ep.7 剣の道 (2)

 王国領地の中央、貴族街よりも更に高い位置に城砦は築かれている。


 見回りの隊士の視線を避けて、音も無く城壁を飛び上がると、ユーフォリアは眼前に立つ塔を見上げた。


 以前と造りが変わった風はなく、まずは同じ部屋に入ってみればいいだろうと、ごつごつとした石の隙間に爪を差し込む。

 伸ばした腕を引き寄せると同時に強く地面を蹴り、ドレスを纏ったユーフォリアの身体が夜の空に舞った。



 あの時と同じ窓へと辿り着き、ユーフォリアはそこから身を滑り込ませた。降り立った床が、以前のような柔らかな絨毯に覆われていないことに首を傾げる。

 とりあえず、目の前の寝台の上に目的の書物を置き、隣室へと続く扉を開いてみたが人の気配は無い。


 ユーフォリアは大きく肩を落とす。

 ついでにアルベルトの顔を見られると思っていたのに、目論見が外れたことにため息を吐いた。このまま帰ろうかと思ったが、それも惜しいような気がする。


 こうなれば探してやろうと、城の廊下へと続く扉を開いた。


 城内をしばらく歩いた後で、闇雲に探すよりも彼の魔力を辿ればいいではないかと思い当たったユーフォリアは、進む方向を転換させる。

 迷うことなくある方角へ向けて真っ直ぐに進み、時折何かの部屋や狭い窓を潜り抜けながら、やっと目的の場所へと辿り着いた。


 城砦から外廊下で繋がるそこは、一つの独立した空間のようだった。

 広い平らな地面に、簡素な壁と屋根、早速中へと入ろうとしたユーフォリアは、その中央で剣を振る男の姿を見てぴたりと足を止める。


 気配を殺したまま、じっとその動きを食い入るように見つめた。


 真っ直ぐに振り下ろされた剣先が、弧を描いて斜め後方へと振り切られる。横薙いで、斬り上げ、また振り下ろす。

 剣の動きに合わせて、アルベルトの足が地面を蹴った。

 少しも淀みなく、白刃が煌めく度に微かに空気を斬るような高い音が耳に届く。


 何も言葉を発することなく、ユーフォリアはただ無言でその姿を見る。


 室内の小さな灯りに、アルベルトの銀の髪が照らされて輝き、剣を振り抜きながら振り向いて、彼は大きく目を見開いた。


「っ……ユーフォリア、何故この場所に」


 荒げかけた声を飲み込み、アルベルトは低く押し殺した声でそう尋ねる。素早く周囲の気配を探るが、彼女のものを含めて何一つとして感じられない。


 黙ったままのユーフォリアは、数秒経ってからようやく息を吐く。

 途端に微かに発された気配に、アルベルトは、それは消したままにしろ、と低く告げた。


「何故、このような所にいる。屋敷の者は」


 剣を納めて、足早に彼女に歩み寄りながらアルベルトは問いを重ねる。


 ユーフォリアが黙って首を横に振り、一人で忍び込んだのだろうということは理解した。

 訓練場の入り口に立ち竦んだままの彼女の腕を掴むと、アルベルトは無言で物陰へと移動する。

 周囲の静寂や時間帯から言って、誰かが訪れることはまず無いだろうが、それでも念には念を入れるべきだと考えた。


「アルベルト、ごめんなさい。寝具、穴開けた。それから、本。忘れてたから、この上の部屋に置いておいた。もう誰かに怒られた?」


 いつもよりも相当絞られた声で、ユーフォリアが少し早口にそう告げる。


 少なくとも人に見つかることが望ましくない状況であることは理解しているのだと、アルベルトの肩から僅かに力が抜けた。

 掴んだままであった腕を離し、そっと頬に手を添える。


「本というのは、寝所に置いてあったものか。一応聞くが、屋敷の者には告げたか?」


 無言で首を横に振った後で、少し考える素振りを見せてから、ユーフォリアは困ったように眉を下げた。


「……心配、する?」


「ああ、すぐに戻るぞ。シキなどは城まで忍び込みかねん。既に捕縛されたことのある身だ、事態が悪化する」


 そう言って眉を寄せた後で、すまない、とアルベルトは表情を和らげ、ユーフォリアの髪を撫でた。


「礼が遅れたな。気遣いと、書物を届けてくれたことには感謝する。だが、次からは屋敷を出る前に一報を入れてもらえるか。城砦には本来ならば、限られた者しか立ち入りが許可されていない。お前の身を、危険に晒したくはない」


 また無言で頷いたユーフォリアの肩を抱くようにして、アルベルトは気配を消したまま足早に城下の方へと向かった。

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