第12話
家ではいつも独りぼっちだった。
どこで誰と何してるんだか分からない忙しいが口癖の父親と、それに対して文句のひとつも言えない察してばかりの母親。
物を買い与えれば文句は言わないだろうと高を括る父親にも、その文句を娘に呪いのように毎日ぶむける母親も大嫌いだった。
加えて純血至上主義の古い考えで混血を見下したような二人の態度に、純血だからって心も通わせられないくせに何を言っているんだこいつらはとバカにしていた。
だけど生活には不自由しなかったし父親譲りのスタイルと母親譲りの綺麗な顔に生まれたおかげで要領よく生きてきた。友達もたくさんいたし好きだと言ってくれる男も次から次へと現れた。
だけどいつも、空っぽだった。
だんだんそのうち分かってきた。寄ってくる友達は私の金回りの良さと、見た目のいい私といれば見た目のいい男が寄ってくる。男は私をアクセサリー感覚で連れて歩きたいだけ。父親と母親が注目するのは学校の成績と、外回りのパーティーなんかで愛想良く振る舞う私の姿勢だけ。
私のことを見てくれるやつなんかどこにもいない。
宗介に会うまで、そう思ってた。
「めっちゃイライラしてんね。可愛い顔が台無し」
フードを被ったナンパしてきたチャラい人狼。最初の印象は最悪だった。しつこく連絡先を聞いてくるから教えてやったけど、その後連絡は一切なかった。
忘れた頃にまた友達と危険区域に来たら、酔っ払った様子で女と肩を組んで歩いてた。目が合ったら、その女を放り出して私に手を振り駆け寄ってきた。
「あ、あんときの!元気してた?」
「酒臭、誰?覚えてない」
「うそだー、じゃあ今覚えてよ、俺宗介。名前は?」
その姿が犬みたいで、誇り高き純血の人狼としてどうのこうの言う父親との違いに驚いた。付き合う男はどいつもこいつもプライドが高くて、ちょっと言い返すとすぐに気まずくなって別れを切り出してくる。
だけど宗介は突き放しても突き放しても、尻尾を振って追いかけてきた。
「ねーお願い!一回だけデートして!お願い!」
「しつこい、キモい。」
「なんでも奢るし!どこでも連れてく!絶対楽しませるよ俺!」
連絡もしつこいくらい送ってくるようになって、何でも言う事を聞いてくれた。どれだけワガママを言って振り回しても笑って許してくれた。
いつの間にか宗介の連絡がないと、宗介が駆け寄ってきてくれないと、不安になるようになった。
「い…っ、」
「え、もしかして初めて?」
「そうだよ、…っ」
「うわ…マジか、ごめん、ゆっくりする」
「ダメ、一回動かないでこのままでいて、痛すぎる」
「分かった、ごめん。七瀬がいいって言うまで動かない」
初めて身体を許した相手が宗介で良かったと思った。あまりの痛さに涙が込み上げたけど初めてだということがバレた上にこんなとこで泣きだしたら重く思われるかもしれない。
強がった私の額にキスをして、本当に私がいいと言うまで繋がったまま、宗介は優しく腕で包み込んでくれた。
「俺マジで、今一番幸せ。七瀬が一番好き」
そう言った宗介の瞳が、唇が、腕が、声が、愛おしいと訴えてくるようで我慢していた涙が溢れた。
私はずっと、誰かにこうしてほしかった。
何にも変え難いと、私だけを欲しがってほしかった。
だけど、一番がいるということは二番も三番もいるということに後から気づく。
束縛するやつほど浮気をする。それは自分が浮気できるタイプだから、相手のことを信じられない心理からくるものだ。
「この女誰」
「は?お前勝手に人のスマホ見んなよ」
「アンタが先に私のスマホ勝手に見たからじゃん!人にはあれだけ束縛しといて、自分はなんなの?マジキモい!」
「うるせえよ」
初めて殴られたのは宗介の浮気をスマホのトーク履歴から見つけたとき。だけど宗介は気が小さいから、私が怒るのは自分が百パーセント悪いときで言い逃れできないことに対する苛立ちからで、すぐに罪悪感でいっぱいになって結局謝ってくる。
