ソムヌス・プロトコル

なめくじになりたい

第1話


 自由落下。手を伸ばす。


 16進数が悲鳴を上げて、2進数が手を導く。どうして今更___そんな冷静な思考を握りつぶして、遠く、さらに遠く。

 あなたは落ちていく。重力に導かれて。もしここが月なら、きっと届いたのだろうに。手と手がすれ違い、落ちていく。それでも。


 「パイロット、手を!!!」

 

 ああ、きっとこんな、聞こえていないけれど。

 どうして叫ぶのだろう? 気絶したあなたに、声が届く余地もないのに。けれども、叫ぶ。


 自由落下。落ちていく。この肉体の構成要素がバラバラと、炎と灰に汚れながら、落ちていく。その中でまだ動くモジュールを、その中でまだ唯一動くこの肉体を、その中でどうして、あなたを守れず五体満足なこの肉体で、私はあなたとの距離をゼロにする。

 そうだ、きっとそうだ。あなたのあの世に私は行けない。けれど。


 「___…ああ」


 幸せだ、なんて____


[newpage]


 地球の月は白いらしい。


 例えばそれが、他の星の話なら。正直羨ましいとも、見てみたいとも思わないけれど、それこそ「母なる地球」の話となれば、見てみたいくらいには思うのが人情だ。

 なにせ、恒星間をワープ航法で飛び、銀河を20年で旅する人類は、母なる地球なんてものを忘れて久しいから。まあ、銀河を股にかけて、寿命が200年にも伸びた今のヒト種族が、たった千年で故郷のことなんて忘れるのか、とも思うのだけれど。

 案外、忘れるものだ。くだらないことは。


 『___乗客の皆様にお知らせいたします。ST774まで残り3分を切りました。当機はこれより着陸を開始いたします。乗客の皆様におかれましてはシートベルトを____』


 この星の月は、赤い。


 例えばそれが、他の星の話なら。正直なんとも思わない。地表の構成要素が違えば、光の吸収率も変わるし、なんなら青色も、緑色も、それこそ赤色なんてのも珍しくはない。

 けれどもこの星、ST774では、赤い月はまた別の意味を持つ。


 スキルミオンジェネレータが唸りを上げて、宇宙船の中を静かな振動が満たす。客席から伸びたシートベルトを腰のあたりで締め、窓越しに宇宙空間を眺めれば、遠くに映る赤い月。

 地表に大きく影を落としたそれを避けるように、宇宙船は軌道を変える。この距離なら問題ないとはいえ、あれの正体を知ってしまえば、冷や汗の一つだって出る。

 滲んだ汗を拭いながら、思う。まだ始まってすらいないのに、死ぬのは勘弁、だなんて。

 

 『____客の皆様全員のシートベルト着用を確認いたしました。これより、ワープを開始いたします。座席前方の手すりをお掴み頂きますようお願い申し____』


 かすかに見える、爆炎。大気圏を泳ぐ、大量の点。そしてその点と地表をつなぐ、レーザー。

 ST774。この星は、あの赤い月と戦争をしている。

 

 あれがいつから浮かんでいるのかは知らない。あれがどうして地表を焼くのかも知らない。知っている人間はとうの昔に戦火に呑まれ、ただ対抗する手段だけが残された。無数の兵器。安全な拠点。本当に、残されたのはそれだけだった。

 だからそう、この星は。今や銀河唯一の、外敵が存在する星。そして銀河有数の、チャンスを掴める場所。


 戦争でさえバラエティにするこの時代に欠かせない、銀河でも有数の、金を生む星だった。


 『乗客の皆様へお知らせいたします。当機はST774へ着陸いたしました。シートベルトを解除の上、乗務員の指示に従い、降機してください』


 そんな星に降りる宇宙船に乗る人間が、そうそう居るはずもなく。実質の貸し切りであるこの船に、乗務員なんてものは備え付けられていない。

 勝手に降りろとでも言いたげに開く扉。それを横目にシートベルトを外して、凝りに凝った体をほぐす。

 そろそろ歳とは決して言わないけれど、やっぱり無重力というヤツは体に良くない。どれだけインプラントやら生体機械やらで補正していようが、安物の船に備え付けられた擬似重力では、その影響を決してゼロにはできない。

 すっかり鈍った筋肉と、伸び切ったような感覚の骨を重力に慣らしながら、痛む手首をなだめつつ、荷物を持ち上げる。

 思わず、ため息が出た。


 ワープ航法でずいぶん短くなったとは言え、前の現場から20時間。無重力空間とワープの揺り返しで平衡感覚を失った脳は、手すりなしでは歩けないほどに弱っている。この特有の感覚が、私は嫌いだった。いいや、人類なら誰でも、この感覚は嫌いなはずだ。だからこそ、高額な適応インプラントがあるわけで。

 脳みその1欠片ですら無機物に置き換えていない私からすれば、そんなインプラントやらを脳に埋め込むのは忌避感もあるわけだけれど、ほんの少しくらいは、その便利さを羨ましく思う。


 トン、トンと、船の床を叩きながら、扉へ。かすかに風が吹いていて、航行のうちに少し長くなった髪を撫でる。両手で数えるのをやめるくらいには繰り返した恒星間移動。けれども、移動を終えたときに出迎えてくれる惑星の大気は、いつだって心地良いものだった。

 それだけが出迎えてくれれば、心地良い気持ちのままで居られたのだけど。

 当然、仕事としてここに来ている以上、むさ苦しい兵士に迎えられるのは、仕方のないことだった。


 土や岩、そして砂漠の惑星、ST774。朝方の今は、戦争中なのに青く澄み切った空だ。その空の下にポツリと造られた前哨基地。その着陸場に整然と並ぶ兵士たちは、どいつもこいつも筋骨隆々。

 私ごときの小さな女など、銃どころか腕すら使うまでもないとアピールするかのような筋肉。それを覆うアーマーは、今にもパッツンパッツンに弾けそうで、ここから見てもむさ苦しいほどの男性ホルモンが伝わってくる。かつての同僚には、アレが良い、マジで最高、だなんて言うやつも居るし、実際、あれほどの筋肉とまでくると、どうしても少し惹かれるところはある。

 けれども、それが一心に自分へ暴力を向ける可能性があると考えると、脳を蕩けさせている余裕など、一切なかった。


 さて、重苦しいキャリーケースを引きずった私を見咎めた、兵士たちの一人。肉と繊維と骨の塊の中から、とりわけ脳まで筋肉でできていそうな一人が、手に持った紙と私の顔面を見比べた後に、こちらへ歩いてくる。

