月の王子様は照らされる。

泉紫織

月の王子様は照らされる。

「あのぅ、このあと時間あります?お兄さん、かっこいいから声かけちゃいましたぁ!」


 てへぺろっというセリフが聞こえてきそうなノリで声をかけられる。困った、どうしよう。よくあることだけど、いつもどうすればいいかわからない。


 だって、私、月橋瑞季つきはしみずきは女だから。身長は178cmもあるし、女の子らしい格好をしているわけではないけど、正真正銘の女である。


「どうです?あそこのカフェなんかに入りませんかぁ?」


  媚びるような間延びした話し方に戸惑いが重なる。なんて言って断ればいいんだろう。


「えっと、いや……このあと用事があるんで……。」

 

 目線より少し下にある女の子の首が少しだけ傾げられ、反対の肩が胸の辺りにぶつかった。それでも相手は私が女だと気づかない。残念なことに、私は胸もないのだ。


「ちょっとでいいからぁ。」


 ここまでしつこい逆ナンは初めてだ。いや、そもそも私が女な時点で逆ナンですらないけど。どうしようか、と頭をフル回転させていると、女の子のすぐ横に明るい茶髪の頭が現れた。


「あのさ!明らかに困ってるよね?やめた方がいいんじゃない?あと、その子、女の子だよ。」


 少し高めの声が私と女の子の距離を少しだけ離してくれた。


「え……。え?」


 心底戸惑ったような声を発したのち、女の子は慌てて謝りながら走り去って行った。助かったと思い、ほっと息をつく。


「あの、ありがとうございました。助かりました。」


 お礼を言って頭を下げてやっと、その男の子と同じくらいの高さになった気がする。そのくらい、その男の子は背が低かった。それに、女の子みたいなかわいい顔をしている。目が大きくてまんまるだ。


「全然!困ってそうだったからさ。それより、こういうこと、よくあるの?」


 見るからに心配そうな表情で聞いてくるその子。


「あ、はい。結構多いですが、ここまでしつこいのは……。」


「そっかそっか。じゃあさ!次こういうことあったら俺に連絡してよ。助けに行くからさ!」


「え?」


「いいからいいから。ほら、携帯貸して。」


 勢いでスマホを差し出してしまったけど、これはナンパと何が違うのだろうか。でも、目の前の男の子から伝わってくるのは、純粋な心配と助けたいという気持ち。不思議と信用してしまった。


「次なんかあったら絶対俺に連絡するんだよ!わかった?」


 いつの間にか連絡先が交換されていて、スマホを返された。


「えっと、こういうことがあったら、呼んでる間に連れて行かれる気がしますが……。」


「え?あ、確かに。俺バカじゃん!まあ、それ以外でもなんか困ったら呼んでよ。あ、あと同い年だからタメでいいよ。」


 どこで年齢を知ったのだろう。もしかして、初対面じゃないのだろうか。あれこれと記憶の中を特急で駆け巡るが、思い当たらない。


「え?同高じゃん。春日崎かすがさき高校の2Aでしょ?」

 

 確かに私は春日崎高校の2年A組の生徒だ。この子は別のクラスなのだろうか。スマホをチラリと見てから問う。


海凪うみなぎ日向ひなた?くんは、何組?」


「ああ、海凪みなぎだよ、苗字。そんでF組。俺、就職組なんだよね。」


 進学クラスのA組と就職クラスのF組は別校舎で授業を受けている。だから、日向と会ったことがなくても不思議ではない。だが、日向は私のことを知っているようだ。


「私のこと、なんで知って……?」


「いやぁ、知らない人いないでしょ、うちの高校の王子様じゃん。」


 なんて返したらいいのかわからない。だが、私が王子様と呼ばれているのは事実だ。別校舎の生徒にまで知られているとは。


「それにしても背たっけえな〜!羨ましい!俺に10センチくらい分けてくんね?」


「あ、ありがとう?」


「あっはは!なんで疑問形?」


「男の子なんだからすぐ伸びるんじゃない?」


「そうであって欲しいんだけどなぁ。」


 いつもは心臓をぐっと引き下げる王子様という言葉も、背が高いという言葉も、日向が言うとなぜか褒め言葉に聞こえた。


 日向は、じゃ、俺行くから、と言って颯爽と去って行く。SNSのトーク画面に表示されている漫画のキャラクターがグッドサインを出して「よろしく!」と言っているスタンプを見ながら、太陽のような嵐のような人だなぁと思った。


