臨終ファンタジー転移転生ケースブック

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第1話 ラムダ女史の場合

<物語の幕開け>

 国家保守党初の女性党首として長年にわたり権力の座に就いていたラムダ女史(仮名)は腹心らによるクーデターにより、とうとう失脚した。彼女によって引き立てられ、今や中央委員会第一書記にまで昇進していたヘルシング・キリルジェーレフは、治安維持法違反と国家侮辱罪の容疑で秘密裁判に掛けられた恩人に対し「人民の敵め! この独裁者め!」と罵った。

 あまりにも無礼千万な言い様に、ラムダ女史はブチ切れた。

「何を抜かしやがるんだ、この豚野郎! お前みたいな大バカタレは鉛の玉を全身に浴びて血だらけになってサッサとくたばれ!」

 その言葉通り、後にヘルシング・キリルジェーレフもまた腹心らの裏切りで弾劾され最終的には銃殺刑となるのだが、それはこの際どうでもいい。心身ともに疲労が溜まっているときに激昂しすぎたせいだろうか、ラムダ女史は裁判の途中で卒倒した。病院へ搬送されたが昏睡状態のままで意識は回復しなかった。

 ラムダ女史に家族はいなかった。結婚もしていない。ただし同性愛の恋人がいた。五十年以上、彼女の個人秘書をしていた女性である。その女性が枕元に呼ばれた。

 その恋人に名前を呼ばれたラムダ女史は、少しだけ瞼を開け、何か言おうとしたようだったが、結局は意味のある言葉を残すことなく、息絶えた。

 そしてラムダ女史は異世界へ旅立ったのだった。

<謎の空間にいるラムダ女史>

「ここは、何処なのか」

 真っ暗闇の中を漂うラムダ女史は混乱していた。ぶっ倒れたところで記憶が途切れているので、何がどうなっているのか、さっぱり分からない。自分が死んだとは思いも寄らなかった。

「宙に浮かんでいる? どういうことだ?」

 首を傾げるラムダ女史の頭に、自分が宇宙空間にいるのではないか、という仮説が浮かび上がった。自分は今、宇宙遊泳の真っ最中なのではないか、と彼女は考えたのである。

 そう思ったのには理由がある。

 ラムダ女史は母国の宇宙開発を推し進めていた。有人宇宙飛行も計画されていたが、そのロケット実験は事故が多く、大量の犠牲者を生み出していた。有能な宇宙飛行士の卵が次から次へと死んでいく現状に苛立った彼女は、犯罪者や自分に楯突いた奴らを実験台にした。

 自分を追い落とした連中が、そういったことをやりやがった可能性は高いとラムダ女史は判断したのだ。珍しくロケットが大気圏を突破したので、自分は宇宙に放り出されたのだろうと彼女は考えたのである。

