Y字路の先が見えなくても

泉侑希那

Y字路の先が見えなくても

西日が沈みかけた十一月下旬のある日の夕刻。文芸部の部室には、私と亜香里の二人しかいなかった。

微かに聞こえてくる音色は、同じ部室棟にある吹奏楽部の部員達が鳴らしているものだろう。高校生にとっては放課後のありふれた光景かもしれないけど、今はこの穏やかさが居心地よく、手放すのはやっぱり惜しいと思った。

私達二人は、二つの机を真向かいに並べて座り、それぞれノートパソコンの画面と睨み合いながら文章を打ち込んでいる。作業開始から既に30分以上。集中力が切れかけた私は、亜香里の様子をちらちら盗み見る。機械のようにテキパキとキーボードを打つ彼女の姿が、窓から差し込む夕焼けの色に映えて、いつもよりずっと大人っぽく見えた。長い睫毛がよく似合う綺麗な目で、パソコンの画面をしっかり捉えつつ、両手は忙しなく動いている。私は自分の作業に戻るのも忘れて、じーっと彼女の所作に見入ってしまった。あっ、よく見たらリップグロスも変えてる……?

「ん? 凛子、もう原稿書けたの?」

亜香里が作業の手を止めて訊いてきた。私は一瞬言葉に詰まった。私の視線に気づいたからなのは明らかだけど、気持ちが透けていたかもしれないと思って焦る。

「い、いやぁ~、まだだよ」

原稿が進んでない事実だけ伝えて早く話を打ち切りたかった。

「おいおい……。卒業前最後の部活は一緒にやろうって誘ったの、そっちじゃん」

けど、亜香里はここぞとばかりに話を続けてきた。責任感の強い彼女だから無理もない。

「ほ、ほら、なんかこう、最後の部誌ってなるとさ、生半可な作品にはしたくないし、真剣に考えて書いてるの」

「……まあそれは私もそうだからわかるけど、遅いとすぐ完全下校時間になっちゃうわよ。今日終わらなかったら、〆切まで個別作業でやらないとだし」

「うん、やっとアイディアまとまったから、急いで書く」

「……凛子も、嘘つくようになったのね」

「えっ?」

私は口から心臓が飛び出そうになった。

「な、何のことかなぁ。私が亜香里に嘘って」

「ふーん……。やっぱり人って、鏡を使わないと自分の姿は見れないものね」

予感が確信に変わった。

変わってしまった。

「亜香里……」

「本当に自覚ないんだ。凛子、私を見る目が昔と全然違うの。隠していたつもりなんでしょうけど、凛子って嘘が得意なタイプじゃないし、誤魔化しきれてなかったわよ。それに……見た目だって可愛くなってる」

「そっか……ああ……」

せめて卒業式までは延ばしたかった。そこで私の気持ちを亜香里にはっきり伝えようと決意していた。お互いが別々の進路へ向かう前に。

だけど、計画は破綻。

頭の中が真っ白になり、目頭まで熱くなってきた。もう原稿作業どころじゃない。

「これから先、亜香里に会えるのが日常から非日常になるの、やっぱりさびしい……さびしいよ!」

観念した私は、強い語調で本心をぶちまけた。

「ちょっと、急に大きい声出すのやめてよ……気まずくなるでしょ」

「だってホントのことだもん。この部誌発刊したら、うちら三年生は文芸部卒業だし。亜香里と一緒の部活がもう一生更新されないんだよ!」

自分の意思で自分の言葉を発している筈だった。だけど、とめどなくあふれる感情の激流を堰き止められなくて、無意識に涙があふれていた。

「……やっぱり、言うようになったじゃん凛子。そっか、そこまで言ってくれたし、私から提案があるんだけど」

――提案?

私は変に憶測をせず、亜香里の次の言葉をただ待った。

「これから先……そうね、お互い大学生になって、それぞれの進路で奮闘するようになっても、どこかで必ず時間作って会うの。……で、会う度に必ずキスすること」

――きす?

ああ、天ぷらでよく出てくる魚だっけ……。おいしいんだよねあれ。

――ちがあああああああう!

「き、き、き、キス!? なんで!?」

気が動転してしまった。思いも寄らない提案だった!

「はぁ……凛子さぁ……。私、恥ずかしいのを必死に我慢して言ってるのに、その反応はないって」

愚痴っぽい口調ながら、亜香里は苦笑していた。頬も耳元も真っ赤に染めて。

「ホントに……いいの? 約束してくれるの?」

「そうじゃなかったら、言わない」

あと数ヵ月で、高校生の私と亜香里の活動や記憶に、ピリオドが打たれる。

私はそのピリオドの奥に、道先不明のY字路が続いているイメージを思い浮かべた。

私と亜香里が、お互いの道を進む先で、どんなふうにまた会えるのかはわからない。もしかしたら会うことなんて難しいかもしれない。そして、友達のままでいるのか、それとも今までとは違う関係に変わるのか、それさえも今はまだわからない。

だけど、どんな結末が待っていようと、私は、大切な亜香里をもっと好きになる未来を信じたい。

本物の小説やドラマみたいに、伏線を回収する時が来たら。

私も亜香里も、笑って見届けてやるんだ。

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Y字路の先が見えなくても 泉侑希那 @I_Yukina

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