※ ※ ※


 日常は普通に流れていく。いや、普通に流れていくから日常なのか。朝登校すると、追っかけからキャーキャー言われて、勝手にたくさん写真を撮られる。授業を受けている間も、自分のことを眺めている女の子が何人かいるのがわかる。視線を感じるから板書に集中できないけど、やめてほしいなんて言えない。王子様であることが期待されている以上、行動も王子様らしい方がいいだろうと思ってしまう。


 小中学校の頃は大変だった。その頃からすでに身長が高かったから、男子から「男女おとこおんな」とバカにされたり、追っかけが嫌でやめて欲しいと伝えたら嫌われてハブられたり。そっちが追っかけを始めておいて、本当に勝手なことだ。


 それから私は、自分の身を守る術を身につけた。王子様であることをも求められているのなら、そうなればいい。女の子らしくするのではなく、よりかっこよく、それでいてより美しく、儚く、誰もが憧れるような存在になればいい。そうして、私はすぐに王子様になった。


「瑞季は身長高いしかっこいいんだから、スラックスにしなよ。」


 王子様の私を求めているのは、同級生だけではなかった。春日崎高校の女子は制服の下をスカートかスラックスから選ぶことができる。私はスカートにしたかったけど、書類に丸をつける時にお母さんにそう言われたのだ。別に悪気はないと思う。むしろ褒めてくれているとも。お母さんも誰も、私が王子様であることを嫌がっているなんて思っていないから。


「今日風強くない?チャリ乗ってる時スカート捲れてやばかったんだけど!」


 教室で女子が盛り上がっているのが聞こえる。私には関係のない話だと思っていると、急に流れ弾が飛んできた。


「王子はスラックスだから大丈夫じゃんね。羨ましい〜。私もそっちにすればよかった〜。」


 また、悪気のない言葉。かすり傷くらいだけど、何度も傷つけられるとHPはどんどん無くなっていく。でも、そんな自分に絆創膏を貼って蓋をする。


はるかはスカートが似合うんだから、そのままでいいんだよ。」


 この発言だって、誰かを傷つけているのかもしれないな。ふと、そんな考えが頭をかすめる。私も大概だ。


 こうやって、日常は普通に流れていく。


※ ※ ※


「第78回!春日崎高校体育祭、開幕です!」


 日常の中にたまに現れる非日常。今日はその代表だ。体育祭である。高校生らしく、クラスTシャツを作って、自由に髪を飾って顔にラメやシールをつける……はずだった。


 そう、私は王子様だ。お姫様じゃないんだから。JKライフには期待するだけ無駄なんだ。


「王子!!パス!」


 結局なんの飾りもなく、いつも通りベリーショートの黒髪を左右に分けて赤のはちまきをつけ、クラス対抗のバスケに出ている。


 バスケ部のエースである私は当然、主戦力として期待されている。王子様らしく周りをサポートしつつ、完璧に勝ちに行かなければ。


 逆サイドを走るクラスメイトからのパスを受け取り、レイアップシュートを決める。応援席から黄色い声援が聞こえた。


 息切れに混ぜてため息をつく。うちわなんて作っても、私はアイドルじゃないのに。でも、それを口に出してはいけない。「手振って!」と書かれているうちわを見て笑顔で手を振る。ファンサは必ずする。だって、みんなが憧れる王子様ならきっとそうするから。


 ハーフタイムに入り、コート横でスポーツドリンクを飲む。その姿もじっと見つめられているようで恥ずかしい。いつも見られているが、慣れることはできないのだ。 


「え、めっちゃかっこよくない?あれ、見て見て!」


 体育館の反対側の応援席から、ざわめきが聞こえてくる。今、この体育館では私たちのバスケの試合と、D組対F組の男子バレーの試合が同時に行われているから、ざわめきの出元は男子バレーということになる。


