どうやら人間が、我が鳥族の言語を解読し始めたようだ

N氏@ほんトモ

第1話

 どうやら人間が、我が鳥族の言語を解読し始めたようだ。


 風の囁きに混じる彼らの声が、ここ最近、やけに騒がしい。地上を這う二足歩行の生き物たちが、我々のさえずりに耳を傾け、手元のノートに何やら書き殴る様子を、梢の上から何度も目にしてきた。最初はただの偶然、もしくは風の悪戯かと思った。だが、日を追うごとにその数は増し、彼らの視線には明確な意図が宿るようになっていった。彼らは我々の言葉を「研究」と呼ぶ不可解な行為に取り憑かれ、空を見上げ、耳を澄まし、何かを得ようと懸命になっている。


 我が名はクロウ、カラス族の長老にして、空の守り手。我が翼を広げれば、曇天の空に黒い影が走るほどの威容を誇り、我が声一つで数百の戦士が空に舞う。だが、胸の奥に巣くうこの不安は、威厳の羽をもすり抜けて忍び寄る。人間が我々の言葉を知ったとき、彼らは何を為すのか。好奇心の果てにあるのは理解か、それとも支配か?


 その日、若鳥のスズが森の彼方から慌ただしく舞い戻った。彼女の羽は乱れ、小さな胸は荒い息で上下していた。「長老!」彼女は息を切らしながら叫んだ。「人間が……人間が私の歌を真似しました!」その言葉に、周囲の鳥たちがざわついた。スズの歌は朝露を讃える旋律。森の夜が明け、命が再び動き出す瞬間を謳う古来の歌だ。それを人間が、口笛で再現したというのだ。


 それは単なる偶然か、模倣か。しかしスズの証言によれば、その音は驚くほど正確だった。我々の言語が、人間の喉から発せられる――それは、決して見過ごせぬ事態だった。


 鳥族の言葉は、ただの音ではない。それは歴史であり、記憶であり、空の知恵そのものだ。風に乗せて語られる言葉の数々は、木々のさざめきと混じり合い、大地と空のバランスを守ってきた。我々はその言葉と共に生き、育ち、そして死んでいく。もしそれが解読され、我々の意志に反して使われたとしたら……。


 その夜、月が森を照らし始めるころ、私は族長会議を招集した。古木の頂にある大枝に、我がカラス族の戦士たち、フクロウ族の賢者ホウ、ハト族の使者シロが次々に姿を現す。ホウは静かに羽ばたき、琥珀色の瞳で周囲を見渡した。シロは白い羽根を震わせながら、そっと私の前に降り立った。


「人間が我々の言葉を学び始めたことは、もはや疑いようがない」と私は口を開いた。「スズの歌が人間の口から漏れた以上、我らの秘密は風に乗って、彼らの手中に落ちる危険がある。皆の意見を聞きたい。」


 ホウはしばらく沈黙し、夜の気配を味わうように目を閉じたのち、静かに言った。「人間はの、欲望と知識の狭間に揺れる生き物よ。言葉を手に入れて、己の力とするか、それとも理解の橋とするか……我々にはそれを見極める術がないの。だがの、敵と断じる前に、対話の可能性を模索すべきではないかの。」


「対話だと?」私は思わず声を荒げた。「やつらはかつて我々の森を焼き、巣を壊し、仲間を捕らえた。今度は言葉を奪い、空までも支配しようというのか?」


 そのとき、シロが一歩前に出た。「長老、確かに過去に人間の手によって多くの傷が刻まれました。でも……私が東の森を飛んだとき、ある奇妙な人間たちを見かけましたよ。彼らは木々に餌を置き、怪我をした仲間を布で包んで介抱していたのですよ。彼らの目には、敵意ではなく、敬意が宿っているようにみえましたよ。」


 会議の場がざわついた。カラス族の戦士の群れから怒りを込めた声が飛ぶ。「餌付けされて喜ぶとは、まさにハト族らしい軟弱な考えだ!」だが、ホウが翼を広げて静かに制した。「視点を広く持つのだ。我々の未来を決めるのはの、過去の憎しみではないのだよ。」


