最愛のあなたへ、弔いの詩。

天照うた @詩だった人

私はずっと、好きでした。

「……ねぇ、君は幸せでしたか?」


 君は無言のまま。なにも、喋らない。


「『私』になれて、楽しかったですか?」


 何も言わない。きっと私の声が、あの人に届くことはない。


「……答えて! 答えてよ!」


 どれだけ私が叫んだって、君の表情は変わらなかった。



 ――ねぇ、いつから? いつから、『星河ほしかわあんず』は『私』じゃなくなってしまったの?


◇◆◇


「杏、ずっと好きだったんだ。ずっと黙っててごめんだけど、付き合って欲しい」

「……はいっ」


 この時が、いちばん幸せだった。今なら迷うことなくそう言える。

 ……いや、『この時』じゃないか。『私』が綾人あやと先輩と付き合えていたあの期間が、幸せだった。

 これ以上の幸せなんてなくて、ずっとそのままで良かった。そのままが良かった。変わらなくて良かった。


 けれど、その時から私はすでにおかしくなり始めてしまっていた。たまに記憶が抜けていたり、幻覚が見えたりし始めたのだ。

 最初は、本当にたまにだったから。けれど、それもいつもになれば話が変わる。


「杏さんは、解離性同一性障害です」

「それって、何ですか……?」


 母が、震える声で聞く。医者は目を伏せる。


「簡単に言うと、二重人格です。杏さんの身体には、今後もう一つの人格が乗り移ることになる」


 母が、きつく手を握って静かに涙を流す。医者は悔しそうな、辛い表情を浮かべる。

 でも、私は何も感じられなかった。泣けば良かった? 悲しめば良かった? そのどちらもできなかった。


「……そうなんですか」


 そんな呟きだけが、寂しいそらに消えていった。


◇◆◇


 その日の夜のことだった。

 私が私じゃなくなったのは、きっと事実が見えたから。

 瞬きしたその先に、私は『白い世界』にいた。頭の中に直接響くように、声が聞こえる。


『はじめまして、って言えばいいのかなぁ? ちょっと違う気がするけど。でも、これからよろしくね!』

「……あなたは誰?」


 ――聞かなくても、わかっていた。きっと、だ。

 これが、二重人格。もうひとりの、私。


『ちょっと、やりたいことがあるの。あなたの身体を借りるわ』

「え、ちょっと待って!」


 そんな私の叫びは、どこか白い空に消えて、あの人の声が消える。

 そして、私の前にはある一つの大きな映像が映し出された。


 ……それは、。『私』じゃない『星河杏』だった。

 姿形は私なはずなのに、精神はきっと『あの人』で、仕草とか、声色が違って。

 何より、全部俯瞰的に見えた。自分のことの筈なのに、自分だと思えなかった。


「ねぇ、勝手に奪わないでよ! 返して! お願いだから……」


 ――綾人先輩の隣に、いさせて!

 スクリーンを力一杯叩く。びくともしない。音さえ出ない。

 どれだけ叫んだって、私の声はあの人に聞こえなかった。


◇◆◇


 もう、無駄だと思った。何をしたって私はこの世界から出られないし、綾人先輩の隣にはいられない。


『杏、おはよ』


 ……そうだ。この日は、綾人先輩とのデートの日だったな。私は、相変わらずスクリーンを見つめる日々を続けている。

 綾人先輩だけでいいから、気づいてくれたりしないかな。愛する人にさえわかってもらえればいい。それ以外にいらない。

 だから、どうか『本当の私』を愛してよ――!


『杏、今日も可愛いな』

『へへっ。ありがとうございますっ』


「――っ」


 ……先、輩?

 私以外のヒトをなんで愛しているんですか? なんで、そのヒトと指を絡ませてるんですか?

 もう、誰も信じられないよ。どうしたらいいの?

 その時、あの人の言葉がふっと脳裏をよぎった。


「……『ちょっと、やりたいことがある』」


 あの人は、そう言っていた。

 やりたいこと――それは、綾人先輩との接触……?

 あの人の目的なんて知らない。だけど、少しだけ背中が震えた。


「先輩! 逃げて! その女は、私じゃない!」


 そんな叫びだって、彼らには聞こえていない。


『こんな可愛い彼女がいて、俺は幸せだな』

『もう、先輩ったら。綾人先輩に隣にいられる私の方が幸せです!』


 歌うように『私』はそうやって言う。まるで、シナリオに決められたように。理想的な『ラブラブカップル』のように。


「……もう、嫌」


 こんなの、見たくなかった。見れるはずもなかった。

 きつく目を瞑った、その時だった。


『……ぐっ!?』


 その声は、まるで誰かが刺されたようなうめき声だった。

 信じられない、とでも言うような痛烈な声だった。

 驚いて目を開けた、その先には――


「先輩!?」


 ――先輩が、ナイフで刺されていた。

 『星河杏』……に。


 ――え? なんで? なんで?

 ねぇ、やめてよ。お願いだから!


 私の姿をしたあの人は、不敵な笑みを浮かべる。嬉しそうに、笑う。


「ずっとずっと嫌いだったの! あんたのことが! だから、殺してやったんだ!」


 ……なんで? なんで、あなたが私の身体を使って最愛の人を傷つけたの?


「もうこの身体なんて要らない!いいよ、返してあげる!」


 その瞬間、私の意識がぐわっとどこかに引かれた。

 それは、わたしがずっとずっと戻りたかった現実リアルだった。

 でも、今だけは戻りたくなかった。戻れなかった。


「先輩、先輩、先輩……?」


 握った彼の手は冷たくて、生気が無い。


「……お前、俺のことが嫌いだったんだ。ごめんな、今まで」

「そんなわけ……」


 ――続きが、言えなかった。だって、あの人はきっと先輩のことを嫌っていたから。


「……は、ずっとずっと先輩のことが好きです」

「――そうか。好きな人に殺される方が、無駄死によりはマシかもな」


 そういって、先輩は瞼を閉じた。

 その瞼は、とてもとても重かった。


◇◆◇


 私は、警察に捕らえられた。人を殺したから当然だろう。

 その中で、これを書いている。


 さぁ、もう終末エピローグだ。これを書き終わったら、私も彼と同じ世界へ行こう。


 ……ねぇ、私の身体を乗っ取った『あなた』は、幸せでしたか?


 あなたの幸せは、先輩を殺すことだったんですか?


 ――もう一生わかることの無い問いを最期に、星河杏の人生は終わった。

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