三、朱唇と傘をかぶった謎の色男

「朱唇、朱唇!? どこへ行った!! 朱唇!」

 叔父の怒鳴り声が聞こえるが、雑踏にまぎれて朱唇はトコトコと町を見物するために歩き出した。

(俺ぁ、このために、長い事くそ退屈なお説教だの、つまらねぇ訓練だの、外地にある荒野での戦闘やら、王の臣下の護衛用心棒の仕事に耐えてきたのよ!)



「…………!」

 道すがら。豆腐売りの横で、鉢に入った水。赤いものが浮いて動いている。なんだこれぁ、と思ってよく見ると、赤い魚が泳いでいた。変な色の魚だな、やけに派手だなと朱唇はぼうっと見つめる。


(まずそうな魚だな……)



 ふと、砂を踏む足音が、背後で止まった。


「何してんだい、お前さん」

 甘い声だった。でも、どこかひんやりしていて、軽薄そうな声だ。


「不味そうな魚だなと思っているだけさ」

「そりゃあ不味いだろうよ。金魚なんか喰ったら死ぬぞ」

「毒があるのかっ?」

「いや、祟られて死ぬね。食い物じゃねえ、そいつは観賞用だろ。どう考えても」



「なあ、あれは何だ?」

風車かざぐるまだよ」

「……きれいだなぁ」

「そうかぁ?」

「ああ、俺の知ってる風車は、こう、もっと質素な作りをしている」

「ああ、そうかい」

「きらきら光ってきれいだなぁ……あれはいくらするんだ?」

 叔父にねだって買ってもらえる可能性を朱唇は考えた。もちろん、買えるなら自分で買えばよいのだが、今は手元には金は無い。そもそも、小遣いなど貰ったことがない。

 叔父の仕事の手伝いをして得られるのは、少し豪華な川魚の塩焼きと、あまぁい団子くらいのものだった。



 王の指は、必要な時以外は、内部権力者にあたる人物以外は金を持ち歩かないという決まりがあった。ましてや、齢十六の小娘に銭など持たせようものなら、食い物やらかんざしやら、ろくでもない物ばかり買うだろうから、一銭も持たせるなというのが、里長様からのお達しだった。



「風車が欲しいのか。良いよ。太っ腹なおにいさんが、記念に買ってやるよ。……田舎から来てるお嬢ちゃんに、禍の首都、本宮殿ほんみやでんの人間が、けちくせぇ野郎ばっかだとは思われたくないからね」


 ニヤァ、と男は残酷そうに笑った。まぶかに被っている傘みたいな帽子のせいで、なんだか口元以外、顔はよく見えないが……甘ったるくて、でもひやりと冷たい声だった。


 けれど、その愛情深く無さそうな、軽薄な笑みを見ていると、朱唇はなぜだか、目が離せなくなった。


 そして言葉通り本当に、男はその風車を商売人から買うと、「しかし、お前、十五、六に見えるが、こどもみてぇなモンを欲しがるよなぁ」とつぶやいた。

 風車が、ぴゅおおう、と吹く風にふかれて、がらがらがらがらッ! と勢いよくまわった。朱唇は、なおも、目を見開いたままだった。



「なんだい。じっとみつめて。お礼くらい言ったらどうだい」

「あ、あ、……実にかたじけない。恩に着る」

 朱唇が言うと、「なんだいその喋り方」と面白がるように、嬉しそうに男が笑った。「まるで戦場いくさばに出る兵士みたいな喋り方だな?」


「まるでとはなんだ。失礼だぞ。俺ぁ確かに……」

「おれって言うのは方言なのか? それとも、そのかわゆい見た目で、お前、実は男なのか?」

「男なのか? じゃねえよ。失礼だろ本当に」

「ああ、おなごなのか」

「この俺がおのこに見えるかい? もし俺がおのこだったら、こんな長ったるい髪、まっさきに剃り上げる」

「綺麗な髪をもったいねぇなァ」

「母ちゃんがうるせぇから伸ばしてるだけよ。洗う時にめんどくさいし、手入れがだるいし、乾かすのもだるいし、重いし、髪って邪魔だな。……なぁ、お前さんよ。俺がもしな、今とは違う身分のおのこだったらな、今頃は俺ぁ外国に名を馳せる武神のような男としてこの国で崇められてるぜ! 英雄・朱唇様ってな」

