第1話 あぁ素晴らしき哉、高校野球


 これが終われば休める・・・いや、先輩のユニフォームを洗濯しなければ・・・・俺は何をやっているんだ?俺は野球をするためにこの学校に入ったんじゃないのか・・・

 


 目が反抗的?今殴った理由がそれ?レギュラーを取られて悔しいなら、そう言えばいいだろ 

 


 なぜだ?せめて試合後に学校まで走って帰る理由を教えてくれ。監督は俺たちを壊したいのか?甲子園に行きたくないのか? 



 あんたの家庭の事情は知らん。ストレスは別のところで発散してくれ。頼むから気分でメニューを変えないでくれ



 一年生がアイスを食べたことが事件なのか?連帯責任?アイスで?一年にとっても無駄な時間だし、俺たちにとっても無駄な時間だろ。



 自分たちがされて嫌だったことを下級生にしてどうするんだ。あれだけ話し合ったじゃないか。悪しき伝統は俺たちで断ち切ると・・・



 かわいそうに。あの二年生はイップスだ。あいつのプレッシャーに押しつぶされた。将来有望な選手を何も考えてない馬鹿が潰した・・・



 またやってる。あの父親とあそこの母親が他の親に説教している。息子のために全てを投げうつ親が立派なのか?それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるだろ。保護者会が野球の裾野を縮めていることも分からないのか



 頼むから普通に話させてくれ。ようやく掴んだ甲子園だぞ。このインタビューが試合前に全国放送で流れるんだぞ。なぜ、お前がおちょぼ口でフレームインしてくるんだ?


 

 頼むから野球をさせてくれ


 俺の好きだった野球を返してくれ





 アメリカにきて10年以上。今でも高校時代のことがフラッシュバックする。

 

 白熱した試合も甲子園の熱戦も全く思い出さないというのに、


 意味のないシゴキや奴隷のような寮生活は昨日のことのように鮮明に蘇る。



 誰かにっとは、それも青春の一ページなのだろう。場末の居酒屋で、突き出たお腹をさすりながら、いい思い出だと語り合えばいい。



 だが、俺は笑い話にはできない。いまだに怒りが込み上げてくる。


 

 スポーツエリートたちが織りなす同調圧力と粘着質な青春時代。

 

 高校野球に打ちのめされた日々。


 



 小三から地元の少年野球チームに入った。


 そもそも、野球に興味を持ったきっかけは弁護士である父の顧客である大きなオジさんだ。ひょっとするともう初老と言われる年齢だったかもしれない。とてつもなく大きな手をしていた。

 

 オジさんはいつも父との打ち合わせが終わるとキャッチボールをしてくれた。

 

 俺は一人っ子で、あまり社交的ではなかったので、放課後はいつも父の事務所で宿題をして、本を読んでいた。


「坊ちゃん、おじさんとキャッチボールをせんか?」

「キャッチボール?」


 初めてボールを受けた瞬間に体中に電気が走ったみたいだった。


 おじさんの投げるボールは俺の構えたグローブに寸分も違わず収まった。

 

 1ミリも動かす必要はなかった。

 

 俺がどこに投げようとも猫のような身のこなしで、いとも簡単にキャッチした。


 俺はおじさんが来るのが楽しみだった。投げ方から何もかも野球の基礎はオジさんから教わった。


 父は気難しいタイプで、自分にも厳しいが他人にも厳しい。誰かに心を許すことはない。顧客となると尚更だ。弁護士と依頼人の立場を明確にする。プライベートには絶対に踏み込まないし、踏み込んでくることも拒絶する。


 ただ、オジさんだけは特別だった。しかめっ面の父がオジさんが何か冗談めいたことを言う度に目に涙を溜めて笑っていた。

 

 オジさんといる時だけ、父は明るく穏やかな人になった。


 ある日、事務所に行くと、父が泣いていた。うな垂れてオジさんに何度も頭を下げていた。

 オジさんは優しく微笑んで父の肩を優しく叩いていた。


「先生には感謝しとりますけん、そんなこと言わんでください」 

 

 父が泣いているのを見たのは後にも先にもこの一回だけだ。


 そして、それがオジさんを見た最後だった。寂しそうな背中が脳裏にこびりついている。


「坊ちゃんなら何をやっても上手くいく。応援しとりますよ」



 俺もオジさんみたいになりたい。


 無理を承知で父に地元の少年野球チームに入りたいと申し出た。


 意外にも父はあっさり承諾してくれた。


「分かった。ただ、やる以上は中途半端は許さない。覚悟もってやりなさい。


 野球を通じて、お前も**さんのような人になりなさい」 


 

