僕の話


 はじめまして、山野友紀といいます。今回、このような機会があって本当によかったです。こういう自分語りは、今の時代、やろうと思えばいつでも、すぐにできるのですが、やはり人の目に晒されすぎるのも怖いものですから。

 何も怪異的な現象が起こるとか、不幸が貴方に訪れますとか、そういうものじゃないんです。そういえば、昔チェーンメールって流行りましたよね。それともこのワードって、年代がバレちゃうんでしょうか? まあ、別にバレたって構いませんけど。


 昔は良かったですよ、フィルムで撮った写真を現像するのってすごくワクワクどきどきしました。我が家では、一大イベントみたいな。旅行も楽しいんですけど、僕は写真を現像することも楽しみでした。家族みんなで車に乗り込んで、カメラ屋さんに行くんです。それから、父がインスタントカメラを渡して数十分。現像されるまでの間に買い物とかして、約束された時間に写真を取りに行く。父が店員さんに「こちらで間違いないですか?」って、1枚だけ写真をこそっとカウンターで見せられて本人確認をするんです。その時に一度、父が変顔をした写真が出てきてしまって、横から見ていた僕は、それがおかしくって仕方ありませんでした。


 話がそれましたが、そういう時代の写真です。今みたいに加工アプリとか、どういう写真が撮れているかなんてその場で確認できないような時代ですので、もちろん写りの悪い写真や、失敗した写真なんてものは沢山ありました。ちょっと手が背景と重なって写らなかったり、ぼやけたりすると「心霊写真」という異物として気味悪がられていました。僕が母に見せてもらったのは、そんな異物に分類された写真です。

 僕が「うちに心霊写真はないのか?」と好奇心で尋ねたときに見せてもらったその写真。姉と一緒に見た一枚の写真です。確か、母が1人で写っている写真でした。神社だったと思います。灯篭みたいなものが母の横に立っていましたから、たぶんそうなんだと思います。母が少し若い頃の写真で、どこかの観光地でしょうね。灯篭の横で澄まして立っている写真でした。母と灯篭の後ろは草木ばかりで、厳かといえばそうですし、パッとしないといえばそんな感じの、とにかく記憶に残るようなものはない背景でした。

 その母の横に立っている灯篭の真ん中。いわゆる〇の空洞部分が、その草木じゃなかったんです。まったく景色の違う、青い空と草原が映っていました。僕が嫌なのは、その〇の中の景色が変だったからじゃなくて、この話を誰も覚えていないことなんです。



 その日は、たぶん土曜日か日曜日か、とにかく父も母も家にゆっくりいて、僕も姉もみんなでテレビを見ているような、のんびりした日でした。たまたま、心霊番組を見ていました。今はかなり減りましたけど、昔は夕食の時間ぐらいにそういう番組がたくさんしていて、「生放送! 呪われた人形が動く?!」とか「廃墟で絶叫! ロケ中にまさかの映像が!」とか「真夏の心霊写真投稿100連発」みたいな特集とかが結構していました。

 僕はそういうのが苦手で、見ちゃうと、夜にお風呂とか寝るのが怖くなっちゃうタイプなんですけど、父はそういう僕を見てちょっと楽しそうにしていましたね。姉は、怖がってもいないけど見てる、みたいな感じで、母は我関せずって感じでした。だから、家族で見ていたといっても、母は家事をしながらだし、父は「怖いぞ~」とかいいながら、僕が指の隙間から見たり目をつぶったりしているのを楽しんでいる。実際にしっかり見ているのは姉だけだったかもしれません。

 その日は、番組の中盤くらいに心霊写真特集をしていました。それで、フと姉が思い出したかのように「そういえば、うちにも心霊写真みたいなのあったよね」とつぶやいたのです。


 それが先ほどの写真でした。


 僕も姉の言葉を聞いて、「あ、そうだ。お母さん、昔に見せてくれたよね」みたいなことを返事しました。お皿を洗っていた母を振り返ると首をかしげ不思議そうな顔をしていました。なので「神社みたいなところで撮った写真だよ。丸い部分に空が映ってたやつ」と覚えている限りの様子を母に言いました。母はお皿を洗う手をとめると、僕たちに近づき静かに言いました。

