第2話
まるで、神に祈りを捧げる神殿のようだ。
天文台の敷地に入って、迎賓館に案内されたユラは建物に入った途端、思わずエントランスで立ち止まっていた。
円天井に掛かれた見事な星図。
ここにはホテルにやって来た四人の学生と、グレアムしか入って来なかった。
立ち止まったユラを見て、ネイト・アームステッドも足を止めた。
「あ……すみません」
「いいえ。良かったらゆっくり見て下さい。
ユラさんは我々の客人という形でここに来ていただいています。
ここを選んだのも、目を引く内装を気に入ってもらえるかなと思ったからなので」
「ありがとうございます……とても綺麗ですね。所々、光ってる……」
ネイトが一緒にやって来た三人に軽く頷いて合図を送った。
彼らも頷き、少しその場を外す。
グレアムだけが残り、ユラの側にいてくれた。
「八十八星座が描かれています」
ネイトは壁に歩み寄って、パネルを操作した。
するとライトがゆっくり消えて行って、天井の星図から、本当の夜空のように星座が輝き浮かび上がった。
「すごい」
グレアムも思わず呟いた。
「工学部が作った人工ダイヤモンドが星座の形に埋め込まれているんです。
今日は一日中晴れていたから、特に明るいですね。日中、屋上に取り付けられたソーラーパネルに熱を集めて、夜に発光するようになってるんです。天気の悪い日はここまで輝かないんですよ。日によって、いつもここの星座は見え方が違う」
「綺麗です」
ユラは本当に驚いたように、ずっと見上げている。
こうして見ると普通の十六歳の少年だ、とネイトは思った。
【グレーター・アルテミス】公演でたった一人二時間以上、無心でピアノを弾き続けていたあのピアニストと同一人物とは思えない。
この三カ月、彼はのんびり星を見上げるような余裕も無かったはずだ。
連邦捜査局の取り調べに時間を費やされ、そこからホテルに移っても事実上軟禁状態だったのだから。
「用意したユラさんの部屋にもこれの縮小版ですが、星図が描かれた部屋があるので、あとで見てみて下さい。この迎賓館の部屋にはそれぞれ星や月にまつわる、そういう仕掛けがあるんです」
明かりがゆっくりと戻った。
「あの……シザさんと、昨日話したと言ってらっしゃいましたよね……」
「はい。本当は先に彼に話をしなければならなかったのですが、一気に話が進んでしまって、一言お詫びをしたかったんです。勝手に騒ぎを起こしてしまったから」
ユラは慌てて首を振った。
「謝らないで下さい。本当に、皆さんには感謝してるんです。
驚いたけど……、でもシザさんもきっと喜んでくれてるはず」
「はい。僕達の活動を全面的に支持すると言ってくれました。
それから……帰国などのことはユラさんの体調が整えば、いつでも構わないそうです。シザさんは……貴方のことをとても心配していました。
必ず二十四時間以内に、捜査局には貴方を釈放させますと約束したら、嬉しそうだった」
シザの笑った顔が浮かんで、ユラは少し目をこすった。
グレアムが優しく背を撫でてくれる。
「そうだ……ユラさん。グレアムさん。
これは伝えておきます。
ダルムシュタット国立大は【ゾディアックユニオン】加盟の大学なので、月の研究所とデータ交信が出来ます。
その為、この建物も含め、外部から傍受は大学の許可なく出来ません。
傍受すると月の管制センターに相手の記録が居場所特定も含め、数ミリのズレもなく残りますので、これは物理的に不可能と言っていい。
天文学部のキャンパスは明日も普通に開いていますが、迎賓館は閉じていますので滞在のことはどうか気になさらず。学長、学部長からも許可を取っていますし。
グレアムさんから、公演から帰国して体調を崩されていたと聞きました。
数日ゆっくりなさって下さい。
……今後のことはご家族で決めていただければ、僕達はその望み通りにしますので」
「……ありがとうございます。あの……、お礼しか言えないんですけど……」
まだ少し戸惑っているユラに、ネイトは少しだけ、表情を曇らせた。
「どうか気になさらないで下さい。ユラさん。
貴方が今回のような目に遭ったのは――――僕達のせいです。
だから僕達はその償いを貴方に対してした。
