強制降臨した神ののんびり(願望)山暮らし

さんゼン

第1話 降臨、あるいは追放

 橋の欄干に胡坐あぐらで座り、釣竿を握ってぼんやりと雲海を眺めていた。


「おう、釣れてるかい」


 私は、雲海に垂らした釣り糸から、ゆっくりと視線を外し振り返った。


 そこにいたのは友神ゆうじんのトドロくんだった。


 くりっとした丸い瞳、太く大きい唇、つるりとした黒い肌に、四本の細い髭。端的に言えば、服を着て二足歩行をするナマズである。


 彼は着流しの袖口に手を突っこむ形で腕を組んで、傍らの魚籠を覗き込んだ。


「なんだい、空っぽじゃないか」


「まあね」


「コツを教えてやろうか。空魚釣りには一家言ある」


「いいよ。ただの手慰みだ」


 見栄を張っているわけではなく、実際、釣り糸を垂らしてはいても、餌もなにもつけていなかったりする。


 ただただゆっくりと流れる時間に、身を浸していた。


「無為に過ごしていていいのかい。あんた、何百年ぶりかの休暇だろ?」


「いいんだよ。無為に過ごすことほど有意義なことはない」


 私の言葉に、友神は呆れたような顔をして、やがて肩をすくめた。


「相変わらず変わっているというか……釣れもしないで座ってるだけじゃ、飽きるだろ」


「一万年はここに座っていられるよ」


「筋金入りだな」


 トドロくんはフッと笑い、


「そんなおまえに、いい知らせと悪い知らせがある」


 そう言った。


 私は片眉を上げて、その魚のごとき瞳を見た。


「それ、よく聞く言い回しだが、いったい誰が言い始めたんだ?」


「さあな、きっとえらいヤツだろう。それよりどっちから聞く?」


「じゃあ、いい知らせで」


 食事は基本、好きなものから先に食べる。


 すると、大きい口をニヤリと曲げ、トドロくんは言う。


「喜べ。しばらくお役目は休みだ」


 ほう、と思わず声が出た。


「そりゃ確かにいい知らせだ」


 素直にそう言った。


 与えられたお役目は真面目にこなすつもりはあるが、休みになる分には大歓迎だった。


 ていうか、やらないで済むなら仕事なんてやりたくない。


 真理である。


「それで、悪い知らせは?」


 そう聞くと、トドロくんは、遠く、高きに居を構える大神殿をあごでしゃくった。


「タケリビ様が、今、都に来ている」


「……」


 私はゆっくりと視線を釣り糸の先に戻し、小さくため息をついた。


「そりゃ、確かに悪い知らせだ」


「だろ?」


 この『神津国』を治める最高神はテルチカル様。そしてその弟君が、タケリビ様だった。彼自体は、少々荒っぽいところもあるが、そこまで問題視するようなお方ではない。


 ではなぜ悪い知らせとなるのかと言えば――


「あの姉弟、いつ仲直りするんだろうな……」


「無理だろ。あれはもう、天災と同じだ」


 ふたりは引くほど仲が悪いからだった。顔を合わせれば都を巻き込んだ大喧嘩に、必ず発展する。


 きっかけはなんだったか。


 姉が弟の大事にとっておいた仙果を勝手に食った、だとか、弟が姉の家庭菜園を散々に踏み荒らした、とか、枕もとに馬の生首が投げ込まれていた、とか、太陽が眩しかったから、とか。


 はっきりとしたところを覚えていないのは、結構しょうもない理由だったからだと思う。


 ともかく、二柱が顔を合わせると喧嘩をおっぱじめることは、周知の事実だった。なにしろ、我々の都は姉弟喧嘩が原因ですでに一三七三回も崩壊している。壊れ過ぎである。


「それで、しばらくお役目はないって話になるわけか」


 都市機能が停止すれば、確かにお役目どころではなくなるだろう。後始末を考えると今から頭が痛くなるが。


「ま、そういうわけだ」


 ちょうどそのとき、爆発音がとどろいた。


 音の出所を探れば、大神殿から、火と煙がもうもうと立ち昇っている。


「始まった始まった」


 トドロくんは、祭りを前にしたかのような調子で笑い、都とは反対方向に足を向け、


「じゃ、俺は一足先に避難させてもらうぜ。お前も、早めに逃げた方が――」


 そして、最後まで言い切る前に、上空から飛んできた光の柱に飲み込まれ、その姿を消したのだった。


 一瞬の出来事だった。


 光の柱は徐々に細くなり、やがて消えた。


 あとには、見事なまでに丸く削り取られた橋板と、びちびちと跳ねるナマズが七匹ほど残されているだけだった。


「ああ……無情」


 トドロくんはあまりにも呆気なく死んだ。死んで、ナマズをあとに遺した。仮になぜそうなるのかと誰かに問われても、神というのはそういうものだ、と答えることしかできない。


 私は、手を合わせて目をつぶった。


「しばらく休め」


 復活までの数百年。彼には休みが与えられたと思うことにした。


 気持ちを切り替え、私は空を見上げた。


 予想通り、遠くには太陽のように光り輝く御仁が浮いていた。


 あれこそ我らが最高神、テルチカル様だった。相変わらず今日も眩い存在である。そして、友であるトドロくんを消し飛ばしたのは彼女の悪名高き極太光線、遮るものすべてを消滅させる、恐るべき通常攻撃であった。