 そちらに目線を向けると、この間見たばかりの明るめの茶髪頭が足を片方だけ伸ばして床ギリギリでボールを上げていた。青と黄色が交互に入ったボールの勢いがなくなって、天井に向かって高く、高く打ち上がる。


 日向だった。バレーコートに立っている男子の中で一番背が小さい。1人だけ違う色のゼッケンを着ていた。リベロなのだろう。


 思わず、見惚れてしまった。それくらい美しいレシーブだったのだ。バレーは体育でしかやったことがないが、相手のスパイクの勢いを完全に殺して打ち上げることのどれほど難しいことか、それは感覚的にわかる。


「王子〜?試合再開だよ。」


 クラスメイトに声をかけられてハッとする。その子に礼を言って、コートに戻った。できるだけ、爽やかに。


 試合はあっという間に終わった。もちろん、私のいるA組の勝ちである。キャーキャー言っている応援席に目線を向けるとまた別のうちわがあったから、要求通りウインクをしてあげた。


 バレーはまだ終わっていないようで、少し名残惜しかったけど、A組の男子サッカーの試合の時間が近づいてきていたから、クラスメイトとともにグラウンドに向かった。


※ ※ ※


 家に帰って、自室の机で課題のプリントを解き始めた時のこと。ピンクのシャーペンにはかわいらしい鍵の小さなチャームがついている。そのシャーペンを使うだけで、口角が上がる。ペンケースは花柄のおしゃれなもので、机に置いているだけでQOLが上がると思う。でも、これらは全部家用だ。外ではこんなかわいいもの使えない。王子様には似合わない。


 そんなことを考えていると突然、日向からメッセージが来た。


『今日のバスケめっちゃかっこよかった!すっげえな!』


 見ていたのだろうか。まあ、私も見ていたからお互い様だけど。


『そっちだってすごかったよ、バレー部なの?』


『え、俺そこまで知られてないわけ?リベロだよ』


『日向が私のこと知りすぎてるだけだよ』


 私は基本あまりSNSを使わない。事務連絡が来た時に返すくらいで、誰かと話すためには使わないのだ。だって、王子様はSNSなんか必要なさそうだから。


 それなのに、日向のペースに持って行かれて、気づいたらチャットがどんどん進んでいく。不思議なタイプだと思う。でも、嫌な気持ちはしない。


『俺も王子様みたいに身長あればな〜。本当はスパイク打ちたかったんだよ』


 王子様。身長。私の心臓を切り付けるダブルコンボのはずなのに。


『リベロだってかっこいいじゃん』


『あれ、そう思う?いや、俺も最近リベロの良さに気づいてきたんだけどさぁ』


 この人なら、正直に言えるかもしれない。私の秘密も。本当の私を曝け出しても大丈夫なのかもしれない。でも、怖い。今まで作り上げてきた王子様像がガラガラと崩れていく未来しか見えない。


『日向は身長のことで悩んでる?』


 まだそこまで曝け出すのはやっぱり難しそう。気になったことをひとまず聞いてみることにした。


『周りから女みたいってバカにされるけど、俺は好きなように生きてるし別にそんなに気にしてないかな。スパイク打ちてえな〜ってくらい』


『そうなんだ』


 確かに見た目は女の子みたいだ。こんなことを言っては申し訳ないけど、女装させたらとんでもなくかわいくなると思う。でも、気にしていないんだ。この人はどこまでも明るくて強いんだろう。


『そういう王子様はどうなのさ。聞いてくるってことはさてはお悩みかな?』


 ズケズケと踏み込んでくる。でも、なぜか少しだけ曝け出してもいいような気がした。全部はまだ無理だけど。


『もっと女の子らしい身長がよかったと思うよ』


『じゃあ俺ら真逆だな笑』


『身長、分けてあげるよ笑』


 笑なんて使うのは初めてだ。相手に合わせているだけだけど。少しドキドキしているのは、打ち明けたせいか、笑を使ったせいか。プリントの上に転がっているシャーペンを眺めると、いつもとは違う高揚を感じた。