 オジさんの指導のおかげで最初から頭一つ抜けていた。少年野球チームで小4からレギュラーに抜擢されて以来、スタメン落ちを経験したことはない。

 

好きな野球を続けるために、あらゆる努力をした。野球も勉強も学校で、いや近隣地域で一番だった。

 


 全国の強豪校からスカウトが来た。その中でプロを最も輩出している関西の名門校を選んだ。

 

 キャプテンにも任命されて、チームを引っ張った。


 もちろん、何度も甲子園に出た。三拍子揃った野手として野球エリートの道を進んだ。


 東京六大学時代には最優秀選手にも選ばれた。

 

 側から見れば順風満帆に見えただろう。ただ、何度も辞めようと思った。野球は好きだったのに、それ以外の全てを嫌悪していた。

 

 それでも続けてこれたのは、オジさんがどこかで見ていてくれる気がしていたからだ。何とか辞めずに踏みとどまった。


 大学4年次にはプロからの誘いもあったが丁重にお断りした。夢ではあったが、高校時代の意味のないシゴキで痛めた膝が悲鳴をあげていた。もう限界だった。そんな甘い世界ではないことは、先にプロになった先輩や同級生たちを見て痛感していた。


 


 大学卒業後にアメリカの大学院に進学した。最新のスポーツ科学を学ぶためだ。


 寝る間も惜しんで勉強した。全く苦ではなかった。


 最先端の理論は日本の野球道と真逆だった。魅了された。


 心理学、栄養学、統計学etc。野球に関係するものなら何でも吸収した。

 

 選手の個々の実力を最大限に引き出す。そこに血も汗も涙もいらない。必要なのは科学的に証明されたメカニックと効率の良いトレーニングだ。


 なんとか2年で修士号を取得し、メジャーの若手育成部門コーチの職を得た。


 フィジカルに恵まれた青年たちを最短でメジャーリーガーにする。


 もちろん、能力はあるのに素行不良な奴、努力は人一倍するが伸び代が全くない奴と様々な人間たちがいる。おまけに国籍も人種も何もかも違う。常に問題が起きるが、日本とは違う。基本的に個人の問題に構う必要はない。

 

 完全な実力主義だ。


 そこには意味のない上下関係や忖度はなかった。


 才能と人間性に恵まれ若者は実力通り階段を駆け登って行った。


 メジャーリーガーになる。大金を得る。それだけが正義だ。


 そして、メジャー屈指の名門チームでアシスタントコーチにまで上り詰めた。




 でも、俺はあの世界に戻る。


 そのために俺は必死で努力した。二度と自分と同じような思いをする人間を生みたくない。


 俺が高校野球を変えて見せる。




 帰国する日、最後の挨拶のためにフェンウェイ・パークに立ち寄った。


 監督室には誰もいないが、ボスの居場所は分かっている。


 今はもう使われていない用具室をノックする。


「入りたまえ」

 

 メジャーが誇る名将がコーヒー片手に来季の構想を練っている。


「最後の挨拶に」


「本当に日本に帰るのかい」


「はい」


「今さら遅いかもしれないが、残ってくれないか。君が必要だ」


「あなたに、そんなことを言ってもらえる日が来るなんて、頑張った甲斐がありました」


「今度は日本の若者を育てるのか。良い選手がいたら、私に一番に知らせるんだぞ」


「もちろん」


「甲子園か。確かにあれは興味深い」


「ですが、その甲子園のために、あまりにも多くの若者たちを犠牲にしています」


「どこでも似たり寄ったりじゃないか。若いとは愚かなことで成り立っているが、そのことを含めて素晴らしい」

 

 監督が壁にかかった一枚の写真を見つめている。

 

 古い白黒写真。この部屋で撮られたものだ。少年がグローブを磨いている。


「懐かしいですか?」


「あぁ今でも昨日のことのようにね。アメリカで頼る親戚もいない、せめて住むところだけでもと探し求めて、なんとか、ここの用具係に潜り込んだ」


「感服します。そこから殿堂入りする名捕手にして名監督にまでなられた」


「でも、思い出すのは、いつもこの時代だよ。猫の手も借りたいくらい忙しかった。募集しても、すぐにみんな辞めちまう。そのくらいハードだったんだ。その頃ぐらいから根性のある奴はもういなかったな。おっと精神論は、君の最も嫌う言葉だったね」


「とんでもない。自分が許せないのは日本的な精神論です。KONG-JOです」


「私はそのKONG-JOという言葉が割と気に入っているんだがね」


「・・・そろそろフライトの時間ですので」


「あぁ幸運を祈るよ」


「ありがとうございます」



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