 私は黙したまま、空を見上げた。満月が雲間から顔を出し、森を淡く照らしている。私の心にもまた、明るさと闇が交差していた。


「……よし、こうしよう。」私は決断した。「まずは彼らの動きを観察する。シロ、君にはその役を任せる。ホウ、スズの旋律を基に、偽のさえずりを編み出してほしい。人間がそれを解読したとき、我々が望む誤情報だけを掴むように。そして、戦士たちには引き続き警戒を怠らぬよう伝えよ。」


 会議は夜更けまで続き、ようやく解散した後、私は一人、古木の頂に佇んだ。人間の集落からかすかに漏れる光を見つめながら、胸中に浮かぶ疑念と希望が入り混じる。風がそっと羽を撫でていく。


 そして数日後、シロが新たな報告を携えて戻ってきた。


「長老、人間が私たちのさえずりを集落で歌い始めました……その歌には、感謝の意が込められているようですよ。」


 私は思わず目を細めた。「感謝、だと?」


 彼らが我々に感謝するとは、果たしてどんな意味なのか。風が運ぶその旋律は、確かに優しく、温かく、そして……どこか懐かしい響きを宿していた。


 スズが私のそばでささやいた。「長老……私の歌に似ています。でも、それはただの模倣ではなくて……心が込められている気がします。」


 私は静かに頷いた。「……わかった。対話の道を試してみよう。」


 それから幾日かが過ぎた。鳥族と人間の交流は慎重に、だが着実に進んでいった。人間の中でも、我々の言葉を理解しようとする者と、ただの奇異な現象として片付けようとする者に分かれているようだった。前者は「共鳴者」と呼ばれ、後者は「拒絶者」と呼ばれるようになった。


 共鳴者たちは、我々との対話に真摯だった。彼らは歌の旋律に耳を澄まし、風の声に意味を見出そうと努めた。鳥語を模倣するだけではない。彼らは我々の生き方、風と森と共にある暮らしを学ぼうとしていた。その中心にいたのが、若き女性――ミドリと名乗る者だった。


 ある日、ミドリは一冊の書を携えて我々のもとを訪れた。それは、彼女が鳥族のさえずりを記録し、意味を紐解こうとした観察の書だった。羽の動き、鳴き声の抑揚、風との共鳴、それらすべてが丁寧に記されていた。私はその精緻な記録に目を通し、しばし言葉を失った。彼女はただ言語を盗んでいたのではない。我々を理解し、共に歌おうとしていたのだ。


「これは…我々の知を敬う者だ。」と、私はホウにそっと語った。ホウは深く頷き、低く鳴いた。「彼女は、真に風を聞く者かもしれんの。」


 しかし、世界はいつも、理解だけでは成り立たない。拒絶者たちは、共鳴者の活動を危険視し始めた。「鳥と話すなど狂気だ」と言う者さえいた。彼らは共鳴者に対する警戒を強めるようになった。森の中に人間の巡視が増え、餌場が荒らされ、いくつかの巣が壊された。敵意が、また静かに芽吹いていた。


 それを受けて、族長会議が再び開かれた。今回はさらに多くの種族が加わっていた。ツバメ族の俊敏な伝令、ヤマガラ族の学者たち、そしてキジバト族の穏やかな指導者も古木の枝に翼を広げていた。


「人間の間で分断が起きているようだの。」ホウが言った。「知ろうとする者と、閉ざそうとする者。我々はどちらと向き合うべきかの。」


 それにスズが応える。「そんなの比べるまでもないでしょう、共鳴者と対話を試みるべきです」


 それに対して「拒絶者に備え、空の守りを強化すべきだ。」と、カラス族の若き戦士ハガネが進み出た。


 だが、シロが一歩前に出て、静かに言った。「争いに巻き込まれるのではなく、光を照らす灯となるべきでは?」


 その時、ツバメ族の伝令フイがしなやかに身を翻し、声を上げた。「あたしたちは風と共に遠くまで飛ぶ者。人間の集落のあちこちを見てきた。確かに共鳴者と拒絶者がいるけれど、共鳴者は徐々に増えている。歌が通じ合った瞬間のあの感覚、あれは本物だよ」