ツカ様のようにか?」

「ああ? あー。知らねえけど、誰だいそいつは。えれぇのか」

「えれぇも何も、そうとう偉いよ。王に実質島流しにされて追放されなきゃぁ、今頃、皆があの男を英雄英雄といって、部屋の壁にあれの絵を飾ったさ。諸外国の襲撃を陸地で迎えうって、追い返したんだから」

「へー。絵ねぇ。……うーん。俺は文字も読めねぇが、絵はよく分からんな」

「……文字が読めない? うそだろ。首都の識字率は八割五分だぞ?」

「嘘なもんか。文字が読めるなら、今の仕事を止めなきゃならんくなるだろ」

「……どういうことだ?」

「今やってる商売は、俺や俺の叔父とかが、文字を読めぬから信頼されてるのさ。もし文字なんか読めたら、お前、すぐに下々のものはガクシキってものを身につけるだろ? 俺らみたいな下賤げせんの民が、ガクシキを身につけるとやれ一揆いっき謀反むほんだ反乱だと、騒ぎを起こして迷惑千万なんだそうだよ。王の臣下様がおっしゃってた。だからこそ、文字を読めるのは里長とか、もっと権力のある人だけなんだよ。これで分かったろ! 俺ぁ、嘘なんかつかねーよ」

「まさか、お前、王の指の……」

 男の声が、苦渋に満ちた声に変わった気がしたが、どうしたんだろう、腹でも痛いのか?


「どうした? 苦しそうだな」

「……ハッ、当たり前だろ……」

「どう当たり前なのかはわからんが」

「別に。……ただちょっと気分が悪いだけだ。気にすんな」

「ふうん。俺、虫下しを持ってるが、いるか?」

「いらねぇ」

「じゃあ腹が減ってるんだな! 干し肉食うか? ちょっと獣臭いがいけるぞ。旨いぞ~?」

「んなもん食わねえ。いらねぇっつってんだろ」

「そんなしょぼくれるなよ。この国ぁ、王様がいらっしゃる限り、安泰あんたいよ。いや、俺にはよく分からんが、俺の母ちゃんがよくそう言ってる。俺の母ちゃんは美人なんだ。美人だけどおっかねえぞ」

「…………。…………。…………」

「なんだい、だんまりかい?」


「お前、ほんとに……お前……自分の状況とやらがなんも分かってねえんだな」

 ますます男の声が苦しそうで、罪悪感とやらに満ちたものに変わるが、朱唇には意味が分からなかった。



「わりぃけどよ、俺、人のカンジョウってものがよく分からん。カンジョウノキビってもんが俺にはよく分からんし、人にあるべきカンジョウが無いんだってよ。なぁ、普通ってなんだ? ふつう、お前なら処刑されてるヤツの横に立ってて、腹が空いたから腹が空いたなぁって言ったら、最低だと思うか?」

「いや、仕事にしてたら慣れるからな。すべての業務が流れ作業になるっつーのは、まあ、処刑人ならあたりめぇじゃねえかな。ちょっと死ぬヤツに対して失礼だとは思うがな。俺なら、ちゃんと心の中で手ぇ合わせるね。それに食い物の話はしねぇ」

「そうかい」

「そんな神妙な顔しちゃってよ。その例え話がどうかしたのか?」


「それが7つ8つ9つの時なら? お稚児ちごの女なら?」

「女のガキが、7つや9つの時に? まあ、……どう考えても異常だろうなァ。ガキは泣くだろ。人が死んだら。普通は。……まぁ、歴史に名が残るような鬼武者なら、生まれてからずっと、人が死んだくらいでは泣かねえのかもしれねえが。普通じゃねえよ」


