Sea:05 それは、音だった|深海にひびく名前のない声

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「……昨日の夜さ、不思議な夢を見たの」

ミオのひとことで始まった、奇妙な“音”の話。

なぜか3人とも同じような夢を見ていて、教授に話すと、それは実際に記録された「未確認音」かもしれないという。


深海に響く、名前のない声。

そして、それに共鳴するように光る“さんごちゃん”。

科学がまだ答えを知らない、海のミステリーに出会う特別な1日。

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朝のラボは、波の音が聞こえないくらい静かだった。


窓の外にはうすく霞がかかり、潮風もまだ目を覚ましていない。そんな中、展示室の一角、ミオは展示パネルの前にぽつんと立っていた。


「……昨日の夜さ、不思議な夢を見たの」


ひとりごとのようなミオの声に、ケンタが顔を上げた。


「夢?」


「うん。すごく、低い音。ゴゴゴ……って、空気が震えるみたいな。目を閉じてるのに、波が押し寄せてくる感じで」


「うわ、それは……怖いヤツじゃん」ケンタは身をすくめる。


「ホラーじゃなくて、なんかこう……深くて、悲しいような、遠くで誰かが呼んでるような音だった」


「……へえ」


いつの間にか、ハルキも耳を傾けていた。


「で、そのあとすぐ目が覚めたんだけど……目覚ましも鳴ってなかったの。不思議だよね」


「……なぁ」


ケンタがぽつりと言う。


「俺も、似たような夢見た。なんか、ゴワンって、頭の奥に響くような音。うまく言えないけど、眠ってるのに“起こされた”気がした」


「え、まさか……」ハルキも首をかしげる。「俺も。低音の波みたいな……なんていうか、地鳴りみたいな」


3人は顔を見合わせた。


「これって、“虫の知らせ”ってやつじゃないの?」ケンタが声をひそめる。


「ただの偶然だよ、偶然!」ハルキが慌てて言い返す。「第一、おまえは寝る前にホラー動画見てたんだろ?」


「でも3人とも似たような音を聞いたって、これ、“寝耳に水”じゃない?」


「ちがう!それ、意味が逆だ!」ハルキがすかさずツッコミを入れる。「“寝耳に水”は“予想外の知らせ”って意味だ!音聞いて予感してたら逆だろ!」


「えっ、そうなの? ずっと“寝てるときに変なことが起きる”って意味かと……」ミオがしゅんとする。


「お前らほんと怖がらせスキル高すぎなんだよ……」


ケンタは腕を組みながら、ちらっと展示室の奥を見た。


その先には、教授の研究スペースにつながる通路があり、静かにドアが開いていた。


紅茶の香りが、ふわりと漂ってくる。


「ふむ、それは……“音の記憶”かもしれないね」


展示パネルの影から現れたのは、いつもの“ちょっと変わった教授”――汐ノ宮教授だった。白衣に丸メガネ、そして今日も湯気の立つ紅茶カップを片手にしている。


「音の記憶……?」


「うん。人間の耳って、聞いたことがない音でも、“感じたことがある”と錯覚することがあるんだ。とくに、海の音は記憶に深く残りやすい」


「でも僕たち3人とも、同じような夢を見たんですよ?」ハルキが眉をひそめる。


「それが不思議なところだね。もしかすると、それは“実際に存在した音”が、どこかで君たちに届いたのかもしれない」


「存在した……?」


教授は紅茶を一口すすり、静かに言った。


「“Bloop音”って知ってるかな?」


「Bloop?」


ケンタが首をかしげる。


「1997年、南太平洋のとある海域で、アメリカ海洋大気庁――NOAAの音響センサーが記録した、未確認の超低周波音だ。まるで、地球のどこか深い場所から、巨大な生き物がうめいたような音だった」


「地震じゃないんですか?」


「その可能性もある。でも、周波数や継続時間、音のパターンがどれとも一致しなかった。潜水艦でもなければ、火山活動でもない。“何かの生き物のようだ”とする研究者もいたけれど、正体は今も謎のままだ」


