盆休み

無邪気な棘

盆休み

その国の政治は腐敗し、民は困窮し、餓えていた。


その内に秘めた衝撃は、いつ燃え上がるかも分からない、暗黒の火柱出会った。


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覚行大師は頭を抱えていた。


「国を預かる政治家達は民の事など見向きもせず私利私欲。事もあろうか、正義教会なるキリシタンどもから裏金を受け取り支援を受け票を買っておる。何とした事か。」


大師はその精悍な顔付きと鋭い眼光を燃え上がらせ悩み抜いた。


大師の頭痛の種はそれだけではなかったのだ。


「御仏の教えはこの国を古の昔より支え奉って参ったが、国王は寺には見向きもせずに神社・神宮詣とは。」


大師は震え慄き冷や汗をかいた。


そして、狼狽しながらも弟子の恵信和尚を側近くに呼んだ。


「如何にして、この国を少数派のキリシタンどもや神社勢力から取り戻すべきか?」


大師は恵信に尋ねた。すると恵信曰く。


「先ずは僧兵どもを養いましょう。それを用いて、この国の多数派たる門徒らを扇動いたしましょう。」


この恵信和尚は若く美しい美男子であった。そして何より野心家であった。


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弥芳仁王国は350,000km²の面積を誇る東アジアの島国である。


人口は8,500万人であり、その内6,800万人が御仏の教えに従い生きている。


つまり五人に四人は仏教徒である事を意味する。


また資源も豊富で天然ガスやレアアースの宝庫である。


これを放っておく外国はいない。


特にヤリエカ合衆国は、この天然資源を我が物にしようと目論んでいた。


「自由と民主主義」の超大国、ヤリエカを統治していた当時の大統領はジョン=エイブラムスであった。


この太った髭を蓄えた老人は、極めて狡猾な人物であった。


彼は弥芳仁の政府を転覆して、資源を獲得しようと画策した。


彼は企業家でもあり、また、様々なエネルギー関連会社を経営していた。


弥芳仁を手に入れれば、莫大な利益が自らの懐に入る。


「あの国を陥すのに軍を送る必要はない。必要なのは「良き傀儡」だ。」


彼は執務室でニヤニヤと笑いながら、ある作戦実行の為の大統領令に署名した。


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極秘の作戦は着実に進められた。


ヤリエカの情報機関「NIA:National Intelligence Agency(国家情報局)」は、ある人物に接触した。


恵信和尚である。


この頃、和尚は僧兵らを養成し、武装化させようとしていた。


そこでNIAは、第三国に設けたペーパーカンパニーを経由して武器と資金を提供したのだ。


こうして弥芳仁王国の仏教勢力とヤリエカとの「黒い交流」は数年続いた。


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覚行大師は国家を手中に収めようとしていた。


問題は、どのタイミングで、どの様に進めるかだ。


彼は早速、弟子の恵信を呼んだ。


「謀をいつ始めるのが適切か?」


大師が問うたところ、恵信曰く。


「準備は出来ております故にいつでも宜しいかと。」


すると大師は鋭い眼光で答えた。


「ならば盆じゃ。盆に集まりし門徒を焚き付けよう。」


そこで恵信は提案する。


「門徒の中に我が僧兵どもを忍ばせましょう。頃合いを見計らい、門徒を暴れる様に唆すのです。」


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8月の焼け付く様な日差しに包まれながら、灼熱の盆が幕を開けた。


