第12話 ポストの中の見知らぬ返事
春の風が、まだ制服の袖に冷たく触れる午後だった。
その日、僕は文芸部の掲示板に張り出すお知らせの紙を取りに行くついでに、
旧校舎の脇にある使われていないポストの前を通った。
通りすがりのはずだった。
でも、ふと目に入ったそのポストの口が、わずかに開いているのを見て、足が止まった。
中を覗くと、一通の封筒があった。
封はされておらず、宛名も差出人も書かれていない。
ただ、その裏面にだけ、こう書かれていた。
「返事、ちゃんと届いてるよ。」
意味が分からなかった。
けれど、封筒の中には、紙が一枚だけ入っていた。
開くと、それは短い引用のような言葉だった。
“名もない光が落ちていた。
誰にも呼ばれていない時間だけが
私たちを知っていた。”
文芸部の春号に載せた、共作詩の一節だった。
「……誰が、こんなところに」
僕はポストの蓋をそっと閉じて、封筒を持ち帰った。
その日の部活で、僕は封筒を鶴矢先輩に見せた。
先輩はそれをしばらく黙って読んでいたあと、
小さく笑った。
「いいね、“返事”って感じする。
誰に宛ててるか、わからないままなのに」
「……でも、どうしてポストに?」
「たぶん、“直接渡すにはちょっと恥ずかしかった”んだよ。
だから、誰にも見られなさそうな場所に、そっと置いてった」
「そんな小説みたいなこと、本当にあるんですか」
「あるよ、文芸部には」
まるで、それが当然だとでも言うように。
そして先輩は、封筒の端に指を滑らせて言った。
「ねえ、返事、返してみない?」
「返事の……返事、ですか?」
「うん。ポストに入ってたんだから、またそこに投函すればいい。
返事の返事って、ちょっと素敵でしょ?」
僕らは、それぞれ一行ずつ書いた。
「読み手がいることが、
ことばの行き先になるって、
やっと信じられそうになった。」
そして、それを新しい封筒に入れ、また旧校舎のポストに戻した。
誰が読むかも、いつ届くかも分からない。
でも、それでいいと思えた。
“ことばがことばを呼ぶ”ように、
この小さなやりとりが、どこかで誰かの時間にそっと紛れ込んでいくのなら。
そして翌日、またポストの蓋がわずかに開いていた。
中には、封筒ではなく、折りたたまれた紙が一枚だけ。
そこには、たったこれだけ書かれていた。
「ようやく、ひとりじゃなくなった気がする。」
誰だか分からない誰かとのやりとり。
名前のない返事が続いていくポスト。
でもそこに、たしかなつながりが生まれつつあることを、
僕たちは言葉の中に感じていた。
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