ローズヒップの空
水形玲
私達は平凡に出会った
ローズヒップの空
水形玲
一
その朝の空は赤く輝いて、まるでローズヒップティーのように煽情的な色をしていた。
私は作家なので、適当なことは言いますよ。適当なことが言える特権を持っているのが作家だから、私は作家になったのです。
鈴木光司先生の小説も最初は純な小説だったそうです。しかし「リング」や「らせん」のようなメガヒットを打ち出し、すごい金額を稼がれた。
私だって稼いでいいじゃないか。二十回選考に漏れた。一回も一次選考に残らなかった。才能がないとは、思わないんだけど。
フライパンでトーストを焼き、ブルーベリージャムやバターを付けて食べた。
買っておいたコカコーラゼロを飲みながらキーボードを叩く。三月末。人生の虚しさのようなものも減っていって、十三回身体拘束に遭った心的外傷もそろそろ目立たなくなってきている。
これからだ。
私はスパークリングワインを飲みながらビーフジャーキーを食べた。そして小説を書いた。だんだん酔ってくる。いま薬局でもらっている薬は酒との間で効力を強め合うのだ。だから酔うのも早い。
だんだん打ち間違いが多くなる。ただガーネットクロウの「コール・マイ・ネーム」を聴きながら布団に潜り込んだ。
女の体を汚いと思ったら、女を抱けない。
今はネットで知り合ったシンシアとSさんとの間で振り子になっている。でも、本命は私と同じ気質(分裂気質)を持ったSさんである。シンシアは女友達ということにしておけばいいではないか。それですべてOK。
だから私は楽しい気持ちになった。きっと人生は、霊達がいなくなったら大丈夫だよ。でも、霊がもう少し複雑なものだったらどうする。……
わからないことは放っておいて、ただ、今は布団の良い肌触りに心を預けている。
二
人生の生き方が完全に正しい人達(精神療法で言う「完全に機能する人間」)は、例えばCさんだけど、そういう人たちは絶対芸能界の方を向いているし、価値観や生き方が完全に芸能界寄りだ。私もそうなろうと思った。とりあえずガーネットクロウを聴いている。
開いたメモ帳に文字を打ち込んでいく。これまでの淀みを「価値のあるもの」と書いた瓶に移し、淀みを去った原稿をメモ帳に書いている。
淀み。下水処理場がなかった時代には緑色のヘドロが川に浮かんでいた。人類の意識も変わり、行動も変わった。
私は「普通とはギャグ漫画のキャラクターの思考や行動である」ということに気が付いた。私だけシリアスな漫画の最後に構えている「王子様」のように扱われることが多かった。……デビューだ。私は王子様をやめて一流の作家になる!
ビーフジャーキーを食べながら発泡酒を飲み、かつそして小説を書いた。外には私が干したシーツと掛け布団。「我慢して生きたらうまく生きられないと思った」。しっかりスクワットを二十回行なった。わかめスープを飲んだ。このわかめの深緑がいかにも栄養がありそうな色だった。
Sさんはシンシアと違って五十代である。私は五十一。多分子供はできない。Sさんが閉経するからである。
人生は少しづつ良くなった。
だけど、そのことに強力精神安定剤が関与しているとは、残念ながら思えなかった。先生としては企業秘密は言えないのかもしれない。
やはり人間は成人病にならないことが第一だ。大袋のポテトチップスなんかあまり食べない方がいい。
私は小説サイトに作品を上げた。少しづつ感想が増えてくる。人生の寂しさ。いや、何とかなる。人は一人で生きているわけじゃない。霊達にはよほど厳しくしないと彼らはこの体に住み続けるのかもしれない。中級霊は低級霊なんかよりずっと格上だから、「下品な奴!」とか「頭わりー!」と言うだけでも、彼らの心は痛むかもしれない。低級霊はなぜか高級霊には強気で出てくるので、私は中級霊のふりをすることにした。芸能界のマネをしよう。
高級霊は神様に選ばれた召命型シャーマン(私がそう)の場合もあるので、そもそもなぜ苦しみの大きい人生の中に連れてこられたのかというと、三次元の視点から見れば不幸なことでも、神様の視点から見れば幸せなことだったのだそうだ。
天は自らを助くる者を助く。頑張るという条件付きだが、神様は私達を助けてくれるようだ。なかなか離れてくれない未成仏霊みたいのが憑いて離れない。……神様のお力で助けてもらえるよう、今日からずっと小説を頑張ってみよう。
低級霊のいるこの世界で、私たちは霊的事故や霊的失恋を経験するのである。神様が手を差し伸べることがたやすくなるよう、私たちは頑張らなければいけない。
そして昼には素麺を茹でてにゅう麺にした。丼には素麺、麺つゆ、水、酢、ラー油、刻み長ネギを入れた。このサンラータン風にゅう麺が大変美味だった。
いつまでもいつまでも暇がある時は小説を書いた。多分しばらくは「余裕のある人」などに戻れないのだ。
六時間、頑張った! レトルトのグリーンカレーを麦ご飯にかけて食べた。
私の中からどんなに影が抜けていっても、影によって涵養された私の心から影が抜け切ることはない。
でも、まだまだ暇な時間はあるのだ。小説を書いた。エヴァンゲリオン旧劇場版の時、忙しい庵野秀明さんは寿司など食べていなかったとのこと。
でも、キリスト教の理想はありのままであること。
私はどこの家でもあれやそれをやっているのだということに気付くのが遅すぎた。罪はすべてゆるされる。やはり教会に行くからこそのキリスト者ではないか。
天のお父様、私が罪を犯すことをおゆるし下さい。私はその罪をどうしてもどうしても行ないたいのです……
三月末の平井は暖かく、半袖Tシャツ一枚、木綿のセーター一枚、ジャンパー一枚を着ていれば寒くない。
しかしカトレアから帰る時、症状がひどくなって、死ぬ寸前みたいになった。移動支援の方達が公園に連れて行ってくれてなんとかそのまま自分の部屋に帰ることができた。
しばらく休むと何とか炊飯釜に米と押し麦と水を入れて炊飯ボタンを押すことができた。さらに休み、出来上がりの電子音を聞いたら、マッサマンカレーを混ぜて食べた。マッサマンカレーとグリーンカレー、そしてバターチキンカレーは三種類の推しである。
三
孤独が私の小説を育んだ。広く浅い付き合いをしないことが、私に狭く深い付き合いを与えた。それらが私にとって至上の喜びであった。
大体いつも午前一時くらいに目を覚まし、ノートPCで遊ぶか仕事をして、そのあとまた三時間くらい眠るのである。
大切な人が大変な目に遭っている。このことが私に真剣さを与えた。天は自らを助くる者を助く。私にできるのは小説を書くことだけだ。
S・フロイトは「疾病利得」理論を唱えた。精神障害になって「働かなくていいから」と仕事をせずにいると、病が継続するというのである。だから私は一生懸命働いた。小説を書いたり、アップロードした。そしてフロイトは大人の条件を「愛することと働くこと」とした。私はいまSさんが好きだ。インテリ同士の似た者同士である。
人生など無意味と思っていた。S病院で紙に原稿を書かなくなったら爽快感もなくそのように思うようになった。でも仕事をすれば何とか統合失調症の症状を減らすことができた。
S病院で執筆の友としていたのはラジオだった。たびたび流れる文化放送のジングルが大好きだった。……芥川龍之介や太宰治は、仕事を怠けてしまったのかもしれないね!
