海老男 〜世界の理を知り、不死と鍛錬の果てに至る最強の異端者〜

天城悠真

プロローグ

「あの……私、三千年後の未来から来ました!」


「え?」


 ロビーでバインダーの書類に必要事項を書いてた俺は、ペンを止めてそのまま硬直した。


 隣には、赤いポニーテールの美少女。


 白Tシャツにデニムショーパン、夏全開な格好で、豊かな胸も揺れている。だが、そんな見た目に反して、目は真剣だった。


「……あなた、不老不死になるんです。ロブスターの遺伝子ナノマシンを投与されて」


 ……あ?


「そして未来で、“海老男”って呼ばれるようになります」


 海老………男?


 おい待て、お前今、何言った?


「それで……未来で何度も世界を救って、三千年の時を超えて、今……殺されかけてます」


「もう一回言って?」


「だから今から私が、あなたを守ります!」


「ちょっと待て、わけがわからん!」


 俺はバインダーを抱えて立ち上がった。


 ――でも、数時間後。すべては現実になった。


「海老沢修一さん、診察室へどうぞー!」





「――おめでとうございます。ロブスター適応、成功です」


 白衣の研究者が平然と言った。


 俺は椅子を蹴って立ち上がる。


「え? ロブスター? なにそれ選んでないけど!?」


「“おまかせ”にチェック入れましたよね?」


「だからって甲殻類はねぇだろ!!」


「哺乳類は競争率が高く……空いてたのが甲殻類枠でして」


「ランダム枠かよ!!」


「以後、あなたは“定期的に脱皮”する体になります。最初は痛いですが、慣れます」


「人間が脱皮すんなぁああ!!」


「再生能力、超耐久、テロメラーゼ活性……副作用として握力がカニ並みになります」


「俺、人の手を握り潰す未来しか見えないんだけど!?」


「ちなみに海底にも適応できます。深海任務に向いていますよ」


「いや、俺の人生どこ向かってんだよ!!」


 ――ヤバい。これはマジでヤバい。


 さっきの未来人が言ってたこと、全部ホントだったのかよ。


「……リリアって言ったっけ。あの女、どこに行った――」


 バァン!!


 扉が開いた瞬間、爆風がロビーを揺らした。


 俺のすぐ横の壁が、爆裂四散して吹き飛ぶ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!??」


「修一さん、伏せて!!」


 金色の魔法陣が展開し、空気がひしゃげた。


 直後、現れたのは――未来人の美少女。リリア。


 その手から放たれた炎が、謎の黒服集団を焼き尽くす。


 爆風。熱。煙。焦げたコンクリの匂い。砕けたタイル。


 現実じゃねえ。アニメかよ。


「ちょっと!! 何なんだよお前!! なんで俺、爆撃されたんだよ!!」


「だから言いましたよね。“未来から来た”って」


「俺、これから人類救う予定とかあるの?」


「あります。あなたは三千年の時を生き抜き、“海老男”として世界を救い続ける存在になるんです」


 俺の中で、なにかがキレた。


「冗談じゃねえぞ!!」


「でも、ヘリオスオーバーマインドが時間を遡ってあなたを消そうとしてるんです」


「誰だよそれ!!」


「三千年後の支配AIです!人間を感情ごと管理して″最適化″するんです!」


「最適化ぁ?」


 なんだ、人間を最適化って。

 訳わかんねえぞ!


「人間はナノマシンを作り、それによって人類の寿命を延ばし、能力を飛躍的に上げるだけじゃなく新たな人工生命を作り出し、神のように振る舞い出します。それを粛清するためにヘリオスオーバーマインドが人類の感情をコントロール、支配するつもりなんです」


「だからなんで俺が狙われんの!? おまかせ遺伝子でロブスターになっただけだぞ!!」


「それが未来で、唯一ヘリオスに抗えた理由なんです! だから、あなたが“不老不死になる前に”消そうとしてる!」


 俺は、崩れたロビーで、血だらけの彼女の横顔を見た。


 この子は――命懸けで、俺を守ってる。


「あなたは、三千年後……私の師匠なんです」


 一瞬、息が詰まった。


 え? 俺が……?