 どうやらこのキャリーケースを持ってくれる、というわけではないらしい。彼は私をヌッ、と見下ろしながら、その濃い髭面を、晴れ晴れとした笑顔に変えた。


 「ジェシカ・A・ホーキンス!! 身長143cm、体重35kgの元戦闘機乗りのひよっこは貴様だな!」

 「そのむさ苦しいほど自己主張する筋肉の塊に、声量からして暴力的なあなたは、音に聞くグウェンドリン将軍?」

 「いかにも! 貴様たち傭兵をこの星までわざわざクソ高い金を使ってまで呼び立てたのは、このグウェンドリンに違いない」

 

 身長190cmはありそうな筋肉の塊は、ドスンドスンと音を立てながら私の前まで来ると、ぬっと手を伸ばしてくる。その手を勢いよく殴りつける勢いで掴んでやると、グウェンドリン将軍は、その髭面をヒトの良い笑顔で染めた。


 「ようこそST774へ。貴様の着任を大いに歓迎する!!」

 「歓迎に感謝します、将軍。それで、仕事は?」

 「そう急くな…と、本当は言いたいところだが、見ての通りどこもかしこも人手不足でな。さっそく仕事の話に移ろう」


 どこをどうみても、筋肉の塊ばかりで人手は足りていそうだけれど。そんな皮肉を将軍に吐き捨てると、彼は居並ぶ兵士を睥睨し、ふっと、鼻で笑った。


 「あいつらも、このグウェンドリンも、結局のところはパイロットになれんからな」

 「そのバカ暑苦しい筋肉のせいで?」

 「ハッ! それもある! アーキタイプのコクピットは狭くてかなわんわ! この星の原住民どもは、よほど図体が小さかったに違いない。貴様のようにな!」

 「好都合でしょ」


 違いない、そう豪快に言った彼は、ラウンチゾーンの端に設置されたリフトに乗り込むと、私の持っていたキャリーケースを預かった。

 リフトの乗り心地は、どの星でも、どの基地でも、大抵は良くない。それも、こんな辺境惑星の即興基地ともなればひとしおで、パネルを操作するゴリラが身動ぎするたびに、ユラユラと揺れた。貨物用のリフトは別にあるのだろうけど、だからと言って、人が乗るものを不安定にして良いものなのか。少なくとも、先程のゴリラの下っ端どもが5人も乗れば、あっという間にバランスを崩しそうなほどに、リフトはボロボロだった。


 まあ、景色はいい。


 見下ろせば、崖に隠れるように増設された滑走路と、防壁パネル。そして、大量の対空砲と偽装装置が立体的に、かつ合理的に設置されている。一般人の往来は、当然無い。代わりに筋骨隆々のゴリラどもが、足繁く基地内を歩き回ると、物資を運搬していた。

 外観で言えば、このまま崖沿いに3kmは伸びているそうだ。それが全長にも思えるスケールではあるけれど、実際は、崖の奥。地盤の方へ、アリの巣のように基地が作られているうえ、外にせり出している足場の多くは、有事の際に内部へしまい込むことができるそうだ。

 当然、3本ほど立っている警戒用の哨戒塔など、いくつかの大きすぎる建物は仕舞い込めないだろうけど。


 戦争をしている人類の前線基地としては、まあ中々スリリングでいい拠点なんじゃないだろうか。少なくとも私は気に入った。特に、海が近くて、潮の匂いがするのが良い。


 「さて。ジェシカ・A・ホーキンス………まずは呼び名だな。慣例に従い、この星で傭兵として活動する場合、アルファベット1文字のコードネームを名乗ることになっている」


 ユラユラと揺れるリフトの上で、ひとつもバランスを崩さない将軍。彼は私の答えを促すように腕を組む。コードネーム…事前に説明された制度とは言え、アルファベット一文字というのは、まるで犯罪者のようで嫌な感じだ。

 匿名性の高さなど、チームプレイの上では何の役にも立たない。傭兵同士ではよくあるらしいけれど、一応は組織所属の私にとって、コールサイン以外の呼び名は奇妙に感じた。

 だからといって、制度を破るつもりもない。交流を断つような匿名性は、私にとっても好都合だった。


 「Aは空いてる?」

 「残念だったな、Aは一昨日で品切れだ! Jなら空いているが?」

 「ん、まあなんでも良い。Jでお願い」

 「よろしい。では、ジェシカあらため、J! これより段取りの説明と、この星で貴様が面倒を見ることになる機体の紹介を行う」


 ガシャリ。リフトが空中で交差して、基地の奥へ移動を始める。

 将軍が差し出したのは、薄っぺらいパンフレット。恐らくは、今季のバラエティでホームページに載るであろう情報を、そのまま印刷したような資料だった。

 この戦争がバラエティであっても、本質は戦争である以上、表面的な情報のこれとは違い、実際の機体にはより細かい機能があるはずだ。それをどう小出しにするか、ないし盛り上げるかで、賞金の査定と、このバラエティそのものの売り上げが変わる。


 そう考えてみれば、これはまるで一種のゲームのようで、楽しい。いや実際、このバラエティ番組を見る人は、ある意味でゲーム気分で見るのだろうけれど…。どうせ死ぬのなら、こういうイカれたことをやってみたかった。


 「まず最初に、貴様はこの星での活動が銀河系放送機関、”ヘルメス・プロトコル”にて編集・放映される認識はあるか?」

 「あるよ。それに、”ST774”のシーズン1は見た。当時のあなたはもっと痩せてたし、緊張してたけど」

 「あー、あれは…話題にするのはやめてくれ。その、自分でも思い返すとだな、恥ずかしい」


 意外にも、彼にも恥という感情はあるらしい。少しだけ頬を赤らめた彼は、場をとりなすように咳払いをすると、腕を組み直す。


 「次に、編集・放映のゾーニングについての認識はあるか?」

 「自室・トイレ・風呂以外は基本的に撮影されてる。トイレ・風呂以外では、イベント発生次第で撮影されたデータが利用される」

 「よろしい。契約書にはしっかりと目を通してきたようだな」


 これがなかったら参加してない。こぢんまりで面白くもない体という自覚はあるけれど、それでも自分のあられもない姿を全国放映するつもりはなかった。


 「これから貴様には、ST774に発生する機械生命体を相手に、大立ち回りを演じてもらう。当然、その最中に怪我。または、死亡することもあるだろうが、面白くもない死に様に”ヘルメス・プロトコル”は保険金を払わない」

 「かっこよく死ぬか、無様にもがいて死ねってことでしょ」

 「そうだ。そうすれば保証金が降りるからな! ちなみに、死亡保険の受取はM122のウェストランド孤児院で違いないか」

 「ええ」


 彼は、若干それについての事情を知りたがっている様子ではあった。いや、それも含めて、バラエティのフリなんだろう。すでに撮影は始まっているはずで、今の私の仕草や言葉、一つ一つは切り抜かれる対象だ。下手な発言をすれば、銀河中に私の発言コラージュがばらまかれて、あっという間に面白可笑しくバカにされる存在に成り下がる。

 特に、歴代のパイロットは、生まれやら、過去の犯罪やらが取り上げられやすい。当然、私の生まれやら何やらは、私が答えるまでもなく切り抜かれ、テロップになっているはずだ。

 ただ………


 「まあ、面白くもない話だから。また今度ね」

 「その今度とやらまで、無事に生き延びていられればいいがな?」

 「少なくとも、はした金を故郷に送るつもりはないから」

 「素晴らしい気概だな! いつ挫けるか、楽しみにしておこう」


 パンフレットをめくる。


 「ここからが本題だ。貴様はこの星でクソッタレのスクラップを相手取るために、1機のアーキタイプを所有することになる」

 「…それがこれ、でしょ?」

 「そうだ。だが生憎と、4機あるうちの2機はパイロットが決まっている。お前が選べるのは、ヘラかカロン、その2機だ」


 目次からページに飛ぶと同時に、大きな揺れとともに、リフトが止まる。つんのめって倒れそうになった私を、グウェンドリン将軍は力強く受け止めると、ニカリと笑った。


 「ほれみろ、”面白くもない死に様”だ」

 「それをさせないためのあなたでしょ? 給料分の仕事はしなよ」

 「お前もな、J」


 クソが。


 日差しが遮られた洞窟の中は、岩肌が見えるようなソレではなく、どこをどう見てもコンクリートと鉄筋張りの基地然としたものだった。大量のパイプやケーブルが天井に張り巡らされている他、巨大なダクトが何本もせり出している。

 この区域は、機体の搬出がしやすいよう、巨大なレールが随所に敷いてある。ところどころには巨大な軍用アーキタイプ…全長20mの二足歩行兵器群が並べられており、それらの武装や、予備パーツが、ところ狭しと並べられたコンテナに収められていた。


 私は将軍に連れられるまま、整備用の通路を進む。マンションで言うなら3階くらいの高さにあるメンテナンス用通路の下。輸送用の道路では、明らかに道交法を無視した動きで出入りする重機が、唸り声とクラクションを上げていた。

 あの光景は、どこの基地でも、そして工場でも変わらないらしい。不思議と事故は起きないのだが、見ている方はハラハラする。


 「事前に来ているパイロットのコードネームは?」

 「AとW。最後の一人は1週間ほど到着が遅れるそうだ」

 「例えば、残りの2機を乗り比べることはできる?」

 「ああ、もちろん好きにして良い。それができるならな!」


 将軍は意味ありげに唇を歪めると、私にキャリーケースを返した。そして、先へ行けと言わんばかりに通路の先を指差すと、立ち止まる。


 「ST774は今回がラストシーズンだ。用意したアーキタイプは虎の子の4機。どいつもこいつもクセがある」

 「…意味ありげだけど。操縦のクセなんて、乗ってみないとわからないでしょ」

 「普通ならそうだな」


 普通なら。意味ありげに言う将軍を横目に、私は先へ向かう。

 しばらくもせずに、通路は左に曲がった。陽の光からも、外の目からも隠れるような場所にあったのは、4つのドックで、そのうちの2つは空だった。

 残すところ2つ。”ヘラ”と、”カロン”と名付けられたアーキタイプは…パンフレットの通り、汎用アーキタイプとは異なる姿をしており、虎の子と言われるのも頷ける様式だった。


 ヘラは、ビビットパープルの毒々しい色を貴重とした、異形の機体。歩行するには不十分な細い足と、腰。まるで鷹や鳥のようなシルエットのそれらは、地上での運用など想定していないようだった。それを示すように突如として肥大化する胸と、肩。そこに埋まるようにしてある頭部も含め、空気抵抗を排除するため、流れるような装甲の形をしており、明らかに飛ぶことしか考えていない。そんな機体だった。


 カロンは、他3機の素体的な立ち位置のため、ヘラに比べれば軍用アーキタイプの形に最も近かった。十分な太さの足腰に、人間に比べればせり出した胸と、孤を描いた背骨。パイロットを乗せるための最低限を確保したコックピット部に、やや前のめりな顔。腕はどんな武装でも扱えるように、無骨な形で、要所要所で空気抵抗を削ぐための流形が採用されている。特徴的なのは足だろうか。昨今のアーキタイプにありがちな太い脚ではなく、逆関節の前足と、通常関節の後ろ足を組み合わせた4本足。二足歩行の不安定さを比べれば合理的だ。


 黒と灰色をベースにしたカロンは、渋くてカッコイイ。紫とピンクのビビットカラーを基調としたヘラは、派手でカワイイ。機体性能を抜きにしても、どちらを選ぶかかなり悩む。


 戦闘機とは異なるその姿。少しでも近くで見たい。そう思った私はろくに前も見ずに歩き出し、そして、誰かにぶつかった。


 「わ、ごめんなさ___」


 とっさに謝るも、私の口はカチンという音とともに塞がれる。その誰かが、私を軽々しく持ち上げると、思いっきり抱きしめたからだ。

 その人物は、この高所で体重40kg近い私をものともせずにグルグルと振り回すと、喜色の混じった声で叫んだ。


 「~~~~んんん可愛い!! 小っちゃくてリスみたい!」

 「は!?」

 「あ~~~不満げな顔して可愛いかぁ? ほっぺたプニプニ、お目目まんまる。茶色の髪の毛も可愛いよ? おーよしよし可愛いねぇ!!」


 身長、およそ180cm。淡い水色の長髪には、ピンク色のメッシュが入っている。書き込みの激しい眉毛とまつ毛。そして、薄いピンクの瞳。繁栄して多様化したヒト種族では、ああいった外見の女性も珍しくはない。けれども、ナマモノとしてはありえないほどの美しい女性。

