第4話 ドア向こうの修羅場
それから数時間が経った。お昼になり、母はレトルトカレーをみんなに出してくれた。料理する気にならないらしい。最初はとりとめのない雑談してたけど、そのうち話題も尽きてみんなでぼーっとテレビを眺めていると――
パラパラという音がして、横山さんが窓の外を見て立ち上がった。
「あ、雨が降って来たわ、洗濯もの取り込まないと」
母もそれを聞いて椅子から立ち上がった。
俺は、ピン、と来た。
「そうだ、傘!」
玄関の傘立てのひとつを抜き取って自分で差してみたら――
「お兄、称号が見えない!」
「あらま、本当だわ。こんな簡単なことで……」
一同は
「はーーー」
と長い息を吐いた。重たい石みたいな心が、ほんの少しだけ軽くなったんだ。条件付きだけど外に出れるってのは大きいよ。
根本的な解決にはなってないけど、とりあえず外に出る時は傘があればなんとかなりそうだ。日中なら日傘で行けるし。
「よかったー、この傘、借りますね。後で返しに来ます。私、やっぱり家が心配なので戻ります。なにかわかったら電話ください。……主人には、ちゃんと話を聞いてもらおうと思います。外には出なければいいけど、家の中ではやっぱり主人には見られてしまうので」
「そうよね。それがいいわ。ちゃんと話したらきっとわかってくれるわ。旦那さん、今日は夜勤で明日帰って来るんでしょ? ひょっとしたら一晩寝て起きたら消えてるかもしれないし」
と、母が気休めというか希望的なことを言った。俺もそうだったらいいな、って思った。
横山さんは、ドアを閉める時、チラっとこっちを見た。その視線がなぜかネットリしていたような……いや、俺の思い違いだろう。だって美人でも人妻だし俺の倍以上の歳だしな。俺なんか恋愛対象じゃないよな、そんなこと思ったら横山さんに失礼だよな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お昼が過ぎて、母と瑠香と俺はとりあえずそれぞれの部屋に行って休むことになった。いろいろ考えて結局なにもわかっていない、ということがわかっただけで徒労感がひどかった。ため息を付きながらソファーから立ち上がった。
『ピンポーン』
……うわあ、こんな時に宅配か? って思ったら――
『こんにちは、宮畑でーす。プリントたくさん配られたのでもって来ました。あーくん(彰人の愛称)、風邪だったそうで?』
うあああああああああああああああああああああああああああ
絶対に見られたくない!
俺はすがる思いで、戻って来た母を見た。思いが通じて母はインターホンに出てくれた。
母は俺の二股のことは知らなかったし、交友関係も普段から気にしていないけど、さすがに頭に称号があるのを見られるのはやばい、と思ったようだ。
「あらー、せっかく来てくれたのにごめんなさいねえ。うち、家族みんなコロナだったみたいなの。だから、危ないからこのままで失礼しますね。プリントは宅配ボックスに入れておいていただける?」
ありがとう母さん、ナイス!
『そうでしたか……わかりました。実はお見舞いにと思ってあーくんの好きなプリンも買って来たのでいっしょに入れておきますね。お大事に、ってお伝えください』
……ほんといい子なんだよ――。ごめんよ心美。こんな俺で。
『あら、だれ?』
心美の声が不信感のある声に変わった。
『あなたこそだれ? あっくん(彰人の愛称)に何の用?』
うああああああああああああああ、
俺はインターホンカメラのモニターを覗いた。彼女たちがドアの外で2人、お互い怖い顔でにらみ合っていたんだ。
俺は無言になって、母と瑠香は興味津々で2人の会話を聞いた。
『わたしは、あーくんと同じクラスの宮畑です。今日欠席だったからプリント持ってきたんです』
『なーんだ、あっくんの同級生かー。あたしはあっくんの10年来の幼馴染の小林です。風邪だって聞いたからお見舞いにプリン持ってきたんだけど……』
うっ、陽葵もいい子なんだよ……風邪じゃなくてこんな最低な理由で休んでごめんよ……。
『今聞いたらコロナっぽいんですって。プリンが……あーくんの大好物って知ってるんですね』
『そりゃあ10年も付き合ってればね。この宅配ボックスに置いておけばいいのかな?』
『そうみたいです』
『ふーん……』
『へぇ……』
こわい……、2人のお互いを見る笑顔がすごいこわい!
でも、その修羅場はそれだけでは終わらなかったんだ。
インターフォンのモニター画面の中で2人が急に後ろを向いて、ぎょっとしたんだ。
『湯浅さん、すいませーん、隣の横山です。ちょっと
モニターに現れたのは178センチくらいで、グレーのスーツを着た筋肉モリモリの40代くらいのおっさん……お隣の横山さんの旦那さんじゃないか、なんで? さっき夜勤だと言ってなかった?
横山さんの旦那の
俺は母さんを見た。首を横に振った。今度は助けてくれないのかよ……。
『あっくん、コロナらしいから熱出てるんじゃないですか?』
陽葵がそう言ってくれてる。
『緊急の用事だから。彰人くん、いるんだろ? ちょっとでいいから顔見せてくれる?』
やっべー、これ、ひょっとしたら横山の奥さんが旦那さんに電話しちゃったんじゃないか? それで事態の把握に来たとかそんな感じじゃなかろーか。
母と瑠香は俺を見た。2人も困った顔だ。
よりによってなんで心美と陽葵がいるときに来るんだよおおおおお!
ドア開けたくない。
必死に考えて、とりあえず旦那さんにだけでも――って思ってたら。
『ああ、君たちは早く家に帰りなさい。コロナが学校に広まったらだめでしょ?』
と心美と陽葵に促してくれた。ナイス!
心美と陽葵はお互いに顔を見合わせて、ちょっと肩をすくめてから、
『『はーい』』
って引き下がってくれた。よかったよ……。
「じゃあ、彰人呼んできますね、玄関の中でいいかしら?」
母さんが聞いたら、明さんは、それでいいですよ、と言ってくれた。
この状況を知る人が増えるのは心配だけど、ここまで来られちゃったら仕方ない。俺は開いた傘を持ってドアをそーっと開けて明さんを迎え入れた。
待てよ……俺、なんかすっごい大事な事忘れてない?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます