クモガールは邪鬼祓い!

井守まひろ

#0 プロローグ

 真っ黒な闇が渦巻く中、静かだった屋敷全体が突如として阿鼻叫喚あびきょうかんの様相をていした。

 

 黒い鉄格子の鍵が開かれ、藍色の羽織を身に纏った女性が私へと手を伸ばす。


「ボタンちゃん、逃げるよッ!」


 この事態を引き起こした者が誰かなんてどうでも良いけれど、私にはその正体が分かっていた。

 頭の中に流れ込む黒い妖気が、その存在を嫌でも教えてくれる。


 私は彼女に手を引かれ、鉄格子に囲まれた部屋の外へと逃げ出した。


 硝子戸から見える庭は血まみれで、そこら中に死体が転がる地獄絵図だ。

 やがて縁側から外に出た私が目にしたものは、それよりもむごたらしい光景であった。


 どす黒い闇を纏った八本脚の異形いぎょうが、自身を取り囲む人達を次々と殺していく。


「お母さん……」


 この目に映る異形の姿が、顔も名前も知らない自分の母親だと認識できたのは、その妖気が私と同じだから。

 頭に流れ込む黒いものが、そう言っているからだ。


「裏から逃げるよ」


 女性と共に屋敷の裏へと駆け出した私の視界で、赤く光る八つの目がこちらに向けられた。


「ひっ……!」


 私の悲鳴を聞き、立ち止まった女性が右手を構える。

 彼女の右手首にある腕時計型の装具は、天文学で使うアストロラーベのような見た目をしており、本体から人差し指にかけて鎖で繋がれた金具があった。


「大丈夫、お姉ちゃんが守るから……!」


 彼女の手と足は震えていて、酷く恐れているのが分かる。

 一瞬にして距離を詰めてきた異形から、思わず女性の手を引いて退しりぞけた。

 私は襲い掛かる異形の脚にしがみ付き、彼女を殺さないようにと懇願する。


「もうやめて、お母さんッ! 輝夜かぐやねえは殺さないで……お願い……」


 そんな声が届くはずもなく、異形の鋭い脚は私の頭に向けられた。


「輝夜姉、逃げてッ! 私なんて良いから———」


 直後、私の顔に生温かいものが降り注ぐ。

 血飛沫……それは、彼女のものだった。


「え……か、輝夜姉……」


 彼女だけは、死んではいけなかった。

 輝夜姉が死んだら、深夜みよは———


「天文術、第一等星術式……」


 そう発したのは、輝夜姉であった。

 彼女は指先の金具を異形の頭に突き刺し、足元にホロスコープのような陣を展開させている。


「ボタンちゃん、深夜ちゃんをお願いね」


 それが、彼女の最後の言葉だった。


        *


「ボタン、いつまで寝てるの?」


 不意に聞こえた声で、私は勢いよく飛び起きる。


「わっ、急に起きるじゃん」


 私の掛け布団を剥ぎ取ったらしく、それを持った深夜が少し驚いた様子で言った。


「……もうちょっとだけ寝てもいい?」


「駄目、もう起きてご飯食べな。今日は仕事だよ」


「えー、どうしても起きなきゃ駄目な感じ?」


「当たり前じゃない、拒否権は無いよ。あんたはアタシのペットなんだから、アタシの言う事は絶対」


 そう言われてしまうと、確かに二度寝を強行する事は出来ない。


「はい、おはようございます……」


「ごはんの前に歯磨きしなよ」


 両手で持っていた私の掛け布団を畳の上に置き、そう言い残してから部屋を出て行く深夜の背中を見届ける。


 また、あの日のことを夢に見た。

 悔やんでも悔やみきれない。

 私に出来るのは、深夜のペットとして彼女の側に居続ける事だけだ。


“あんたには力と責任があるの。だから、その力で責任を取って”


 あの時、深夜に言われたあの言葉は、今でも胸の中に大きな巣を張り居付いている。


 私は布団から起き上がると、両手で自分の頬をパチンと叩いた。

 さてと、今日のお仕事も張り切って行こう。

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