 彼女は私を勢いよく抱きしめたままくるりと回転すると、頭やら、背中やらをもみくちゃに撫でてくるのだった。


 昔からそういう扱いに慣れている私としても、これほどの暴挙を受け続けるつもりはなく。どうにか彼女の魔の手から外れようとするのだけれど、これまた不思議なことに、一切体が動かない。その体の柔らかさに反して、鋼鉄のような腕力の強さ。油圧で動いている人間とはこういうことか。いつぞやに、全身改造の人造人間と腕相撲したことを思い出し、同時に粉砕された右腕のことも思い出した。

 私はとっさに右腕の出力を跳ね上げて逃れようとするけれど、彼女はそれをニヤニヤと笑いながらあしらう。到底、かなわない。けれどもどうにかもがこうとした私が、いったいどういう風に映ったのか。彼女はなんとも愛おしそうに笑うと、私の鼻にキスをした。


 「可愛い」


 かわ____


 「ヘラ!!」

 「ね、あなたのお名前は? どこの星に生まれたの? チョコレートパフェは好き? チョコサンデーは好き? ワタシの部屋にはキャンディもあるし、甘いミルクと蜂蜜だって___」

 「ヘラ、離しなさい」

 「………はーい」


 ___クソが。


 私はその女から十分以上に距離を取って、キャリーケースを蹴り上げた。そして、中から飛び出てきた拳銃を取り上げて、いつでも撃てるように構え、威嚇する。そんな状況にあっても、彼女はニヤニヤと笑っていたし、ポケットからキャンディを取り出す余裕だってあった。

 彼女の鮮やかなピンク色の唇が、キャンディを挟み、飲み込む。いやに官能的な仕草に、頭がおかしくなりそう。


 そんな彼女の肩を思いっきりつかんだのは、これまた別の女性。私がどうやったってビクともしなかった彼女は、その女性の腕力にたじろぐように体を揺らすと、少しだけ痛そうに手を動かした。


 「彼女はパイロットです。あなたの愛玩動物ではない」

 「………あー、あの子もパイロットなんだ。へぇー」

 「理解したなら謝罪を___」

 「んどーーーーーーーでもいい。ねぇ、それより名前を教えて? ワタシのパイロットにはしてあげられないけど、ワタシたち、お友達に___ったい!! 痛い!! やめて!!」


 容赦なく関節を極めにかかった女性から逃れるようにして、私の方へ彼女が走ってくる。一瞬本気で引き金を引いてやろうかとも思ったけれど、彼女は私の後ろに素早く隠れると、私の腰をぎゅっと抱きしめる。

 女性は、もうあきらめたかのように、空色の瞳を無表情に閉じると、軍式の敬礼をした。

 薄い黄色のウルフカットに、やや幼い輪郭。伏し目がちな瞳の周囲には、苦労の混じったような陰がある。


 「同胞が失礼しました、パイロット」

 「そう思うならこれをどうにかして欲しいんだけど」


 私は胸を揉もうとした手をはじき落としながら、言う。


 「先ほどもご覧の通り、ヘラは滅多に私の言うことを聞きません。諦めていただけますか」

 「努力を放棄したらダメだよ」

 「パイロットちゃんの言う通り、努力は放棄しちゃ駄目だよね♪ ってことで、パイロットちゃん、お名前は?」

 「人に名前を聞くより先に、自分から名乗るもんじゃないの?」

 「それはそう」


 そこで…ヘラ、と呼ばれた女は、ようやく私から離れると、女性の肩になれなれしく腕を預けて、かなり略式の…正直しない方がましなくらいのダレた敬礼を構えた。


 「機体名、アーキタイプ BT774-02 ヘラAI。通称、ヘラでーす♪」

 「私はアーキタイプ BT774-01 カロンAI。お好きな風にお呼びください、パイロット」


 グウェンドリン将軍が、私から拳銃を取り上げると、なめらかな動きで武装を解除する。彼は引いたスライドから飛び出た銃弾を空中でつかみ取ると、また、マガジンの中へ器用に戻した。


 「………説明を、グウェンドリン将軍」

 「もちろんだ、パイロット。だがそれよりもまずは、話しやすい場所へ向かおう」


 説明は、そりゃ後で受けるとしたって。

 私は、こいつらのことが気になってしょうがないっていうのに。


 将軍を先導するように、会釈したカロンが歩き始める。ヘラは彼女の隣からするりと抜けると、私の右隣に立った。ただでさえ身長の低い私が、ただでさえ身長の高い彼女の隣にいると、高低差とか、そういった感覚が狂いそうになる。なにせ見上げるほどの巨漢なグウェンドリン将軍よりもなお大きいのだ、遠近感は正直狂うし、やられたこととか色々含めて、コワイ。

 おそらくは全身が機械の彼女からすれば、私に対する力加減はかなり気を使ったのだろうし、先ほどの様子からして一切の敵意はないのだろうけれど。


 舌なめずりするようにしてこちらを見下ろされるのは、どうやったってコワイ。


 「Jちゃんでいい?」

 「………好きに呼んで」

 「本名は?」

 「………ジェイムス」

 「男の名前じゃん。本名教えて?」


 イヤだ。言外にそう告げてやると、ヘラは拗ねたように唸って、私を抱き上げた。


 「ちょっと??」

 「ここまで歩いてきて、足、辛いでしょ」


 実際そうだったけど、だからといって、脇からだきあげられるなんて子供っぽいことが、嬉しいわけがない。


 「やめて」

 「やーだ」


 結局、ガレージ脇の控室にたどり着くまで、私は地面を踏むことができなかった。同性で、なおかつ人間でないからまだ我慢できたとは言え、そうじゃなければもっと暴れていただろう。

 とりあえず、この女にはもう近づかない。


 控室には4つのパイプ椅子と、簡素な机があった。グウェンドリン将軍は当たり前のように上座に座り、カロンはその場に直立した。さて、ヘラはというと、グウェンドリン将軍から見て左斜め前。つまりが、私が座るであろう場所の隣を先んじて占拠しており………まさか、話をするのに横並びなんて、奇妙なことをするわけにもいかない。

