第7話 人の心ある?

 か〇やのカツ丼弁当は本当においしかった。人の金だからよけいに。もしもこの事件が解決できたら心美ここみ陽葵ひまりも京王八王子のお店の方に連れて行って奢ってあげたいな。解決すんのかな……。


 こんな状況なのに腹はすくしおいしいものはおいしいって感じられる。人間って精神的に弱ってても身体はちゃんと栄養を欲してるんだろうな、逞しいや。


 さっきまですごい勢いで鳴ってた明さんのスマホは今は落ち着いていて、お弁当の空箱や、母が作ったサラダと味噌汁の器を台所で母と明さんが並んで洗ってる。


 最初は俺がやる、って声かけたんだけど、明さんは「何かやっていないと落ち着かないから」って自分から洗い始めたんだ。


 グレーのスーツの上を脱いで、ネクタイも外してワイシャツだけになると、筋肉の付き具合がすごいのがわかる。筋トレやってそう。広い背中……いいなあ。俺は細っこいから、少しは鍛えた方がいいかな。


「ねえ、横山さん。お宅、仲いいのになんで離婚願望なんか持ってらっしゃるの?」


 おかああああさあああああああああああああああああああああん!!!!!!!!


 いきなり何聞いてんだよ! 明さん、びっくりして湯呑持ったままフリーズしちゃってるよ!!


 母の、人の事情にズケズケ入り込んでいく質問に、明さんはしばらく固まっていたんだけど、やがて、はーっと長いため息をついて、低い声で話し始めた。言うんかい。


「……ずっと子供ができなかったんです。たぶん、私に原因があって。妻は子供が欲しくて欲しくてたまらないんです。だからあんな称号が付いてしまったんだと思います。だったら私と離婚して、もっと若い男性と結婚すれば妻は不倫しなくてもよくなるのではないかと――」


「そんな事情があったのね……でも本気でそう思ってるんじゃないんでしょ? 奥さんだって本気で不倫したいんじゃなくて、小説の中の禁断の恋っていいなって思ってるだけだって言ってたし。きっとお互いよく話し合えば分かるはずよ! 刑事さんなんだから忙しいのはわかるけど、夫婦は心の底から本音を言い合わないと!」


「……そう……ですね。いや、きっとそうなんだと思います。たしかに私たちは話し合う時間があまりなかった。わかりました、今度じっくり話し合おうと思います」


 そういう明さんの顔はちょっとだけ綻んだ気がしたんだけど……こういう話を高校生が聞いていていいのかな? 隣の瑠香はダイニングテーブルの上でスケッチブックにデッサン描いてて聞こえてないフリしてるみたいだから俺もそうしよ。


 これ、明さんの後姿かな? ワイシャツ腕まくりしてて、そこから見える腕の筋肉がすごいや。瑠香は中学からずっと美術部で、高校でもやるつもりだから、描いてないと腕が鈍るんだってさ。


 夫婦で子供ができないって状況が俺にはまだ想像しきれないけど、『離婚願望刑事』って称号は、本人の実情なんてまったく考慮しない、血も涙も通っていないただの記号でしかないんだな。


 そんなものを他人も見られるようにするなんて、これを考えたやつ、人間とは思えないよ。人間だったとしてもきっと人の心なんかもっていない冷酷なやつなんだろう、って俺は思いながらネットでの情報サーチを続けた。続けながら、ふと考えがよぎった。


 ……結婚して、夫婦になって、子供が……。そうか、夫婦って法律がからんでくるし、楽しいことばかりじゃないんだ。俺、ひょっとしてすごく間違ったことしてる? 結婚して子供が生まれたら、母親のほかにもう1人、女性がいるってすごくダメなことじゃ……。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 食事の後片付けも終わり、日が暮れると、段ボールに入った荷物がどんどん届きだした。荷物が来るたびに俺たちは二階に上がり、白猫宅配便の制服を着た人たちが家の中に段ボールを一杯運び込んで、なにも言わずに出て行った。


 明さんによると、全員警察官だそうだ。車も段ボール箱も本物の白猫宅配便のもので、ご近所に不審に思われないための措置らしい。明さんは荷物の中からイヤホン型のインカムを取り出して付けて、早速いろいろ何か指示してる。


「じきに博士が到着するそうだ」

 と、明さんが言った。エキスパートってやっぱり博士なんだ。なんか博士っていうと壮年のお硬そうな人物で眼鏡をくいっとしながら冷静に高説をたれるようなイメージがあるよ。


 15分後、ピンポ~ンってインターホンが鳴った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「ハーイ、コニチワ! 初めまして、ナイストゥーミーチュウ!」

 と、ドアを開けて元気な声であいさつしたのは、やたらテンションの高い金髪美女、20代半ばの外人さんだ。日本語はできるみたいでよかったけど、しゃべり方がすごいクセある。予想外すぎてびっくりだ。


 着てる服が……なんだ、これ。黒い白衣? デザイン的にはお医者さんが着てるような白衣ドクターコートなんだけど、色が真っ黒で一瞬ギョッとなった。


「ご足労いただいてすみません、私が横山です。そしてこちらが……」

「オー、イエース! ユアサファミリーね! ワタシはジュディ・如月きさらぎといいまス。オカーサンとルカちゃんと、Two-timing boy二股野郎、よろしくネ!」


 俺のところだけ早口の英語でなんて言ったのかわからなかった。発音がネイティブっぽいし名前からするとハーフかな? まるでハリウッド女優さんみたいなゆるフワに巻いてある長い金髪をなびかせて、青い瞳をキラキラさせながら自己紹介して、俺の頭の上を見てニヤっと笑った。


 なんかやだな――。

 って思ってたら、ジュディさんは次に明さんの頭の上を見て神妙な顔になり。


「アキラ……どんマイケル!」

 って明さんの肩をぽん、と叩いた。

「……くっ」


 うわ……どんまい気にするな、ってレベルじゃないのに茶化すとか。明さん……可哀そうに、頭抱えて落ち込んじゃったよ。ジュディさん、人の心ある?


 その様子を見てジュディさん、さすがに悪いと思ったのか、

「ダイジョブでーす! ワタシも仲間になりまス!」

 と言ってドアを開けて出て行ったんだ。


「あっ、出たら称号が……」

「いいのいいの。それが目的で来たのでース!」


 って言ってすぐに戻って来た。彼女の頭についていたのは――


『人の心ナッシングお姉さん』


 だった。

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