 しかし、そうだとしたら真空の宇宙空間で宇宙服なしに生きていられるわけがない。

 首をひねっていたら、謎の声が聞こえてきた。

<異世界への旅立ち>

「ラムダさん、ラムダさん、ラムダさん」

 それは男とも女とも判断がつかない声だった。警戒心を抱きつつラムダ女史は呼びかけに応じた。

「私がラムダだ。私を呼ぶあなたは、何者です?」

「わたしは異世界移住促進コンサルタントです」

「異世界移住促進コンサルタント? 何だね、それは?」

「異世界への移住をお考えの方にアドバイスをする仕事です」

 ラムダ女史は薄笑いを浮かべて首を横に振った。

「生憎だが、私はあなたに用はない。異世界への移住なんてものは、これっぽっちも考えていないんだからね」

「地獄に落ちる覚悟がおありのようですね。それでしたら、こちらは構いません。どうぞご自由に」

「何だと? 地獄とは一体どういうことだ?」

「ラムダさん、あなたは亡くなったのです。そして地獄へ落ちる定めなのです」

 絶句するラムダ女史に異世界移住促進コンサルタントは言った。

「生前のあなたは悪政を行う絶対権力者でした。人々を苦しめ、不幸にした報いを受けるため、地獄に落ちねばならないのです」

「そ、そんなバカな!」

 自分が悪い政治家だったという自覚のないラムダ女史は、異世界移住促進コンサルタントの言葉に憤慨した。

「私は善政を施したぞ! それなのに悪の政治家として地獄行きとは、理不尽にも程がある!」

「あなたの部下たちは、そう思わなかったようですよ。それで、このたびのクーデターとなってしまったのです」

 忘れかけていたクーデターの話題が出て来て、ラムダ女史の怒りが強まった。

「地獄に落ちるのは私ではなく、あいつらのほうだ!」

「あの皆様も地獄行きが決定していますが、その前にあなたが先です」

「地獄であいつらを待っていろということか? ふざけるな! 地獄へ行ってたまるかよ!」

「はい、そこで異世界移住促進コンサルタントがご協力を致します。あなたのお力になります」

 そんなもんいるか! と息巻くラムダ女史だったが、異世界移住促進コンサルタントは構わず説明を始めた。

<異世界移住の勧め>

「地獄へ行きたくないとお考えになるのは、自然なことです。地獄は恐ろしいところですからね。異世界への移住も皆様は嫌がります。見知らぬ場所へ行くのも、不安ですから。それより元の世界へ戻ることをご希望になります。ですが、そのご希望にそうことはできません。元の世界へ帰還し、裏切り者たちに復讐したいと思いますが、それは規則で許されないのです。そこで異世界移住促進コンサルタントの出番となります。わたしどもは地獄に行きたくない方々に、異世界への移住をお勧めします。皆様が、よりより異世界ライフをお楽しみいただけるよう、お手伝いを致します」

 ラムダ女史は言った。

「余計なお世話だ。お手伝いなんて要らないから、とっとと失せろ」

「それでよろしいのですか? 地獄は怖いところですよ」

「私は地獄なんて信じない。現実的な無神論者だからな」

「それなら現実を見て下さい。あなたは裁判の場で興奮して倒れ、そのまま亡くなったのです。ここは地獄へ行くか、異世界へ行くかを選ぶ場所です。地獄行きを選択なさるのなら、それで構いません。未来永劫、地獄の業火で焼かれて下さい。それが嫌でしたら、わたしにお任せ下さい。あなたが幸せになるような異世界へご案内します」

 ラムダ女史は尋ねた。

「お前の狙いは何だ? 私を異世界へ移住させて、どんなメリットがあるのだ?」

「仕事ですから、報酬があります。私の勤める異世界移住促進機構から既定の額が支払われるのです」

「異世界移住促進機構だと? それは何だ?」

「文字通り、異世界への移住を促進する組織です」

 生前は住民の強制移住をしばしば行ったラムダ女史は言った。

「そんな仕事で金が貰えるのなら、私は大金持ちだ」

「そうでしょうとも。そういった上流国民の方に最適な異世界をご用意しております。素敵な出会いが待っていますよ、どんな好みの方とも出会えますよ」

 ラムダ女史の心に、その異世界への興味が湧いてきた。

「私の好みに合った相手がいるのか? 断っておくが、私の好みはうるさいぞ」

「もちろんですとも」

 前の世界へ戻ったら、五十年以上の付き合いがある同性愛の相手と、また交際することになる、とラムダ女史は考えた。実は、新しく若い恋人が欲しい気持ちがある。だが別れたくても向こうが納得しないだろう……と思ったら、元の世界へ戻るのが億劫になってきた。

「お試し期間があるのなら、幾つか行ってみたいな」

「それでしたら妖界フォーマルハウトがよろしいでしょう。早速ご用意します」

 ラムダ女史は自分の意識が急に遠くなるのを感じた。

<異世界のラムダ女史>

 意識を取り戻したラムダ女史は、今までにない感覚を体験した。自分の全身像が目を開けていないのに見えているのだ。

 灰色の円筒状の胴体は細長く、電信柱に似ている。その材質は未知の金属のようだ。二本の腕は蛇腹のように小さく折れ曲がっていて、先端に複雑な構造の触手状の指が十数本あった。足は四本。がっしりとしていて太い。生前のラムダ女史と同じくらい太かった。背丈は人間の平均的な男性より少し高いくらいだろうか。並んでみないと正確に比較できないが。頭の部分には小さな立方体の箱がある。胴体につながる面を除く五つの面に様々な光を放つ楕円が一つずつ嵌め込まれていた。

 首を回そうと思い、その頭部の箱を動かしてみて、ラムダ女史は自分が、この奇怪な金属体であることを自覚した。続いて周囲の状況を確認する。巨大な炎の柱が何十あるいは何百本も立ち昇る空間に、彼女は浮遊していた。炎の柱が身近にあるが熱は感じない。重力も感じられなかった。純粋な無重力なのか? と彼女は思った。しかし炎は彼女の足の下の方向から頭に向かって吹き上がっている。上下はあるようだ。足元を見る。どす黒いマグマの塊が広がっている。そこから紅蓮の炎が柱となって上空へ噴出されているのだ。

「何なんだ、ここは? 熔岩が満ちた火山の火口か? それにしては熱くない。そもそも、何で私は、こんな格好で、こんな場所にいるんだ? 改造されたのか? ぜんぜん意味が分からないよぉ!」

 移動しようと体を動かしてみたが、首を回して頭部を回転させる動作に比べ、重力を感じない場所での全身運動は難しかった。ジタバタするだけなのだ。生来の気性の短さが活発に動き出した。誰もいない空間に向かって、知る限りのありとあらゆる罵詈雑言を喚き散らす。

 そんなラムダ女史を見かねたのか、声を掛けてくれる者が現れた。

「どうしたんですかい、さっきからドッタンバッタンしているけど、体操か何かですかい?」

<炎の塊との会話>

 ラムダ女史は自分の目の前に現れた小玉スイカくらいの大きさの火の塊を凝視した。呟く。

「信じられない……炎が話しているなんて」

 その小さな呟きを聞いて火の塊は言った。

「そうか、僕を珍しく思うってことは、君も異世界からの訪問者なんだね」

 炎の塊は自らをミュー(仮名)と名乗った。

「ここは恒星フォーマルハウトの上空ですよ。その熱で熱いから、普通の生き物は生きていられない。ここに君を送ってきた担当の人は、耐熱性を考慮して金属製の義体を用意したんでしょうね。そういう生体改造手術を施したんでしょう」

 ラムダ女史は言った。

「何の説明も受けていないよ」

 それから付け加える。

「異世界移住促進コンサルタントと名乗っていたが、人に姿を見せない奴だった。信用できない」

「あなたの元いた世界ですと、そういう感想が普通ですかね? まあ、そうでしょう。それが、そちらの世界の流儀であればね」

 そう言って炎の塊ミューは説明した。

「ですが異世界移住促進コンサルタントのいる領域は精神体が普通なんです。姿を見せようにも実体がない。その点、僕の生きる世界だと、実体はあるんです。ご覧の通り、炎ですけどね」

 異世界は色々あるだろうに、よりにもよって、どうしてこんな異世界に飛ばされてしまったのか、とラムダ女史は腹の底で嘆いた。

 その心の中の言葉は、だだ漏れだった。

「まあまあ、そんなに悲しまないで下さいよ。ここだって、住めば都ですよ。楽しいですよ」

 心の中に冷たい風が吹いた。緊張を隠しつつラムダ女史が訊ねる。

「私の心を読んだのか?」

「ええ、僕らはテレパシーが使える種族なんです」

 嫌悪感と羞恥心と恐怖心が同時に湧いた。そして怒りも。すべてを鎮めてラムダ女史は言った。

「ここはプライバシーのない世界なのだな」

 炎の塊ミューは、それを認めた。

「僕の属する種族では、テレパシーがコミュニケーションの基本なので、概ねプライバシーはないですね。ですが、他の種族は違いますよ」

「ここには、他の種族もいるのか?」

「ええ、います。色々な種族が。僕らのように熱さが気にならない種族は、こうして恒星の近くで毎日を楽しく過ごしていますが、暑さに弱い種族も多いです。そういった種族は、もっと恒星から離れたところに暮らしていますね」