当たり前のことなんです」
ユラは驚いた。
「僕達非アポクリファがあの悪法を作って、貴方たちに課したから」
青年の言わんとすることを察して、ユラは反射的に首を振った。
「そんなことないです。
皆さんは何も悪くない。
確かに……、アポクリファにとって厳しい法律だけど……、
皆さんはそれで苦しんでた僕を助けてくれました。
あの法律を作った人とは全く別の考えを持った人たちです。
同じじゃない。
今は、僕もちょっと突然のことで、頭がいっぱいで……何もろくなことが言えないんですけど……。でも時間が経てば経つほど、今日のことはずっとずっと忘れられない出来事になると思います。
皆さんにも、ここに来るまで、一緒に来てくれた学生の皆さんにも……本当に感謝しかないです。
ホテルの周りに花が飾ってあるのを見た時、本当にびっくりしたけど……とても嬉しかった。僕……、ピアニストになってから、色んな場所で花を贈ってもらえるようになりましたけど、それでもあんな経験は初めてでした」
ネイトは『同じじゃない』とユラが言った時、表情を和らげた。
「……ありがとうございます。皆も喜ぶ。
ユラさん。本当にいつかの話で構いません。
いつか僕達の大学で公演をして下さい。
僕達は最初【グレーター・アルテミス】公演は配信が無くて見れなかったんです。
それが、【グレーター・アルテミス】の人達が見たいという僕達の声に応えて、こっちへも映像を配信してくれたから見ることが出来た。
貴方の公演を見た時、本当に感動しました。
僕達の大学には貴方のファンがたくさんいる。
僕はそういう人たちと今回のプロジェクトを立ち上げたんです。
いつか僕達の大学で、貴方の演奏を目の前で聞いてみたい」
ネイトが手を差し出して来た。
ユラはゆっくりとその手を取る。
「約束します。僕に出来ることは、ピアノを弾くことだけだから。
いつか今日のこの嬉しさと感謝をみなさんに伝えたいです」
ネイト・アームステッドは嬉しそうに笑って頷いた。
「立ち話をしてしまって、すみません。
部屋に案内しますね」
歩き出した青年の背をユラは見つめた。
かつて、兄弟二人だけで【グレーター・アルテミス】に来た時、兄のシザが言ったのだ。
閉ざされた世界に生きて来たユラは外界に臆病になっていたし、
右も左も分からなかった。
人間の心など、もっと分からない。
だからシザがしばらくは自分が、付き合っても大丈夫な相手かどうか吟味するようにするから、と言った。
彼は当時、今のユラと同じ十六歳の青年だったのだ。
それでもたった二人きりの兄弟になった時点で、もっと唯一の保護者にならなければという自覚が芽生えたのだろうと思う。
僕がこの人ならと信じた人ならお前も信じて大丈夫だから、と言って。
ユラは今でさえ、人間を見極めることなど出来ない。
同時に、
『そうしているうちに、ユラも自然と自分でこの人なら信じて大丈夫だと思える人が分かって来る』
そうも言ってくれた。
……まだシザから想いも打ち明けられていなくて、本当に兄弟でしかなかった頃のことだ。
でも彼は大学寮に入った時から好きだったと後に打ち明けてくれたので、あの時はすでにそういう気持ちがあったということになる。
それでもシザは、ユラを狭い世界に閉じ込めようとしたり、過保護に何でも干渉して来るようなことは決してしなかった。
あんな過去を持ったユラが、世界にまで絶望しないように、
この世界には素晴らしい人や、確かな光のようなものがあるから、
これからはそういうものを自由に、思い切り選んでいいんだと、
シザは最初から言ってくれていた。
恋愛をしたいと思って、彼を選んだわけじゃない。
だけど、恋をするのなら彼しかいないと思って、選び取った。
あの家から飛び出した瞬間から、
自由になった。
今もユラが音楽を心から愛して、
……今回のように、人に強く裏切られても、
それでも心を閉ざさず、誰かを信らじれるのは、兄がそう教えてくれたからだった。
そういう風に人はみんな生きていて、
自分たちもそう生きていいのだということを。
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