人生の寂しさにさよなら。これからは「愛することと働くこと」。
学業を怠けたのは二年次。必修科目の体育実技とフランス語の単位が取れず、休学したのである。そしたら、私は強迫性障害になっていった。アナフラニールもレキソタンも効かなかった。効くわけがない。怠け病だったのだから。(ただ、児童虐待がそもそもの原因ではあった。親が子どもをいじめると子どもはおかしくなってしまうのだそうだ)
いま、風が変わる。
Sさんから電話が入った。「もしもし」
「西方です」
「こんにちは。……何で個人的に電話くれたの」
私は言った。
「井川さんが好きになったから」
西方さんはそう言ってのけた。
「ありがとう。僕も西方さんが好きです」
「良かった!」
私達は豚カツ屋で待ち合わせ、五時半頃にロースカツ定食を一緒に食べた。
「サックサクに揚がってるね」
西方さんの口から、カツが断ち切られる音が聞こえた。
彼女はまるでアニメの主人公みたいに屈託なく笑った。
おかしくなってしまった私でも、小説くらいは書けた。
「僕、本当に小説家目指すよ。まず知名度を増やすとこからやってく」
「頑張ってね!」
そして来る日も来る日も原稿を書き、小説サイトにアップロードしていった。感想やビュー数も増え、(これは行けるのでは……)と思った。
やがて編集者と名乗る人が現れ、私をフェイスブックへと導いた。野田さんと言った。
彼女は我が町平井の喫茶店で私にアイスレモンティーとホットケーキをおごりつつ、興奮したように「まず『料理人ヴィニエ 他二篇』っていう本を出してみましょうよ」と言った。
「そうですよね。それがいいと思います。私は短編しか書けないので」
私は答えた。
「わがままは聞きますよ。無理を言って作家さんの才能を潰しちゃもったいないですから」
ああ、これから素晴らしい人生の幕が上がるのか……と思った。でもこういう時に大事なことがある。少し地味目な幸せが来ること。でも、本当の幸せとはそういうものだ。
四
運勢が良くなると物事が自動的に運んでいく感じがする。そして即身成仏や至高体験を経験するのだ。
……西方さんは純潔だった! (ただ、小学校四年の頃にキスをしたことがあるって)純潔との告白がもらえたのである。
私もそうです、と私は答えた。
……人生、好きな方に行っていればいいのか。
それだけで上手くいくのか。
そして私達は二部屋のマンションに住むようになった。
毎日なんとなく大袋のポテトチップスをハシで食べながら原稿を書いた。
just 人生!
そしてユーチューブから流れてくる「太陽の花」がきれい。
アキハバラ電脳組の主人公の女の子と王子様のすれ違い。
西方さんは小学生時代にキスをしたことがあるって言うけど、私にも小学校二年生頃にキスをした、西方さんに対する罪がある。
似た者同士を結び付けてくれたこのはからいはどなたのはからいだろう。
そして恵実ちゃん(西方さんの下の名前)の作ったポテトグラタンを食べながら、発泡酒をゴクゴク飲んだ。
「何か人生がうまくいってきたね。そんな感じがする」
恵実ちゃんは言った。
「うん。苦労しなくても原稿が書けるんだよ。何もかもが素晴らしいみたいな」
私は答えた。
そして裏切った何人かの女の人の気持ち。
まあお嫁さんは一人しか選べないし。
そして何だか残念ながらテンションが下がってくる。
「風呂、入っていい?」
私は訊いた。
恵実ちゃんは、いいよ、と言った。変なイニシエーションがない日本で良かった、と思った。風呂のお湯にバスロマンの緑のを入れて入ると、何だかさっきまでうまくいっていた人生がまた沈滞ムード……な感じがした。
何だかブロッコリーのことが頭に付いて離れない。よっぽど必要な栄養が入ってるのかな。スルフォラファンだっけ?
そういえば今日、買い物でアリナミン7買ってくるの忘れたんだよね……明日買おう。
恵実ちゃんを選んだことで、選ばれなかった何人かの知り合いの女の人たち。
今日も緑のバスロマンのお湯に入っている。
そう言えば「謎の彼女X」っていうアニメ、楽しかったね。
人生はローテンションでもまあまあ運ぶ。
それがアニメファンかもしれない。
ゲームをやらなくなったのだ。攻略サイトを見るのが嫌になったから。
そしてたまには熱いお茶をと思って入れた紅茶。レモン果汁を入れれば飲みやすい味。
外向感覚タイプの人はオールラウンド。憧れるけど、私は内面世界を扱う作家だもんね。内向感覚タイプ。
昨日も原稿を書いた。
今日も原稿を書く。
何かこう、魔法にかかったように心が溶けてくる。
これではいけないんだと思う。
椅子から立ち上がり、ピッチャーに緑茶のティーバッグを二個入れた。そして水を入れて冷蔵庫に。
頑張るとうまくいくのは、数多の高級霊たちのみわざなのだろうか……
そして夕飯はまぐろのたたきと、肉野菜炒めであった。(ご飯は麦ご飯)
仕事を頑張れば人生も結構生きられるな、と思った。
淡麗グリーンラベルが苦い。レモンハイが爽やかだ。
毎日食べるあの改札前の焼き鳥屋。カッコつけずに毎日一本しか買わない。
人生の虚しさが張り出してくるのは、オタクというものが、何かまったりした幸せにどっぷり浸かっていて、リア充のように浜崎あゆみのライブで一つになるみたいなのとはだいぶ違う。
五
アメリカ人のシンシアが、私、結構モテるんですよ、とスマホに翻訳させて文章にして送ってくる。「ブロンドだけど胸が小さいんだ……」と言っていて、私はこれが浮気と知りつつも、女友達の多い私だから「仕方ないよね」と自分に言い聞かせる。
いつかなか卯に行って月見うどんが食べたい。人生は輝いて。桃ジャムをトーストに塗ってレモンハイなんか飲んでいると、即身成仏には程遠いが、外から春の陽光が射していることが幸せに感じられる。
ああ、この豊かな、食品工場あふれる日本!
