ep.26 理想の世界

 あの貴族邸の件から二ヶ月と少しが経ち、ユーフォリアが部隊を率いる王国騎士団の新体制もすっかり軌道に乗り始めていた。



 平民街の巡回に関する書類を提出しながら、ユーフォリアが街の現状についてアルベルトに報告する。


 先日防壁の内側に出たという小型の魔獣による被害は、幸運なことに死者は出なかったが、子供を守ろうとした母親と付近に露店を出していた商人が怪我を負う結果となった。

 既に療術で傷は完治させたが、この先はあの種の魔獣が活発化する時期であるので、巡回を増やすか防壁を強化した方が良いとユーフォリアは続けた。


 執務机に向かって座るアルベルトは、受け取ったばかりの書束を一通り読み、報告書の最下部に確認済みの署名を記していく。


「魔力を持たぬ者の傷の治療も、随分と上達したものだな」


「はい、幸運にして療術に対する適性があったようです。教授してくれた療術師も、仕事が楽になると喜んでおりました。提案なのですが、一度全ての隊士に技能を学ばせてみてはいかがですか? 体内魔力の少ない者であっても、干渉の術に秀でていれば、使い物になる可能性はあるようです」


「承知した、その旨を各隊に通達する」


 机に顔を伏せたまま、アルベルトのペン先が今し方受けた提案について記録した。


 ユーフォリアは続けて、市場に現れた盗人と、不当に税を徴収しようとしていた貴族の男、酒に酔って周囲に暴行を働いていた者と、ここ数日で捕縛した人間について報告し、最後に小さな袋を机上に提出する。


 視界の端に置かれた物に、アルベルトが初めて顔を上げ、中身を一瞥してから眉を寄せた。


「これは」


「昨日、隣国の行商人が持ち込んだものです。件のものとは種類が異なりますが、同様に魔獣を酩酊させ、興奮状態にする効能が感じられます。国内には自生しないため、法に記載はありません。速やかな対処をお願い致します」


 ユーフォリアの報告を聞き、アルベルトは見たことのない薬草の入った袋の口を強く閉じて頷く。


「分かった、すぐに法改正させるように議会へと働きかける。その商人は?」


「丁寧に説明したら、分かって頂けました。意図的な持ち込みでないことは判断できたので、全ての商品をその場で破棄した上で、自国へと戻って頂きました。今後は同様のことがないよう、国の方にもよく言っておいてもらえるそうです」


 そう淡々と説明した後で、ユーフォリアが疲労したように小さなため息を吐いた。


 すぐに体調を伺うアルベルトに、苦笑いを浮かべて首を横に振る。


「大丈夫、もうあんなことは起こさないって、レオネルたちにも約束した。でも、そういう時はせめて尋問はこっちに任せろって、また怒られた」


「事が起こる前に対処してもらえたことには礼を言う。だが、くれぐれも無理はするな。私の剣でお前を傷付けることは、二度としたくない」


 苦々しい表情でアルベルトが告げると、ユーフォリアは、折角間近で剣を見られる機会であったのに覚えていないのが悔しい、と言って笑った。

 アルベルトの少し冷たい視線がユーフォリアの目を射抜く。

 冗談だ、と続けてからユーフォリアは頷いた。


「うん、私もアルベルトを、それから他の人間も、喰い殺したくないから気を付ける。栄えある王国騎士団の次点を務める自覚を持てって、いつもレオネルが言う。後釜を狙ってる奴はごまんといるんだって」


 そう言ってユーフォリアは、この後は平原の魔獣討伐に出るという旨を報告し、一礼してから踵を返しかけて、何かを思い出したように立ち止まった。


「えっと、一昨日回った市街地で、お礼を言われたよ。前よりずっと暮らしやすくなったって。それから最近よく話をする貴族の人たち、交代で防壁近くを見回ってくれるって言ってた。あ、あと何人か入団志望の相談をされたから、それは書類にまとめておくね」