「そうかい……」

 ちょっと、朱唇は寂しそうな顔をした。

「……あー」


「なんだよ」

「それ、お前の知り合いの話? それともお前の話?」

「神のみぞ知るってやつ」

「……言いたくねぇの?」

「……秘密だよ。お前と俺は赤の他人だし、言っちまってもいいけどよ、でも、そんな深い話までするような仲じゃないだろ、俺達は」



「うーん」

「何だよ。色男」


「は? …………。……い、いや。まあ。……あれだ。そんな残酷非道な性格でも、武功を上げるのには向いてる。人っつーのは、それぞれがあるべき場所に行けば、それぞれ本当の能力を発揮できるそうだ」

「あ?」

「つまりだな、お前のことを言ってるのかお前の友達のことを言ってるのかは分からんが、要らねえ個性なんてねぇんだよ。たぶん誰か一人くらいはソイツの個性を必要としてくれる人が居るはずだ。この世は広れぇからな。どっかに居るはずだ。ウン。そうだ……」

「ふうん」

「……気は済んだか?」

「お前、俺よか慰め上手だな」

「たぶん年上だし、ずっと、吐きかけてきた言葉だからな」

「誰に?」

「知るか。黙れよ。喋り過ぎだぞお前も」

「俺、お前と喋ると楽しいよ」

「そうかよ」

「……家族以外のものと、はじめて喋ったぞ!」


「……あっそ……」



「兄上! ここにおられたか」

 真後ろに男が立っていた。朱唇のものより上質そうではあるが、同じくうぐいす色の服を着ている。強そうな男だ。兄上と呼ぶが、声も図体の大きさも、ちっともこの華奢な作りをした肌の白っぽい、声と口元と、首から下が色男のコイツとは似てないぞ、と朱唇は思った。でも、この色男を兄上と呼ぶコイツ。


 絶対に人を数人は最低でも殺しているだろうなと朱唇はすぐに思った。数人どころではないかもしれない。戦で武功をあげているはずだ。そういう人は目を見れば分かる。


(獣は獣を見分ける目と鼻を持つものだからな)



「おいおい、いつから俺はお前さんの兄者になったんだァ?」

「お前の妹と結婚した時からだ。兄上」

「同い年だろうが。ていうか兄をお前なんて言うなよ」

「無能の君と呼ばれるよりはマシだろう」

「知ってるか? お前みたいなヤツを、慇懃いんぎん無礼って言うんだぜ」

「それこそ宮の連中に言ってやればどうだ。冠位かんいの低い連中からも、兄上は無能だの見た目麗しいが猪の血を引くだの、なんだのと言われておるだろうが」

「それこそ、ああ、もう! お忍びって言葉の意味が分からんかねぇ……」

「あいにくだが分からんな」

「……まさかとは思うが、連れ戻しに来たの? 俺を?」

「旨いうなぎの店が首都にもできたと聞いた。行こう。兄者のおごりで食べさせてくれ」

「……おいおい。嘘だろ」



 そのまま二人は立ち去った。



「朱唇!! しゅしいいいいいいいん!」と叫ぶ叔父に見つかって、「あ、しまった」と朱唇は走り、逃げながら思った。


●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



「かたじけのうござる」

 捕まった朱唇は冷や汗をダラダラと流しながら、目を逸らして言った。


「お前ッ! 今日は仕事で来ていると何度言ったら分かるのだ!?」

「だってよう。初めての大都会だもん。いろんなものが売ってたぜ。物見遊山ものみゆさんってやつがしたくてさぁ……」

「王の指に娯楽など必要ないわッ行くぞ! この馬鹿!」



 そして、碧色に染められた宮中に呼ばれた朱唇とその叔父。

 この二人が会う人物、それは、……小后しょうごうとこの国で呼ばれる……いわゆる王の愛人以上妻以下の一人……権力者の女性だった。

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