この前買ってきておいたデ・カイパーのピーチツリーに氷を入れて飲む。とろりとしたそのリキュールの香りが私の鼻腔を優しく突いた。
シンシアとは決して肉体関係を持ってはならない。
そして私は素麺を茹でて、揚げ玉を載せた。シンシアのお母さんは日本人だったのだとか。世界というロマンが私の心の中に生まれようものでもあったが、私は知性の人。情熱家ではないのだった。
シンシアと友情を持てたから素晴らしい。それは川野さんや久川さんも同じなのだ。
時々神の歌を歌いながら、原稿を進めていく。昨日は風呂に入った。今日は入らなくていい。
背景事情を無視して人をハエとか言うのはどうかと思う。背景事情を無視してしまうと、ハエと言う人は、私の体に入って汚す行為をした低級霊の味方をしたことになる。
友達が増えたから、人生の虚しさなど感じなくなった。
不倫禁止と自分に強く言い聞かせた。
あなたを他の人達から際立たせているものは、この世界にはたくさんの苦しみがあるという認識なんだ、と恵実ちゃんは言った。「明るく前向きにハキハキと、なんていう超絶の嘘じゃないのね」
きっと。楽しく過ごそう。人生は一場の夢とは結構思ってない。
それにしても今日の夕方買ってきたひきわり納豆の美味しいこと。大根おろしを和えたから、なおさら美味しかった。
人生はまあ、苦行のようなものだけど、私は恵実ちゃんに私の体を開かれて、中にあったものは虚空だった。人間は豊かな存在のようでも、若い頃はそうでも、歳を取るとまあぜんぜんそういう、空虚な存在に変わるのかな、と思った。まあ、いつも話すことが同じな、「世間話・スピーカー」にしかならないのかもしれない。
虚しさは極まって。でも昼に届いたカタヤキソバが美味しくてテンションもだだ上がり。コカコーラゼロをそこに付け加えちゃえ、と思って冷蔵庫から1.5リットルペットボトルを取り出して机の上に置いた。
明日は泡ハイターを買ってこなきゃ。ピッチャーのローズヒップティーがまずくなってしまうから。
アキハバラ電脳組にも、少女革命ウテナにも「王子様」が出てくる。二人とも何かの「受苦」の状態にあるらしい。
私は「楽しく過ごす」ことをポリシーに生きていく。
コカコーラゼロが私の中の苦しみを溶かしていく。
ユーチューブの椎名林檎さんの「本能」が重々しく響く。
人生なんて何の意味があったんだ。
いや、シンシアと出会うため。
そんなことない、恵実ちゃんだって好きなんだ。
人生には何らかの欠陥がある。
「私の人生には」何らかの欠陥がある。
それは、大人になって敬語を適切に使い、相手のことをそこそこ思いやり、それなりの世間話ができるようになっていないことだ。
出世の大道。そこを私はおずおずと歩いていくのであった。
六
楽しく過ごす。それに尽きた。
ずっと少女革命ウテナを見ていた。
私は王子様なんかじゃない、二十九年前からたくましく小説の道を歩んできた。たくさんの原稿を書いてきた。
やはり人生は寂しく、グループホームスタッフの鈴原さんとオタ話に花を咲かせたりしていた。雨が嫌いだ。服と靴とカバンを濡らす雨が嫌い。ここは雨が実りへ導く未開発国ではない。
それでもやっぱり、インドネシアの山村などに行かずに日本という先進国を選んでいる。強力精神安定剤って、何のためにあるんだ? イタリアやフィンランドではもう飲まなくてもよくなっているのに。
ベーコンの一束を食べて、コーンマヨネーズパンを食べて、三枚入りレーズンパンを食べた。ああ、あの頃。強迫性障害に侵されていたあの頃、塩ビ手袋やポリエチレン手袋を買いに毎日何キロも歩いたものだ。あんなことに何の意味があるだろう。
シンシアが強くアタックをかけてくるので、こちらの心の衣も一枚ずつはがれていくみたいだ。この世界を無常と思う人とそう思わない人とではまるで違う。まあだから私のような者は知識人と言うのだ。グループホーム・きららがしっかりお城を築いてくれた。王様待遇であった。まあ何と言っても入院中におやつ代を節約して貯えたお金と、困窮世帯に対する給付金等が私の財布を革命的に潤した。六ケタのお金がある。
激しく煮立つお湯にブロッコリーをひとかけひとかけ、投じていく。最後の軸の部分は包丁で皮をむいて、切って入れた。鮮やかな緑になったら、一つ一つプラスチックの丼に入れて、しばらく冷ました。
サトウの切り餅を茹でて、水を切り、缶詰のゆであずきと混ぜてぜんざいに。
こんにゃくに切れ目を入れてだし汁で煮る。甘味噌を作り、煮えたこんにゃくに付ける。
人生は何なのか。意味ないでしょ。とりあえず一番楽しいことをしてるだけ。私が小説を書いてるのは、やりがいがあるっていうのも大事だけど、やっぱり印税が大きいんだ。時々サーロインステーキとか食べてるよ。
人生は基本的に寂しいもので、どんなにその真実を変えようとしても、アフリカ人の素直な笑顔にしか到達しない。まあ、先進国の者は歪んでいるんだね……
そして私はケータイを相手に自分の影を取り戻した。ユング先生に叱られないように。叱られるのが怖いのなら、アダルトサイト…… 私はそしてハードコアポルノによって惨めに散った。
人生は虚しいと思い、キッチンのインスタントコーヒーを薄く入れ、その中にクリーミングパウダーを振り入れた。砂糖は要らなかった。ただ人生の苦さがコーヒーの苦さと共通していて――でもよく考えてみようよ、苦くなんかない、アダルトサイトで静止画を収集して、……いや、そうしたことも今は面倒だ。恵実ちゃんとセックスした方が早い。
ああ、虚しきかな人生。
まあ、そんなもんでしょ。
私は草食系なので、したとしてもペッティングまでだった。キスが一番いい。私と恵実ちゃんはなぜ出会ったのか。
そう、間違いなく恵実ちゃんは私にとって最も大事な人物である。でも、運命によって奪い去られなかったから、Tのように二十年も心に焼き付けられることはなかった。未完了課題ほどよく覚えているというのはツァイガルニク効果と言うのだ。
まあ、人生なんてつまらないものだ。だから日々コカコーラゼロを飲み、豚ロース厚切りを買ってきて焼いて食べたりする。そんなものなのだ。
人間が何より大切? まあ、ご縁は大切ですよね。そう、倫理も必要。
でも、私は六年間断っていたアダルトサイトによって惨めに逝った。「こんな世界」と言いつつ、六時十分に恵実ちゃんが作り上げた粉ふき芋やナメコの味噌汁、サンマの塩焼き、ホウレンソウのお浸し、麦ご飯を食べた。
だんだん意味がわからなくなり、食後私はすぐに布団に寝て、タオルケットをかぶった。
七
この世界は小説を書くだけで生きていけるんだ。
私はその確信を深くした。一年間に千五百万円は稼げている。
人生の虚しさとか思いながら、料亭に行って鯛の吸い物など飲んでいる。
恵実ちゃんをめとったから、今ではもう少し深い倫理を持つようになった。親の心子知らず、ではないが、(子供はできなくとも)夫婦とはこういうものなのか、と思い、人間社会に倫理が必要な訳を体感的に知った。
ある日野田さんが来て私の机の後ろにある座卓のところから私の執筆を厳しく監視した。
「アダルトサイトとか、気持ちが乱れるから、作業中は見ちゃだめですよ」
野田さんは言った。
「見ませんよ」
私は答えた。
「ミロでも作ってあげましょうか」
「そもそもうちにミロがあるのかな」
「奥さんが教えてくれたんです」
麦芽飲料のミロの冷たいのを作ってくれた。
「人の心が一つにならない紛争は嫌ですね」
私は言った。
「ほんとですね。でも、そういうことあまり考えない方がいいですよ。疲れちゃうから」
野田さんは答えた。
自分の超自我規制の厳しさをその時引き裂こうと思ったが、金剛石のように硬い超自我規制を破ることはできなかった。
