第13話 あまねく
神から選ばれしハルシュフェスタの祖王の権威はあまねく国土を覆い、揺らぎなく国を安定させる。
偉大なる王の子孫もまた然り。
神に愛された王族たちの栄光は続く。
その栄えある国の王太子はバレンシアの転移魔術でやって来た。
使用人一同最敬礼で彼を迎え入れる。
王城で見るよりもやや素顔に近い表情で彼は微笑みながら人払いをする。音もなく下がっていく使用人たち。そして塔子は着飾らされてヘトヘトになりながらも愛想良い笑顔を浮かべてお辞儀をする。下手にこちらの世界の礼儀を知っていると思われてはいけないので日本式の挨拶だ。その彼女の横で王太子に引けを取らない貴公子然とした宗十郎もお辞儀をした。セレブな宗十郎がやると塔子とは全く別物の形、お辞儀ではないような、つまりとてもスタイリッシュで様になる挨拶なのは何故だろうか。
「初めまして、異世界からのお客人。私はハルシュフェスタ王国王太子エレミア・レンドランド・ハルシュフェスタだ」
彼の癖のある金髪がふわりと翡翠色の瞳にかかって塔子は触りたくなってしまう。英砥だった時も、実は触りたかったくらいのゆるふわ髪だ。
「初めまして花宮塔子です」
「八瀬宗十郎です」
「二人とも、なんとも言えない華があるね」
王太子はあながちお世辞とは言えない賛辞を贈る。美形の多い王族の中にいても遜色のない美貌に彼は目を細めた。
「本当に小さい英砥だな」
彼の小声の呟きに塔子は聞こえないふりをした。
恐らくバレンシアに塔子が英砥の姪だと聞いていたのだろう。信じられない事実を目の前で確認してかなり衝撃だったようだ。面の皮の厚いはずの王太子が思わず口にしてしまう程の。
「殿下、先に食事にしましょう。塔子がお腹を空かせているらしい」
バレンシアが気遣うように言った。そもそも事実なので塔子は笑顔になって彼らの後に続く。
食事は屋敷の中でも一番広い舞踏会さえ開けるような部屋、もはや部屋と言ってはいけないような気がしている塔子だが、そこに用意された。
もちろん、バレンシアの地位を辱めることのない立派な意匠の施された空間に趣味の良いテーブルクロスとカトラリー。食卓を飾る花々も匂いの少ない、だが珍しいものだ。更にガラスの器に水を入れ、そこに花の形の蝋燭を浮かべキラキラした宝石のような石を閉じ込めて何とも言えない儚く華やかな様相を醸し出している。
その趣向を凝らして飾られた絵画で見るような長い食卓の端にこじんまり四人で並んで座る。
まずはワインで乾杯だ。塔子と宗十郎にはグラスにジュースを入れてもらっているので安心して口にする。
「塔子、殿下がいくつか質問されたいそうだ。食べながらで良いから答えて差し上げて」
バレンシアがワクワクした様子で言う。どう切り抜けるか見たい、と目が言っている。
「はい。王太子殿下、何を聞きたいんですか」
わざと敬語も軽い感じで答える。
「そうだな。まずは名前を呼ぶ許可を頂けるかな」
柔らかな目で彼はそう言った。
「どうぞ、ご自由に」
王太子ともなれば相手を呼び捨てにする権威を持っている。だが相手が未婚の女性の場合は要注意で、例えばそれが婚約者なら問題ない。王太子が婚約者ではない若い女性を呼ぶ場合は更に親密になりたい、つまり体の関係になりたいとのアピールになってしまうのだ。これは正妃以外に妻を持つことができない王の責務である子作りを励行するもので、公認の愛人要請なのである。
これが普通の貴族の男性なら何でもないようなことなのだが王太子となれば高位貴族特有の符号になってしまう。
塔子はそれを知っていても態度におくびにも出せない。まさか本当に体の関係を要求するような意図はないと思うが、異世界から来たばかりの小娘がそんなことを知っていたらおかしい。
塔子は頭の中に「さっちゃんの柔らかなお胸」を想像しながら耐える。癒しがないと耐えられそうにない。
ああ、でもさっちゃんがこの場にいたら殿下に直ぐに食べられてしまうからいなくて良かった。