「では、そちらの種族とも話をしてみるかな」

 異世界移住促進コンサルタントの言った素敵な出会いの相手が、この炎の塊とは思えず、ラムダ女史は、そう言った。

<宇宙の空洞都市イジドウル・ニュー>

 炎の塊ミューは、得意のテレパシーで仲間を呼び集めた。ラムダ女史を念力で動かすためだ。炎の塊ミューの種族”炎の精”は鬼火だとか火の玉だとか、ウィルオウィスプあるいはウィル・オー・ザ・ウィスプと呼ばれる半分霊的な存在で、実体が炎である。宇宙の無重力空間でジタバタと藻掻いている金属の塊ラムダ女史を別の場所に運んでいやりたくとも、それはできない。念力もしくはサイコキネシスと呼ばれる――その他に念動力や観念動力といった言い方もある――超能力を使って彼女を動かすしか手段がないのだが、一人一人の念力パワーが微弱なため、皆で力を合わせる必要があったのだ。

 皆にテレパシーで事情を説明してから炎の塊ミューはラムダ女史に対し、自分たちの種族の超能力が決して強いものではないと認めた。

「質量が多いと動かすのに苦労するんです。あなたは体格がご立派ですから」

 うるせえな、この野郎! とラムダ女史は毒づいた。その思いをテレパシーで察知した炎の塊ミューは、そそくさと念動力による金属塊の移動を開始した。

 目的地までの旅は長かった。観念動力を制御する集中力の妨げになるとのことで、その長い旅の間”炎の精”たちはラムダ女史とテレパシーによる会話をしようとはしなかった。詳しい情報を求める気持ちはあったが、制御に失敗すると宇宙の彼方へ自分が弾き飛ばされるリスクがあると聞いてから、運ばれている方は自制した。

 やがて目的地が見えてきた。宇宙空間を漂流する巨大な黒い岩石の塊を掘り抜いて造った空洞都市で、名前をイジドウル・ニューと言うそうである。そこにラムダ女史を運び終え、ホッとした様子の炎の塊ミューが教えてくれた。

「ここまで来たらイジドウル・ニューの引力ビームが使えるようになります。僕らの念力よりも遥かに強い力場ですから、あなたを都市内部に連れて行ってくれることでしょう」

 人ではないが人の好い炎の塊ミューはラムダ女史に代わってイジドウル・ニューの入国審査局と交渉してくれた。

「審査は済みましたよ。大丈夫です」

 異様に厳しかった自分の祖国の入国審査とは全然と言っていいくらい違う、と驚くほど――それを決めたのは最高実力者だったラムダ女史自身であるが――スムーズにラムダ女史はイジドウル・ニューへの侵入許可を与えられた。引力ビームというものは頼りない力で、”炎の精”たちのサイコキネシス能力と同程度のスピード感しかない移動速度だった。それでも無重力空間で溺れている人のように出来もしない宇宙遊泳をするよりは推進力がある。カタツムリより遅いけれど。見えない力に導かれ黒い隕石へ向かって、のたくたと宇宙を進んでいたとき、事故が発生した。猛スピードで直進してきた鉛筆みたいに尖ったロケットが彼女にぶつかったのだ。一瞬の出来事だったので、彼女は「またかよ!」と思う間もなく気を失った。

<ラムダ女史の新しい体>

 宇宙の空洞都市イジドウル・ニュー第八区画の壁面に備え付けられた巨大なワイドスクリーンバロック・タンデム立位ミラーに映る自分を見つめ、ラムダ女史は言った。

「これが、私」

 銀色の長い毛と短い赤銅色の毛が混ざり合った羽毛の翼を翻し有翼人バーク・バルクサイは言った。

「とても素敵です。ゴールドのオーラをまとっているところが、大政治家だった前世を思い起こさせて、とてもお似合いですよ」

 とても大きなガマのような口と眼球が先端に付いた触角と口の周囲に生えた棘のある無数の触手を震わせてラムダ女史は呻き声をあげた。

「ブシュシェエエエ、ぐおおお~っ! 電信柱みたいな前の体の方が、まだましだった!」

 端正な顔立ちの有翼人バーク・バルクサイは全身から怒りの真っ赤なオーラを放射するラムダ女史を慰めた。

「慣れれば気になりません。愛おしくなりますよ」

「なるか!」

「なります。僕も、こちらへ来て、この体になったときは戸惑いを感じました。同じ翼のある生き物でも、元の世界にいたときは蚊でしたから」

 どういう前世で、こんなハンサムになるのか……と疑問に思う人がいるが、前は蚊だったのかもしれない――などと、有翼人バーク・バルクサイの話を聞いて感じる心のゆとりは、ラムダ女史にはない。

「何で、この体なのさ!」

 さも嘆かわしいといった様子で有翼人バーク・バルクサイは額に指先を当て首を振った。

「何もかも、免許取り立てで暴走事故を起こした青年が悪いのです」

 その青年は異世界からの転移者だった。元の世界では老人だった彼は、生まれ変わった若い肉体に興奮し、二度目の青春を謳歌しようと思い立った。そして宇宙の空洞都市イジドウル・ニューの宇宙船舶免許取得学校に入校し、無事に卒業した。中古のロケットを買う。ちょっと改造する。それが、ちょっと違法だった。それで宇宙に出発し、電信柱に手足が生えたような金属体だったラムダ女史に体当たりをした。制動がまったく掛かっていないロケットに体当たりされたラムダ女史の金属体はバラバラになった。魂は時空の狭間にある亜空間ポケットに落っこちた。霊魂救済会のサルベージ船が拾ってくれなかったら、ずっとそのままだったに違いない。

「魂は救済されました。しかし体がありません。そこで魂を植え付ける肉体を新しく用意しました。それが、これです」

 ずるずる這うナマコのような体とガマみたいな口を持つラムダ女史の新しい体は長い。数メートルはある、とスクリーンの自分を見て彼女は思った。別の思いも湧き上がる。

「どうして、これだったの?」

「異世界からの訪問者村にある予備の肉体のストックが、それだけだったのです」

 異世界からの訪問者村は宇宙の空洞都市イジドウル・ニュー第八区画にある。そこは、文字通り、異世界からの訪問者が暮らす村だ。村の掟は厳しい。好き勝手に肉体を変更してはならない、というのが、その掟の一つだ。何しろ、肉体の予備がまったくないのである。

「これでもラムダさんのために骨折りしたんですよ」

 異世界からの訪問者村の住人である有翼人バーク・バルクサイは本日の新規訪問者担当だった。空洞都市イジドウル・ニューに不案内な新規訪問者の世話を焼くのが仕事なのだが、それにしても大変な騒ぎだったと彼は苦笑いした。

「でも、いいんです。ラムダさんが快適に過ごしていただければ」

 快適じゃねーよ! とラムダ女史は思ったが、見かけは別にして、中身は不快感を抱くようなトラブルとは無縁のようだった。前世は八十代の老婆だった彼女は、身体の不具合に悩まされていたのである。

「ま、いいわ。これで我慢しましょう」

 そう言ってラムダ女史はズルズルと巨体を這わせて棲家として与えられた沼の中に入って行った。

<異世界からの訪問者村>

 異世界からの訪問者村の住人は人間型種族に限らない。現在の肉体のラムダ女史自身がそうであるように、非人類型種族も普通にいた。空洞都市イジドウル・ニューは宇宙を漂う巨大な岩石を掘り抜いて造った人工の街だが、その中は自然が豊かだった。

 工業地帯で生まれ育ったラムダ女史は自然というものに慣れておらず、その中での生活は住みにくかったが、それも次第に慣れた。そんなとき、事件が起きた。

 ある日、ラムダ女史は一人で散歩していた。その時、彼女は一人の個体と出会ったのだ。それは彼女と同じ、異世界からの訪問者だった。黒く丸々とした瞳が太った白身の肉体の表面に数多く蠢いている。小さな無数の足でアスファルトを滑るように速く歩く豚に似た生き物を見たとき、彼女の心に劣情が迸った。