恵実ちゃんはある日豚の角煮を作ってくれた。八角の香りがした。人生は虚しい。そういうことをパラノイアのように考え続け、でもいいのだ、自分がずっと「人生は虚しい」と考えているのは、その対処法(友と話すとか)を考え出すためだから、と思った。
人生なんてこんなもの。
何がなんだよ。年一千五百万円ももらっているのに。
そうじゃない。気持ちが虚しいことをどう解決できよう、と考えているのだ。
ショーペンハウアーは、この最悪な世界でそれでも充実して生きる方法を「共苦」だと言った(苦しみを共にすること)。私はこれをすごいと思っている。
執筆をしていたが、だんだん眠くなってきた。何のために生きているのかもわからなくなってくる。
五分くらいあとに、恵実ちゃんが「夕飯だよ」と言いつつ空の鍋をお玉で叩いて私を呼んだ。豚の角煮とホウレンソウのお浸しと麦ご飯だけなのだが、十分楽しめる味だった。
「ここまでの味を出せるのはすごい」
私は言った。
「私はきっと主婦に向いてるんだね」
恵実ちゃんは笑った。そして「足の傷も治ってきた」と言った。
ある日、訪問看護の女性が来て、「今日は飲み物制限できましたか?」と言った。血圧を測る二時間前から飲み物を制限しないと、血圧が高く出るのである。私はローズヒップのお茶やコカコーラゼロを多めに飲むから。
「はい、今日はできました」
私は答えた。
「良かったです」
血圧を測ると数値は125の83。
「いい数値ですね。これからも飲み物制限頑張ってください」
そして私は早速水出しのローズヒップティーを一杯飲むのであった。訪問看護の方は苦笑いしていた。
運勢がどんどん増していた。私は文学賞も取り、一人前の作家になれたようであった。吉本先生がほめてくれるのである。
「私のやっかみなのかもしれないけど、あまり真面目過ぎるのは良くないわよ? 真面目だと疲れない?」
先生は言った。
「これは私の性格なんですよ。その底の部分には、過大な要求をしてくる教師や父に対して、要求されたことを完全にやることであてつけてやりたいという気持ちもあったんですけどね」
私は答えた。
八
私は朝の眠気で難儀した。大変な困難で、やってられないと思った。
風呂に入って、バスロマンの緑色のをお湯に入れてその香りを楽しんでも、やがて再び襲ってくる眠気。
でもなんとか頑張って頭を洗い、浴室を出る。
フェイスタオルで体を拭く。
そして何とか服を着て、改札前の焼き鳥屋にたどり着き、モモ一本を頼み、駅前広場で食べた。辺りには鳩さん達がいて、時々目が合う。
西友では四枚刃カミソリやホウレンソウ、カマンベールチーズ、コンミートその他を買って、外に出た。少し汗ばむ陽気だった。
十三才頃、女を夢見た。十四才頃、隣の奥さんが春巻きを持ってきてくれて、今思えば、その日は親が旅行でいない日だったのである。誘惑するために来たのは間違いなかった。他に美しいおばが「昼ごはんおごってあげるよ」と言ったのも、やはり筆下ろししたかったからだと思う。私の高校と彼女の職場(水道橋)は近かったのである。
まあそんな思春期を過ぎ、五十一になったら恵実ちゃんと出会った。非常にこう、安定した、穏やかな毎日が巡ってきた。良いご縁だったのだと思う。
シンシアとは男女の友情を持つことができた。
でもだんだんテンションが下がってくる。まあそんなものかな……
死んでから行くと言われている涅槃に、早く行きたいと思ったことを、恵実ちゃんに申し訳ないと思う。コカコーラゼロを開けたらテンションは普通の水準まで回復した。いつの間にかニュービーズがなくなっているので、明日買ってこなければ。
毎日がだるくてしかたがない。向精神薬のせいだろうか。まあ人生に意味なんか求める方が間違っているのだろう。でも、いったいなぜこうだるいのだろう。小説で何かを突き抜ける瞬間が、長い事巡ってきていなかったからだろうか。
人生なんて意味ない。
でも、シンシアが「私、東京に行きます」と言うので、私は新しい靴を買って待っていた。そして当日、東京駅で会った。キレイ系でブロンドという最強の顔に、小さい胸。私は大きい胸が好きではなかった。ただ、彼女は私の女友達であって、不倫相手ではない。
「こんにちは。……あらまあ、井川さんはハンサムねえ。私と同じじゃないですか。モテても報酬なんか何もないですもんね」
そういってシンシアは微笑んだ。
「そうですよ。何て美人なんでしょう。想像した通りですよ」
私は答えた。
「私は道徳を守りますよ。井川さんには奥さんがいる。不倫なんて絶対にしません」
「そうですね。その方がいいです」
レストランに行って何となくスパゲティを二人で食べると、私たちは何だか倦怠感に包まれた。
「私、千葉に妹夫妻がいるんです。そこに泊っていきます。……井川さんは女性のエスコートが下手みたい。やっぱり男だけのご兄弟とか?」
「はい。私はそういうの、下手です。でも神田神保町でも行きますか」
「私は……そろそろ人生の空漠に気づいてしまったんです。どこでも同じですよ」
「そうですか」
二人でJR平井駅に行き、下車してガストに行った。
禁煙二名、と言って二人で大きい座席に座った。
空しくて。
「人生って何のためにあるんだろう」
シンシアが言った。
「哲学者のショーペンハウアーによると『共苦』、つまり苦しみを共にすることでこの最悪の世界をも生きられるそうです」
「共苦……」
二人のところに一つずつパフェが届いた。彼女にはグラスワインも。
「パフェってフランス語のパルフェ、つまり完全っていう意味らしいです」
私は言った。
「フランス語には大学時代に苦しめられました」
彼女は言った。
私はあたかも自分がシンシアの兄にでもなったかのような気がした。
そして流れるジャズ。
「僕はニューエイジミュージックとヒーリングミュージックにしか興味がないんです」
私は言った。
「私はポップスしか聞かないです」
シンシアは髪を指でもてあそびながらそう答えた。「もし私が入院したら、お見舞いに来てくれますか?」
「それは無理だよ。アメリカまで飛行機でお見舞いに行くなんて」
「ああ、そうでしたね。私変なこと言っちゃった」
午後五時ごろになると、私たちは店を出て、駅に行った。私はシンシアを見送った。
井川さん、またねー、と言ってシンシアは手を振った。私は手を振り返した。
エスコートは下手だったけど、何とか千葉の妹さんのところに行く彼女を見送ることができて良かった。
九
じゃがいもをレンジにかけてバターを乗せて食べた。
旨味の塊……
それを食べ終えると、次は炒めたほうれん草を食べた。
野菜中心、栄養バランス重視。
八十年代の歌謡曲をユーチューブで連続してかけているといい気分になる。
分裂気質は基本貴公子キャラなので、落ちた時がつらい。すぐに立ち、原状を復帰しなければならない。
明日はコージーコーナーでフルーツケーキ(?)でも買って来ようかとも思う。人生のつらさは深刻を極めたが、ようやく黎明が見えた。
毎日のように西友でバターチキンカレーを買ってきて食べている。
同じものにばかり依存するのはオクノフィルだ。しかし、いいものばかり知っているなら、オクノフィルにもなるはずである。フィロバット(色々なスキルを毎日高め、冒険的に生きる生き方)になりえない。
冷凍しておいた麦ご飯をレンジにかけ、きのこポタージュのポタージュライスにする。人生とは何であろうか。それは共苦であると哲学者のショーペンハウアーから教わった。
じゃあ、これからは人生は安泰なのか。
何か少しづつ良くなりそうで、これからの毎日に期待をかけてしまう。
恵実ちゃんは朝ハムエッグを作ってくれた。野菜類はトマト一個であった。
「浮気してない?」
恵実ちゃんは言った。
「女友達の一線は越えてない」