約4日間の長期休暇が始まる。


永良県には古の歴史を誇る寺院が集中しており、最古の寺院は西暦513年創建の信栄宗の総本山、真法大寺である。


地元の門徒は、この寺に毎日参拝し、また、少し離れた場所に住む門徒は週に一度参拝する。


他県の門徒は月に一度は参拝し、更に遠方の門徒は年に一度参拝する。


特に毎年8月の盆休みの時期には、最も門徒が集中する。


8月13日、午前8時に寺の門が開かれた。


並んでいた門徒が、続々と境内に足を踏み入れた。


寺からは門徒に茶が振る舞われた。


門徒達は様々な会話を楽しんだ。


最近の身の回りで起きた、良い事や悪い事。


ちょっとした世間話などなど。


ニュースや事件の話をする門徒もいる。


ある他県から参拝に訪れたた門徒が話した。


「あれはけしからんよな。」すると、それを聞いた別の門徒も答えた。「まったくだわね。」と。


この「けしからん」とは、とある政治スキャンダルの事だ。


政権与党の民主自由党の政治家や議員らが、ある団体から資金援助を受けていたというものである。


その会話に更に他の門徒が加わった。


「あぁ、あれね。なんだっけ?あ、そうそう。正義教会だったな。」


正義教会とはキリシタン系の団体である。


これが政治家と癒着して政治に介入しているというのだ。


門徒達は言う。


「そんなに人数の多くないキリシタンが生意気に政治に口出ししやがる。ムカつくわ。」


と。皆が口々にそう言う。


時間が経過するにつれて、遠方からの門徒も集まり始めた。


境内は人で溢れかえった。


「ご主人は何県から来られたの?」


と、知らない者同士でも会話がはずんだ。


「加奈河県から来ましたよ。でも途中が渋滞してて困りましたよ。」


とある門徒が話してくれた。


それを聞いた別の門徒が教えてくれた。


「あぁ、偉世神宮でしょ?あそこ今、国王陛下が来てるからね。そりゃ混むわ。」


との事。


すると「なんで王様は神社ばっかり行って寺にこない?」と言う者が現れた。


それを聞いた者が「神社贔屓なんだよな。何と言うか、少し腹立たしいわ。神社を崇拝している奴らなんざ僅かしかいねぇのにな。」


その場にいた一同が頷いた。


門徒の数が続々と膨れ上がっていった。


会話も徐々に膨らんでいく。


「何が天の父だよ笑わせんな。クソったれのキリシタンめが。」


となりの老人も口を開く。


「だいたいワシら仏門の人間が一番この国で多いのに、異教の輩が威張り散らす事が気に入らん。」


と。


ある中年の女性が言った。


「私は王室を敬愛してますよ。でもね。もう少し、お寺にも目を向けて欲しい。神社ばっかり重視するのはどうかと思いますよ。」


人々の会話が、穏やかな日常の会話から、徐々に、異教への不満に変わっていった。


やがて、巨大な本堂の前に特別に設営された櫓に真法大寺の責任者にして仏教界の最高指導者である覚行大師が姿を現した。


集まった数え切れない門徒達が熱狂に包まれた。


これから大師の説法が始まる。


櫓にはマイクが設置されており、ケーブルやコードが網の目の様に張り巡らされていた。


寺に入り切らない門徒の為に外でも説法が聞ける様にスピーカーが据え付けられているのだ。


大師は静かに口を開いた。


「皆々様、お暑い中を遠路遥々起こし下された事、誠に持って有り難く存じ上げまする。これもまた御仏のお導きの賜物。」


あちらこちらで拍手が起こり、賽銭が投げられる。


大師が続ける。


「巷では、政治にキリシタン、王室に神社、と、残念ながら、御仏の教えは後回しにされ、いささか蔑ろにされておる様に感じる方々もおりましょうが、しかしながら、仏教は「異教」に対して、一概に「間違い」や「敵」と断定するのではなく、多くの場合、比較的寛容で、共存を図ろうとするものであります。」


門徒達は大師の言葉に熱心に耳を傾ける。


寺の外の門徒達もスピーカーを通して大師の言葉を脳裏に焼き付けた。


大師は続ける。


「ただし、それは全ての宗教の教えを同等に正しいと認めるという意味ではなく、あくまで仏教自身の「苦からの解脱」という道を最上とする立場からの見方であり、時代によってその態度は様々です。」