「どうして、その写真のことを知ってるの」


 どうしてもなにも、以前、母が自ら見せてくれたのでそのことを伝えると、母は困惑した表情で2階に上がり1冊のアルバムを持ってきました。そこには、記憶と同じような灯篭が、別のアングルで撮られた写真がありました。ですが、僕と姉が記憶している母と灯篭の写真はありませんでした。

「あの写真、捨てたのよ。気持ちが悪かったから。現像したときに気持ちが悪くて、手元においておきたくなくて実家で捨ててきたのよ」

 母は、アルバムの写真をじっと見つめ、僕と姉は確かな記憶に戸惑い、父は「デジャブかなあ」と少しズレた発言をしていました。



 その頃からです。その頃から、少しずつ、僕の記憶と周りの人や物がズレはじめました。例えば、僕が大切にしていたキーホルダーを友人がカバンにつけていました。当然、友人が面白がってつけたのだと思い「返せよ」と引っ張ると、その友人は本気でそれを自分の物だと言い張るのです。僕は嘘をつくなよと思いました。だって、キーホルダーについたサビの部分や色の剥がれ方、それらがまったく僕の物と同じだったのです。僕が必死にそのことを説明すればするほど、他の友人たちは気味悪がり、怖いと言い、僕はそれ以上、何もいえませんでした。ただ、家に帰って、写真を探しました。そのキーホルダーのついたカバンを背負っている自分の写真です。アルバムからその写真を見つけ出すと、ぼやけてはいますが、確かに、僕の記憶どおりのキーホルダーが映っていました。


 姉にも相談しました。姉はその話を聞くと薄いピンク色のノートを机から取り出してきました。夢日記を書いているのだそうです。


 母の写真で記憶の違いがあってから、姉は姉なりにこの不思議な現象を追求しようと決めたらしく、自分の心理に何かヒントがないか考えたようです。その方法が自分の見た夢を記録するというのが、少し謎めいていましたが、いろいろと面白いことがあるそうです。ただ、最近は、夢の内容はしっかり覚えているのに、現実であった出来事を忘れていることがあるそうで、そろそろ止めようと思っている。夢か現実か、わかんなくなってきちゃったから、と、言ってそのノートを僕に渡しました。なぜ、僕に渡すのかと聞くと、ただ「もう、私が持っていても意味がないから」と言っていました。



 おそらく、それが、僕の知っている姉との最後の会話です。

 先日、実家に帰省したとき、姉と久しぶりに再会しましたが、姉はこの夢日記の存在を覚えていませんでした。ただ忘れただけというふうではなく、最初からそんな日記は書いていないというように。「友紀はそんな冗談言う奴じゃなかったのにね」と姉に言われた一言が、僕の胸に突き刺さって抜けません。そんなことを言う奴じゃなかったのなら、その僕はどこにいるのか。


 僕を残して、周りの人や物がどんどんズレていきます。それはすごく些細なことですが、帽子の置き場所が変わっていたり、話したはずのない話題について、友人から話しかけられたり、逆に友人に教えてもらった話を友人が知らなかったりします。姉までこうなってしまえば、それはもう、周りがズレているのではなく、僕だけがズレているのかもしれません。もう少ししたら、僕も姉のようにズレてしまって、この記憶のない僕に変わってしまうかもしれない。だって、わかるんです。夜、布団に入って眠っているときに、ふと部屋の前の廊下が頭の中で浮かび上がって、暗い廊下を歩く足音が聞こえてくるから。背中の下から上に、ぞわぞわ冷たい空気が通って、ああ、もうすぐ僕の順番なんだなって最近は思うんです。

 だって、もう、扉の前のすぐそこまで来ているはずですから。


 なので、今回、このような形ではありますが、僕の記憶を文章にまとめることができて、良かったです。こういう話が好きな方たちに読んでいただけるということですから、きっとみなさんは、喜んで僕の存在を留めてくれるんだろうなと思います。合わせて、既にどこにズレてしまったか分からない姉の存在も、もらった夢日記の内容と会話をここに書き起こすことで、留めることができました。



 僕はもうズ

       レたくありません。



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