第43話 女王様の秘密の友達

 春の陽気が窓から差し込む、穏やかな午後。

 俺、相川健太のアパートでは、珍しく静かな時間が流れていた。俺は大学のレポート課題と格闘し、リコはプロレスのトレーニングで消費したコスチュームのメンテナンスに集中している。そしてシズクは、言わずもがな、ノートパソコンと睨めっこだ。


 そんな静寂を、退屈そうにしていた一人の女王様が、高らかなあくびと共に打ち破った。


「ふぁ〜あ……。健太! リコ! 妾は退屈じゃ! 何か面白いことはないのか! 妾と遊べ!」

 ソファの上でゴロゴロしていたルナが、人型の姿のまま、手足をぱたぱたとさせて抗議する。


「悪い、ルナ。今、レポートが佳境なんだ」

「すみません、ルナ様! このマントのほつれを直してしまわないと…!」


 俺とリコが申し訳なさそうに断ると、ルナはぷくりと頬を膨らませた。だが、すぐにふんと鼻を鳴らし、優雅に立ち上がる。

「ふん、良いのじゃ。お主らが構ってくれぬとて、妾には秘密の遊び相手がおるからの」


「秘密の?」

 俺が聞き返すと、ルナはニヤリと意味深に笑った。

 そして、次の瞬間。

 ぽんっ、という綿菓子が弾けるような可愛らしい煙と共に、彼女の姿はあっという間に小さくなり、艶やかな毛並みを持つ、一匹の美しい黒猫へと変わった。


「じゃあな。夕餉までには戻る」

 そう言い残し(もちろん、その声は俺たちにしか聞こえない)、ルナ(猫の姿)は小さな体で器用に窓の鍵を開けると、ひらりと身を躍らせ、屋根伝いにどこかへ走り去っていった。


「……また、ミケオのところか。すっかり懐かれたな、ルナも」

 俺は苦笑しながら、その小さな後ろ姿を見送った。

「はい! いってらっしゃいませ、ルナ様! ミケオさんによろしくです!」

 リコも、慣れた様子でちくちくと針を進めながら、にこやかに手を振る。


 この光景は、ここ最近の俺たちの日常になっていた。

 ルナが心を許す、たった一匹の猫の友達。それが、近所の一軒家で飼われている、茶トラの子猫「ミケオ」だった。


「データによれば、猫形態でのルナ様のストレス値は、人間形態時と比較して35%低い数値を示します」

 不意に、シズクが冷静な分析を口にした。

「ミケオとの交流が、彼女の精神安定に極めて良好な影響を与えている可能性が高いです」

「……まあ、あんなに楽しそうじゃあな」

 俺とリコは顔を見合わせ、頷いた。人間相手には決して見せない、猫としてのルナの無邪気な表情を、俺たちは知っていた。


 ◇


 その頃、ルナ(猫の姿)は、目的の家の庭に軽やかに着地していた。

 日当たりの良い縁側で、一匹の茶トラの子猫が尻尾をぱたぱたと揺らし、彼女を待っていた。


「待たせたな、小僧」

「ニャーン!(待ってたよ!)」

 ミケオは嬉しそうに駆け寄り、ルナの足元に体をすりつける。


「ふん、出来の良い下僕じゃ」

 ルナは女王然とした態度を崩さないが、その喉は心地よさそうに小さくグルグルと鳴っていた。

 二匹は言葉を交わさずとも、すぐにじゃれ合い始めた。庭に転がっているボールを追いかけ、蝶々を捕まえようと飛びつき、そして、遊び疲れると、縁側で寄り添ってうとうとと微睡む。

 ケットシーの王女であることも、人間社会の複雑さも、全てを忘れて、ただの一匹の猫として過ごす時間。それは、ルナにとって、かけがえのない安らぎのひとときだった。


 ◇


 夕方。人間の姿に戻ったルナが、少しだけ満足げな表情でアパートに帰ってきた。


「おかえり、ルナ。楽しかったか?」

 俺がそう尋ねると、彼女はいつもの調子で、ぷいっとそっぽを向いた。

「ふん、まあまあじゃな。あの小僧、なかなか遊び相手としては優秀じゃからの」

 素っ気ない返事。でも、その猫耳が嬉しそうにぴこぴこと動いているのを、俺は見逃さなかった。


「ルナ様、ミケオさんと本当に仲良しなんですね!」

 リコが微笑む。

 そうだ。俺たちは、この穏やかで微笑ましい関係が、ずっと続くものだと、この時はまだ、信じて疑わなかったのだ。

 この小さな友情が、やがて春の夜の、淡く切ない物語へと繋がっていくことを、まだ誰も知らなかった。

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