変に安心して塔子は顔に笑みを貼り付けた。
「では塔子。君はこちらの世界に来てどう思った?」
「どう、って言われても困るけど、綺麗な国ですよね」
塔子は当たり障りのない回答を返す。
「そうか。それでここで暮らしていけそうかい?」
「まだ来たばっかりで何とも言えません。でも帰れないんですよね」
その言葉にエレミアは目を伏せた。
「帰りたいだろうな、生まれ育った場所へ」
彼が今誰を思い浮かべているのか分かってしまった塔子は複雑な気持ちで目を逸らした。
勇者が亡くなってこちらではまだ一週間。彼らは英砥の面影をあちこちに見ているのだ。英砥を元の世界へ帰したいと友人としてのエレミアは常々思ってくれていた。彼らの元を去って、永遠にどこへも行けなくなった英砥を彼はどう思っているのだろうか。
自分はさっさと生まれ変わってしまった塔子は、こうしてもう一度彼らの元へ帰って来てしまったのだが。
「お聞き及びかもしれませんが、私の伯父がここで暮らしていたと聞いています。会ったこともない人だけど、友人に囲まれて幸せだったはず。だから不思議な縁がこちらにあるのだと思うとここに来たのも悪くないかな、と思ってみたり」
塔子は英砥の話題に触れた途端、王太子エレミアの目に光が輝き出すのを見た。彼の自信溢れる懐かしい表情に言葉が曖昧に終わってしまったことにも気が付かず、塔子はぼんやりエレミアの翡翠色の瞳を見つめていた。隣で宗十郎の表情が険しくなっていることにも気が付かない。
「英砥は、君の伯父さんは勇者と呼ばれていたんだよ。才能に溢れ、素晴らしい品位と気高い魂を持っていた。人を惹きつけるあらゆる輝きというものに溢れていて眩しい存在だった。私がこの世界で最も信頼している人物なんだよ。残念ながらつい先日亡くなってしまったのだが。君がもう少し早くこちらに着いていれば会えたかもしれないね。英砥も自分の姪に会えたら喜んだかもしれない」
エレミアの言葉に塔子は胸がゾワゾワして堪らない。
彼の英砥への想いが溢れすぎて伝わってくる。そのせいで何だか冷静ではいられない気がする。他人の顔をして本人が本人の評判を聞くことほど恥ずかしいものはないと知った塔子だった。
英砥の姪は英砥本人の記憶を持って生まれたんですよ、と教えてあげたい。
「伯父は素敵な人たちに囲まれて幸せだったんでしょうね」
そう言ったのは友を亡くした彼らを慰めたかったからでもある。英砥が幸せだったのは本当のことだ。彼らがいたから立っていられたのだから。
「彼がそう思っていてくれるといいな」
エレミアは穏やかに微笑んだ。それから宗十郎の方へ視線を向ける。
「塔子と宗十郎は幼馴染だとか」
「ええ。母親の腹の中にいた時からの付き合いです」
宗十郎が答える。塔子の母と宗十郎の母は仲が良い。妊婦健診も一緒に行っていたと言うからあながち彼の言葉も嘘ではないのだ。
「そうなのか。では兄妹のようなものだね」
「いえ、幼馴染でもうすぐ恋人になりますけど」
自信たっぷりに言った宗十郎の言葉に塔子はちょうど飲んでいた葡萄ジュースを盛大に吹き出した。
「ちょ、ちょっと宗十郎、何言い出すの」
給仕がナプキンであちこち拭いてくれる。
「だって本当のことだろ。俺たち、相当深い付き合いだ」
誤解を生むような言い方に塔子は呆れてしまう。
深い仲って言うのはさっちゃんの胸にスリスリする以上の行為ができる愛情いっぱいの仲ってことだよ。お子ちゃまには難しい話だろうけど。
塔子が何を考えているのか分かっているかのように宗十郎が塔子を色っぽい目で見つめる。思わず頬を赤くする塔子にエレミアの視線が突き刺さる。何も悪いことをしていない塔子はドギマギと新しく入れてもらったジュースを飲み切った。
「ん?」
ジュースは先ほどと違って甘くなく、かなりの辛口だった。