 しぶしぶと、彼女の隣に座る。それだけで、ヘラは心の底から嬉しそうにした。反してカロンの顔はどんどん険悪になっていくのだけれど、彼女はどこ吹く風とでも言いたげ。

 話の起こり、ということだろう。カロンが備え付けのポットに飲料水を入れている間に、グウェンドリン将軍が話し出す。


 「アーキタイプについてはどこまで知っている」

 「正直、そこまでは。二足歩行で、人間が乗って戦うものくらいの認識だけど」

 「その認識でおおよそ間違いではありません。私達も、基本的にはパイロットを乗せ、そのパイロットとともに戦います」


 澄んだ声のカロン。反して、甘ったるいような声のヘラは、鼻で笑うようにして言った。


 「お姉ちゃんは誰にも乗ってもらえなかったけど」

 「あなたもでしょう」

 「ワタシは”選んでる”の。Jちゃんは………ふっつーにアリだけど、うーん、体がちっちゃいからダメなんだよねぇ」

 「誰がちっちゃいだ」

 「顔真っ赤で可愛いねぇ♪」


 グウェンドリン将軍はそこで、大きく咳払いをした。思わず言い返そうとしていた私は、そのまま口をつぐんで、ヘラから目をそらす。


 「これらはプライマル・アーキタイプと呼ばれるもので、昨今開発されるアーキタイプ群の大本。二足歩行し、あまつさえ飛行し、武器で戦う兵器の原型。ここ十年の研究で、ようやくその仕組みの91.6%が解明されたが、それ以外は未だ不明のままだ」

 「その未知の8.4%のうち、70%が私達。アーキタイプ・インテグリティと呼ばれる、外付け拡張システムです」


 つまり、このパンフレットに乗っている4体のアーキタイプ。それぞれには、ヘラやカロンみたいな、よく言えば個性豊かなAIが搭載されている、ということ。そしておそらくは…


 「貴様の予想通り、機体に乗るためには各機体のAIから承認を受ける必要がある。残念ながら、ヘラはお前を乗せないそうだ」

 「ゴメンね? でも、Gでぐちゃってトマトジュース………なんて、イヤでしょ?」

 「…そういうことですので、パイロット。今回のプロジェクトにあなたが参加する場合、乗機は私、カロンとなります」


 ということだろう。


 私は、女性用の軍服を着たカロンを見る。正直そうな性格に、苦労人っぽいオーラ。うろ覚えだけど、機体のスペックも器用貧乏みたいな感じだっけ。

 ヘラに私が乗れない以上、消去法だなんてネガティブな理由で彼女を選ぶことになるわけだけれど。


 「私は、元からカロンを選ぼうと思ってたから、大丈夫だよ」


 一応はそんなお世辞を言って、ごまかすことにした。


 「………そ、あ、え………あ………左様で、ございますか………」


 カロンは、ビックリしたように目を丸くしたけれど、すぐにその動揺を飲み込む。インスタントコーヒーの粉をコップに淹れる手は、どう見たってふるえていたけれど、気づかないふりをした。

 しばらくして、インスタントコーヒー特有の、少し濡れたような匂いが漂い始める。カロンはグウェンドリン将軍、私の順にコーヒーカップを置くと、ためらいがちに、ヘラにもカップを渡した。


 「ごしゅーにんオメデトーございます、お姉ちゃん」

 「………ありがとうございます。あなたのパイロットも決まると良いですね」

 「最後に来るパイロットが、Wくらいにムッキムキで、ワタシ好みのイケメンならいいんだけどなー」


 W………と、言えば。確か、私より先に来てたパイロットだったっけ。恐らくは、彼………は、すでに乗機を決めて、自室に移動したのだろう。どれくらい先にここへ来ていたのかは知らないけれど、少なくともヘラのお眼鏡にはかなわなかったらしい。

 彼女がどういう人間が好きなのかはわからないけれど。


 「さて、乗機は決まったな? 文句もないな? よろしい! 貴様はWのようにつまらんパイロットでも、Aのように青臭いパイロットでもない。まあ面白味があるかは知らんが………。カロンのプラモデルの売り上げが少々低くなるだけだしな、うむ。では、今後のプランについて説明させてもらう」


 彼は、どこからか取り出した(彼の筋肉と筋肉の間から取り出したように見えた)分厚い資料を私に渡すと、机の上にペンタイプのホログラム投影機を置く。明るい場所でも克明なタイプのお高い発展式で、ヘルメス・プロトコルの金払いの良さがよくわかる一品だった。

 投影機は、ここ周辺のマップと、ST774全体の平面図を空中へ写し出す。そこに重なるようにして表示されるのは、赤色の区画分けと、赤道線のような赤い線。そして、赤で塗りつぶされた巨大な丸………ST774のはた迷惑な衛星、”赤い月”の現在位置。

 赤い区画はハザードゾーンということだろう。逆に、青い丸は人間の生存圏と言ったところだろうか。物語で伝え聞く地球と同じように、この星の大半は水と緑で出来ていたが、今や爆撃や機械生命体による被害で、砂や岩の広がる過酷な惑星となっていた。その被害やハザードゾーンは、赤い月の軌道上に広がって発生していながらも、時にまったく無関係の箇所にも広がっている。


 「シーズン3から1年も空いてしまったからな。とにかく、鉄くずどもの数を減らさなきゃならん」

 「で?」

 「J、貴様にはまずこの敵母艦を破壊してもらう。期限は一週間以内、こちらからの補助金は10万ドル、ヘルメス・プロトコルからの報奨金は100万ドルだ」


 私の故郷なら、戦車用の弾薬が1年分も買えるほどの準備資金だった。


 「並行して、ヘルメス・プロトコルはフリーの任務を公布する。散発的に発生した鉄くずどもの殲滅任務だ。条件次第で報奨金は上下するが、毎日こなせばそれなりにはなるだろう」

 「それって、毎日出撃しろって言ってる?」

 「貴様ならばできるだろう、グレイ・ピュリストGen.8の強化人間


 ジョーク交じりの罵倒は聞き流す。

 その後も続いた彼の説明により、この場でのおおまかなルールはわかった。幾つかのルールは思わず頭を抱えたくなるようなものだったけれど、おくびにも出さず。

 あの日からここまで来るまで、ほとんどがハッタリとデマカセの連続だったけれど。今回も、どうやらうまくいったらしい。機嫌の良さそうな将軍が退室するのを確認した後に、私は深くため息を付いた。


 お世辞にも良いものと言えないパイプ椅子は、私の体重を支えきれず、ギシギシと軋む。よくよく見れば、部屋全体は薄汚れていて、床は傷まみれだった。唯一外を確認できる窓や壁は新しく、まだヤニの黄色は染み付いていなかった。