 指折り数えながらそれらを伝え、ゆっくりとだが理想は近付いているようだ、とユーフォリアは満足げに頷く。


「ユーフォリア」


 今度こそ部屋を出ようとした時、背後から掛けられた声にユーフォリアは首だけで振り向いた。


「何?」


「礼を言う」


「ん。討伐より戻れば、ふた月ぶりに屋敷へと戻る予定です。閣下も同時期にご帰宅となっておられましたが、くれぐれも私の不在中に無理をなされないようお願い致します」


「ああ、久しぶりにお前の作った料理を食べたい。愛している、ユーフォリア。怪我をせずに帰れ」


 恭しい一礼から顔を上げたユーフォリアが、少し不満げに眉を寄せる。


「……アルベルト、ここ、執務室。またレオネルに怒られる。アルベルトがそういうこと言うと、剣がふわふわするからすぐ分かるって、この間そう言われた」


「いついかなる時も平静を保つことは、剣術における基本だな」


 笑い混じりに返された返答に、ユーフォリアは余計に口先を尖らせ、ドアノブから手を離して足早に執務机へと歩み寄った。


 身を乗り出してアルベルトの服の胸元を掴むと、軽く引き寄せて唇に触れるだけの口付けを落とす。


「アルベルトが好きなもの作るから、夕飯までには帰れるように執務終わらせてね。でもちゃんと寝てないと、魔力探ればすぐ分かる。沢山アルベルトに触れたいから、ちゃんと休んで、仕事片付けて、それから屋敷でゆっくりする」


 唇を離した距離でそう囁いて、ユーフォリアは今度こそ満足したように頷いた。


 机に乗り上げていた片足を下ろして舞うように身を翻すと、返答を受ける前に扉を開けて身を滑り出させる。


「それではより良い世界の為に、任務に励んで参ります」


 少しだけ開いた隙間から手だけを残して、ひらひらと振りながらそう言い、ユーフォリアは廊下を城門へと進んだ。



 開かれた平原には身を隠すものが少なく、大岩の影からユーフォリアがまだ随分と遠くにある魔獣の群れの様子を伺う。


 先日行商人が襲われかけたというあの種は、普段であれば森の辺りに生息しているはずだが、痩けた腹を見るに餌を求めてこの辺りまで出てきたのだろうと推察された。


 足を掛けていた岩から草地へと降り立ち、ユーフォリアは隊士たちへと振り返る。今し方観測できた情報を簡潔に伝えると、目が良くて羨ましい限りだといった返答があった。


 ユーフォリアは剣を抜き、地面に軽く陣形のようなものを描く。目視できた敵の数と、その討伐の割り振りを説明すると、隊士たちの間から深いため息のようなものが漏れる。


「副団長、上手く群れを二つに割って、片方ずつ当たるというのは?」


 隊士の一人から出た提案に、ユーフォリアは首を横に振った。


「あの群れの統率者は一体だ。習性からして分割するのは難しい。だから、まとめてここで退治する。すごくお腹空かせて怒ってるから、討ち漏らすと今度こそ、街に食い物を探しに行くと思う。市街地の人間を食べさせる訳にはいかない」


 そう言ってユーフォリアは、剣を振って先端から土を落とす。既に疲れた表情の隊士たちの顔を見渡してから、うん、と頷いた。


「大丈夫、責任をもって誰も死なせない。皆すごく剣が上手いし、それに魔力も少なくないから、手足ぐらいなら怪我しても療術でくっつける。首と臓物は食べられないように気を付けて頑張るといい」


「……だそうだ。お優しい隊長様がこう言ってくれていることだ、二人一組で急所は守りつつ手早く全部片付けるぞ」


 嘆息混じりにレオネルがそう指示を出し直す。

 隊士たちは皆一様に苦笑いを浮かべて、腰の剣を抜き去った。


 彼らのうちの一人がユーフォリアの肩を組み、こそりと耳打ちする。


「骨折った分、次の給与は弾んでもらえるよう、閣下に打診してくれよな、お嬢様」


「? まだ折れてない。戻ったら聞いてみるけど、この間予算が厳しいって言ってたから、駄目だったら私のを分ける。何か買いたいものがある?」


「少しは成長したかと思ったが、相変わらず冗談一つ通じないなお前」


 ため息を吐いた男が別の隊士に服の首元を掴まれ、ユーフォリアから引き剥がされる。


 彼らの準備が整ったことを確認してから、ユーフォリアは頷き、ひらりと大岩に飛び乗ると遠い魔獣に向けて鋭く一声吠えた。

 途端、弾かれたようにこちらへと向かってくる黒い群れに、ユーフォリアは剣先を向ける。


「明日の安寧の為に、討伐任務を開始します。頑張って、誰も喰われずに、なるべく早く帰る」


 そう宣言して、岩から飛び降りた細い身体は、先陣を切って草原を駆けた。

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