門徒達の拍手の渦が巻き起こる。


こうして大師の説法は終りを迎えた。


説法後も門徒達の熱狂は冷めなかった。


「大師は「全ての宗教の教えを同等に正しいと認めるという意味ではなく」と仰っしゃられたな?」


ある門徒が言う。


また、ある門徒は「「時代によってその態度は様々です。」ともいわれたね。」と口々に話した。


いつしか、門徒の会話の波は、寺の外や、あちこちの街角に広がっていった。


「政治家達はキリシタンとグルで、連中からカネを貰ってる。だから、キリシタンに有利な政治しかしない。俺達の暮らしが良くならないのはキリシタンの策略なのでは?」


とか


「神社勢力は国王や王室を操り、この国を完全に支配下に置いている。赦す訳にはいかない。」


など、異教への敵対心を剥き出しにする者も現れた。


やがて、真夏の残酷な太陽が山の陰に隠れ始めた。


空は徐々に暗くなり始めたが、門徒達は帰るどころか、むしろ増えていった。


門徒の波は、やがて、様々な道、様々な広場、様々な街角へと拡大し、膨れ上がっていった。


この状況に事情を知らない寺の関係者や僧侶達は困惑した。


そこで、速やかに解散するよう促す呼び掛けを行った。


しかし、誰一人として立去る者はいない。


そこに一人の若き僧侶が現れた。


恵信和尚であった。


その姿を見た門徒達は更に熱狂し、その熱は、もはや止められないものとなり始めた。


恵信和尚は異教に対する強硬派として知られており、過激な説法では右に出る者はいない。


夜になり、一部の門徒らが酒を飲み始めた。


やがて、無礼講となり、他の門徒らも、浴びるように酒を飲み始めた。


恵信和尚が門徒らに説法を始めた。


「御仏の教えは、まず非暴力を最優先し、対立や危険を回避すること、平和的な解決を図ることを強く勧める。しかし、どうしても避けられない生命の危機に直面した際には、多くの解釈において、憎しみや怒りからではなく、やむを得ない防衛として、必要最小限の力で対抗することは、完全な否定はされない。」


と。


それを聞いた門徒らは、


「キリシタンや神社は政治家や国王を利用して俺達を潰そうとしている!」


とか、


「キリシタンや神社と闘わないと我々は殺される!」


など、危機と対立を煽る者が現れた。


更には、


「恵信和尚はキリシタンを倒しても良いと仰っしゃられた。」


とか、


「神社を壊しても良いそうだ。」


など、意味合いが外れる様な言葉が門徒の間に広がった。


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8月14日。


やがて太陽が山の陰から姿を現した。


しかし、門徒の大軍は一向に姿を消す事がない。


それどころか、益々増えていく。


やがて門徒の波は移動を始める。


誰かが言った。


「キリシタンを懲らしめよう、神社をうちこわそう!」


と。


人の津波が大地を揺らしながら、街の中心へと移動し始めた。


余りに大勢が街を練り歩いたため、交通が麻痺し始めた。


車が動けなくなり、バスが進まない。


踏み切りに門徒らが立ち止まったままなので電車が止まりダイヤが乱れた。


余りにも街が混乱した為に商店は店を開ける事が出来ず、社会が黒い闇の渦に飲まれていった。


この状況に対して、当局がようやく重い腰を上げた。


灰色の迷彩服に防弾チョッキとヘルメットで身を守り、盾と警棒で武装した治安部隊が出動した。


この頃、始めは寺の門徒だけだった人の群れが、普段から生活に切迫している人々も加わり、より巨大なものとなっていた。


「異教が悪い!」「異教に協力する政府が悪い!」「国をひっくり返せ!」などなど、人々のイデオロギーは過激化、先鋭化していった。


治安部隊は人々に「即時解散するように。」と、粘り強くスピーカーで訴えたが誰も耳を貸さない。


そこで、徐々に膨れ上がったデモ隊との間合いを詰めていった。


やがて、太陽がビルの谷間に沈んでいった。


夜の闇が地上を支配した。


デモ隊はまったく解散しない。


治安部隊は夜通し「即時解散」を訴えたが、まるで効果がない。


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8月15日。


朝を迎えても事態は鎮静化しない。


人は増えるばかりだ。


治安部隊は更に間合いを詰めていく。


「キリシタンを殺せ!神社を焼け!政府を倒せ!王を滅ぼせ!」人々の声はどんどん大きくなっていく。


この様子をデモの参加者が動画や写真でSNSに投稿した事もあってか、永良県以外の地域でも、後々デモが起こり始めるきっかけとなった。


更に、


「キリシタンが井戸に毒を入れた。」


とか、


「神社の信徒が国を乗っ取り、仏教徒の殺害を計画している。」


といった様な、実際には根も葉も無い話が拡散されていった。


すると誰かが、治安部隊に石を投げ始めた。


それを見た多くのデモ参加者が、徐々に投石に加わり始めた。


やがて、街には大量の石の嵐が吹き始めた。


遂に治安部隊は警棒でデモ隊に攻撃し始めた。


デモ隊も何処からか角材を持ち出して治安部隊に襲い掛かった。


大勢が逃げ回り、転げ回りながら、至る所の建物の窓ガラスを破壊して回り、また、キリシタンの教会や神社を見つけると、内部に乱入して破壊と略奪を行い、更に火を放った。


それだけにとどまらず、商店も略奪に遭い、また役所も焼き打ちに遭った。


治安部隊は催涙ガス、ゴム弾丸、高圧放水でデモ隊を攻撃したが、デモ隊の破壊活動は収まる気配がない。


街中が火の海に包まれ、キリシタンや神社の信徒を中心にして、デモ隊は彼らや彼らを匿う者達に暴行を加え、遂には殺害してしまうのである。


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8月16日。各地で暴力と略奪、そして虐殺の嵐がジワジワと飛び火し始めているという情報が入る。


もはや治安部隊だけでは止められなく成りつつあった。


デモ隊の武器がいつの間にか石や角材、或いは、鉄パイプから、火炎瓶に変わり、人によっては猟銃を持ち出すものも現れた。


「国家を転覆せよ!国家を転覆せよ!」


と叫びながら、暴徒と化したデモ隊は治安部隊を攻撃し、キリシタンの教会を焼き払い、神社を破壊し、店から略奪を行い、異教徒やその味方をする者を殺して廻った。 


政府はようやく緊急事態宣言を発令して、軍を出動させた。 


各地の至る所に軍が展開し、M16A2自動小銃で武装した兵士が守りに着き、M113装甲兵員輸送車が走り回る。


軍はもはや暴徒と化したデモ隊に威嚇射撃を行ったが、効果がなかったため、遂に暴徒に向けて発砲した。


大勢が逃げ惑い、血に塗れた人々が地面をのたうち回る。


それでも暴徒は引き下がらない。


火炎瓶を投げ、猟銃を発砲した。


更に暴徒の一部の何者かが、自動小銃をフルオートで発射した。


軍の兵士に犠牲者が出た。


やがて、小規模な戦闘が徐々にエスカレートし、中規模になっていった。


一部の暴徒は軍の部隊を制圧するものさえ出始めた。


軍でもこの動乱を抑え付ける事が困難に成りつつあった。


当初の計画通り、暴徒と化したデモ隊には恵信和尚の僧兵どもが入り込んでいた。


万事計画通りだったが、想定外だったのは、情報が拡散するスピードであった。


既に過激な抗議集会、デモ、そして暴動が、全国各地に飛び火していた。


ある別の土地で暴動に加わった若者が後に語った事によると、動画の投稿で騒ぎを聞いて駆け付けたとの事だ。


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8月17日。


盆が終り、本来ならば休み明けで日常を取り戻すはずの社会は混乱し、崩壊していた。


経済活動は完全にストップしていた。


動乱がこれほど僅かな期間に燃え広がるとは、誰が想像出来たであろうか。


軍の兵士の中には、戦闘から離脱し、叛乱側に寝返る者が出始めた。


全国各地のあちらこちらで、徐々にではあるが、銃声が響き始めた。


中規模だった戦闘がやがて大規模となりつつあった。


この後、弥芳仁王国は長い内戦に突入していくのだが、今はまだ、誰もそれを知らない。


8月の焼け付く様な日差しに包まれながら、灼熱の盆が幕を下ろした。


戦乱の幕は上がったばかりだ。




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