私は答えた。
「そんなに仲のいい人がいるわけ?」
「いるけど、モテる男と結婚したんだから、許して」
恵実ちゃんは苦笑いした。
ご飯を食べ終えると、私は精神障碍者通所施設の「カトレア」に行った。
怖い存在とばかり戦った。焼きそばパンやすじこおにぎりなどを食べたが、いつまでも不安は止まない。そして行き着いた結論は、悪は善とは違う考え方をするということ、人の気持ちを逆なですることは良くないこと、そして、この精神障害の三十七年を切り抜けた私は強いということ。
人生はくだらない。この世界が腐っているから。
でも私はシンシアのことを気にかけた。
人生の虚しさ。そこへ差し出されたショーペンハウアーの「共苦」。
私は小説を書き続けなければならない。価値があるから。
四月。シンシアは夏が嫌いだと言っていた。私も、精神力と体力が衰えているので、夏は嫌いになっている。
ニーチェが「神は死んだ」と狂喜乱舞して家を出ていったと言うではないか。まあ神とは僧侶のことであろう。ほんと死んでほしい。
コージーコーナーで苺ショートを買って帰った。量感のあるクリームが私の胃を試したが、私の胃は大丈夫だった。アイスティーを飲みながら食べるケーキは美味だった。
人生は虚しく、しかし恵実ちゃんが自作したエンドウ豆のスープでその手当てをしてくれた。いい夫婦だった。シンシアは結構歳が離れているので、むしろ妹のようだった。
ある日カトレアから帰る時、移動支援の方が付いてくれた。典型的イケメンであった。体も細い。私は彼と色々話したのだが、キリスト教で解決しようと言うのは間違っていると思いますよ、と言うので、そうですよね、と応じた。そう、ニーチェが言っているではないか、キリスト教は強者に対するルサンチマンだって。
十
十二月。
分裂気質者は「自然と書物の友」と言われている。本は最近読んでないなあ……その代わりネットの文献を読んでいる。
中村由利子さんのピアノのメロディ。人生の寂しさ。
でも私には恵実ちゃんとシンシア、鈴原さん、川野さん、久川さん達がいる。有難い。恵実ちゃんの実家からミカンひと箱が送られてきたので、美味しく食べた。
作家は暖かみのあるユニークな文章が書けるだけで一人前なのだと思った。そこに奇跡の文体が備わると、もっともっとすごい。
人生は悪くなかった。紅茶クッキーを食べ、コカコーラゼロを飲みながら原稿を書いた。最近の西友にイワシやサンマがないので寂しい。サバはあまり好きではないのである。
明日はヴィドフランスの奥の店にエルダーフラワーのお茶を買いに行こうと思う。エルダーフラワーには薬効があるのだそうだ。
私が二人のファンから得た栄誉。絶賛。文学者冥利に尽きる。
中村由利子さんの体調が少しでも良くなることを祈っている。
明日は豚小間のバジル焼き。
最近は「ちいかわ」が流行っており、スマホゲームもあるらしいけど、時間を削がれるのでやっていない。今日コンビニでグッズを見つけたけど、グッズのタイプが好みに合わなかったので買わなかった。
人生の頂きにそろそろたどり着きそうで嬉しい。多少霊聴が聞こえていても、人生の楽しさが逆境よりもはるかに楽しいから、私の心は喜びに打ち震える。
毎日見ている「少女革命ウテナ」も感慨深く。dアニメストアで見ている。最終回までまだかなりある。楽しい時が続く……
私が原稿を書き、恵実ちゃんがハーゲンダッツ苺を持ってきてくれて、野田さんが後ろで見ている。
ハーゲンダッツの濃い苺の風味。
私にとって一番大切だったのは、Tと文鳥のポックだ。Tは最愛の恋人だった。ポックは「一番大事な友達」だった。
でもその後色々な大事な人が現れた。Tのことはほぼ忘れることができた。恵実ちゃんがTの代わりになってくれた。ポックは時々現れてくれるが、目には見えない。
早く書いてくださいね、と野田さんの声は厳しい。恵実ちゃんに嫉妬していることはわかる。そしてそういうことの解決法が「芸能界のマネ」だということも知っていた。だけど私たちはアニメや声優さんのマネをして、いつも問題解決をしている。
目に見えないもののことなんて、なかなか気づけないはずだよ。私は内向感覚タイプ、つまり感覚タイプなのだから。感覚とは五官だ。目に見えないもの(精霊や神)を感じ取ることがなかなかできない。
昨日すりおろした大根の残りを今日は大根の味噌汁に使うつもりでいる。ナメコの味噌汁は泡立つので、なかなか一人分を作ることが難しい。
直感タイプ(ひらめきやカンが冴える人)の人は、光を求めて闇を去るらしい。その道徳チックなのがなかなか好きになれなくて……
しかし私はもともとプレイボーイの資質を持っていたらしかった。
恵実ちゃんはこう言った。
「随分女の人達にモテてるようだけど、いいよ? 不倫しても。だって浮気は男の甲斐性って言うじゃない」
「本当にいいの?」
私は言った。
「いいって言ってるんだから……そしたら、据え膳は食べる! 相手の女の人に失礼でしょう」
「ありがとう」
そして恵実ちゃんは出来上がったカツ丼を私の前に置いた。私の中に自由が生まれたみたいで幸せだった。
十一
恵実ちゃんは間違いなくあげまんだった。人生はうまくいくようになるとささやかな詩情のようなものがなくなってしまうのか。ハッピーになるのか。
私はコカコーラゼロを買いにコモディイイダへと走った。艶やかだったりしっとりしていたりする品物の数々。
コカコーラゼロ1.5リットルペットボトルと、クラムチャウダー風のポタージュを買った。小さいころから「近所の女の子と一緒に風呂に入る」ような行為をしていれば、まあ普通だろう。ハンバートは、ドロレスとの会話の中で、小さいころに色事をしたことがないことが判明するのである。つまり、ハンバートは小児性愛者というより「
箱に入った三袋入りのポタージュを飲むのにはマグカップがなければいけないのだと思う。今度ダイソーに行こう。恵まれた我が町平井。
コカコーラゼロを飲み終えると、私はノートPCから流れているかわさきみれいの曲に聴き入った。分裂気質者が孤独を愛するのは、孤独な時にこそ天上的な、震える水たまりのような超越的幸福を経験するからである。
セックスが嫌いなのであまりやせる努力をしなかったのだが、おやつはコーヒーブッセ一個とうまい棒メンタイ味一本くらいでいい。……あ、スクワット二十回忘れてた。
人を支配する性格の悪さを持っていないので、どうも私は声優さん、歌手さんなどと「同格、または超えている!」という風に威張れない。まあいいじゃないですか、私は既にデビューしたんだし。お金もいっぱいあるよ? 料亭でM先生とナマコのポン酢和えも食べたのだ。
執筆中、坂本真綾さんの「マメシバ」が心に訴えかけ、私は料亭で食べた太刀魚をまじまじと思い出す。アニメの曲をいくつも聴いていればパーソナリティの健全さも培われると思った。
ファインナノバブルできれいになった肌で街を歩く。卵殻膜とキミエホワイトも使用している。もちろんメンズビゲンカラーリンスも。
幸せそのものの孤独。
でも、時々飛行場があって、給油するときに地上の人に会うみたいに、時々は人と仲良く話すのである。だから、真の孤独は孤独ではないけど、偽りの孤独は「生涯少数の友」を伴わない。
私も長い事生きてきたけど、根源のあたりは幸せなんだなあと思って幸せを感じた。それなら午後四時四十分のいま、三百ミリリットルのコップに百五十ミリリットルのお湯を入れて、クラムチャウダー風のポタージュを作ればいい、と思った。出来上がったポタージュを飲んだ。
小説に「化学調味料を使いたくない」と言ったって、それでは規格化された普通の小説にはならない。多少わがままを抑えればいいのだ。そしたら百万部、一億五千万円も夢じゃない!