 傍目には狙いもつけずに乱発しているように見えるその光線が、都を蹂躙していた。神々の、慌てたような叫び声が、あちこちから湧いている。


 魔神でも攻めて来たかのような騒ぎだったが、残念ながら下手神は最高神だった。こんなんでも神の世はこれまで成り立ってきたのだから不思議な話である。


 唐突に攻撃がやんだ。


 遠目にも、彼女がきょろきょろと周囲を見回しているのがわかる。どうやら、狙うべき目標を見失ったようだった。


 この隙に、逃げてしまおうと思った。魚籠と釣竿を手に欄干から降りて、都とは反対方向に向かって進んだ。


 トドロくん、君の意志は私が継ごう。

 

「ったく。姉上は頭が固くて困る」


 が、早くも足を止める羽目になった。


 行く手には、大柄な神物が立っている。


 一応の礼服を大胆に着崩して、盛りあがった胸筋をはだけさせた男は、こちらに気がつくと、「おっ」と明るい声を発した。


「ヨキヒコじゃないか! 久しぶりだな!」


 男は、ずんずんと近づいてきて、私の肩を力強くバシバシと叩いた。


 知り合いだった。なんならその男は、渦中の神だった。


「タケリビ様こそ、お変わりないようで」


 礼を取った私の態度に、相手はむっとしたような表情になった。


「なんだ、よそよそしいな。昔のようにタケと呼べ」


「そういうわけには……」


 タケリビ様は、やれやれと首を振った。


「はあ、まったく、都は窮屈だ。上とか下とか、礼儀とか作法とか」


「今日もやはり、姉君と喧嘩ですか」


「おうよ。帰って早々、やれあーしろこーしろと口うるさいんでね。あんたは俺の母親か、って馬の糞を投げつけたらえらい怒りだして」


 そりゃ怒るでしょ。猿かなにかか?


 そう思うが、もちろん口には出さない。


「仲良くしてくださいよ。都を建て直すのもけっこう大変なんですから」


「そういうことは姉上に言ってくれ。そもそもの話、姉上が――」


 そこで急に相手が口を閉ざし、私は首をかしげた。


「どうしました?」


 尋ねると、真面目な顔をして、タケリビ様は言った。


「先に謝っておく」


「はい?」


 そのとき、キーン、という風切り音とともに、なにか声がした。ちゃんとは聞き取れなかった。


 耳に手を当てると、今度ははっきりと聞こえた。


「お姉ちゃんの言うこと――」


 弟を捕捉してこちらにすっ飛んできた、テルチカル様だった。彼女は大きく腕を振りかぶって、拳を繰り出そうとしていた。


 当然、私は巻き込まれまいと逃げようとする。が、弟の方がすばやく身体を動かして、私の首根っこを掴み、天高く掲げた。


 盾に使われた、と察するまで、数瞬を要した。


「聞きなさいッ!?」


 姉の方は、突如として割り込んできた私の顔に、驚いたように目を丸めたが、もはや拳は止まらなかった。


 拳は、私の頬へと深々とめり込み、凄まじい衝撃を十全に与え、きりもみするように、私は宙を舞った。


 欄干にぶち当たり、それを粉々に粉砕し、なおも突き進んで雲海へと到達する。空魚の回遊する雲海に沈み、底を突き抜け、あっという間に神津国から飛び出していた。


 なにか言葉を発する暇も、与えられなかった。


 吹きすさぶ風を一身に受けながら、あまりにも理不尽過ぎる状況に、逆に悟ったような心境で思う。


 神というのは、こういうものなのだ。


 視界には、『中津国』の光景が広がっていた。周囲を海に囲まれ、陸には山また山の緑に溢れる、人の子の地。


 その光景を最後に、私は意識を手放した。



 目を覚ますと、緑の中だった。


 右も左も木また木という光景が広がっていたが、あたりは明るい。日の光を遮るような葉は、まだ生えそろっておらず、代わりに小さな薄緑が見えた。


 新芽の季節のようだった。


 下草は青々と生い茂っていて、そのところどころを小さな白や黄色の花が彩っていた。先のくるくるした山菜も群生している。


 音が聴こえた。近くに川でもあるのだろう。止めどなく流れる水のドーッと鳴る音が耳に届く。その間隙を縫うようにして、囀りの音律が響いていた。頭上を見上げれば、白桃色の花を咲かせる樹の枝に、極彩色の羽根が覗いている。


 手には、空っぽの魚籠と、折れた釣竿。


 軽くため息をついて、やわらかい腐葉土の地面に手をつき立ち上がった。


 すぐ隣は、けっこうな傾斜の坂になっている。目覚めるまでに寝返りのひとつでもうっていたのなら、大移動をするハメになっていたことだろう。


 大きく息を吸った。


 湿った冷たい空気が肺を満たし、木々の発する特有の香りが鼻孔をくすぐった。


 息を吐いて、状況を整理した。


 ここは、山の中だった。


 私は、人の子の地に、降臨ついらくしていた。

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