お互い口が悪いし依存し合ってたからくだらない喧嘩でしょっちゅう殴られたり蹴飛ばされたり引きずられたりした。私も同じくらいやり返すから、怪我をしていたのは宗介も同じだ。特に、宗介は自分が混血だということを酷くコンプレックスに思っていて、苛立っているときは「いつも俺を馬鹿にしてるんだろ」と掴みかかってきた。
純血とか混血とか、知らねーよ。血なんかどの色も赤で見た目じゃ分かんねーだろ。くだらない。
だけど、その血が私と宗介を明確に分けてしまう。
健全じゃないと頭で分かってた。宗介が、私だけで満足できる男じゃないってことも。
だけど、ここまで感情を露呈させ、受け入れて、私の全部を見て向き合ってくれるのは宗介しかいなかった。
だから絶対、舞には依存したくない。
舞は力のない人間で、その上純粋で、時々苛立つくらい平和主義で優しい。宗介とのことを話しても、家族のことを初めて打ち明けても、舞は私を否定しなかった。
自分とは違う私のことを、違うまま受け入れてくれた。
宗介とは同じじゃないといけなかった。一つでも違ったら摩擦が起きて、お互いボロボロになるまで傷つけあう。精神的にも、物理的にも。
舞と関わるようになって、その宗介との関係の不健全さに疲れ果てた。違いがあっても、ズレがあっても尊重があれば関係ない。そこにあるのは、必要なのは「このままでいいんだ」という居心地の良さなのだと知った。
その少し前から宗介はおかしくなっていった。おそらく引越し屋のバイトを初めてからだ。
元々定職に就かず、ふらふらしてその日暮らしをするようなだらしない男だったから私がデート代を出すことも少なくなかった。他の男たちはプライドもなく奢られてたけど、宗介はそうじゃなかった。
「え、なにいいよ出すよ」
「要らねーって!これからは絶対、デートで金出させないから。財布持ってこなくていいよ」
「いやいいよ…出せる方が出せばいいじゃん」
「そういうことじゃねーの!プライドの問題だから!」
宗介は最低な男だったけど、絶対に私より強く、大きな男であろうとした。くだらないプライドだとも思うけど、ヘコヘコ折れるくせにバカにはされたくないというチンケなプライドを捨てられない男よりよっぽどかっこいいと思った。
引越し屋のバイトはそれなりに稼ぎは良かったみたいだけど、だんだん疲れが見えてきて目の奥が暗くなっていくのが分かった。
「ねえ、今日外出るのやめとく?顔すごい疲れてるよ」
「んー…」
「…ねえ、もう少し休んだら?毎日働いてたらおかしくなるよ」
「お前には分かんねーよ」
馬車馬みたいに働いて宗介は正社員になった。引越しの作業をするのはアルバイトで、その指示を出すのが正社員らしい。電話の応対も増えて、更に忙しそうになった。
それからだ。あの気味の悪い数珠をつけ始めたのは。
「なにこれ」
「プレゼント。俺とおそろい」
「ねえなにそれ、ダサいよ、やめなよ」
「いーのお守りだから、ご利益あんだよ?しかも超値打ちたけーから!つけたくない?」
「…つける」
宗介からもらったピンク色の真珠のブレスレットは全然私の好みじゃなかった。だけど、宗介がくれた初めてのプレゼントだったから、私は肌身離さずつけた。
私と宗介を繋ぐ、物理的な何かが欲しかった。純血と混血の隔たりを無くす何かが、どうしても必要だった。
それから舞は嫌な顔一つせず、私と宗介と会ってくれた。男絡みのない子だから宗介と二人きりになると気まずそうにしているのも、かえって宗介が手を出す心配がなくて安心材料の一つだった。
「お前最近ずっと舞ちゃんといんのな」
「うん、いい子だもん」
「へー」
「なに?なんかある?」
「いや?改めて考えたらよく人間なんかと仲良くできんなと思って」
宗介は人間嫌いだったけど、根っから善人の舞には珍しく心を開いて三人で遊んだりもした。話の切り出し方からして機嫌が悪いのが分かった。
「人間にも良い悪いあるよ。人狼だってそうじゃん」
「俺は無理だわ。弱者全開って感じで」
「は?なに、舞のこと悪く言わないでよ。自分だって仲良くしてるくせに」
「あの子はおもしれーから。おどおどおどおど、心の底では人狼にビビってるくせに仲いいフリしてウケんなーって」
「いい加減にして」