実恵ちゃんは五十代である。妊娠する可能性が低い。でも、子供を育てるって、子供が擦りむいたり、歯を折ったりすることに付き合い続けなければならない苦労だよね……プラスもあるのかもしれないけど、草食系の私達には、子供を育てるっていう選択肢は、もともとなかったのかもしれない。
でも、前向きに明るく、そしてポジティブに。人々と仲良くできるように。
人生の寂しさはある。でも、みたらし団子四本だったおやつを、コーヒーブッセ一個とうまい棒メンタイ味一本くらいに減らすことはできる。つまり何かを工夫してより良い人生に変えていくことができる。
人生は工夫だ。
十二
でも僕は心臓を握り潰されるみたいなつらさを感じて、参ってしまった。ギブアップが許されないところがこの戦いの一番難しいところだ。
つらい。つらい。……
それなら友達に電話してみようか。
その直後、私はスマホをつかんで、いま一番仲のいいグループホームのスタッフさんに電話をかけていた。相談に乗ってくれたおかげで、つらさが少し引いた。
今回は「休息入院をしたい」という要求は四度目くらいになるので、さすがにもう裏切ることは許されない。病院環境に対する(本当は外の世界の方がずっと楽しいのだが)期待もあるのだ。外の世界ではできないことは、二、三日に一回のおやつの買い物。それでも食事自体のエネルギーが少ないため、院内ではやせていく。
しかし私は低級霊(幻聴その他)より優れた高級霊である。私は低級霊を抑え込むことに成功した。自信を持った私以外は私ではない。
dアニメストアのアニメをいくつも見ている。人生は楽しく。
楽しい人生にやりがいのある仕事。ずっと夢見ていた。
まあ、こんなものですかね、高級霊の人生は。高級霊とは分裂気質者である。
最近はスーパーでペリカンマンゴーが売られていない。残念である。ネット通販のサイトを見たら千三百円くらいだった。以前はスーパーで二百円くらいだったのに。
中級霊は「強く」と言う。高級霊は「賢く」と言う。高級霊は暴力が嫌いだ。相手を暴行罪、傷害罪など法で縛って賠償金を支払わせる方がいい。低級霊だった父は霊からの憑依を受けて裸で寝ていた私に「強くなれ」と言って自分の腹の前で両拳を突き合わせた。「頭いいんだから、作家にでもなった方がいいんじゃないか」とは言わなかった。父は車の出火で死んだが、その死の直前の時に、病院から心電図の紙をよこした。紙には「ひろしのきもちがわかった ひろしにあいたいよ」と書いてあった。私は泣いた。
人生はもはや虚しくはない。ただ、つらい時はいくらでもネタが出てくるものだが、楽になるとそうではないので、筆を荒らしてネタを増やさなければならない。
正月になって、実家に戻ると、母はゴボウと牛肉の煮物を作っていた。そしておじとおばが来ていて、私にあいさつしてくれたが、もうだいぶ歳だった。
出前館の寿司が届いて、そのあと長兄が来た。
寿司はエンガワが美味しかった。そこにいた皆が百戦錬磨の人であった。
「宏も小説がほめられて、もうそろそろかという時なんです」と母は言った。
「うまくいけばと思うんですけど……」兄はそう言った。
寿司を食べて清酒を飲んだ。清酒が私の中に入ると私は女性看護師に慰められているかのような安息を覚えた。
次の日、二階の布団で目を覚ます。瓶入りの鮭のほぐし身があったので、ご飯のおかずにした。最近右足の指の付け根がうずくのは、ローズヒップティーを摂るようになった分、紅茶を飲まなくなったからではないかという仮説を立てた。紅茶には相応の栄養が含まれているのかもしれない。
人生なんてネットをやって食べて飲み、人と話すだけではないか。特に一人の時は(冷たいお茶を)飲んで飲んで飲んでになってしまう(太らないから)。
人生はつまらない。まあ今は雨が降っているから。「帰るなら雨が止んでからにしろ」と母は言った。
私はただ缶入りのクッキーを食べながら雨の止むのを待った。インスタントコーヒーを飲みながら雨の止むのを待った。
「宏、お前味噌汁作れるか」
母は言った。
「大根の味噌汁なら作れるよ」
私は答えた。
「じゃ、作ってくれ」
ただ大根の皮をむき、短冊切りにして沸かしたお湯の中に投ずる。そして出汁入り味噌を溶かし、大根が半透明になるのを待った。
「できたよ」
私は言った。
「……うん、なかなかだ。上手く作れてる」
そう言って母は親指を立てて拳を握った。
十三
いけないことを書いたり、したりすると、パーソナリティ(人格)が歪んでしまうということに気づいた。
とりあえず恵実ちゃんという妻と結婚できたからいいけど、今でもハードコアポルノなんか見ていてはいけないのだ。
そして父親不在がもたらす大きなマイナスの影響。
中曽根首相、ゴルバチョフ氏、レーガン氏のホットラインでつながれた冷戦構造は尊かった。世界がまた冷戦になりますように……
この冷戦構造のように、単純でわかりやすいということが大事だ。
人生はいよいよ安定に近づいてきている。もう試練なんか要らないよ……
試練があったからこそ、父親不在という問題点を見つけることができたのだが。
でも私自身は万年青年で、これを解消する方法もなかなか見つからないのである。いつまでも実体より観念を引きずり回している。
そして「弱くなければ」と思った。めちゃくちゃな努力が私につねに緊張を与えていた。これこそ「強迫性」である。
人生など、失望の連続だ。……しかしそれはめちゃくちゃに努力したせいだ。力を抜いて弱くなれば、うまくいくのだ。でもだからこそ、小説だけは頑張らなければ。
ユーチューブからかかずゆみさんの「恋しましょ ねばりましょ」が流れている。アキハバラ電脳組は悲しくも美しい物語だった。人生なんてつまんないとあきらめがちになる私を元気づけてくれた、アキハバラ電脳組。
だからアニメが好きだ。ジャパニメーション。最終回へと急展開していく物語。ヘッドホンで聞くと声優さんの声とBGMと効果音が明瞭に区別できる。
人生の虚しさ。そんなものネト充でいれば何てことないじゃないか。
明日はごちそうの日、土曜日。発泡酒と缶酎ハイと、牛肩ロースステーキを頂く。
人生の虚しさ。きっと意味がなかった長い年月も、良い運勢が巡ってくることで報われる(涙にむせぶ)のではないだろうか。でなきゃおかしいでしょ。
午前九時五十六分。空腹はブドウ糖の点滴でも収まる。つまりお腹が空いたときは、甘いミルクコーヒーを飲むだけでも収まるかもしれない。
でも運勢をつかむ一番の方法は「ネト充」に戻ることだった。
ケータイに比べ、ノートPCはウイルスに弱い。ノートPCでアダルトサイトを見るのは危険だった。
文鳥のポックのことを思い出す。ポックは手塩にかけて育てた分、愛情を返してくれた。でもポックは十ヶ月で逝去してしまった。ポック、ありがとう。
そろそろ今月分の生活保護費が口座に入っているはずだ。
ネット通販の会社からはそっぽを向かれ、買いたいものが買えない。カルバドスなら酒専門店の「カクヤス」で買えそうだ。しかしサンダルウッドの香なんてどこで売っている?
