3%の海

蒼波 澪

Sea:01 『クラゲに脳はないのに、生きている?』

夕暮れの潮風がそっと吹き抜ける、海辺の研究館──「海のあそびラボ」。

その奥の図書スペースに、今日もあの“ちょっと変わった教授”がいた。


「……それでね、クラゲには脳がないんだ」


唐突に、汐ノ宮教授は目の前の子どもたちにそう言った。


「へ?」

と、ハルキが素っ頓狂な声を上げる。

「それって、生きてるのに? どうやって動いてんの?」


「そもそもクラゲって、なに考えてるの?」

ミオが机にあごを乗せながら、眉をひそめる。


「考えてないんだよ」

教授は笑った。

「脳がないんだから」


「えぇぇぇえぇーー!?!?!?」

ケンタが椅子から転げ落ちた。


汐ノ宮教授は、くすくすと笑いながら続けた。


「クラゲはね、“神経網”というネットワークだけで体を動かしてる。

人間のような“司令塔”はないけど、光や振動に反応して動くことはできるんだ」


「ってことはさ……クラゲは感情もないの?」

と、ハルキが真面目な顔で聞く。


「ない。というか、あってもわからない。だって本人たちが“考える”ってことをしていないんだから」


「わたし、クラゲが好きだったのに、なんか寂しい……」

とミオ。


「でもさ、逆に言えば、“何も考えずにただ生きる”ってすごくない?」

と、教授が笑う。


「え?」


「誰かの言葉に悩んだり、明日のことで不安になったりしない。

ただ、ゆらゆらと流されながら、でも確かに生きている」


子どもたちは一瞬、黙った。


「……俺もさ、今日宿題やってなくて、いろいろ考えてたけど……」

とケンタ。

「クラゲって、考えなくていいんだよな」


「違うよ。ケンタ、それは言い訳だよ」

とハルキが即ツッコミを入れる。


「でもさ、クラゲってすごくない?」

ミオが言った。

「脳も心もなくても、生きてるって……ロボットじゃなくて、命なんだよ?」


教授はにこりと微笑んだ。


「そうだね。クラゲは、生き物として“最小限”で、でも“完璧”なんだ」


そして、立ち上がった。

「さあ、今日はクラゲの水槽、掃除してくれるかい? あいつら、意外とデリケートなんだ」


「まかせて教授!」

「ゆらゆらしてくる!」

「ケンタ、掃除はゆらゆらしなくていいよ」


夕陽が差し込む水槽前。

クラゲたちは、今日もゆらゆら、なにも語らず、ただ漂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る