「今は、まだ何者でもない。でも、私はあなたに救われた。だから、今度は私があなたを救いに来ました」


 ドクン、と心臓が跳ねる。


 そんな運命、知らなかった。


 まだ、彼女の言っていることを完全に信用したわけでもない。


 けど。


 それでも――


 この子が俺を守ろうとしてることは間違いない。


「……そうか。じゃあまず一発、未来変えてやろうぜ」


 ――“海老男”爆誕。


 ここからが、全部の始まりだった。





 魔法技術――通称MANAが発表されてから、世界は変わった。


 火を操り、水を纏い、雷を呼ぶことが現実になり、ナノマシンを搭載した人体は、神にすら近づいた。


 最初は、それは希望だった。


 だが、制御不能となった魔法は、戦争と破壊をもたらした。


 国家は崩壊し、人類は分断され、文明は断絶した。


 空は割れ、大地は裂けた。言葉は失われ、記録は捨てられ、死者だけが増えていった。


 でも、俺は――死ななかった。


 死ねなかった。


 ロブスターの遺伝子は、俺を不老不死にした。


 と言っても絶対に死なないわけじゃない。


 寿命で死ぬことがないだけで、事故や病気で死ぬ可能性は充分ある。


 脱皮を繰り返しながら、記憶と心だけを変えずに生き延びた。


 誰よりも長く生き、誰よりも多くの死を見届けた。


 そして、数多の英雄を育て、神になった者たちを葬り、世界を何度も救った。


 人々は、俺をこう呼ぶようになった。


「海老男」


 人か、怪物か、それとも神か。


 そんなものは、どうでもよかった。


 俺はただ、ひとつの約束だけを、心の奥底に抱えて生きていた。


 ――また、会おうね。

 ――私は何度だって、あなたを救う。


 リリア。


 三千年前、俺を救ってくれた少女。


 時間を超えて現れ、命を懸けて俺を守ってくれた存在。


 彼女は言った。「いくつかの時代に跳ぶ」と。


 そして実際に、俺はまた彼女に出会った。


 一度ではない。二度、三度。


 リリアは、異なる時代に現れては、俺を助け、俺と共に戦った。


 だが、彼女の時間は毎回バラバラだった。


 過去の俺を知らないリリア。


 今の俺を覚えていないリリア。


 そして、一度だけ――すべてを知っているリリアにも出会った。


 俺は、そんな彼女に恋をした。


 多分、初めて会った時から好きになってたんだ。


 長く辛い戦いの中にあっても、彼女に再び会いたい。


 その想いだけを胸に生き続けた。


 けれど、文明は滅び、魔法は信仰へと変わり、人は再び剣と炎の時代へと戻っていった。


 リリアは数百年現れなかった。


 もう、一生会えないのかもしれない。


 そんな不安が、何度も頭をよぎった。


 それでも、俺は生きていた。


 生きるしかなかった。


 ――そして、ついにその日が来た。


 場所は、魔法が支配する時代の、辺境の森。


 その日は、静かな夜だった。


 だが、空気を裂くような少女の悲鳴が、森に響いた。


「誰か、助けて――!!」


 反射的に、体が動いた。


 木々を抜け、土を蹴り、声のする方へ駆けていく。


 そして、そこにいたのは――


 盗賊に囲まれ、必死に立ち上がろうとする、ひとりの少女。


 紅い髪。透き通るような青い瞳。幼さと芯の強さが混じり合った目をしていた。


 ――間違いない。


 俺は、迷わず飛び込んだ。


 剣も魔法も使わず、盗賊を叩き伏せた。


 殺しはしない。待ちに待った再会を血で台無しにしたくない。


 三千年の戦いの記憶が、自然と体を動かしていた。


 やがて少女が、震える声で俺を見上げた。


「……誰?」


 その言葉に、胸が軋んだ。


 そうだ。この子は、まだ俺のことを知らない。


 彼女にとって、俺との時間は、まだ始まってもいない。


 でも――俺はずっと、待っていた。


 だから、笑って名乗る。


 たった一言だけ。三千年越しの、俺の名を。


「ロブだ。世間じゃ、“海老男”って呼ばれてる」


 ロブスターから取ってロブ。

 海老沢修一の名前はとうに捨てていた。


 俺と彼女が再び出会ったその瞬間、静かに――時の輪が、再び回り始めた。


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