「塔子と宗十郎、この先二人には私の庇護下にいてもらおうと考えている。今は少し微妙な時期で大々的に公にはできないが、いずれお披露目をして私が後見人になろう。それまではバレンシアの元にいてもらうつもりだが、希望するならば今夜からでも城へ来てもらっても構わない」
王太子の一存であれば何に対しても優先されるべき事項になる。この国はそんな国だ。だから塔子も反対とは言えず、しばらく考え込む。
「お申し出はありがたいと思います。あの、伯父のように自由は保障されるのでしょうか」
勇者だったから魔王討伐が責務だった。その対価に王族の庇護と自由を得た。これが魔王のいない世界の話だと異世界からの客はどういう立場になるのだろうか。塔子の中に不安が頭をもたげる。
「異世界から召喚されるということは極めて稀なことだ。だから私が庇護することは当然だ。そして君たちの自由を保障するのも私の采配一つ。私を信じてくれるかな」
誠実な翡翠色の瞳が塔子と宗十郎に注がれる。
信じてはいる。だがエレミアは王太子だ。国の為に民草を虐げることもするだろう。そういう人だと知っている。そして自由を保障するかとの塔子の問いに彼の采配のうちだと答えたのだ。つまり、保障するとは言っていない。
塔子は交渉は苦手だ。英砥の時は頭も良かったし交渉術も持っていた。今は勘なら働くが、難しい読みはできないのだ。
「俺は塔子さえ幸せでいてくれるのなら何でもいいけど」
宗十郎の頭が弱い子みたいな発言に塔子が目を剥く。いつもの頭の良い彼はどこへ行ったのだ。
「あの殿下。私たち、まだこちらへ来たところだし、ゆっくり考えさせてもらっても良いですか。できればバレンシアのところで色々勉強して、それから身の振り方を決めるってことでも構いませんか」
この国のことは何にも分かりませんし、と塔子は言った。王太子の権力がそこかしこに行き届いていることなど知らぬ顔で。
「ふむ。もう決定事項なのだがな。今は甘んじて君の可愛らしいお願いを聞いてあげるふりをしようか」
不穏な発言が聞こえた。
塔子は素知らぬ顔でお代わりのジュースをあおる。
今度は甘ったるい味で、思わずお代わりを入れてくれた給仕を見上げる。
「あれ?」
ニコニコと側に立っている若い男性はライラックだ。心配して付いていてくれたらしい。
ライラックはこそっと塔子の耳に内緒話を囁く。
「殿下が先ほどの飲み物に媚薬を入れられたので解毒剤をお持ちしました。あまりにも甘いのが難点なのですけれど」
「ありがとう、助かった」
水面下で何か良からぬ企みがあったらしい。危ないところだった。
そう言えば、と塔子はエレミアを見つめる。
彼は英砥がこの世界に来た時には婚約者がいて、魔王討伐後に正式に婚姻した。しかしまだ子供には恵まれず周りからも側室を設けるように言われていた。後継者には彼の妹であるアルカナ王女の子息を養子にするという話が出ていたが英砥はあまり詳しく聞かなかった。王族のことは王族で話し合うべきで平民である英砥に相談に来たエレミアに良い助言をあげられなかった経験がある。
もしかして英砥だと気が付いて相談に乗らなかった嫌がらせに側室にしようとしているのか、と疑ってしまうが、塔子が英砥であることはバレンシアでさえ最初は気がつかなったからバレてはいないだろう。それに見た目が英砥に似ているからエレミアも少し感傷的になったのかもしれない。
ふう、と息をついて塔子は隣で遠慮なく美味しいご飯を食べている宗十郎を見た。優雅な所作は育ちの良さの表れだ。彼は塔子の視線に瞬きを返す。
「食べないのか」
「食べるに決まってるよ」
塔子は言うなり料理に手をつける。
考えることは後で考えて、今夜は美味しいご飯に舌鼓を打とう。
そう考えながらも、英砥としての記憶を取り戻し、和食を堪能した少ない日々がもう帰ってこないのだと思い出すと、何だか非常に現実が辛く感じるのだった。
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