 ヤマガラ族の学者フクルが、控えめながらも確固とした声で言葉を継いだ。「我々は人間の記録の仕方に興味を持ってきた。彼らが我々のさえずりを模倣しようとする過程には、単なる興味以上の敬意がある。我々の言語を、単なる音としてでなく、文化として理解しようとしている兆しが見えるのです」


 キジバト族の年老いた指導者、ナギはふわりと翼を動かしてから語り出した。「長年、私は森の静けさの中で生きてきた。争いの風が吹くたび、命は縮み、木々も痛む。今こそ、我々が風を和らげる歌を紡ぐ時ではないか。共鳴者に寄り添い、拒絶者にも歌を通して心を届けるのだ」


 私は長く沈黙したのち、口を開いた。「よし、みなの意見はわかった。彼らの歌を、我々の歌に交える道を探ろう。戦う時が来れば、我らは空を守る。だが、まずは希望の旋律を風に乗せるのだ。」


 その夜、ミドリは再び現れた。月明かりに照らされた森の外れで、彼女は静かに佇んでいた。手にした小さな楽器――彼女はそれを「オカリナ」と呼んでいた――から、柔らかく、どこか懐かしい旋律が流れ出す。その音色は、鳥たちのさえずりに似ていたが、明らかに人間の感性が織り込まれていた。自然への憧れ、失われた何かへの祈り、そして共に在りたいという願いが滲んでいた。


 その旋律に、スズが反応した。最初は戸惑いながらも、やがて自分の歌を重ね始める。朝露の歌、森の目覚めの歌、そして仲間への呼びかけの歌。それらが、ミドリの旋律に吸い込まれるように交わっていった。


 二つの種族の声が、ひとつになって夜の森に響き渡る。その瞬間、木々が微かに揺れ、眠っていた動物たちが静かに顔を上げた。森そのものが、彼女たちの歌に耳を澄ましているかのようだった。フクロウ族のホウが目を細め、ツバメ族の伝令たちは空の高みからその音を繰り返し聞こうと旋回した。


 私は、その場に佇みながら確信した。我々が今踏み出しているのは、ただの理解ではない。これは、二つの世界が交わり、新たな言語を紡ぎ出す奇跡の瞬間なのだ。空を舞う我らの言葉と、地に根ざす彼らの言葉が交わり、生まれるのは単なる翻訳ではない。共鳴の言葉――響き合うことで初めて意味を持つ、新たな魂のかたちだ。


 その夜、歌は長く続いた。ミドリは時に目を閉じ、風の音に耳を澄ませながら旋律を織り直し、スズは彼女に応じるように声を変化させていった。言葉の壁を越えて、互いに歩み寄ろうとするその姿は、まるで風と風が交差し、新たな流れを生み出すようだった。


 ホウがそっとつぶやいた。「これは…詩だの。空と地上が織り成す、最初の詩…。」


 私は古木の枝からその光景を見下ろし、胸の奥に温かな風を感じていた。かつて恐れていた人間との接触が、いまや希望の扉を開いている。彼らの言葉が我らの歌に寄り添い、我らの声が彼らの心を包む。


 風は静かに、しかし確かに吹いていた。それは春の訪れを告げる風ではなく、新たな時代の始まりを告げる風だった。世界が変わろうとしている。いや、変わるのではなく、ひとつになろうとしているのだ。


 まだ道は遠い。誤解も、衝突もあるだろう。だが、それでも我々は歌い続ける。歌は真実を伝える。歌は心を繋ぐ。歌は、未来を創る。


 だからこそ、我々は風に乗せて歌い続けるだろう――空に、森に、そして人の心に向けて。


 これは、鳥と人が紡ぎ始めた、新たな物語の第一章なのだ。


<了>

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