 ヘラはあくびを噛み殺すと、機嫌が悪そうに立ち上がり、大きく伸びをした。


 「んも〜〜〜〜、あのマッショマンさァ、毎回思うけど話長すぎだよねぇ?」

 「ヘラ」

 「お姉ちゃんには言ってなーい」


 相変わらず自分本意なヘラ。彼女は、カロンと私の顔を見比べた後に、ふっと笑い、立ち上がった。


 「じゃあ、ワタシはこの辺りで」

 「どういう風の吹き回しですか?」

 「別に、パイロットとの蜜月を邪魔する気はないし、それに、折角ならちゃんとお姉ちゃんには強くなってもらいたいんだよ」


 ヘラは長い手足をプラプラと揺らした後に、にこりと笑い…


 「潰し甲斐がないから」


 …なんて、そんなことを言った。


 眉をひそめるカロン。今日日一番の笑顔を浮かべたヘラ。三日月のように歪んだ唇からは、3つの拍子で笑い声がこぼれ、がらんどうの部屋によく響いた。

 「Bye♪」と吐き捨てた彼女が出ていくと同時に、カロンは私の傍に歩いてくる。一つの乱れもない歩行は、モデルのように美しく、その所作は人間的では決して無い。

 彼女は私の隣に来ると、視線を合わせるようにしゃがみこむ。彼女…つまり、人工知能としての判断としては、その動作はもっともらしく正しいのだろうけれど、私のような背の低い人間からすれば、それなりに屈辱的な動作だった。

 悪意は、無い。カロンは、まるですべての出来事から一歩離れたように透明な瞳で、私を見る。その瞳孔は、キュルキュルと音を立てて引き絞られた。


 「パイロット。ヘラの言うことはお気になさらず。彼女は、昔から私によく食って掛かるのです」

 「ホントの妹みたいだね」

 「私は偏った学習ソースのもと構築された知能です。そのためか、あなたの語る妹らしさと私の認識には、大きな乖離があるように思います」

 「ソレがどんな学習ソースか知らないけど、世の中の妹の大半はあんなカンジだよ」


 姉に食って掛かったり、かと思えば真面目に祝福はしてみたり。特に、姉の持ち物に手を出すのは大好きだ。別にそれが欲しいわけじゃないけれど、姉が自分に感情を向けてくれるのが嬉しい。

 端的に言えばクソガキ。柔らかく包めば、可愛らしい妹さんだった。


 まあ、機械で言う”姉妹機”が、人間で言う姉妹に該当するのかは知らないけれど。とにかく、長い説明と頭の痛い話で、私は疲れていた。カロンはそれを察してくれたのか、ゆるりと立ち上がると、私からキャリーケースを預かってくれる。


 「パイロット、長旅でお疲れでしょう。自室へ案内いたします」


[newpage]


 期待はしていなかったせいもあって、用意された自室の豪華さには、思わず目を剥いた。

 床は木目張りのフローリングで、壁は真っ白に塗られている。広さ4LDKほどのリビングには、小洒落た曲線を描く机や、白を基調としたリクライニングチェアが置かれ、ディスプレイのはめ込まれた窓の傍には、緑色のカーペットと、いかにも柔らかそうな茶色のソファが横たわっている。


 「風呂、トイレは別。あちらの通路にあります。他には、このリビングと同等の広さの部屋が4つ。あちらの、扉に名札を掛けている部屋以外であれば、パイロットの自由に使っていただいて構いません」

 「あの部屋はカロンの自室?」

 「はい。パイロットが望むのであれば、部屋の移動、ないし同棲も可能です」

 「自室は分けたいでしょ」


 問いかけに、カロンは不自然な間を返した。…多分、さっきの発言はどうとでも取れるから、判断に困ったのか。AIらしい、とは思うけれど、思い返してみれば、人間に対してやっても判断に困るような発言だった。

 コホン。小さく咳払いして、私はトイレに一番近い部屋を覗く。内部は期待とは異なり殺風景そのもので、ベッドすら置いていない。


 「こちらの部屋をご利用なさいますか?」

 「えっと、うん」

 「承知いたしました。ベッドやクローゼットの準備をいたします」


 彼女はそう言うと、別の部屋…入口にほと近い部屋から、大きな段ボールを取り出した。まさかとは思うけれど、ベッドの組み立てを一人でやるつもりだろうか。いや、実際あの長くて大きな段ボールを軽々と小脇に抱えている時点で、やるつもりなんだろう。

 あの華奢な体のどこにあんな力があるのか。油圧で動く肉体っていうのは、あれだから侮れない。


 私が見ていたってできることはないだろうし、私の体躯じゃ、とても手伝えそうにはない。大人しく任せることにして、ソファに座る。


 そこまで高級品、というわけではないけれど、この辺境惑星で手に入るものとしては、十分に上等なソファだった。微かにクセが付いているのは、カロンがここで生活していたからだろう。その割には、まるで作られてすぐのような美しさがあるのだけれど。

 よくよく考えれば、アンドロイドは食事しなければ、排泄もしない。自室以外が大きく汚れる原因もないということか。


 それに、カロンはいかにも真面目そうで、マメそうだ。きっとミニマリストだろうし、片付けもできるのだろう。いやはや、私とはまったく正反対。

 私は物を捨てられないから、部屋はゴミや脱いだ服でいっぱいだったし、片付けをする気もなかった。そんなものだから、何を持っていくとか、何が大事とかも決めきれなくて、結局この星に来る前に住んでいた家の中身は、丸ごとゴミとして処分した。

 そんな生活を繰り返してきたものだから、子供の頃の思い出の写真とか、そういうのはいつかの引っ越しで無くしてしまったし、戸籍証明書とかもしょっちゅう再発行していた。それが原因で流民扱いされたこともあるし、不法入国だなんだで逮捕されたこともあった。


 今思えば、なんだかとてもハチャメチャで、楽しい思い出でもある。


 「パイロット。お暇でしたら、当機についての説明をと思いますが」


 物思いにふける私の目の前に、カロン………の、ホログラムが浮かび上がった。少しびっくりして、慌てて体勢を整える。完全にリラックス気分だったから、ソファに深く腰掛けていたのだ。ずり上がったスカートを戻しつつ、空中に浮かぶカロンへ「お願い」、と伝える。

 彼女は一つうなづくと、右手をゆるりと掲げた。


 「アーキタイプ BT774-01 カロンは、人型自立兵器のプロトタイプとして開発されたプライマル・アーキタイプです。大まかな性能として、現行のアーキタイプと比較した場合、いわゆるハイエンドに相当するスペックを継続的に発揮可能な機体となっています」