教授はモニターを操作し、音声ファイルを再生する。


低く、うねるような振動音がスピーカーから響く。


「……これです」


ミオの声が震える。


「これに、すごく近い……夢の中で聞いた音」


ケンタも無言でうなずいた。


教授はゆっくりとうなずく。


「“深海は、宇宙と同じくらい謎に満ちている”って言葉がある。科学が進んでも、まだまだ“名前のない声”が海の奥底から聞こえてくるんだ」


そのときだった。


ラボの奥に飾られていたガラス瓶の中――

ミオが以前拾った“さんごちゃん”が、ふわりと青白く光りはじめた。


「……あれ? 光った?」


ミオが小声でつぶやく。


「うそ……電池とか入ってないよね?」


ケンタが近づこうとした瞬間、光が一度強まり、静かに収まった。


「なにこれ……」


「もしかして、音に反応して……?」


教授は無言のまま、“さんごちゃん”をじっと見つめていた。


「これは……古い深海層で採れた化石の一種だ。ミオくんが拾ったときにはもう化石化していた。だが、この発光現象は……」


「偶然じゃない気がする」ミオがぽつりと言う。


「音が聞こえたときに、呼ばれたような気がした。さんごちゃんが“気づいて”くれたみたいな……」


しばらくの静寂のあと、教授が口を開いた。


「“虫の知らせ”という言葉があるけれど……時として、私たちの感覚は“科学がまだ説明できない何か”をとらえることがある。

音。記憶。共鳴。

そして、“感じた”という事実そのものが、何よりの観測結果なんだ」


「じゃあ……あの音は、本当にあったのかな」


「それはまだ、わからない。でも――」


教授は展示室の天井を見上げるように言った。


「この広い海には、まだ“誰も聞いたことのない音”が、たくさん残っている。実は、Bloop音のような“未確認の海中音”は、他にもいくつも記録されているんだよ」


教授はモニターを切り替える。


「“Julia”“Train”“Whistle”……どれも実際に観測された“名前のない声”だ。すべてアメリカのNOAAが記録した未確認音で、それぞれちがう場所・ちがう特徴を持っている」


「それって、どれも“正体不明”なんですか?」ミオが尋ねる。


「全部が全部というわけではない。たとえば“Slow Down”という音は、氷河の崩落によって発生した“氷の摩擦音”じゃないかと考えられている。そうやって、時間をかけて“声の正体”をひとつずつ解き明かしているんだ」


「まだ解明されてない音がたくさんあるってこと……?」


「うん。大げさじゃなく、地球上には“未確認の音”が数えきれないほどある。

深海の音響を専門に研究している国際機関や大学では、毎年のように“何かわからない音”が新たに記録されている」


「えっ、じゃあ、もし“音の研究”したいって思ったら、どうすればいいの?」


「いい質問だ。たとえば、“音響学”や“地球科学”、“海洋物理学”といった分野を学ぶことから始まる。

日本なら、JAMSTEC(海洋研究開発機構)や、大学の海洋学部がその拠点だね。研究者の道は長いけれど、君たちみたいに“知りたいと思うこと”がすべての出発点になる」


展示室のモニターに、Bloop音が記録された海域の地図が映し出される。

そこは、果てしない海のまんなか。船も人もほとんど行かない、静寂の領域。


「たぶん、まだ人間が気づいていないだけで、“海の言葉”はずっと前から響いてるのかもな」ハルキがつぶやいた。


「うん。わかってないことだらけだもんね」ミオがうなずく。


「……おれ、耳栓して寝ようかな。次はゾンビの声とか聞こえそう」ケンタが震える。


「それもたぶん寝る前の動画のせいだよ」とミオ。


その日のラボは、少しだけ静けさが違っていた。


誰もが少し、耳を澄ますようになっていた。


音があるかどうかではなく、

「もしも、名前のない声が聞こえたら、ちゃんと気づけるように」。


ふたたび、ガラス瓶の中で“さんごちゃん”が微かに光った。

何も音はしていない。

ただ、まるで深海から届いた“返事”のように、そっと灯るように。



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この世界には、まだ“聞いたことのない声”がある。

それを探すことが、科学であり、物語であり、希望なのだと思う。

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