※ ※ ※


 その日は朝から少しだけ体が怠かった。最近は大会もあったことだし、きっと疲れが取れていないのだろう、と適当に結論づけて学校に向かう。A組は特別進学クラスで、難関大学を目指す人が多い。私もその1人である。だから、授業の進度はどのクラスよりも早いし、内容もレベルが高い。ついていくのに必死で、倦怠感などいつの間にか忘れていた。


 日向とは体育祭の日以来話していない。授業を受けているのは別校舎だし、ここ数日はバスケ部は大会だったため、部活でも見かけることはなかった。


 そんなことを考えてふと気づく。私はどうして日向と話したかどうか考えているんだろう?別にそこまで仲良くないし、まだ2回しか話したことがないのに。


 考えがまとまらなくなって、板書に集中することにした。


「王子〜、部活行こ!」


 同じクラスのバスケ部、相生莉子あいおいりこが声をかけてくる。特進クラスの1日はあっという間で、部活の時間がやってきた。


 着替えて外周からスタートだ。最初にジャンプした時に少しだけふらついた気がしたけど、気にせず走り出す。


 校舎の周りを3周するのだが、これが意外ときつい。でも、私は王子様だから涼しい顔をしてこなす……はずだった。


 2周目に入ったあたりで、酸素が回らなくなってきた。いつもより息が上がるのが早い。視界が狭まってチカチカするような気がする。走るどころか、立っているのも辛い。おかしい。


 とりあえず座ろう。学校を囲む壁に寄りかかってしゃがみ込んだ。落ち着いてからまた走り出せばいい。そう思っていると、急激に眠気が襲ってきて、瞼が閉じていく。


「おい!王子様!大丈夫か?聞こえる?」


 微かに聞こえた声に答えようとうっすら目を開くと、目の前にはかわいらしい大きな目と茶髪頭があった。でも、声を出すことはできない。


 次に起きた時には、保健室にいた。一瞬場所がわからなくてガバッと体を起こすと、じわっと黒いシミが視界に溢れ出す。貧血で倒れて、誰かが保健室に運んでくれたのだと悟った。カーテンを少しだけ開ける。


「あら、大丈夫かしら?全然意識が戻らないから心配したわよ。まだ顔色が悪いからもう少し休んで、今日は帰りなさい。」


 養護教諭に心配そうな顔で言われる。


「あの、誰がここまで……?」


「名前なんだったかしら……。あの、F組の茶髪の小さい男の子よ。華奢なのに力持ちなのね〜。」


 日向だ。途端に心臓がうるさくなる。全く、最近の私は王子様らしくない。王子様ならまず貧血で倒れないし、運ばれることに恥ずかしくなってドキドキするなんてないはず。どうしちゃったんだろう。


 しばらくベッドで休んでいると、莉子が荷物を運んできてくれた。


「王子、大丈夫?びっくりしちゃったよ〜。」


「もう大丈夫。荷物ありがとう。」


「それにしても、あのバレー部の子、かっこよかったんだよ〜!ちっちゃいのに軽々と王子のこと抱えて!それもお姫様抱っこだよ?あれ、でも王子は王子だから王子様抱っこ?」


「何言ってんの……。」


「いや、本当だって!だって身長差20cmくらいあるでしょ?すごいよ〜!」


 なんで莉子が日向の身長を知っているんだろう。


「あのバレー部の子、名前わかんないけどちっちゃくて150cm台だっていうのは有名なんだよね。かわいいよね!!」


 有名なのか。初めて聞いたけど。


「確かにかわいい……けどかっこいい。」


「ん?なんか言った?」


「ううん、なんでもない。」


 養護教諭に、保健室で騒ぐなと怒られてしまったから、莉子と慌てて退散する。バスケやりたかったけど、仕方ない。今日は帰ろう。


 莉子は部活へと戻って行った。帰り道、なんとなくスマホを開くと、通知が溜まっている。ほとんどは部活のメンバーからだった。女子バスケ部のチャットに体調を心配する声が並んでいる。もう大丈夫だけど、今日は帰るという旨を送り、他の通知を見遣る。


