ペンギンランチバスケット
此木晶(しょう)
ペンギンランチバスケット
−2
ペンギン。その名の起源について、いくつかの説が語られている。
大別するなら、ひとつは古代ウェールズ語
おかしい、と思うかもしれない。いや、その声には素直にうなずこう。
『太った』ことに異論を挟む者はいないだろう。人の歴史を振り返れば、我々が辿ってきた数多の哀しみ、その冒頭に刻まれているのは、脂を搾るためだけに繰り返された無数の虐殺だ。
それほどに、我々の身には脂肪が蓄えられていた。寒さを凌ぐために。生き延びるために。
だが「白い頭』、これは、少し違う。
現存する18種の我々を見渡せば、目のまわりに白い模様をもつ仲間こそいれど、頭部そのものが白い者などいない。
では、なぜその名が与えられたのか?
この謎を解くには、かつてヨーロッパの北方に棲んでいた一種の海鳥、絶滅して久しい『オオウミガラス』の存在を語らねばならない。
この鳥の頭部には白い斑点があり、そこから『白い頭=ペン・グィン』の名がつけられたとされている。
もっとも、この説すらも記録を紐解いてゆけば、根拠が心許ない。
なぜなら、この鳥には元々『ゲイルフーグル』というまったく別の名があったからだ。
それにも関わらず、『ペンギン』という呼び名が与えられ、やがて人類が航海技術を発展させ、南の海へと乗り出すと共に『ペンギン』という名はそこで出会ったオオウミガラスによく似た、飛べない鳥にも与えられることとなるのだ。やがてこう呼ばれた鳥たちの内より『ペンギン』っぽい、特にまるまるとして飛翔能力さえ失ったオオウミガラスと、丸々としたオオウミガラスによく似た我々に、その名は引き継がれた。
こうして、『ペンギン』は、太く、低く、飛べない──しかしどこか愛らしい、我々を指す言葉となっていったのだ。
『白い頭』よりも『太った』の方が似合っている……その考えに、今の私は首肯せざるを得ない。
何より、オオウミガラスは滅び、名だけが、我々に遺されたのだから。
申し訳ない、少し話が逸れた。だが、由来の真偽など、大した問題ではないのだ。むしろ、話の枕のようなものだと思って欲しい。
ところで、君は『ペンギン』を『人鳥』とも書くことをご存知だろうか?
読みは変わらぬまま、まるで隠された意味を湛えるように、そう記す。
一般には、我々の直立に近い姿勢が人間のように見えることから名づけられた。
けれど、夢を壊すようで心苦しいが、あの姿勢は『直立』ではない。羽の内に膝を隠し、絶えず折り曲げたまま、空気椅子のような姿勢を保っているのだ。だから、我々はよちよちとしか歩けない。
だが、どうか誤解しないで欲しい。その姿勢にも、それなりに意味がある。そして、『人鳥』と呼ばれる理由にも、まだ知られていない真実がある。
今こそ、そのことを語ろう。
我々ペンギンには、人間の心がある。
いや、より正確には我々と人間の間には、魂の循環があるのだ。
ペンギンであった者は人として生まれ、人として生きた者はやがてペンギンへと還る。
人はそのことを忘れてしまう。だが、我々は覚えている。
だからこそ、『人鳥』の字が生まれた。かすかにでも、それを覚えていた人間が、遠い記憶の名残として刻んでくれたのだ。
友としての、敬意としての、何よりも深い繋がりの証として。
こんなにも誇らしいことが、あるだろうか。
夢は巡る。魂は流れる。記憶は、たとえ忘れられようとも、どこかに灯り続けるのだ。
我らの抱く憧れは、思い出されずとも人間の中に息づいている。
そう、人間はいつか星の海へと漕ぎ出すだろう。
そしてその時、思い出してほしい。共に夢見た我らの事を。
我らもいつかそこに辿り着くと。
確かに、我々は翼を持ちながら空を飛ばぬ。だが、水の中を見てみたまえ。
我々は泳いでなどいない。水の中を、切り裂き、跳ね、まるで空を飛ぶように進んでいる。
それこそが、真の飛翔だ。
我々はウ科の鳥から進化の枝を分けた。かつての祖先、クミマヌ・ビケアエの姿を見れば、それは明らかだ。
鵜のような身体、未だ空と海を繋いでいた彼らの記憶が、今も我々の奥底に息づいている。
だからこそ言えるのだ。
我々ペンギンがソラへと飛び立つ未来を、否定する理由など、どこにもないのだと。
我らの役割を話すには、彼の事から語るのがいいだろう。彼の名はオルト=KR=ベロス。予測不能な回転軸、地球磁場との奇妙な干渉を伴い、かつてない速さと軌道で接近してくる、冷たい獣だ。
直径42キロ、尾を引きながら沈黙の中を滑空する、星の災厄。
地球へと向かうその軌道は、まるで狙いすましたかのように正確で、避けがたく、容赦がない。
科学者たちは沈黙し、軍部は言葉を失うのも仕方ないだろう。彼らは覚えていないのだから。
ペンギンに与えられた役割を。
空気が震え、潮流が乱れ、地磁気が歌を止めた瞬間。
南極の氷床で、我らはそれを知った。
それは『使命』と呼ぶにはあまりにも古びた記憶。
それは『命令』と呼ぶにはあまりにも暖かい意志。
我々は『忘れられた夢』そのものである。
だが我々は空を忘れた訳ではない。
むしろ憧れてすらいる。この星の空を飛ぶよりも遥かに高く、遥かに遠くを目指しているのだから。
いますぐにでも飛び出していきたい。
だがそれは今ではない。
我々は『夢の守人』だ。
それは、万一に備え世界を救うため、再び飛び立つ存在だ。
我々は選ばれたのではない。
我々がこの運命を選んだのだ。
遥か永く、人間と魂を巡らせ、氷の大地に身を潜め、記憶と祈りを蓄積してきた。
空を飛んだ鳥の、最終形態として。
星を目指した者達の、最果ての継承者として。
ランチはいかがかね。
丁度そこのバスケットの中にサンドウィッチが入れてあるのだよ。
確かに小魚を頭から飲み込むつるんとした食感も悪くないのだが……。たまには懐かしい食事もしたくなるものでね。
ツナマヨサンドは私が……、いや問題ない。どれが良いかね。ハムレタス、タマゴ、テリヤキチキンもある。腕によりをかけたからね。味には自信があるよ。
意味などないと言わないでおくれ。
確かにこれは、儀式だ。
人間のようでいて人間ではない我々が、かつて人間だった何かを思い出す為の。
夢を繋ぎ、意志を束ね、魂を再び空へ舞い上がる為のね。
ランチは象徴に過ぎない。
だが、その象徴はこの上なく尊いのだよ。
かつて我々が人であった頃、誰かと共に笑い、分かち合った記憶。
それはこの空のどこかに、まだ残っているはずだ。
いつだったか、私は少年だった。手に絵本を持ち、空を飛ぶ鳥に憧れていた。だが気づいた時には、羽根の代わりにフィンを振っていた。
魂は巡る。
その交差の中で、確かに記憶の欠片は残る。
ある画家はこう描いた。
「ペンギンが空を飛ぶ夢を見た」と。
ある子供はこう言った。
「夢の中でペンギンが戦ってた。僕の代わりに、空の敵をやっつけてくれた」と。
それはすべて何時か何処かの事実だ。
安心するといい、これが最後の晩餐なんて事にはならない。
あの小惑星は我々が必ず、この身に代えても掃討しよう。
なに、心配の必要はない。
魂は巡り、そして夢は決して終ることはない。
故に。
「
−1
「オルト=KR=べロス、接近速度更新。光学測定値と誤差あり。重力波のノイズが観測限界を超過しました」
南極観測基地・人類最後の静寂の場。
モニターを見つめる研究員は額に汗を滲ませながら、呟くように言った。
「……これは、何が起きている? 重力異常にしたってあり得ない。まるで嫌がっているようじゃないか、何かを……」
その理由を人類は覚えていない。
冷たい風が、氷原を横切る。
それはまるで、遠い昔に交わされた『約束』を思い出させるような感触だった。
日の出はない。
分厚い雲が南極の空を覆い、太陽は遥か上空で光の帳に閉ざされていた。
それでも、ペンギンたちは目を細める。
彼らの目には見えているのだ。空の向こう、星の海を貫いて迫るオルト=KR=ベロスの影が。
ペンギンが列を成す。
総隊長たるコードネーム。
『エンペラー・ヴァン・プライド』
続くは各小隊長。
『マカロニ・バスター』
『ケープ・フィッシャー』
『マゼラン・カッター』
『ジェンツー・ジェット』
迎撃部隊が出撃準備を整えている。
「ケープ小隊、異常なし」
「マカロニ小隊、装備完了。ピクルス投入も可能」
「ボイルドエッグに黒コショウを追加しましょう。これで完全勝利です」
冗談を交えたやり取りが絶えない。