ぴしゃりと言うと宗介はテーブルを蹴飛ばしてどこかに出かけて行った。新しい女のところだ。
こういうとき自分が人狼であることを酷く憎む。ほんの些細な匂いや動作ですぐに気づいてしまう。
人間嫌いのくせに、人間のように平然と浮気する。
人狼は愛を深めたら本来はその相手以外に興味や性欲が湧くことは離別と死別以外にないのに、どうしてなんだろう。自分だけが人狼の習性に振り回されているようで腹が立って、虚しかった。
優しくて穏やかな舞といるおかげで宗介の機嫌も良くなって、私も怒ることが少なくなった。浮気だって気づかなければ、バレなければしていないのと同じだ。
知らんぷりしていればいい。
お互いを受け入れられるのは、お互いだけだと信じていれば、些細な違いもズレも許せる。
そう、言い聞かせてた。
「きゃ!やだちょっと、宗介起きてよ!」
「あんだよ…うるせーな」
「誰?」
「あ?」
「その女、誰って聞いてんの」
宗介の部屋からは香水などではない甘い匂いが漂っていた。時々変な薬に手を出していたのは知っていたけど、少し気分が良くなる、眠れないときに使って安心したいんだと泣いて縋られて辞めてと言えずにいた。
その薬を、裸で寝そべった女と使ったのか。
頭が真っ白になって、気が触れたような気がした。次の瞬間には女に掴みかかっていた。あろうことか、それは人間の女だったからだ。
「おいやめろよ殺す気か!」
金切り声で叫ぶ女の髪を引きずり回す私に宗介が掴みかかって、宗介の顔を思い切り引っ掻いた。
理性がコントロール出来ずに鋭い爪が伸びて、宗介の顔から血が垂れた。
自分の顔を触ると大きな牙が剥き出しになって怯えた女の顔が視界にうつった。
「やめろよじゃねーよお前が死ね!浮気しといて、しかも人間の女に手出して、頭イカれてんじゃないの!」
「イカれてんのはお前だろ!そんな牙と爪出して、獣だよお前なんか、獣!」
取っ組み合いの喧嘩になる私と宗介を横目に女は服を抱えて惨めな姿で部屋を出て行った。もう女のことなんかどうでもよかった。
「おかしいのはお前の方だよ!人狼であることに拘ってるくせに、人間のことバカにしてるくせにその相手に尻尾振って腰振ってバッカじゃないの?無様なんだよ!今のお前こそ理性のない欲にまみれた人間そのものだろうが!」
胸ぐらを掴まれ間髪入れずに二発殴られた。平手打ちじゃなく拳で殴られたのは初めてだった。宗介は胸ぐらを離さず倒れ込む私に覆いかぶさってもう一度拳を振り上げた。
自分がぶん殴った私の顔を見て我に返ったのか頭に上った血が冷えてきたのか、振り上げた拳が震えている。怒りでなのか薬の影響なのか、よく分からない。
「…終わりだね私たち」
「は?何言ってんの」
「別れよ。疲れたわ」
「ふざけんなよ、勝手に決めんな」
「決めるだろ、馬鹿じゃないの。浮気して暴力振るった挙句変な薬に手出してる男と誰が付き合ってたいわけ?」
「うるせえ黙れよ!お前のその目が気に食わねえんだよ!いつも俺の事バカにしやがって、殺すぞ!」
「やれば」
目を逸らさずに言うと宗介は怯んだ。気の小さい男だ。馬鹿で、気が短くて、臆病で、見栄っ張りで、どうしようもなく弱い人。
だからこそ、一緒にいたかった。
宗介の両手が首に回る。徐々に込められる力に咳き込み身を捩るけれどビクともしない。
その目にあるのは悲しみと、根底に煮えたぎる憎しみ。
「っ…、穢れた血の、くせに」
宗介は目を見開き、今度は躊躇せず拳を振り下ろした。
鈍い音がして血が床に飛び散った。
宗介が一旦力を抜いた瞬間に蹴り上げて追いかけてこないよう棚を倒し、玄関を飛び出した。
痛み付けられた体や顔の痛みよりも、よっぽど心の方が痛かった。
傷つけようと思って宗介を傷つけた。
宗介が私を傷つけるのはいつも無自覚で、悪気がなくて、それが余計腹立たしくて悲しかった。
だから私は自覚を持って宗介をズタズタに引き裂いてやりたいと思って、傷つけた。
もう二度とお互いの存在意義に希望を持たないために。
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