。
手のひらに載せると、
表面に細かい線が何本も刻まれているのが見えた。
「ねえ、これ……模様みたい」
「それは“成長線”だよ」
教授が、ミオの隣に腰を下ろして言った。
「貝が生きるたびに、少しずつ刻まれるんだ。
波に揺られて、餌を食べて、休んで。
それを繰り返して、少しずつ、少しずつ」
「……人間のシワみたいだね」
ミオがつぶやく。
「そうだな。積み重ねた時間は、どんな命にも、跡を残す」
教授は、また別の貝殻を手に取った。
「生きているときはね、もっと鮮やかな色をしてたんだ」
「え、そうなの!?」
ミオが目を丸くする。
「死んで時間がたつと、どうしても色は抜けてしまう。
光る貝殻も、波に洗われれば、やがて色褪せる──」
その言葉は、ラボの静かな空気に、すっと沈んだ。
ミオは、手の中の小さな貝を見つめた。
(……この貝も、生きてたんだ)
波に揺られた日々も、
きらめく時間も、
ちゃんとここに、刻まれている。
ふと、ミオは気づいた。
月島先生が、棚に置かれた別の標本にそっと手を伸ばしていた。
白く、わずかに光沢を残した貝殻。
先生は、微笑んだ。
けれど──
その指先が、かすかに震えていた。
誰も気づかなかった。
ただ一人、ミオだけが、それを見ていた。
(先生……?)
何か、大切なものを思い出しているような──
何か、深いところにしまっているような。
そんな表情だった。
「それもね、昔の子たちが拾ったんだ」
教授が、ぽつりと言った。
「ラボができたばかりの頃に、な」
月島先生は、そっと貝殻を元の場所に戻し、
小さくうなずいた。
教授と月島先生は、
一瞬だけ、目を合わせた。
──何も言わずに。
でもその一瞬に、
たしかに、何かが交わされた。
「ねえ!」
ミオが、ぱっと顔を上げる。
「次、海で宝探ししない!?
もっと、きらきらしたの、いっぱい見つけるの!」
「おーっ、いいね!!」
ケンタが元気に答える。
「……お菓子の予備、持ってったほうがいいな」
ハルキがぼそっと言って、また笑いが起こる。
月島先生も、そっと微笑んだ。
砂の匂い、潮の香り、
遠くで響く、波の音。
すべてが、まだ、
春の海に溶けていた。
そして、新しい物語が、
静かに──始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます