第16話 言葉で理解するのが人間

人間が他の生物と決定的に異なるのは、社会構造をもってその生存の基礎としていることだろう。


アリやハチ、ほ乳類のいくつかでも統制された集団で生存しているがそれは極めて単純なものである。


なぜなら意志疎通の手段として言葉をもっていないからだ。


感情を表す簡単な言葉はもっているかもしれないが、論理的思考に基づく考えを披露するには至らない。


人間が高度な社会を形成するに至った一つの大きな理由としては当然、高度な話し言葉、書き言葉の発達がある。


人間は言葉をもって他人を理解するからこそ人間なのだ。


それができなければ宇宙人である。


僕は当時、大学生だった。


そして奇妙な宇宙人に狙われていた。


その宇宙人は一見すると地味な女子大生なのだが、よく見ると西田敏行に似ていた。


別の角度から見るとダダ星人だった。


特徴はめくれあがった厚めの上クチビルと、いつも乾いた前歯だった。


*****


クリスマスも終わり、年末もすぐそこ、というある日。


京都の街は一瞬にして衣替えをすませ、早々とクリスマス気分から正月気分へと変貌していた。


ここ嵐山には早くも雪が降ったらしく、すでに雪化粧をはじめている。


滔々と流れる河には鴨が遊び、珍しく晴れたその日を楽しんでいるかのようだった。


澄み切った空。白く化粧をした嵐山。誰もいない平日の午後。


閑散とした喫茶店のウィンドウからは絵画のような景色が広がっていた、


この素晴らしい景色は現実のことを忘れさせてくれそうだった。


そして僕は現実のことを忘れたかった。


ダダ: 「●くん、紅茶飲む? あたしの残りやけど、あ、間接キスになっちゃう、もうドキドキ♪」


ブチ殺すぞおまえ


僕: 「いや、別にいいよ・・・」


僕はさきほどのダダの提案に対しての返答に困っていた。


ダダの提案とは、


「ねえ、うちに遊びに来ない? 親が会いたがってるんだ」


というものだった。


当然答えはNOなのだ。


ダダの家に乗り込むなどという冒険はできるはずがない。


僕はマクガイバーではないのだ。


僕は斜めに向けていたイスを正面にして座り直した。


僕: 「ねえ、聞いてほしいんだ・・・」


ダダは少しだけ首をかしげて僕を見つめていた。


少しばかり照れているのか、あるいは困惑しているのか、いつもより頬が紅潮しているのがわかる。


正面から見るとやはり前歯の出具合が激しい。


上唇も思った以上にめくれている。


もしここだけ切り取って誰かに見せたらアフリカ人と間違えるかもしれない。


そして西川のりおにも似ていた。


ダダ: 「なあに?」


沈黙。


長い沈黙。


僕: 「・・・。」


ダダ: 「・・・?」


数秒間の沈黙。


見つめ合う二人・・・。


ダメだ、吐きそうだよ、父さん。いやマジで・・・


ダダは不思議そうな顔で僕を見ていた。


視姦しているのかもしれない。


僕はもう一度イスを斜めにして外に身体を向けた。


これからダダには決定的な一言を言うつもりなのだ。


元来小心者である僕には正面からそれを伝える勇気はなかった。


でも今日は言える。


いや、言うんだ、おれ。


固い決意をしてきたんじゃないか。


僕: 「もう会うのはやめよう」


ダダ: 「え?」


沈黙。


再び長い沈黙。


重い沈黙。


そして痛い沈黙。


有線が静かに流れる閑散とした喫茶店には僕とダダしかいなかった。


ダダ: 「え? 今なんて言ったの?」


ダダは不思議そうな顔できいた。


僕: 「え? だからもう会うのはやめようって・・・」


ダダ: 「なんで? あたしのことキライになったの?」


もとからそんなに好きではない


しかしそんなことをここで伝えてもどうにもならない。


僕: 「ごめん」


ダダ: 「何言ってるのかわからんわ、●くんの本心聞かせてよ、一体何が言いたいん?」


ダダはぷりぷりしながら言った。


僕は白い表情をしていたに違いない。


すっげー本心そのまんまなんだけど。


僕: 「いや、もうキミには会わなくてもいいかなー、なんて、エヘ」


ダダ: 「そんなわけにはいかんやろ?なあ?」


ダダはそのとき真剣な顔で僕の顔をのぞきこんでいた。


少し怒ったような口調でしゃべっている。


上唇のめくれ上がり具合がダダの真剣さを物語っていた。


前歯が乾いていた。


少し深呼吸をしてから


僕: 「もうキミとは会いたくないんだ」


静かだがはっきりと僕はその言葉を口にした。


決定的な、そして最終的な言葉だったはずだ。


ダダ: 「だからアンタ何が言いたいん?」


僕は手に取ったコーヒーカップを思わず落とすところだった。


え?


僕: 「・・・。」


理解できないのか、理解しようとしていないのか、それはわからない。


だがひとつはっきりしたことがある。


説得はムダだ、ということだ。


ダダ: 「あ、そろそろ出えへん? うちでパパとママが待ってるし。うちに行くやろ?なあ?」


最後の「なあ」には有無を言わさぬ語気があった。


外では北風が吹いていた。


桂川の川面はゆったりと流れている。


飛び込んだら死ねるだろうか・・・。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る