RE:RISE ―傷だらけの僕らが踊る理由―
さとう
第0話 跳ねろ、心臓
跳ぶことが、好きだった。
初めて逆上がりを成功させた幼稚園の鉄棒。近所の体操教室で体育館の天井を見ながら回った、初めてのバク宙。小さな俺がその足で地面を蹴って、重力というものを無視して宙に浮いたほんの一瞬、心臓がふわっとするあの感覚が、ずっと忘れられなかった。
「空、飛んでるみたいで、気持ちよさそうだね」
そう言ったのは、確か、幼なじみだった女子で、彼女は今、地元を離れてどこかの大学に通っているらしい。
誰かに言われたからじゃなく、ただ“好き”だから続けてきた体操。でも、競技になった瞬間、ルールと減点ばかりが頭に残るようになった。空を跳びたいだけなんだよな、おれ。
高校二年。進路調査票に
SNSも動画アプリも、ただの暇つぶし。カタンコトン、カタンコトンと電車が揺れる。瞼が眠気を帯びてきた。ぱちり、目を開く。
ああ、こんなアプリ。入れたっけ。
親指が触れてたまたま開いていたのは、最近流行っている短尺ダンス動画アプリ、**FlipBeat《フリップビート》**だった。
アプリを開くと、画面はすぐに“タイムライン”と呼ばれるトップページに切り替わる。
付けていたイヤホンの中で小さく音楽が鳴り、映像が踊る。
タグが付いた動画がテンポよく再生されていく。
「#キメ顔チャレンジ」
「#朝のルーティン」
「#バズったやつまたやってみた」
派手なエフェクト、わかりやすい振り付け、きらきら笑う女の子たち。画面をフリックすれば次々に切り替わる“完璧”な動画たち。
本来の目的は「ダンスアプリ」なんだろうけど、今やただの自己プロデュース場みたいだった。
(なんか、全部、自分を“見せる”ための動きって感じだな……)
飽きかけた指が、ふと止まった。
——それは、ほとんど無音の画面だった。
画面中央に表示されたタイトルが目に入る
タイトルは《【夜踊】月下独奏 - Ren》。
「夜……踊?」
投稿時間は深夜2:14、タグも「#夜踊」だけ。再生回数も、コメントもほとんどない。
真っ黒な夜空の背景。無音から始まり、ゆっくりと入ってくる優しいピアノの旋律は、少し泣いてるようにも聞こえた。
ぱっと映し出されたのは、どこかの街の、ビルの屋上にひとり立つ男。
風でなびくシャツの裾。踊り出した彼は、静かに、そして鋭く、音と一緒に呼吸していた。
ジャンプなんてしていないのに、浮いて見えた。
その一歩一歩に、理由があった。
手の角度、顔の向き、指の先——すべてが音に溶けていた。
感情が、動きになっていた。
それが“ダンス”というものだと、オレはその日、初めて知った。
「すげぇ……」
ぽろり、言葉が零れ落ちる。スマホの画面越しなのに、心臓がバクバクして、目が離せなかった。
オレがやってきたものとは全く違う世界。だけど、どこかで同じ匂いがした。
——この人もきっと、“跳んでる”。
「俺も……やりたい、こんな風に……」
気づけば、コメント欄も再生回数も見ず、ただ繰り返しその映像を見ていた。
心が、震えていた。
体の奥、ずっと眠っていた何かが、跳ね上がっていた。
急げ、急げ、急げ。走れ、走れ、走れ!!!
そう思いながら駅からは程遠い道のりを全力で駆ける。そうして辿り着いた自分の部屋の隅で、動画の真似をして体を動かしてみた。
肩の動かし方も、リズムの取り方も、分からない、下手くそだ、オレもなんでこんなことしてんだろって!
音楽が鳴る。動く。たったそれだけの動作だ。
だけど、だけどさあ。ーーーー楽しい!!
あんなふうに動きたい、どうすればできる?動画が開かれている。オレは画面を夢中で見つめた。あ、これ、なまえ。
その瞬間から、オレの中で名前がひとつ刻まれた。
——REN。
憧れとか尊敬じゃない。それ以上に、ただ「会いたい」と思った。
部屋のカーテンを閉めて照明を落とした。夕方なのに、少しだけ夜みたいにしたくて。動画の雰囲気を真似したかったのかもしれない。
バタバタと帰ってきて動いていたから、改めてスマホを三脚に立てて、昨夜見た動画をもう一度流す。
《【夜踊】月下独奏 - Ren》
「最初の入り、左足出してから……肩、流す……手は、こう?」
ゆっくり、今度は記憶をなぞるように動いてみる。だけど、思ったように体は動いてくれなかった。
ピアノの旋律に合わせて身体を動かすつもりが、何度もタイミングがズレて、自分の動きに違和感ばかりが残る。
「なんか違う……ちがっ……!」
思わず舌打ちして、動画を一時停止。もうどれくらい踊っていたのか分からない。汗はだくだくで、いろんなところが震え出していた。
画面の中では、RENがただ立っているだけなのに、すでに“絵”になっている。
自分とのあまりの違いに、思わずうずくまりそうになる。
(俺……なんでこんな不格好なんだよ)
体操のフォームには、正解がある。きっとダンスにだって上手く踊るための正解がある。音の取り方一つでもきっと何かがあるんだろう。オレはそれを知らなかった。
それでも。
再生ボタンを、もう一度押した。
音が始まる。彼が動き出す。自分の心臓が反応する。
リズムが、血の中に入り込んでくる。
——体が、踊りたがっている。
「よし……!」
深く息を吐き、再び動き出す。
肩の角度、指先、足のステップ、すべてがぎこちない。
でも、心だけはRENに追いつこうとしていた。
途中、バランスを崩して転ぶ。
手のひらがフローリングに強く打ちつけられ、赤くなる。
「いって……」
それでもまた笑っていた。
転んだのに、楽しかった。
「これだ、俺がやりたかったの……」
止められない衝動。
できないのに、諦めたくないという熱。
それは、今までの体操とはまったく違う“好き”だった。
——俺は、ダンスで飛ぶ。
その夜、オレは動画を見ながら何度も何度も踊った。
リズムはずれても、ステップを間違えても、止まらなかった。
スマホのバッテリーが切れるまで、RENの動画はずっと流れていた。
翌朝。両足が筋肉痛で鉛のように重かった。
だけど、心は軽かった。
「今日も、やるか……」
何かが始まった、音がした。
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