Sea:03 タコには、心臓が3つある?|ケンタの顔が赤い理由

ラボの空気は、どこかゆるやかだった。

朝の陽が差し込む窓辺では、乾きかけた観察ノートが風に揺れている。


今日も、ここは静かな“ふしぎの入り口”だった。


「なあ、ミオ……タコって、心臓が3つあるって本当?」


ソファにだらりと寝そべりながら、ケンタが図鑑をのぞきこんだ。


「うん。1つは体の真ん中、あとの2つは、えらのそばについてるんだって」


ミオは本から目を上げずに答える。


「すげえ。三刀流みたいじゃん。タコかっけえ……」


「……三刀流じゃなくて“三心臓流”だな」

どこからともなく、ハルキの声がした。


「どう違うの?」


「言葉の問題だよ。気にするな」


「してるじゃん!」


ケンタが勢いよく起き上がったとき、顔がぽっと赤くなった。


「うお、ちょ、あっつ……さっきまで寝てたから?」


「それ、タコと同じじゃない?」

ミオが静かに言った。


そのとき、ラボの奥から白衣の気配が近づいてきた。


「タコはね、気分や体調で体の色が変わる。

皮膚に“クロマトフォア”っていう色素細胞があるんだ」


汐ノ宮教授だった。

カップから立ちのぼる紅茶の湯気が、白衣の前をほわっと通り過ぎる。


「つまり……感情が体に出やすい生き物ってことですね」


ハルキが言うと、教授はにこっと笑った。


「まあ、“頭隠して尻隠さず”とは、まったく逆の生き方かもね。

タコは、“出すときは全部出す”タイプだ」


ケンタがむくっと立ち上がる。


「じゃあ俺、タコっぽい?」


「うん。ちょっと似てるかも」

ミオが小さく笑った。


「えーっ、オレそんなにヌメヌメしてる!?」


「そういう意味じゃなくて……気持ちが顔に出るってこと」

ミオはさらりと言って、また本に目を戻す。


ケンタの耳まで真っ赤になった。


「でも、タコってすごいよな。

心臓3つで、足8本で、頭いいし、体柔らかいし。変身能力まであるって、もうチート生物じゃん」


「確かに。人間なんて、1つの心臓でヒーヒー言ってるのに」


「十人十色っていうけど、タコの能力は“ひとりで十色”くらいある気がする」


教授が、静かに紅茶をすすった。


「本当にね。しかもタコは、“どう思ってるか”を他のタコにちゃんと伝える方法を持っている。

色、動き、姿。どれも、言葉じゃないけどちゃんと届く」


その言葉に、ミオが顔を上げる。


「……言葉じゃないけど、ちゃんと届くって、いいですね」


「人間も、本当はそうありたいね」

教授が応える。


ラボの片隅。

棚の上のガラス瓶の中で、さんごちゃんが静かに光を受けていた。


声も動きもないけれど、不思議と“そこにいる”感じが伝わってくる。


ミオはそっと視線を向けた。


「さんごちゃんも、もしかしたら、何か伝えようとしてるのかな」


ケンタがさんごちゃんを見て、ちょっと照れたように言う。


「……タコと違って、顔に出ないタイプかもな」





“見えない”って、なにもないことじゃない。ちゃんと届いてることも、ある。

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