『大丈夫か?ちゃんと休めよ!』


 日向からだった。運んでくれたお礼を言わなければ。


『もう大丈夫。運んでくれてありがとう、助かった』


 きっと部活中だろうからしばらく帰ってこないだろう。それはわかっているけど、なんとなくソワソワしてしまう。


 家に着くと、すぐにベッドに寝転んだ。まだふわふわしているのは、体調が戻っていないからだろうか、それとも日向に運ばれたことに夢見心地になっているからだろうか。


 やっぱり自分の思考回路がおかしい。運ばれたことに浮かれているって一体どういうことなんだ。


 ぐるぐると考えていると、ブーっと通知音が鳴る。


『全然!でももう倒れるなよ!びっくりするからな。今日は早く寝ること!』


 返信の勢いにフッと笑いがこぼれる。そこでやっと気づいた。もしかして、私は日向に恋をしているんじゃないかって。


 まだ3回しか関わっていない。でも、かわいらしい見た目に反していざという時に頼れる男の子。真っ直ぐで明るくて強い。私はそんな日向に惹かれているんだ。


 ふと、「ギャップ萌え」という言葉が頭に思い浮かぶ。これがギャップ萌えということなのだろうか。画面の向こうのアイドルに対していつも使っている言葉を現実の人間に使うのは、なんだか違和感がある。


 これまで、人を恋愛的な意味で好きになったことはなかった。好感が持てる人はいたけど、好きという気持ちが何なのかわからなかったから、それが恋なのかどうか断言できなかった。


 それに。王子様はお姫様を好きになるのが”普通”だ。私は女の子と付き合うことを求められているのだろうか、なんて考えていたこともある。


 結局よくわからなくて、誰に告白されても断っていた。お試しで付き合ってみる、なんていう話もたまに聞くけど、そんなこと王子様ならしないだろうから。


 だから、これはいわゆる「初恋」だ。高2になってやっと芽生えた気持ち。育て方もわからないけど、確かにそこにある。


 太陽のような、嵐のような人。矛盾しているようだけど、日向を一番うまく表すとこれになると思う。強くて眩しくて、一気に踏み込んでくる勢いのある人。


 私は、好きな人に運ばれたことを思い出して恥ずかしくなった。


※ ※ ※


 今日はミッションがある。「誰にも見つからずに服を手に入れる」というミッション。


 私はアイドルが好きだ。かわいく着飾って、かわいい声、かわいいダンス、かわいい発言で人々を魅了するアイドル。ずっと憧れだ。小さい頃から、画面に張り付いて、アイドルのダンスを完コピして踊るくらい、大好きだ。


 でも、私は見た目が男みたいだから、こんな風にかわいくはなれない。かっこいい感じのアイドルもいるし、需要はあると思うけど、それは私が好きなアイドルではない。だから、私はアイドルを目指すのを早々に諦めた。でも、推すのはやめなかった。アイドルがいるから、私はずっと頑張ってこれたのだ。


 今日から、私がずっと推している2人組ユニット「ビビッドミラクル」ととあるブランドのコラボが始まる。コラボ装飾店舗が渋谷にあって、そこに出向かないとポスターが見れない。それに、今回のコラボワンピースは私が特に推している「まゆ」がデザインを考えたらしい。買うしかない。


 でも、渋谷は危険だ。春日崎高校は渋谷からは遠いから、同級生はいないものだと思っていたが、やはり渋谷なだけあって、この間は日向がいた。人が集まる街は危ない。私がアイドルを推しているだなんてバレたら。かわいいものが好きなことがバレてしまったら。今度こそ王子様像が崩れてしまう。


 それに、私は背が高いから見つかりやすいのだ。隠れようにも隠れられない。人混みに紛れることもできない。


 慎重に、周りを警戒しながらコラボショップへと向かった。


 店の外にデカデカと貼られているポスターの写真を撮り、店内に足を踏み入れる。店内、店外と言っても、デパートの中なのだけど。推しのデザインした服は実物で見るとさらにかわいかった。ほしい。手に入れたい。


 でも、少し冷静になって気づく。もしかして。私の身長だと丈が全然足りないんじゃ……!?


 大きいサイズがないか、少しだけ探してみるが、なさそうだ。店員に聞く前に、コラボのホームページを開いてみる。サイズの情報をタップすると、170cmまでを想定されて作られているという文言が。これでは肩幅や上半身は大丈夫そうだが、足が結構出てしまう。一気にテンションが下がった。


 コラボに浮かれて気づいていなかった。ここでも自分の身長を恨まなければならないなんて。とりあえずグッズを買って、少し考えよう。


 グッズコーナーに移動する。エスカレーターの前を通らなければならない。できるだけ人と会うような場所は避けたいけど、仕方がない。できるだけ気配を消して歩く。


「え、王子様じゃん!」


 びくりと肩が跳ねる。今は一番聞きたくない声を聞いてしまった気がする。


「驚かした?すまーん。何してんの?」


 予想通り。日向がこちらに向かってくる。なんだか泣きそうになった。曝け出してもいいかもしれないけど、今ではない。もっと勇気を出せた時にして欲しかった。好きな人が目の前にいるというのに、素直に喜べない。


「おーい、大丈夫?あ、ここアイドルコラボなんてやってんだ、すげー!」


 どうしよう。なんて言えばいい?もう誤魔化す方法はない?


「アイドル好きなん?」


 あ、もうダメだ。誤魔化しようがない。私は頷いて肯定を示した。


「ごめん、急いでるから!」


 逃げてしまった。下りのエスカレーターに向かってダッシュして、1階まで下りる。幸い、日向は追ってきてはいないようだった。


 引かれた。絶対に引かれたと思う。逃げてきてしまったのは失礼だったと思うけど、次の言葉が聞きたくなかった。「意外」「王子様なのに?」この言葉を言われたら、私はもう立ち直れなくなってしまう。


 結局、グッズも買えなかった。私はとぼとぼと渋谷を離れ、帰路についたのだった。日向からの通知は切った。メッセージが来ているようだったけど、怖くて開けなかった。


 次の日から、学校でも日向を避けた。別校舎で良かったと本当に思う。でも、そういう時に限ってバッタリ出くわすもので。


「あ!王子様!」


 校舎の端っこにある自販機でジュースを買っているところに、日向はやってきた。私は怖くなってジュースを取ると速攻で教室に逃げ帰る。謝らなければいけないのはわかっている。失礼な逃げ方をしたのだ。きっと怒っているに違いない。引かせた上に怒らせてしまったんだ。どうすればいいのだろう。


 その日の授業は全く身に入らなかった。いや、その日だけじゃない。それから1週間くらいは全くダメだった。先生にも注意されたし、部活でも何度もコーチに怒られた。こんなんじゃ、自分から王子様像を崩しに行っているようなものだ。


「王子、大丈夫?最近心ここに在らずって感じだよね。王子らしくない。」


 莉子にもこう言われる始末。王子らしくない。全くその通りだ。どうすればいいんだろう。謝りにいけば済む話なのに。好きな人に引かれたという事実を受け入れたくない。引かれたかどうか確信も持てないのに。


 この気持ちはどうやって扱えばいいんだろう。


※ ※ ※


 あれから1週間と少し経った。私の調子は戻らないままで、家族にも心配されている。そんな時、夕飯後机に向かっていると、電話がかかってきた。ドキリとして画面に目を遣ると、案の定日向だった。


 恐る恐る電話に出る。


『あ、もしもし!王子様。出てくれたのか、よかった〜!』


「もしもし、日向……。ごめん、私、この間逃げちゃって……。」


『え?ああ、あれ?なんかあったんかなーって思ったけど、大丈夫?俺なんか変なこと言っちゃったかな』


 怒っていないのかな。向こう側から聞こえる声には全く怒りが感じられない。


「い、いや……私がアイドルが好きなんて、引くかなって思って。」


『え?どういうこと?そんなわけないじゃん!いい趣味じゃんか。』


 ああ、私は自分の好きな人を低く見積りすぎていたみたいだ。一番失礼なことだ。


「そっか、いい趣味か。ありがとう。でも、みんなには言わないで。」


『……それは、バカにされるから?』


やっぱりこの人は嵐のようだ。


「う、うん。それに、私って王子様でかっこいいキャラじゃん。」


『自分で言うなよ、まあ間違いないけど。ってかそれって周りが勝手にそう言ってるだけだろ。』


「でも……。」


 部屋の窓のカーテンを少し開けて、なんとなく空を見上げる。東京の一軒家の2階からは星は見えない。こちらの方角からは今日は月も見えないみたいだ。


『あのさ、今から会わね?』


 なんで?私みたいなひどい人間、放っておいていいのに。


「うん、会いたい。」


 考えていることと口に出していることは真逆だった。ずっと蓋をしていた本心がするりとこぼれ落ちてしまったみたいだ。


『じゃ、迎えに行くから。住所教えてよ。』


「そんな、別に大丈夫だよ。私みたいな人襲うやついないし。」


『そんなんわかんないだろ。いいから、送ってよ。夜は短いんだからさ。』


「あはは、夜は長いでしょ。」


『やっと笑った。』


 育てるのが難しい気持ちが、一気に膨れ上がって心臓をどくどくさせるのを感じる。


 電話を一度切って、しばらく待っていると、窓の外にスマホの光が見えた。手を振っているようだ。親に一言、外出てくる、とだけ言って、玄関の戸を開く。


「そこの公園でも行く?」


「なんで公園の存在を知ってるの?」


「来る時通ったから。ちょうど良さげだなって思ってさ。」


 何気ない会話をする。外に出れば、星がいくつか瞬いているのが見えた。満月になり損ねた月には雲がかかっている。公園のベンチに2人で腰かけた。


「俺さ、この間はバカにされるの気にしてないって言ったじゃん。あれ、嘘。」


「え?」


「強がって言ったんだよ。気にしてるのバレたら恥ずかしいじゃんか。でも、背が小さいだの女みたいだの女装しろだの、嫌だよ。」


 日向も気にしているのか。それもそうだ。よく考えたら、バカにされて嫌な気持ちにならない人なんていない。きっと誰も彼も傷ついていないふりをしているのかもしれない。それにしても、どうしてこんな話を始めたんだろう。


「でもさ、そういうこと言うやつに負けたくないじゃん。だから、俺は明るく生きてる。クヨクヨナヨナヨしてたら、あいつらが見てる外見のまんまになっちゃうからさ。」


 やっぱり、この人は強いんだ。嫌な気持ちになりながらも、それに屈せず前を向いている。


「はい、王子様の番。」


 びっくりして思わず隣の茶髪頭を見る。


「俺が話したのに何も喋らないのはずるいぞ!」


 ああ、この人は優しい。私が話しやすいように最初に打ち明けてくれたんだ。ダサいと思われかねないところを。


「日向が勝手に話し始めたんじゃん。」


「いいから。」


「わかったよ……。」


 私は観念して少しずつ、自分を曝け出した。男女おとこおんなとバカにされて嫌だったこと。女子に追っかけされたり告白されたりして嫌だったから、やめてほしいと伝えたらハブられたこと。それから周りに求められる通り、王子様を演じていること。


 そして、本当はかわいいアイドルやかわいいものが大好きなこと。


 私がいろんな話をするごとに、日向の表情がくるくる変わるから面白い。きっと純粋で真っ直ぐだから、顔に出てしまうのだろう。こういうところは見た目と変わらずかわいらしい。


「俺、今日から王子様って呼ぶの辞める!確かにみんな王子様って呼んでて、名前呼ばれてるの聞いたことないもんな。俺が最初に名前を呼ぶよ。」


 気を遣ってくれているのはわかる。でも、気遣いを感じさせない勢いがあって、気まずい気持ちにはならなかった。素直に嬉しい。


「瑞季。」


 名前を呼ばれる。顔が熱くなる。目線より下にある茶髪頭に、どうしようもなくドキドキしてしまう。


「かわいいものって具体的にどんなの?俺あんまわかんないんだけど。」


 ドキドキを返してほしい。って何を期待しているんだ。


「チャームがついてるシャーペンとか、集めてる。アイドルもかわいい系統が好き。キラキラしてて、見ている人を笑顔にする、そんなかわいさが好きなんだよね。」


「へええ、俺は?」


「え……?」


 意味がわからなくて首を傾げる。


「俺、かわいいってよく言われるし、それが嫌だって話はさっきしたけどさ、俺、瑞季にかわいいって思われるなら別にいいかも。」


 きっと恋愛的な意味はないのだろう。この人はどこまでも真っ直ぐだから、思ったことをそのままぶつけてきているだけだ。


「……かわいいと思います。」


「あっはは、なんで敬語?」


 どうしたらいいんだろう。脳内がぐちゃぐちゃだ。でも、これはきっと必要なステップなんだ。扱いづらい気持ちを育てる上で大事なステップ。それに、いつもの「どうしよう」というネガティブな疑問じゃない。悪くなったらどうしよう、という不安じゃなくて、何を選べばよりいい未来が手に入るだろう、という期待。


「似てると思うんだ、俺たち。見た目は真逆だけど、それに苦しめられてきた。嫌な思いもたくさんした。」


「うん。」


「よくわかんないけどさ、瑞季のかっこよさと中身のかっこ悪さ、俺両方好きだわ。」


「ええ?かっこ悪いってひどくない?」


「いや、かっこ悪いじゃん。逃げてるし。でも、そこがかわいいとこだよね。結局俺ら、どっちも持ってんだよ、かっこいいとこも、かわいいとこも。」


 逃げてる、は図星だ。褒められているのか貶されているのかわからないけど、全てひっくるめて1人の人間として見られているようで、なぜか安心した。


「っつーわけでさ、俺、瑞季のこと好きだわ。」


 大事な言葉、シーンは突然やってくる。思わず、数秒固まってしまった。


「へ……?」


「あー、俺ダッセー!前置き長すぎ!好きです!付き合ってくれませんか!」


 疑問文のはずなのに、後ろにびっくりマークがつきそうな勢いで言われる。こっちがびっくりだ。好きって恋愛的な意味で……。私も好きで……。つまり、


「両想い……?」


「え?ガチ?じゃあOKってこと?」


 私は少し恥ずかしくなりながら、頷いた。


「やべえ、嬉しい。」


 茶髪頭は顔を手で覆ってそっぽを向いてしまった。後頭部がこちらを向いている。


「ま、まあとにかくさ。これからは、かわいいもの買ったりしたら、俺に見せてよ。いや、まあこれは俺が見たいだけなんだけどさ……。」


 最後の方、しどろもどろになりながら、日向はこう言った。私にはその言葉がとても輝いて聞こえた。


「うん、最初に見せる。」


 空を見上げると、月の前にかかっていた雲はすでに通り過ぎて、少しだけ欠けた月が丸見えになっていた。


※ ※ ※


「えー、今日は文化祭の出し物を決めていきたいと思います。」


 春日崎高校の文化祭が迫ってきている。うちのクラスは劇と食べ物系の模擬店を出すことに決まった。その話し合いをぼーっと眺めていると、急に自分の名前が出されてびっくりする。


「やっぱ、王子様役は王子っしょ!」


「そうだよね〜、他に似合う人いなくない?」


「えー、じゃあ王子役、月橋さんで大丈夫?どう、月橋さん。」


 クラス委員の子に聞かれたから、私は立ち上がって爽やかな笑顔を作って答えた。


「大丈夫。素敵な劇にするね。」


 キャーっと歓声が湧く。フッと笑って席についた。今日も王子様役は完璧だ。


 あの夜、公園での出来事から、王子様という渾名が嫌じゃなくなった。日向はすごい力を持っているのかもしれない。魔法でも使えるのだろうか。


 劇の王子様役。これまでだったら嫌だと思いながらやることになっていただろう。でも、今は悪くないな、と思える。全部、日向が私のどの側面も認めてくれるから。この王子役だって、日向はかっこいいと思いながら、私のことを見てくれるのだろう。そして、それを演じている私をかわいいと褒めてくれるのかもしれない。いや、自意識過剰か。


 帰り道に文房具屋に寄る。ハートのチャームがついた、水色のかわいいシャーペンを見つけた。迷わず、堂々とレジに向かい、買って帰る。写真を撮って日向に送るのも忘れずに。日向からは、また漫画のキャラクターのいいね!というスタンプが返ってきた。


 まだ日はギリギリ落ちていない時間帯。風が辺りを吹き回っていて、反対側には満月が白く浮かび始めていた。

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月の王子様は照らされる。 泉紫織 @shiori_izumi_89

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