Sea:12 タツノオトシゴは、パパが出産する|家族のかたち

昼休みの校庭。春の風がグラウンドの砂ぼこりをふわりと運ぶ。


「タツノオトシゴって、あれ……魚なの?」


ミオの真顔のひとことに、ケンタが体育座りのまま首をかしげた。


「いや、あれドラゴンでしょ。名前に“竜”って入ってるし」


「でも、泳ぐ魚に見えなくない?」


ハルキが笑いながら言う。「てか、どこに住んでんの? 近所の海にいる?」


「しっぽで草につかまってるって聞いたけど……なんか、変な魚じゃない?」


そう言いながら、ミオはふと思いつく。「……ねえ、研究所で聞いてみようよ」


3人はそのまま、海のあそびラボへと向かった。



海辺の研究館「海のあそびラボ」。午後の潮風が、窓からそっと吹き抜ける。


「先生、タツノオトシオゴって、魚なんですか? それとも……ドラゴン?」


ケンタの質問に、汐ノ宮教授は吹き出した。

「見た目は竜でも、中身は魚。れっきとした魚類さ。ただ、まあ面白い生態がいっぱいのさかなだよ。まさに“見かけによらぬ”ってやつだね」


ミオが笑った。「でも、“竜の子ども”っていうくらいだから希少なんじゃないの。絶滅危惧種とか?」

ミオが写真図鑑をめくりながら尋ねる。「どこにいるんですか?」


「世界中の海にいるけど、日本近海にも多いよ。たとえば、瀬戸内海、相模湾、沖縄のサンゴ礁にも。意外と身近なんだ」


「海のドラゴンだし、超早そうだね」



「むしろ、泳ぐのが……超・苦手なんだ」

教授は、ふわっと香る新しい紅茶を淹れながらこたえる。


「タツノオトシゴはね、魚のなかでも“泳ぎが世界一下手”って言われてる」


「えっ、体育の通知表で言うと“1”?」

ケンタが笑いながら身を乗り出す。


「背びれをピロピロ動かして、ゆ〜っくり進む。でも、潮の流れがあるともう無理。すぐ流されちゃう」


「泳げないのに魚って……それ、苦行じゃん」


教授が笑いながら続けた。


「しかも、動かなすぎて“置物”に間違われた事例もある。ほかの魚が体に乗っかって休んでたりするらしいよ」


「え、それもう“流木ポジション”じゃん」


「エサ取るのも下手だよ。動きが遅すぎて、目の前をエサが通らないと気づかないんだ」


「ひょっとして、“ボーッとしてる系男子”?」


「しっぽでつかまってるから大丈夫だけど、それが外れたら……吹っ飛んで迷子になることもある」


「ポンコツすぎて逆に応援したくなるわ……」


「だからこそ、しっぽで草にからまって、流されないように暮らしてるんだ」


教授が本のページをめくりながら言った。「しかもタツノオトシゴ、赤ちゃんを産むのはオスの役目なんだよ」


「え、パパ!?」


「メスがオスのお腹の“育児嚢”に卵を産みつけて、それをパパが数週間かけて育てる。そして──出産する」


「それって……めっちゃ大変じゃん」


「生まれるときは、お腹からプシュッと、まるでくしゃみみたいに赤ちゃんが飛び出す」


「映像ある? 絶対おもしろいってそれ!」


教授がノートPCを開いて見せると、ミオが思わず声を上げた。


「うわ、ほんとにポップコーン出してるみたい……!」


ケンタが吹き出す。「てかさ、これ出産? シュールすぎて笑える」



「しかも、妊娠中はお腹に妊娠線ができる個体もいるんだよ」


「マジで!? 魚なのに“パパ味”出しすぎじゃない?」


「出産終わったら、すぐ解散。赤ちゃんとはもう“各自でがんばってね”って感じ」


「うそでしょ!? 感動とかないの!!?」


ミオが苦笑する。「たくさん産むから、世話はしないんだね」


「そう。タツノオトシオゴは、1500匹くらい産むこともある。ぜんぶ世話なんてできないよ」


「産んですぐ解散とか、冷たいけど合理的……」


「そう。“変わってる”けど、ちゃんと進化の理由がある」




「それにしても、名前負けしてない?」


ケンタが図鑑を見ながら言った。


「火も吹かない、空も飛べない、むしろ流されてる」


「……ドラゴンっていうより、保育士かエンタメ職だね」




「でも先生、そんな魚、なんで研究するんですか?」


ミオの問いに、教授は少し目を細めて語り始めた。


「なぜ研究するかって? たとえば、人間の妊娠に似たメカニズムを、オスの体で見ることができる唯一の魚なんだ」


「……え? 人間の妊娠?」


「そう。オスの育児嚢では、酸素や栄養のやりとりが行われていて、まるで胎盤のように赤ちゃんを育てている。出産直前にはホルモンも変化するし、免疫も調整される」


「それって、完全に妊婦じゃん……」

ケンタが思わずつぶやく。


「しかも、パートナーとのペア行動も一夫一婦制で、求愛ダンスの研究なんかは“愛の進化”のモデルケースにもなってる」


「すごい……魚なのに、恋愛も出産も研究されてるんだ」

ミオが感心する。


「そう。“変わってる”からこそ、進化のなかで選ばれた知恵が詰まってる。だからこそ、研究する意味があるんだよ」


しばらくの静寂のあと、ミオがぽつりとつぶやいた。

「なんか……ちょっと、見方が変わったかも」


ケンタがうなずく。「なあんかさ、今度タツノオトシゴ見たら“がんばれよ”って声かけそう」


窓の外では、潮風がやわらかくサンゴの標本を揺らしていた。

海の中でも、今日もどこかで、しっぽを巻きつけた小さな命が暮らしているような気がした。


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