ep.15 弱化 (1)
御前試合まで、残り一ヶ月を切った。
ここのところは団内の話題の大半が、騎士団長補佐の役職についてや、その候補者に関するものとなり、特に優勝候補を二人抱えたレオネルが率いる小隊は、何かと注目を浴びることが多くなっていた。
この日も、討伐から帰ったユーフォリアたちを見かけた数人の隊士が、何か話を聞きたそうな表情で近寄って来る。
そのうちの馴染みの隊士に肩を組まれるようにして、調子はどうだ、と軽口混じりに聞かれ、ユーフォリアはレオネルをちらと見てから、変わりはないと答えた。
仕事に戻れというレオネルの一喝で、隊士たちはすぐに持ち場へと帰っていく。
彼らの背を見送り、続いてレオネルの背を見てから、ユーフォリアは周囲に気が付かれないように微かに眉を寄せた。
◇
今しがた手から弾かれた剣を目で追い、ユーフォリアはその場に足を止めてため息を吐く。
対峙する隊士は怪訝そうな表情で床に転がった剣を拾った。
「おいユーフォリア、お前また腹でも減ってんのか? これで得物を手放すお前じゃないだろ」
首を捻る男は、訓練場で彼女と何度も剣を合わせたことのある隊士だった。
少し久しぶりにユーフォリアの姿を見かけたので手合わせを申し込み、数手交わしたところのこれで、あまりの手応えの無さに彼女の体調不良を心配する。
「今日はもう休んだらどうだ? お前の小隊、明日は休暇だよな。家に帰るのか?」
「うん、帰る」
「ならしっかり休めよ。今月末は御前試合だろ? 俺はお前の優勝に賭けて――おっと、聞かなかったことにしろよな」
騎士団内で禁止されている賭博の話をしかけた男が、慌てて言葉を飲み込み、口止め料だと小さな包みを差し出す。
何やら甘い匂いのするそれを受け取り、ついでに剣を引き取って、ユーフォリアは訓練場を後にした。
◇
城砦の門を出て、貴族街を歩く。
身なりや髪艶の良い人間たちが行き交い、たまに声を掛けられたので挨拶を返した。
よくレオネルが『貴族にはアルベルト騎士団長のことが気に食わず、足を引こうとする人間が多い』と言ったが、彼らは王国騎士団に対して反感を持つものばかりではなく、むしろ好意的な人間の方が多く、半年近く巡回をしているうちに、よく見るいくつかの顔は覚えていた。
やがて貴族街の端までやって来たユーフォリアは、屋敷の方へと曲がりかけてふと足を止め、反対の方へと折れた。
少し歩くと平民街の市場へと辿り着く。
いつもグレアやシキたちが買い出しをしているこの地区は、今日も活気づいていた。
立ち止まり、じっとその様子を眺めていると、ユーフォリアの姿に気がついた商店の店主が軽く手を挙げて声を掛ける。
「よう、お嬢様。お勤め帰りですかい? 活躍はこの辺りまで聞こえてくるぜ」
「うん、帰るところ。この辺り、魔獣とか人買い出てない?」
「おかげさまでな。せいぜいたまに手癖の悪い奴がいるぐらいだ。ああ、帰るってんなら少し待ってくれよ」
そう言って店の奥へと消えて行った店主は、手に白い花を持って帰って来た。
「ほら、これ今朝仕入れたばかりなんだよ。シキさんに渡しておいてくれ」
「この花、シキに必要? 薬になる?」
「違うって、ただ綺麗だろ? 儚げで可憐なあの人にそっくりだと思わねぇか?」
からからと笑った後で、店主の男が少し遠い目をする。
正直なところ意図はよく分からなかったが、ユーフォリアはそれを受け取り、ついでに薬草をいくつか買ってから帰路に戻った。
◇
「旦那様のお帰りは、夜更け前になるそうですね」
夕飯の席でグレアがそう言葉を発した。
ちょうど口に放り込んだばかりのパンを咀嚼して飲み込んでから、ユーフォリアがうんと頷く。
「最近、前よりずっと忙しいみたい」
「御前試合も近付いておりますからね。お嬢様もお疲れではありませんか? 仕事や剣の訓練も大切なことは存じ上げておりますが、夜はきちんと眠らなければ、お身体を壊されてしまってはことですよ」
「……ん。ちゃんと、寝てる」
いつものように自分の体調を案じるシキに小さく頷いてから、ユーフォリアは皿の端に飾られた白い花を見た。
先ほど手渡した件の花は、彼女に言わせると食べられるもののようで、そのまま厨房へと運ばれたかと思うと千切られて今宵の食卓に登場した。
花といえば、とユーフォリアが先刻帰宅した時に通った玄関ホールを思い出す。
特に目立つ花瓶に、少し控えめに飾られていたのは、先日自分が孤児の少女から購入して屋敷の者たちへと贈ったものだった。
「玄関のところの花、まだ咲いてたね」
「ええ、折角お嬢様が贈ってくださったものですからね。シキが毎日新しく薬を調合しては、それはもう大切に咲かせておりますよ」
ユーフォリアが何気なく発した言葉に、グレアが少し笑ってからそう答える。
そうなのか、とシキを振り返ると、彼女は何やら少し気恥ずかしそうに、珍しく口を噤んでいる様子だった。
「シキ、花が好き? またあげてもいい?」
目の前の皿を空にしてからユーフォリアがそう尋ねると、シキは弾かれたように顔を上げ何度も大きく頷いた。
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