恋の味がした

春田

恋の味がした

 あの日、体育館の隅っこで、ふたり並んでカフェオレを飲んだ。紙パックに挿した一本のストロー。間接キス。

 そのとき、恋の味がした。



   *



 アラームが鳴るよりも早く、目が覚めた。

 今日は人と会う約束をしているのだ。憧れの先輩と遊びに行く。憧れ、というか、好きなひと。二人で。

 だから、もはや、これはデートなのだ。


 手早く弁当箱に残り物を詰めて、準備を済ませて、家族を見送る。

 シャワーを浴びて、ボディークリームやヘアオイルを塗り込む。丁寧に、丁寧に。髪を乾かし、服を着る。

 新調したばかりの下着。下ろしたてのワンピース。帰ったらすぐにクリーニングに出さなくちゃ。

 いつもの五倍の時間をかけて、メイクをする。

 あの日と同じ、ミディアムボブに切った髪に、ヘアアイロンを滑らせる。


 電車を何本も乗り継いで、他県の知らない街に到着した。

 待ち合わせの時間よりも少し早い。

 きょろきょろと辺りを見回す。

 まだ来ていないみたいだ、そう思って、携帯を手に取る。暗い画面に映る自分の顔の後ろで、待ち人が笑っていた。

「えっ!?」

 驚いて振り返ると、あの人がいた。マスクの縁に手をかけて、目を細めている。

「いつ気づくかなーと思って」

 笑いながら、はい、とカップを渡される。温かい飲み物。顔を近づけるとカフェラテの匂いがした。

「ありがとうございます!」

 あー、かっこいい。

 なんとか喉の奥に押し込んで、飲み込んだ。

 私もマスクをずらして、カフェラテを嚥下する。

 うるさく鳴る胸の音が、鼓膜を揺らした。

「どこ行こっか?」

 行き先が決まらないまま歩き出す。

 マスクをずらしてから、両手でカップを時折傾けて、口の中に甘さを溶かす。ちらり、隣を見ると、片手でカップを傾けていた。大人だ。

 目が離せなくて、じいっと、きゅーんと、見続けてしまう。

 口からこぼれてしまう。

「…っかっこいい…」

 咄嗟に口元を押さえて隣を見る。

 彼は前を向いたままだった。良かった、聞こえていない──だけど、視界の端に写るものがその安心を霧散させる。窓ガラスに映る自分の顔が、雄弁に告げる。視線だけを上に向けて、目尻が下がって細くなっていて、それに、組んだ腕は胸元まで上がっていた。恋する乙女の顔。

 見られた、かも、しれない。

 ハッとして、隣を見る。

 彼の、マスクと髪の毛に隠れた頬も耳も、色づいていた。


 ──え。良い、んだ。


 彼が私を見た。温度のこもった目。熱い。甘い。

 細められた目の奥に、浮かんでいるそれに、気が付かないわけがなかった。

 だんだん顔が近づいてきて、私は目を閉じた。熱が重なった。やがて離れていく。


 ごまかすように飲んだカフェラテは甘かった。


 お互いもう良い大人だ。私にも彼にも、それぞれ家庭がある。

 それでも、やっぱり。


 恋の味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋の味がした 春田 @halttaco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