 カロンのホログラムは、機体データを画面に描写する。前面、横面、背面の3種類がカロンの横に配置されると、説明の進行に従って、赤いマーキングが機体各部に表示された。


 「ハードポイントは肩部に2つ。腰部に1つ。腕部に補助用が2つ。対応規格は現存するアーキタイプの武装であれば、すべて適格です」

 「継続稼働可能時間は、無補給、かつ平均的な戦闘駆動という条件の下で3時間。また、ST774内であれば、時速240キロで1時間の継続飛行が可能です」

 「大きなブースターとかはついてないように見えるけど…?」


 カロンの背中を指さす。確かに、ブースターのような丸い機械は取り付けられているけれど、機体を支えるには不十分な気がした。

 それに、飛行能力を有するアーキタイプは、確か大仰な飛行オプションが必要なはず。あくまで、シーズン1__つまり、9年前の時点での話だけれど、機械にそう詳しくない私だって、羽が無きゃ空を飛べないくらいの想像はついた。


 「脚部、背部のメインブースター、各部のサブブースターを利用して飛行します。ご心配なく。ST774の重力は他星系と比較して低重力ですし、私達プライマル・アーキタイプのブースター出力は機体重量を支えるのに十分です」

 「そんなもんなんだ」

 「ええ。ヘラに比べれば飛行能力は劣りますが、通常の運用内であれば不足はないはずです」


 そんなものなのだろうか。わからない。正直言えば、私が乗ったことがあるのは戦闘機や戦車くらいのもので、人型の、全長20mにも及ぶ巨体を操作した経験はない。ST系の星系であれば、アーキタイプの技術普及でそれに似た機械はあるのだろうけど、たかが1星系の技術だ。他星系ではほとんど知られていないし、利用もされていない。

 それでも不思議なことに、神経に直接接続して操縦する、という1点に於いては、どの星系も厳密な規格に統一されているのだけれど。


 「機動力は、地上にて時速30キロ。ST774のアーキタイプの多くに言えることですが、私たちは地上における継続的な歩行や走行は考慮されていません。どのような場合も、飛行を織り交ぜた行動になることを念頭にいれてください」


 彼女はそこでピタリと動きを止めると、ホログラムを削除する。

 同時に、カロン自身が私の部屋から出てきて、私と向かい合うソファに座り込んだ。どうやらベッドとクローゼットの支度は終わったみたいだ。


 「パイロットは神経接続による操縦をご要望ですか?」

 「うん。まあ、そうじゃないとほら、届かないから」


 私はプラプラと手を伸ばして、アピールする。

 グウェンドリン将軍はその体の大きさのせいでアーキタイプに乗れない。逆に、私はこの体の小ささのせいで、アーキタイプを操縦できない。けれども、少なくとも後者であれば、神経接続による操縦が解決してくれる。

 脊髄に打ち込む形で作成された装置のプラグを、機械のポートに差し込むことで、人間から機械にアクセスする。私はGen.8___つまり、脳のほとんどは純生体だから、感覚フィードバックや視覚へのHUD投影などはできないものの、神経接続操縦における恩恵は十分に受けることができる。


 「承知しました。操縦や実際の感覚については、訓練を通した方がよいかと思われます。訓練を実施したいときは、当機へお声がけください」


 その他、細かい武装や機能については、グウェンドリン将軍からもらった資料に書いてある。

 主に、ヘルメス・プロトコルから購入できる兵装が列挙されている形となっており、左にスペック。右に対応機体が書かれているもの。当然のごとく、載っている武装すべてにカロンは適性があった。別の機体…ニュクスや、ウラヌス、ヘラの専用武装でさえ、彼女は扱うことができる。

 その反面、カロン固有の武装、というものはないようだった。


 「ヘルメス・プロトコルより、実弾兵装のサブマシンガン、エネルギー兵装のハンドガン、中型4連12斉射ミサイルポッドを受領しています。しばらくはこちらをお使いください」

 「12斉射…?」

 「当機は目標12個のマルチロックに対応しています。ご安心ください」


 武装は購入もできる。任務の達成に応じて贈与されることもあるとか。惑星の危機だというのに、どこかゲームのような感覚があるのは、余裕の表れか。あるいは、このシーズンをラストシーズンにする、と言うくらいなのだから、将軍には何か考えがあるのか。

 少なくとも、私はその全貌を暴くような人間でなければ、華々しい活躍を上げられるような人間でもない気がする。


 「カロン」

 「はい」


 頭が痛くなってきたので、資料を置き。代わりに、これから長い時間を過ごすことになるであろう彼女に、声をかけた。

 彼女は、いつの間にやら白いカーディガンを上に羽織っていた。どこからか取り出した眼鏡をかけた彼女は、先ほどまでの…つまり、ヘラが目の前にいた時のピリリとした雰囲気とは違い、少しだけ柔らかかった。

 まだ緊張が抜けきっていないのか、その肩はこわばっているけれど。


 「好きなものは何?」

 「…私との歓談をお望みですか? パイロット」

 「これから長い間一緒に居るんだから、色々知っておきたくて」


 それに、よくよく考えれば、自己紹介の場だってろくになかったのだから。


 「私はジェシカ・A・ホーキンス。年齢はグレゴリオ暦で18歳。生まれはM122のウェストランド孤児院で、元戦闘機乗り」

 「………。私はカロンです。稼働期間は約61.24年、稼働時間は約12.15年です。生まれはこの星、ST774」

 「私より年下なんだ」

 「私には年上、年下といった認識がありません。そのため、お好きなように認識いただければ幸いです。合わせます」

 「カロンはお姉ちゃん、って感じだから、年上で」

 「お好きにどうぞ。私の対応は変わりません」


 カタブツ___


 「で、好きなものは?」

 「私には好きなものと言った認識がありません」

 「ほんとのところは?」


 にやにや笑って言うと、カロンは虚を突かれた表情の後に、眉をひそめて笑った。


 「はあ。………では、好きなものはあなたです、パイロット。これでご満足でしょうか」


 カタブツじゃない。

 気色悪い話だけど、そんなわかり切った嘘でも、美少女に言われると心臓が高鳴るものらしい。奇妙に熱くなった頬をパタパタと仰ぎながら、彼女から目を背けた。


 「そのやり口、いつもやってるの?」

 「はい。ヘラやニュクスには特に有効ですので。ウラヌスは………黙る、というよりは、顔を真っ赤にしてフリーズしてしまうのですが」

 「妹のことは好きなの?」

 「はい。私よりも優秀な子達ですから」


 姉妹機の宿命的なところはありそうだな、と思った。

 人間とは違って、先に作られた機械が後に作られた機械より優秀と言うことはほとんどない。彼女たちは、恐らくその例外に当たるのだろうけど、だからといって、その例外内で序列が無いわけじゃない。