私は恵実ちゃんと別れ、川野さんと旅行し、セックスした。旅先の料理は美味しく、牛カツも出たことに驚くのだった。
笑顔の人は普段悲しい顔は見せないようにして、人のいない場所では泣いている気がした。私の印税は年六百万円くらいに落ち着いて、ああ、大金持ちにはなかなかなれないものだなあ、と思わせる。
まったりネト充。女友達から始まった川野さん。愛人とかじゃなくて、彼女は「一回だけだからね!」としっかり言っていた。もはや筆おろしですらなかったが、一回きりのセックスに旦那さんが文句を言ってくるとも思えなかった。
人生なんて、キーボードを叩いて、食べて飲んで、まあそんなところ。セックスすることが習慣的にはならない私であった。ただ文学が私の心を満たし、印税を生む打ち出の小槌のようだった。
人生は苦悩で、私は「シャーマンは泳ぎ、統合失調症患者は溺れてしまうのである」という文化人類学の論文を信用した。私はシャーマンだ。ウマレユタには人々をカミンチュへ導く使命がある。
十四
統合失調症は、フロイトによっては神経症の一種として扱われている。
まあ要するに家に侵入されているわけね。
誰にだ。野田さんのわけがないが。
誰だ。
私は惨めなまま父なる神様に祈った。
でも、私は恵実ちゃんと一緒に居続ける理由を失ったので、次の女は川野さんだと思った。離婚して、私はマンションに住み、時々川野さんと行ったり来たりしながら、情事を楽しんだ。
信頼できるグループホームきららかと思ったが、そうでもないのか。
理想化していたのだ。
じゃあ、どうしたもんかね。
日本では「お念仏を唱え続ければいい」と言う。キリスト教では祈ればいいと言う。
いや、何だったのかね、この三十八年間。
まあ川野さんと逢瀬を重ねればいい。
量子的に何かが変わるというのは、私がエヴァンゲリオンの完結編を見たから、物の見方がすっきりして、きららが悪いなどとは再び思わなくなった、そういうようなことだと思う。
人生は熱を持たなければいけないのか。私は何度かそういうふうに生きようと試みた。しかし元が「非社交的で静か」な私においては、熱は続かなかった。
寂しい世界に、酒とつまみと愛人を持ってくる。それが原初だ。
人生なんてそんなようなものだ。千四百円の寿司は美味だった。
だって、恋ができるのにやらなかったらもったいないじゃないですか。
そして川野さんが帰ると、アイスティーを飲みながら原稿を書いた。「高級霊の原稿」であった。
新しい命は作らない。二十五才くらいのオヤジ好きの子が私に色目を使う。しかし躊躇(ちゅうちょ)してしまうのだ。その子が三十五歳になったら、私は六十一才ですよ。そういうのは残念です。
今日は大根が残っている。大根の味噌汁が作れる。ただ、今日は一人きりだ。味噌汁はすっきりとした味がした。
この人生の歩みの先に何があるか。それは高級霊が神級の高級霊になる道。でも私は自分が既に神級の高級霊なのか、単なる高級霊にとどまっているのかがわからない。(まあ、割り引いて考えておこう)
人の人に対する憧れは美しい。この世界はなぜ存在しているのか。動物や魚介類に対する殺戮の世界である。それでも私たちは悪に開き直り、自分たちの味覚を満たしている。
やせる方法はいまだわからず。「野菜中心」と「栄養バランス重視」はこれからも頑張っていこう。栄養のないジャンクフードばかり食べていたアメリカの貧困階層の人達は太った人が多かったというのである。
ラー油と酢を入れた辛くて酸っぱいにゅう麺を食べたくて、今度素麺を買ってくる。揖保乃糸は高級品過ぎるので、もう少し廉価な素麺にする。
上下する商品の値段に一喜一憂するのもまた現世の人間の機微か。それだけ揖保乃糸が高級品に思われてくる。
人生にはどうやら来世があるらしいので、よほど悪行を積まなければ、まあいいのかなと思う。しかし本当のスピリチュアリズムは道徳とは無関係だ。ただ、後味が悪いじゃないですか、悪行は。
来世には「間違いなく私は神級の高級霊」と言えるようになっているかもしれない。
地味だ。真実を生き、成人病にならないようぎりぎりのところを歩んで行くには、地味でなければいけない。椎名林檎さんも「私の仕事は地味です」というようなことをおっしゃっていた。
コカコーラゼロを飲んで原稿を書いた。そしてトマトポタージュがひと箱まるごとある安心感(ポタージュライスが三回食べられる)を覚えた。
そう。タロットカードで月のカードが出た私は「自己評価が低い」のだという。これからは高級霊であることを売りに、小説家稼業を歩んでいこうと思った。
十五
さまよったことがある。統合失調症なのでよく五百円くらいしか持たずに遠くまで歩いて行った。症状だから自分の意志とは関係がない。ある時は霞が関まで歩いていき、足にけいれんを起こして救急車で運ばれた。
そしてようやく寛解が近づいてきている。統合失調症だったハウス加賀谷さんという芸人さんは、同じ芸能人という仕事を続けていたら寛解したそうだ。
私も加賀谷さんを見習って、小説を頑張っていこう。
人生の虚しさ。かつて私の全てだったTを失った痛みは二十年続いた。
私は変わって、今の自分ではないものになる。
今日(日曜日)は高い寿司を食べ、発泡酒とレモンハイを飲んだ。ごちそうの日は基本土曜なのだが、事情により今日日曜にずれ込んだ。
亀の歩みで着実に進んでいく。ウサギになって心を失ってからでは遅い。
「少女革命ウテナ」の泥臭さも癖になる。でも泥臭さそのものよりも、「やはりアニメはそこへ行くのか」と思ってしまう、あの「世界の果て」とか「ディオス」という小さなテーマがいつまでもいつまでも私の関心の中にある。
これは世界の構造なのだと思う。
王子様(私)はなぜ闇にとらわれてしまうのか。いつもいつもそういう重症強迫神経症みたいのがこの世にはあるわけですね。私が何よりも大切にしているものが「法」(法律)で、「法の下の平等」により人間の価値は皆同じだ、ということを信じている。芸能人など問題ではない、それどころか「私は一流大学に通っていた」しかし退却神経症(笠原嘉)によって実力によらず中退の憂き目にあっただけだ、だからもともと芸能人など眼中にないのだ。
でも次の日に考えが変わり、アニメより芸能界とかドラマの方がいいと思うようになった。
そして「人みなおしなべてバカである」と思うようになった。一部の人だけがシリアスで孤独でカッコいいなんてことはないのだと。
夕方、メカブと麦ご飯とコロッケ二個と冷奴を食べた。父なる神様が見守って下さる。お天道様なら見てる。人生は何と困難なものであったか。とりあえずアダルトサイトの美しい女達を見ていればいいのだ。
バャリースオレンジジュースを手に入れたのだって、父なる神様に従うようにしたおかげだ。とても美味しかった。
そして私の心は涅槃原則のとりことなっていく。生きる苦しみから解放されたい。そのために、ショーペンハウアーが「最高芸術」と呼んだ音楽にも頼る。
仕事を終えて風呂に入り、目覚まし時計をかけてふわふわの木綿のタオルケットにくるまると、こういう時こそ最も幸せな時間なのではないかと思い、幸せの渦に巻き込まれていく。……しかし私は思い出す。シンシアの町にカルト教団が住み着くようになっていることを……
私は外向直感タイプを目指した。直感は確実性だ。感覚のゆらぎとは違う。
少女革命ウテナは二十二話まで見た。永遠を獲得するのが怪しいグループの目的だそうだ。永遠なんて要らん。永遠は悲恋だ。私はTを通じてそれをよく知っている。かつて二十年続いた恋愛の余韻。
今日はキャベツ半玉と桜エビと中濃ソースを買ってきた。夜中にでももんじゃが食べられるように。そして私は出てきたお腹をさすりながら、野田さんの視線を感じつつ原稿を書く。恵実ちゃんはもういない。二時間後に訪問看護があるので、これ以上飲み物を飲んではいけない(血圧が高く出るから)。そして普通な、あまりにも普通な文章を書いていく。