<一夜の過ち>

 その豚っぽい外見の生き物は名前をオミクロン(仮名)と言った。オミクロンは、ラムダと一緒に朝を迎えたとき、泣いた。そして「自分が異世界へ渡って来たきっかけは、聖なる森林ダニと禁断の交わりを結んだからなのだ」と言い出した。その森林ダニとの一夜の過ちが発覚し、恐るべき刑罰が与えられ……気が付けば、この異世界へ流されていたのだという。

「同じ過ちを繰り返した、なんて思いなさんな」

 根がサバサバ系女子であるラムダ女史は、くよくよ悩むオミクロンの肩っぽい箇所を乾いた舌の先でポンポン叩いた。それで、相手は元気を出したようだった。

 だが、これは事件の始まりに過ぎなかった。

<浮気>

 六本足の羽龍にまたがった悪魔の騎士は、尖った顔に沈鬱な表情を浮かべて言った。

「お前がラムダだな。済まぬが命を貰う。覚悟せい」

 長く湾曲したサーベルを振り回し、沼地に逃げ込もうとしたラムダ女史の全身を切り刻む。緑色の血を滴らせ、ラムダ女史は息絶えた。悪魔の騎士は言った。

「一夜の過ちが高くついたな。お前が関係を持った相手の本妻は、浮気相手を容赦しない。聖なる森林ダニに憎まれて長生きした者はいないのだ。さらば」

<友達以上恋人未満>

 オミクロンの本妻を名乗る聖なる森林ダニに恨まれたラムダ女史は、ダニが放った刺客に斬られて死んだ。そして再び異世界へ、違う異世界へとトランスフォーメーションしたのだった。

 今度の異世界では、ラムダ女史は植物型生命体の美しい花弁にある雄蕊の化身となった。そして、同じ花弁の雌蕊と親しくなったのである。

 雌蕊は言った。

「あたしたち、不思議だよね」

 雄蕊のラムダ女史は言った。

「そうかな」

「そうよ」

 言い切った雌蕊に尋ねる。

「どんなところが?」

「あたしたち、友達以上恋人未満だよ」

「そうかな」

「そうだよ」

「雌蕊」

 ラムダ女史は雄蕊の自分に寄り添う雌蕊に言った。

「好きだ」

 やがて虫が雌蕊の花粉を雌蕊に運び、受粉が成功した。新しい生命が、もうすぐ誕生する。そんなとき、悲劇が起こった。雑草である彼らは、草むしりをしていた人にむしり取られてしまったのだ。

<好きな人の好きな人>

 またまた別の異世界へ移動したラムダ女史が出会ったのは、光り輝く粒子が内部で動いている半透明の膜を持つゼラチン質の球面体だった。そのとき彼女は瘦せた体の幼い子供に転生していた。砂漠の民の鷹匠に弟子入りしていて、その教えを受ける合間に、地元の食堂で働いて小遣いを稼いでいたのだった。その食堂で、まかないのミートパイ、塩漬けの野菜、チーズの入った肉そばの昼食をかき込んでいたとき、戸口に球状の何かがやってきて「何か食べるものはないか」と言ってきた。それが球面体との出会いだった。

「何もないけど、どうする? てか、何なら食べれるのさ?」

 透明の管や触手を伸ばして球面体は店の中に入ってきた。

「固形物は苦手だ。栄養のあるスープやドリンクをくれ」

 そこでラムダ女史が出したのは貝と魚で出汁を取ったスープだった。

「料金は五ルギだよ」

「高いな」

「いい材料を使っているから、他所なら十は取るね」

「分かった」

 スープの入った器に管を何本も入れ球面体は中身を啜った。食事を終えた球面体は懐から記憶ガスの詰められた携帯ボンベを取り出した。

「これを代金として受け取ってくれないだろうか」

 ラムダ女史は罵った。

「ふざけんなタコ! この食い逃げ野郎め! 検非違使に突き出してやる!」

「これは好きな人の好きな人を知る呪文の雰囲気を封印したガスボンベだ。中身を吸えば、その呪文が出来るような気分になる」

「気分だけかよ」

 鼻で笑ったラムダ女史にタコは言った。

「そうでもない。人は気持ちで変わるよ」

 交渉の末、銀貨一枚と銅貨五枚とガスボンベを昼食代としてラムダ女史は受け取った。その日の夜、恋の悩みで苦しむ女性の元を訪れ、そのボンベを金貨十枚で売った。それから間もなく、その女性は幸せな結婚をした。その小型ガスボンベに封印されていた呪文に効果があったのかは、分からない。