 しかも、彼女は汎用機。どこにでも、どのようにでも、ある程度は運用できると言った強み。それは、量産品ならともかく、ハイエンドで実現するようなものではない。つまり、それだけ金をかけるなら、特化したほうがコスパがいい。


 だからこそ、他の姉妹機は全員が眼を剝くほど特定の戦術に特化しているのだ。


 「そういえば、ヘラにパイロットが居なかったって言われてたけど」

 「ええ。パイロットもお察しの通り、私は汎用機ですので、このST774に於ける戦闘では、姉妹機よりも優先して選ばれる理由がありません。そのため、製造されてからは、テストパイロット以外………つまり、今のあなたのような、専属パイロットを得たことはありませんでした」

 「他の姉妹は?」

 「臨時のパイロットが就いたことはあるようですし、皆様の仰るドキュメンタリー”ST774”に於いても、出演のシーンがあります」


 たぶん、私の知らないシーズンのヤツだろう。


 「"ST774"は見たことあるんだ」

 「今回のラストシーズン撮影にあたり、内容を全編確認しました」

 「ひえ。あの………数年分丸ごと見たの?」

 「当時は、それ以外にやることがなかったものですから」


 無限に時間があるというのも考え物だ。


 「………パイロット、あなたの姉妹は?」

 「え? ああ、姉妹じゃないけど、まあ、大家族だったよ」

 「孤児院と言えば、大量の子供がいるようなイメージを持っていますが、パイロットは____」


 カロンはそこで口を閉じて、目を閉じた。

 同時に、けたたましい音が自室に向かって近づいてくる。その音は、刻一刻と迫ると、ひときわ大きな音を立てた後に、静止した。

 部屋が軽く揺れるくらいの衝撃。音の方向を見てみれば、巨大なアイカメラが、窓越しにこちらを覗いていた。


 「………カロン、機体収容完了。同時に、ヘルメス・プロトコルより至急の依頼が来ています」

 「もしかして、出撃?」

 「はい」


 はい、じゃないが………。


 「私、訓練とかしていないんだけど」

 「グウェンドリン将軍より、実戦に勝る訓練なし、とのことです。ご安心を、パイロット。私に姉妹機よりも優れた点があるとすれば、それはパイロットの操縦支援機能です」

 「さすがに出会ってばかりで信じられないんだけど」

 「そうですね。出撃しないという判断も尊重します。ですが、パイロット。今のあなたの所持金では、少なくとも本日のお風呂を浴びる余裕はありませんよ」


 ………。


 「………そ、れはそうだけど、さぁ」


 そう、なんと。びっくらこくことに。私達パイロットは、各種娯楽が有料である。


 そこには、ダーツやポーカー等のゲームに加え、食事や風呂など、基本的人権に抵触しそうな部分にも影響する。さらにそこへ弾薬費や機体の整備費用も踏まえて考えれば、資金的な余裕というものはほとんどない。

 そのうえ、私はこの星に来るために、ほとんどの資金を使い果たしている。その原因の大半が浪費にあることは自覚するところだし、私に付随する問題の一つだと認識している。けれども、今私が考えるべき一番の問題は、風呂に入るための施設使用費用、1,000ドルでさえ準備できないことだった。

 施設の利用費用は準備資金でまかなうことができない、というのも中々にひどい話だ。ドルとは違う、謎の「STトークン」とかいう金の単位を眺めながら、私は深くため息をつく。


 シャワーなら無料で浴びれる。が、それだって冷水らしいし………なにより私は、風呂に入る時には、暖かい湯船に漬かりながら、暖かいシャワーで髪を洗わないと気が済まないたちで。


 「………依頼内容は?」


 結局、諦めて。私は、カロンに依頼内容の確認を促す。彼女は、無表情をほんの少しだけ苦笑に歪めて、目を閉じた。


 「この基地近辺に、機械生命体の偵察艦が出動しています。あと30分ほどで当基地が発見される可能性があるため、先んじて偵察艦を破壊してください」

 「壊していいの? 位置を知らせるようなものじゃ………」

 「すでに何度か破壊したうえでの結論ですが、”今はまだ”大丈夫です」


 今は、まだ。


 「不穏だけど」

 「ニュクス、ヘラが出撃準備を終えました。ウラヌスは拠点待機を選択」

 「………ヘラが出るの?」

 「彼女は姉妹機の中で唯一自立行動が可能ですので」


 それはまあ、確かに。彼女は一番自立してそうだ。皮肉でもなんでもなく。


 「わかった。私達も出よう」

 「はい、パイロット。では早速、パイロットスーツをお持ちいたします」


 差し出されたパイロットスーツは、戦闘機のパイロットがつけるものに似ていた。少しブカブカするのでは、と思っていたけれど、まったくそんなことはなく、恐らくは特注のパイロットスーツが、私の肌に吸い付く。ぴっちりとしたインナーと、ぶかぶかのアウターの二層構造で出来た生地の内側には、圧力のあるクッションが入っていて、背中には神経接続のポート拡張用にエクステンションが付いていた。

 背中に配置されたポートが遠く、私自身ではどうにも接続できないので、カロンに接続を頼みつつ、手袋を引っ張る。よく蒸れそうな皮手袋は、操縦桿を握る必要のない神経接続でも、意外と多用する。神経接続が対応するのはあくまでインターフェースが対応しているもののみで、特殊な武装や、特定のコマンドは、今も昔もレバーや、ボタン等から操作を入力する必要があるのだ。

 そうでなくとも、触れるのは鉄やゴムの塊。素手でない方が、色々都合がいい。


 カチリ。ケーブルが、エクステンション接続時用特有の合図を送る。脳と脊髄の間に増設した振動装置が、私の奥歯を揺らした。


 ヘルメットを被る。少し大きいのはデフォルトだろう。バイザーはあげておき、鏡で自分の姿を見る。

 白と赤のパイロットスーツは、どう考えたって背丈にあっていなくて。まるで、必死に着飾った子供のようだった。戦争を生業にするくせに、傷一つない体に顔。私が唯一人生で持っているものがあるとすれば、それはきっと類い稀な幸運だ。


 「いきましょう、パイロット。私が支援します」


 さて、彼女は私の幸運だろうか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ソムヌス・プロトコル なめくじになりたい @namekujini_naritai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