第1話「微熱の日々」

YU-TA 榛名

第1話 あの夜、もう一度恋が始まった

美織は仕事が終わると、習慣のように携帯を手に取った。無意識に指が達也の名前をスクロールし、電話をかける。最近、やり取りが少なくなっていることを感じてはいたけれど、彼に電話をかけるのは、今でも日常の一部だった。


「もしもし?」と、達也の声がやっと繋がった。


「お疲れさま。」美織は自分でも驚くほど、普通の声で話していた。けれどその言葉の裏に隠れている不安や寂しさは、達也には伝わらないだろう。


「うん、ありがとう。今日は少し遅くなる。」達也の返事は、いつも通りの穏やかなものだった。しかし、やり取りはいつも通りなのに、なぜか心が冷えていく感覚があった。


「そうなんだ、分かった。」美織は短く答えた。もう会話が続かなくなってきていることに気づいていたが、どうしてもそのまま終わらせることができなかった。


「最近、あまり話してないね。」美織は意を決して言った。心の中で何度も繰り返していた言葉が、ようやく口から出た。しかし、その言葉が空気の中で漂うと、あまりにも重く、居心地の悪さを感じた。


「うん、忙しくてさ。」達也の声は、変わらず冷静で落ち着いている。それが、ますます美織を孤独にさせていくようだった。


「そうだよね、忙しいのは分かってる。でも、どうしてこんなに遠くなった気がするんだろう。」美織はその言葉が、どれだけ重たいものか気づいていた。でも、もう限界だった。どうしても、心の中にたまったものを吐き出さずにはいられなかった。


電話の向こう側で、達也は黙っていた。無言の時間が、二人の距離をますます広げていく。


美織はその沈黙が怖くてたまらなかった。まるで、何も言えないまま時が過ぎていくことが恐ろしい。けれど、その沈黙がついに達也の口から一言を引き出す。


「ごめん。」達也の声はどこか遠く、冷たく感じた。それが、どうしようもないほど痛かった。


「本当にごめん、美織。」達也は、続けた。「俺も、分かってるんだ。でも、今は言葉が出てこない。」


その言葉が、美織の心を一瞬で凍らせた。彼がどんなに謝っても、どんなに反省しているように見えても、美織にはその冷たさが伝わってくるだけだった。


美織は黙って電話を切った。その後、しばらく何もできずにただひたすらに涙を流した。涙が頬を伝っても、達也の温もりは感じられなかった。ただ、ひとりで空虚な部屋の中にいるだけだった。


達也との関係は、徐々に薄れていくような気がした。お互いの距離が、どんどん遠くなっていくのを感じながら、ただ毎日が過ぎていった。美織は、その先に待っている未来が怖くてたまらなかった。だけど、どうしてもそれに向き合わなければならなかった。


夜が深くなり、美織は窓を開けた。外の静かな街の灯りが、まるで自分を照らしているようで、少しだけ胸が温かくなった。けれど、その温もりも、すぐに冷めてしまうことを美織は知っていた。

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