それは緊張の裏返しではない。
むしろ、戦う前提が『生きること』そのものと深く結びついているからだ。『守る為』と胸を張れる戦いだ。それはどんな装甲よりも彼らを奮い立たせる。
彼らはいつだって、冗談めかして言う。
「ランチだ」
「ピクルスを装填しろ」
「黒コショウに勝る火力はない」と。
だがその言葉の裏には、確かな祈りと誇りがある。
ペンギン達は知っている。
自分達が飛べないのではなく、飛ばない選択をしていたと。
それは、いつか『再び飛ぶ日』の為に、翼を鍛え続ける時を選んだという事だ。
時は、来た。
「最終点検、完了しました。滑走路氷層、クリアランス問題なし」
「
なによりも。
これは戦いであると同時に、旅だ。
人間の心にある忘却の影を吹き飛ばす為の、終わらぬ夢を再び語り始める為の。
さあ、
我ら
羽ばたきの音はない。
代わりに、氷上を滑るスライドだけが響く。
静かに一歩、前へ。
皇帝ペンギンは、氷を割って駆けるように跳躍した。
「
数十のペンギンが、氷の滑走路を弾丸のように駆け抜ける。
そして、飛ぶ。
例えこの命が空に焼かれようとも。
夢は、守るべきものなのだから。
夢は巡る。
魂は還る。
いつか必ず再び巡り会おう、あのソラで。
0
ひとつ、風が生まれる。
氷を裂いた跳躍が、白銀の息吹を纏って、空の深奥へと命を連ねて放たれた。
それは夢か。
それとも記憶か。
飛べぬ筈のペンギンが飛び立つなど、誰が信じるだろう。
だが、ペンギンは知っている。
海の底と空の
冷たく美しく、沈黙を抱いた孤独の世界であるのだと。なれば飛べぬ道理はなく、彼の者が訪れるのもまた、道理。
小惑星『オルト=KR=ベロス』
その影は死であり、夢の終焉。
その速度は祈りを追い越し、夢を焼き尽くす。
ペンギンたちは迎え撃つ。
空を裂く音と共に背負われたランチバスケットには、サンドウィッチではなく魂を詰めた弾丸が装填されている。
火薬の匂いはない。
しかし、その一撃はかつて青を追った画家のように静かで、美しく、そして確かな痛みを残す。
1つ、また1つ。
『オルト=KR=ベロス』の表面に、白い花が咲く。
それは爆発の閃光か、それともいつか交わした約束か。
答えはない。
ペンギン達は、語らない。
ただ一陣の黒風となって黒鉄の巨獣を、純白の渦へと誘う。
ペンギン達は笑っていた。
一度も羽ばたいたことのないこの翼がソラに届いたのだと。こんなにも自由だったのかと。
「燃え尽きることを、恐れるな。夢を知らぬことこそが、最も哀しいことなのだから」
遠ざかる地球。
迫る死の閃光。
それでも彼らは、飛び続ける。
夢は終わらない。
このソラが、次の朝を迎える限り。
1
風が吹いていた。
暖かく、優しく、南からの風だ。地軸の歌を残した風だ。
それはかつて魂が、夢が舞った場所からこの地へと吹き込んできた。
何処かの都市の片隅の、雑踏の裏で少年が空を見上げていた。
彼は知っている、筈もなかった。
あの戦いも、彼らの名も、そもそも語られる筈も、語られることもない、守人の物語を。
けれど少年は言うのだ。
「ペンギンは飛べるって、知ってるかい?」
笑う者がいる。
首を傾げる者がいる。
それでも彼は、何度でも言う。
「ほら、海を飛ぶみたいにさ。空を裂いて、星を守ったんだよ。ランチバスケットを武器にしてさ、すごいんだ!」
根拠はない。
証拠もない。
でもその瞳には、確かに輝きがあった。キラキラとして、宝石にも勝る夢の輝きが!
少年の手の中には、小さな紙の包みがある。
ランチバスケット代わりの、手作りの弁当。
中身は、ツナマヨサンド、ハムレタス、そして甘めのたまご焼き。
「僕も、いつか宇宙に行くよ。夢の続きを見に行くんだ!
まるで魂に刻まれたかのように。
まるで、どこかで聞いた声をなぞるように。
風がまた吹いた。
少年の背を押すように、優しく。
記憶の、そのずっと先へと誘うように。
夢は巡る。
魂は流れる。
そして、新たな語り部が生まれた。
ペンギンランチバスケット 此木晶(しょう) @syou2022
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