第2話 影追いの夜

影追いの夜


──気づけば、深夜だった。


「……うそだろ。」


床に座り込んだまま、俺は時計を睨んだ。

秒針の音が、やけに耳に障る。


修練を始めたのは、まだ夕方だったはずだ。

タバコの煙と一緒に、俺の時間はどこかへ消えたらしい。


頭の奥では、星影功の流れがまだわずかに残響している。

胸の奥に灯った熱が、呼吸のたびに全身を巡り、

心臓の鼓動と共に星の脈を打つ。


「四時間も……。」


夢中だった。

初めて触れた異世界の力。

体の奥で光が生まれ、血と共に流れる。

それがただ面白くて、怖くて、止められなかった。


冷蔵庫を開けると、空になったペットボトルが一本転がった。

窓の外には、誰もいない夜の街が広がっている。


──こんなことになるなんて、想像もしなかった。


視界の端に、また光がにじむ。

あの忌々しくも不思議なウィンドウが、まるで当然のように俺の選択を待っていた。


> 【次のクエストを選択してください】


1 異界の裂け目へ潜入

2 廃工場を探索

3 星影步を修練する




「……まだやらせる気か。」


頭の奥に残る熱は、次を求めるように脈を打っている。

けれど俺は、あの異界とか廃工場とか、無謀に踏み込む気はなかった。


「慎重に行く。死んだら終わりだ。」


俺は迷わず、三つ目の『星影步』を選んだ。


ウィンドウが淡く光り、声が脳裏に響く。


> 【クエスト発令:星影步・影追いの夜】

内容:夜間、自宅周辺の異変エネルギーを感知しながら“影追い”を行い、

星影步の基礎を修練せよ。

成功条件:制限時間内に影に捕まらず自宅へ戻ること。




「……影追い、ね。」


静まり返った部屋の空気が、ひやりと冷たく感じる。

窓の外を見つめた。


街灯の下には、湿気を含んだ夜気が沈んでいる。

さっきまでとは違う、張り詰めた夜だ。



---


アパートの階段をゆっくり降り、人気のない路地に立つ。

夜の街は静かだ。

遠くで車のエンジンが一度鳴ったが、それもすぐに闇に溶けた。


「……ここからか。」


ウィンドウが示す異変ポイントに近づくにつれ、

空気が重くなる。

地面から滲む何かが足を絡め取るようだ。


最初のポイントに立つと、視界の端で黒い影が揺れた。

月明かりを吸い込むように滲む影。

そいつが、俺を“見た”。


──ドクン。


心臓が跳ねる。

星影功の流れが、背骨を伝って足先へと集まる。


「……来るなら来い。」


意識を集中させ、足裏に星の熱を流す。

地面との境界が一瞬、ふわりと曖昧になる。


影が滲むように迫る。

俺は地面を蹴った。


──星影步。


重力が一瞬だけ軽くなる。

足が空気を滑るように進む。

路地を抜け、曲がり角を跳ねる。

夜風が頬を切る。


背後から影の気配が追いすがるのがわかる。

人の形のまま、黒い霧のように変形して追ってくる。


「……やれる。」


二つ目の異変ポイントに着く頃には、呼吸が研ぎ澄まされていた。

星の力を流すほど、体が地面と一体になっていく。


影が伸ばす腕が肩を掠めた。


「……っ!」

危うく当たる所だった

星影步を使い駆け抜けると影は消えていた。




息が切れる。

鼓動がまだ速い。


だが、星影步は確かに俺の脚に馴染んでいた。

初めは足の裏だけだった星の熱が、膝、腰、背骨へと繋がり、

一歩が次の一歩を呼ぶ。


街灯が見えた。

俺のアパートが、夜の中にぼんやりと浮かんでいた。


──追跡は消えた。


無事に帰れたことに、深く息を吐く。

呼吸の中に、星の光がまだ脈を打っている。


> 【クエストクリア】

「おめでとうございます。星影步(基礎)を習得しました。」

「敏捷+1、集中力+1を獲得しました。」

「報酬:影除けの符×1」




夜気の中で、俺は両足を見下ろした。

ずっと頼りなかったこの足が、今は少しだけ確かなものに思えた。


「……これで、少しはマシか。」


慎重に選んだ一歩だ。

だがこの一歩が、どれだけ深い夜を踏み抜くのかはまだわからない。


──星影功。

この力と、選択と、これから向き合っていく。


「……次は、どうする。」


夜風が頬を撫でた。

新しい夜が、俺をまだ試そうとしている。



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