「先生、年収千五百万円を超えたからって美人の方ばかり見てちゃ駄目ですよ。恵実さんがちゃんと銀行で見てたそうですから」
野田さんは言った。
「でも、一度でいいから美人と結婚してみたいなあ……」
私は言った。
銀行にはなぜ美人が多いのだろう。
十六
色々な、大人なら知っていて当然のことを私は知らなかった。だから成長しなければいけなかった。素麺を買ってきたので、茹でて、ラー油と酢と椎茸を入れて、サンラータン風にゅう麺にして味わった。内向感覚タイプは芸術。外向直観タイプは正確さ。
人生なんて誰だって悩みだらけだろう。
父なる神様、どうか私をお救い下さい。人間が自分の力で生きていけない、父なる神様にお助け頂かないと生きていけない存在ならば。
仕事だけは本気で行かなければいけないので。
まあ人の世は厳しいですよ? ちょっと迷惑行為をしただけで警察に通報され、精神科病院送りですからね。彼ら精神科医や看護師たちが反省するとは思えない。まあいいじゃないの、聖書には「さばいてはならない」と書いてある。しかし「ゆるします」と言ったら、相手の頭の上に燃える炭火を積むことになるだろう、というのである。
ではこれからはキリスト教文学なのか。そうだと思う。
遠藤周作。三浦綾子。ほとんど読んだことがない。
好きなのは、デュアメルの「サラヴァンの生活と冒険」第一部(「真夜中の告白」)と、メルヴィルの「バートルビー」。
この世界は何かが狂っていて、それは人間の原罪のせいだというのはわかるのだが、ではどうしたらいいかと言うと、キリストに従って行きなさいというのである。
まあ、人生なんていいことないし、……いや、今日いいことあった。アジの刺身が300円で手に入った。1.5倍サイズのカップラーメンが99円で手に入った。私は庵野秀明さんと同じで自分の仕方ない内臓を見せてしまうタイプである。ペルソナを「嘘ですよ」と言いながら内臓(シャドウ)を見せる。これもまた高等技術であろうか。
執筆中に冷蔵庫を開けるとキウイがあったので、皮をむいて食べた。美味だった。そして机の前に戻り、冷蔵庫からアイス緑茶を出してコップについで飲んだ。
五時半になるとピーマンの肉詰めと大根のごま酢和えを作った。麦ご飯の上に肉詰めを乗せて食べた。こういう平和なような毎日にも、(美人と結婚したい)という本能によって暗雲が垂れ込めた。
人生なんて……
銀行以外で美人なんてどこにいるんだろう。
わかんね。
生きていくことがすべて父なる神様のみ恵みである。例えばグループホームきららに来れたのもそうだし、きららにオタクでアニメとゲームが好きな、話の合う鈴原さんがいてくれたことも、その他諸々、父なる神様のおかげである。父なる神様、感謝します!
私は感謝しながら我が町平井の道を北に行き、焼き鳥を買って食べた後、西友でコカコーラゼロを買ってカトレア(三階)に昇った。そこにいたのは池野さんで、「あ、こんちは、井川さん」と笑顔であいさつをしてくれた。
「私、あのアキハバラ電脳組っていうの、見てみた」
池野さんは彼女のハラを割って話した。
「どうだった?」
私は訊き返した。
「まだ第十話なんだけどさ、王子様って誰なんだろう、って。そればっか気になってて」
「そのうち王子様が誰なのかわかる」
「きっと深い話なんでしょうね」
「僕にとってあのアニメはエヴァンゲリオンと同じくらい価値が高いですから。ちなみに、あれは映画版もあるから、全部見たらその次に映画版も見た方がいいよ」
私は体温測定器の画面の前で体温を測る。そしてその数字を用紙に書き留めた。
別の場所にある来所時間や体調を書き留める紙にも書いた。
いつも癖になって、やめる気にもならないコカコーラゼロ。スマホで量子論のことを調べたけど、(やっぱりわからない量子力学)という印象しか持てなかった。
基本的には特別なものではなく、マクロな力学ではない、量子レベルの小さな世界での力学が量子力学らしいのだが。量子もつれとか全然わからないし。
すぐまたコンビニに行って、スパイシーチキンを買って、外に出て立ったまま食べた。人生とは何だ。信仰だ。でもまあこう言う。「天は自らを助くる者を助く」
十七
今日はお刺身。他にはリンゴ一個。
私は静かにスマホをやりながら、ハシでポテトチップスの中身を拾っては食べ、拾っては食べている。
ああ、こんな風なのが幸せなのかも。
でも、シンシアの町では毎日銃声がするのだという。警察は何をしているのだろう。
悲しい気持ちになって、コカコーラゼロ1.5リットルを少しづつ飲む。
自分一人で生きているのではないから、余計悲しい。
悲しいから買い物に出て、何となくアジ二尾を買って、帰ったら塩焼きにしようと画策している。
悲しい!
他人のことってこんなに悲しいのね。
ベーコンとジャガイモ、粗挽きコショウも買ってきたので簡単なジャーマンポテトも作れた。
シンシアは見守るたくさんの人達のうちの一人だ。たくさんの友達のうちの一人だ。千人パーティの中の一人が大変な目に遭っているのなら……慰めの言葉をいつも紡ごう。それしかできない。
人生は何のためにあるのか。千人パーティで何をするのか。
生産系? インスクリプション? よくわかんないけど、まあ私自身は原稿を吐き出す自動販売機だ。最近は原稿用紙の枚数だけでなく、文字数でも計る。
私は少なくとも九百九十九人くらいの人達とのつながりはあるのだ。そう思えば、「友達は十人くらいです」などとは言っていられない。
私のことを必要としてくれる九百九十九人のために。
たくさんの読者の人達のために。
きっとお見合いって何もないところから始まる。
私と恵実ちゃんは少しの悲劇があるところから始まった。そんなのなくてよかった。でもやがてそんな悲劇の匂いも結婚生活も消え、しかし人生は虚しいという私のマイナスの信念も消えるのだった。
父なる神様に祈るしかなかった。小説に行き過ぎた工夫は必要なかった。夏目漱石も「則天去私」と言っている。
だんだん意味がわからなくなり、私はとりあえずアニメを見ようかと思ったのだが、「脳の使い過ぎ」なのか、自然と布団を敷いてその中に潜り込んでいた。
しかし私は芸能界に蹂躙された。目が覚めると深夜の二時だった。真実を書くことも許される小説業界と芸能界は大きく異なっていた。芸能界の方が若干格下なのかもしれない。
ガムを噛んでいると人生の虚しさを感じない。何か口に入れていると安心するからかもしれない。
芸能界は傲慢不遜だが、アニメはそうではなかった。エヴァンゲリオンがハッピーエンドで終わったことが意外で、私はしばらくの間その幸福感に包まれていた。
私にとっては中村由利子の「賛歌」、西村由紀江の「セレナーデは夢のなかで」、かわさきみれいの「aqua」が至上であった。人生は虚しい。しかし音楽はそうではない。文学にも似た調べ。その詩情。用意されたたくさんの天国の門を私は悪魔に憑かれることによって全て避けてしまった。天国の門の代わりに私は登竜門を見事上り、鯉から竜となったのである。
いま深夜三時一分。コンビニに薄力粉を買いに行ってもんじゃを作っても良かったし、大型のカップラーメンを買いに行ってもよかった。
「aqua」に入っている救済のメロディ。ヘッドホンを外して向こうの部屋に行くと、恵実ちゃんのクッションが転がっている。私は玄関に戻り、深夜の町に出ていった。多少の警戒心は持ったが、悪い人などそうそういるものではない。
コンビニにたどり着いて、私は三つの品物を買った。その中で、有名ラーメン店監修の高度なカップラーメンが一番美味しそうだった。
(終)
ローズヒップの空 水形玲 @minakata2502
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