冷えひえカヘル侯の巨石事件簿(五)今宵あなたとドルメンの向こうへ

門戸

プロローグ:戦に騎りゆく者たち

 イリー暦191年青月ごがつ一日、夜半。


・ ・ ・ ・ ・



「……ヴ侯。カオーヴ侯」



 自分の名を呼ばれていることにようやく気がついて、騎士はふいっと顔を右に向けた。


 隣に並んだ同僚の騎士が少々頭をかしげて、……その上にかぶったかぶとも傾げていた。ふわんわん、と兜の黒い羽飾りが揺れる。



「大丈夫かい、カオーヴ侯? 何だか遠くに見入っちゃって」



 聞かれて、若い騎士は兜と鎖帷子にまるく抜き出された顔に、照れ笑いを浮かべた。



「ええ、すみません。あの丘が、ちょっと気になったもので」


「丘ぁ??」



 同僚の騎士は、馬の首の向こうに広がる景色を見る。


 荒涼とした湿地帯には闇が落ちて、まるで冬の海原のようだった。その先にあかあかと照り輝く島が、テルポシエ市。



「市の北東……。ここからだと、左の方にですね。大っきな丘があるんですよ。わかりますか?」


「うん……、何とか。でも、あの丘がどうかしたのかい?」



 春とは言え、冷える晩である。白く息をけぶらせて、しかし若い騎士はいまだ鎖鎧くさりよろいおおわないその顔を、さらに大きく笑顔にした。



丘砦ラースって言う、植民初期・暗黒時代の遺跡なんですよ! あれ」


「はぁ~~??」


「イリー始祖が築いていった、まぁ野営の中継地点みたいなものなんですけどね。たしか位置的に、あれは最東端にあるやつで、規模も最大級だったはず。ほんと興味深くって!」


「……歴史の話か、また。君は好きだねぇ、こんな時まで……」


「いやいやいや、レイドース侯! 歴史に記されていない、そのまた昔の話なんですってば。何しろ、丘砦ラースの上に乗っかってるのは環状列石クロムレク、裏手にはドルメンがあるとかないとかで……」


「おっと……カオーヴ侯。そろそろ鎖を上げたほうがいいよ。軍旗を掲げて、グラーニャ様が動き始めたぞ」


「おや、ほんと」



 それまで熱っぽく語っていた声を瞬時にしゅんとしぼませて、若い騎士はかぶとふち眉間みけんの間にある留め具を手探りする。両眼の部分をのぞいて、彼の全身は鎖鎧くさりよろいに覆われた。



「無事に戦いを終えてから、思う存分に考古調査をしたらいいよ! カオーヴ侯」


「ええ。そうします」



 くぐもった声で、若い騎士は同僚に答えた。


 その時。騎士の身体の周りに、鈍く光るむしあかりのようなものがいくつも湧いた。


 それは徐々に数をやし、彼と同じくマグ・イーレ騎士外套をまとった騎乗の男たちの姿を、夜の闇の中に浮かび上がらせてゆく。


 ずらり一列に並んだ軍馬上のマグ・イーレ騎士たち――彼らの背に刺繍されたその国章、星をいただく黒羽の女神もまた、その鈍い光に照らされて輝いた。



「第一騎陣、前へ」



 そう遠くないところで、だみ声の誰かがどなる。


 手綱たづなをぎゅうと握りしめて、若い騎士は静かに深呼吸した。



――そうそう。無事に戦いを終えて、あの丘をじっくり見てやろう! そうして帰ったら、ザイーヴにも詳しく教えてやらなきゃなぁ~!! ふふっ、喜ぶぞう。いや、うらやましがるかな?



「第一騎陣!!」



 夜の静寂しじまを裂く甲高い女の声が、若い騎士を戦の現実へと引き戻す。


 目の前を、白馬に乗ってこがらな将が駆けて行った。≪白き牝獅子≫こと、グラーニャ・エル・シエの掲げた軍旗が大きく躍る。



「行っっけぇぇぇぇ!!」



 グラーニャのその一声とともに、マグ・イーレ軍は勢いよく駆け出した。


 暗い海原のような湿地帯。そこをゆく光る波の一片となって、若い騎士もまた、闇の海にり出していった……。


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