<元カレ>

 誰かが幸せな結婚をすると、誰かが不幸になるものなのかもしれない、とラムダ女史は思った。先述の女性はターゲットとしていた男と結婚するにあたり、他の交際相手たちを綺麗に処分した。その中にラムダ女史の知り合いがいた。花嫁の振った男というのが、彼女の師匠のパトロンだったのだ。

 その男が嘆いた。

「もう、この世界に未練はない。こんな酷い目に遭うなら、別の世界へ転生したい」

「お金があるのだから、それでいいのではないでしょうか?」

 そんな疑問を口にするラムダ女史にパトロンは言った。

「この世はカネだけが大切なのではない。愛だよ、愛」

 ラムダ女史は全財産の譲ってもらうことを条件に異世界転移について教えてあげた。そして「異世界移住促進コンサルタントに話をしてみるといいです」と付け加えた。それ以来、パトロンは姿を消した。

 パトロンの財産を手に入れたラムダ女史は、消えたパトロンの代わりに自分の師匠のパトロンとなった。鷹匠の修行は止めた。食堂の仕事も辞めた。あくせく稼ぐ必要はないのだ。これからは遊んで暮らす、と心に決めて。

<狂愛>

 大金を手に入れたラムダ女史は、久しぶりに同性との性愛を再開することにした。壮麗な館を建てると金に物を言わせ、多くの美少女や美女を買い集めた。外見は少女だったが前世の記憶が残っている彼女は、その凄まじいテクニックに物を言わせ、女たちを自分の虜にしていった。痩せっぽちの子供だった彼女は、いつしか太ったおばさんになり、更に相撲レスラーみたいな老婆になったのだが、その肉欲が衰えることはなかった。死の寸前まで行為に励んでいたとされる彼女の残した館は狂愛の宮殿(パレス・オブ・クレイジー・ラブ)と呼ばれ、街の観光名所になった。

<きみは幸せでしたか?>

 前世の幸せな記憶を噛み締めるラムダ女史に、異世界移住促進コンサルタントは尋ねた。

「どうでした? 良かったですか?」

「まあまあ。だけど、最初の異世界は酷かった。てか、最後のところ以外は、駄目だね」

「いえ、実は色々な異世界を巡るコースを設定しておりまして」

「へえ、そうだったの」

「はい、一種のアラカルトメニューだとお考えいただければ」

「ふ~ん」と言ったラムダ女史は手元のパンフレットを見た。「きみは幸せでしたか?」と書いてある。頷く。

「うん、まあ、元の世界で酷い目に遭ったことを考えると、幸せと不幸せでトントンってところかな」

 異世界移住促進コンサルタントが言った。

「元の世界で、あなたの葬儀が執り行われているようです。見に行きますか?」

 ラムダ女史は驚いた。

「まだやっていなかったのか!」

「はい、実は、あなたが亡くなってから一週間も経っていないんですよ」

 そう異世界移住促進コンサルタントに言われ、ラムダ女史は呆れた様子だった。

「もう何十年も経っていたと思ったよ。とっくに終わったことだと。でも、何か、これで冷静に自分の葬式を見ていられるようになった気がする。行ってみるか」

<またね、大好き>

 晴天に恵まれたが、参列者は一人しかいない。寂しい葬式だった。

 死んだラムダ女史の墓に花を手向ける老婆がいた。故人の個人秘書であると共に、五十年以上も同性愛の相手を務めた女性だった。寂しげな微笑みをたたえて、彼女は言った。

「またね、大好き」

 空の上からラムダ女史は、肩を落として墓地を去る昔の恋人の姿を目で追っていた。異世界移住促進コンサルタントが、次にお勧めの移住先について説明したが、うわの空で何も聞こえていない様子だった。

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