第7話 憧れの王子様

 優雅なクラッシック音楽が流れる庭園の東屋で塔子はひっそりとため息をついた。某会員制の宿泊可能なレストラン、いわゆるオーベルジュというやつに彼女は家族と来ている。山奥に立つ城かと見紛う洋風の建物、そして広大な庭。着飾った人々。

 陽が沈む前から始まったパーティ。趣向を凝らした料理が卓に並び、あちらこちらにイベントが用意されていて各々好きに過ごす。

 うんざりだ。

 塔子の眉間に寄った皺は深く、ため息の回数も非常に多い。

 前世で本物の貴族のパーティに幾度となく出席し、王族の催すお茶会とやらにも何度も招待された。いや、無理やり連れて行かれたというのが正解か。

 親友である貴族のエリックは手慣れた様子で女性たちや上位貴族の男性をエスコートし会話を楽しんだりゲームで手遊びしたりと楽しみ方を教えてくれたが英砥はあまり華やかな雰囲気が好きではなかった。とは言え、何でもできてしまう彼にとっては筒がなくお上品なお貴族様たちの相手をして過ごすことは問題なく遂行できる任務だったから苦手というほどでもなかったのだが。

 一方、塔子は違う。

 本物の貴族とは矜持が高く、そして責務を忘れたりしない生き物だったから礼儀正しかったのだが、今回の庭園パーティに来ている人々はそうではない。商人魂の垣間見える成金、二枚舌の政治家、野望を隠しもしない下品な金持ち。

 本物のセレブはどこへ行った。

 エリックや王太子の顔を思い出しながら塔子はもう何度目かのため息をついて会場を見回した。

 成金に連れられて来ているモデルや女優もいて、本当に様々な人間がここに集っている。その中で牽制され貶められるのは気の良いものじゃない。

 控えめなワンピースを着ている塔子はやや華やかさが足りない。だが彼女の持つ高貴さや隠されている美貌を嗅ぎつけないものはいない。

 塔子は絡まれてうんざりして東屋に逃げて来たのだ。

 相手が誰か分からずに挨拶に来る者もいるし、気が抜けない。

 兄や姉は面の皮が厚すぎる上に攻撃的なので好き好んで人の輪の中に突っ込んで行っている。一体どういう育ち方をしたらああなるのか。

「塔子」

 身なりの良い青年がカクテルグラスを二つ手に持ってやって来た。

「宗十郎、あんたも来てたの」

 当然だ。彼の家が催した食事会である。家族ぐるみで仲の良い塔子の家が招待されるのは自然なことだった。

「塔子、疲れたのか」

 今日の宗十郎は世間一般からしたら完璧な王子様のようだ。

 キリリとした整った美貌、恵まれた体躯にセンスの良いスーツ。生まれと育ちを保証された金の卵。

 淡く香る香水の匂いに塔子は鼻をヒクヒクさせる。

「なに」

 彼の肩口でクンクン匂いを嗅ぐ挙動不審の幼馴染に若干引き気味の宗十郎が真っ赤な顔で塔子を避ける。

「匂いがする」

「ああ、オーデコロンだろ」

「良い匂いがするよ」

 まだ匂いを嗅ごうとする塔子を押しやって、彼はテーブルにグラスを置いて塔子と距離を取る。

「気に入ったのか」

「うん。私もつけたい」

「いや、男物だからな?今の時代、女性でも男物を使う人はいるけどさ」

「うーん、じゃあ、宗十郎にくっついてたら匂いが移るかな」

 そう言って、塔子は宗十郎の膝の上に収まる。

 だんだん思い出した記憶の中に宗十郎との思い出はかなりいっぱいあった。ほとんど一緒に育ったと言っても過言ではない。どうして忘れていたのかは不明だが、兄弟と呼んで差し支えないと塔子は思っている。

 昔から体格の良い宗十郎の膝に乗って遊んだことはいっぱいある。だからなにも問題ないはずだった。

 宗十郎が不意に腕を塔子の腰回りから腹に伸ばしてギュッと彼女を抱きしめる。背中に感じる彼の吐息、広い肩、厚い胸板、角張った彼の大きな熱い両手。異性を意識させるものたち。

 塔子は彼女の肩に頭を乗せている宗十郎の柔らかな髪の感触に頬擦りしたい衝動に駆られた。

 前世で飼っていた狼のような魔物を思い出す。

 全身銀髪のもふもふで従順にして果敢に戦う最高の相棒だった。

 あいつ、オデロは硬い節くれだった指の関節を舐めるのが好きだったな。王太子が名付け親になってオデロと呼んでいたが、それがどういう意味の名なのか知ったのは随分経ってからだった。

 思い出したら会いたくてたまらなくなる。

 そして、あのもふもふが再び塔子の前にある。

「よしよし、良い子だね」

 塔子は宗十郎の髪を撫で回す。せっかく綺麗にセットされていたであろう彼の髪は最早ぐちゃぐちゃで、そのせいで美貌が損なわれることはなく、むしろ乱れた色気が追加されているのだが、塔子には関係のない話だった。

「良い子にはご褒美がいるね」

 ここに肉はないし何かあげるものはあるだろうか、と塔子がキョロキョロと辺りを見回し。

「ほら、これをどうぞ」

 皿にとってきていたフルーツを手の平に乗せて差し出すと、彼は顔を上げて塔子の肩から舌を出す。塔子はそこへ手の平を近づけた。

 宗十郎はペロリと彼女の手を執拗に舐めながら、その後フルーツを口に入れた。

 まるでオデロそのものじゃないか。

 塔子は感動して宗十郎を想いの籠った瞳で見つめる。

 ふと彼女は宗十郎の股間に異変が起こっていることに気が付いた。前世が男性であった塔子にも覚えがある。誰かに媚薬のようなものを盛られたのだろうか。流石は優良物件。憧れの王子様とあちこちで呼ばれているのは知っている。

「宗十郎、解毒薬を持ってる?」

「え、なに」

 宗十郎が塔子の首筋に舌を這わそうとしてビクッと体を揺らして問い返す。

「持ってないなら良いんだけど」

 異世界での媚薬の効果は長かったが、ここではどうだろうか。

 塔子はそもそもこっちの世界に媚薬があるのかどうかも知らない。成分にもよるが、こちらの世界にはない魔法の効果が入っていないなら解毒も簡単ではないだろうか。

 塔子は立ち上がって宗十郎に向き直る。

 彼は赤い顔をしてトロンとした目を彼女に向ける。普段の彼からは想像できない顔つきに塔子は同情するような目を向ける。

「とりあえず、誰か呼んでくるから大人しくしててね」

「え、誰かって?ちょ、なんでこの流れで人を呼ぶんだ。塔子、待てって」

 宗十郎に見向きもせず、彼女は東屋を後にした。

 お互いの認識にかなりの差があることを悟った彼女の幼馴染の嘆きは彼女には届かなかった。

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