最終話 この渓を遡りて

 誤解の謝罪を受けた俺はグウィンセンの住む村、村長の館に招かれた。


 塩の他、替えの鉤として、貴重な縫い針をもらった。これを加工して釣り針に変えるのだ。


 こちらは礼として渓流魚の燻製や山菜などを厄介料として収めることにした。


 以来、俺は客人として村と渓流を行き来している。


 彼らの言葉も教わって、簡単な言葉は使えるようになった。


 その日も、魚を納めにグウィンセンの館を訪ねた。丁度、メロウィアも毛織物の納品に来ていたところにばったり出会って、談笑していた。




「それにしても唖人は本当にいたし、あの伝説も嘘じゃないかもね」


「伝説?」


「そう、あの森の奥には本物のエルフ、私たちのご先祖が今も暮らしてるんだって」


 俺の記憶の中の、あの長髪の神々しい姿の男がよみがえる。


「俺、それ、見た」


「なんだと?どこで?」


 グウィンセンは俺のたどたどしいイェルフ語の「見た」を聞き逃さなかった。


「と、止めの滝、上、上。俺、見た」


 あの、グウィンセンやメロウィアとは違う雰囲気のエルフの記憶だ。


 急に、その時彼がつぶやいていた言葉が思い出された。詩のような歌のような、音律を用いた呪文だったのかもしれない。


 無意識に、歌を詠むようにそれを諳んじていた。


 四つの目が俺を凝視ししていた。


「何今の!?」


「な、これ、どういう、意味だ?わかる?」


「おそらく……山川が汝を試す、汝生を全うすれば、山川すなわち汝の父母なり……上古イェルフ語だ」


「コウスゥグは純血のエルフに、あの地に認められたということ?」


「そうかも……そうなのか?」


「ねえ、じゃあその純血のエルフにみんなで会いに行かない?」


「またメロウィアは思いつきで!彼らが歓迎するとは限らんのだぞ!」


「大丈夫だよ、だってコウスゥグは認められたんだし」


 はぁ、とグウィンセンはまたため息をついた。


「グウィンセン、彼女、いつも?」


「そうだ、いつも思いつきで私たちはえらい目に……」


 潜めた声に思いつきの主の尖った耳がぴくり、と反応した。


「ねぇ!二人で何をひそひそ話をしてるの!」


 とにかく、そういうことになった。


 ◇


 三日後、万全に荷駄を整え、俺たち三人は川のほとりから茜に燃えるイル・イッファを彼方に望み、更に上流へと向かっていた。


 嶄岩ざんがんをよじ登り、滝を高巻いて、谷を渡り細枝を避けながら進む。


 楽な道程ではない。


 しかし、心持ちは軽い。相伴がいるからなのか、そのうちの一人の動向が危なっかしくて、アドレナリンが出ているのか。


 ふと、俺は中国の漁師がたまたまたどり着いた桃花源の伝説を思い出した。


 何百年も時が止まったような、花咲く隠れ里。


 詳細を記して再訪を試みたが、二度とたどり着けなかったという。


 そんな理想郷か、神秘の森の都か。


 蛇行する川の先に何があるのか。


 未知の風景に不安と期待が入り交じる。


 次の淵を曲がろう。


 待ち受けるものを期待して。


 


 後にカルネジ庄の村長となるグウィンセンはこの冒険譚を『イル・イッファの冒険』としてまとめた。


 その冒頭にこの唖人、と思われていた謎の釣り師、コウスゥグの紹介がある。


 曰く、

「我ら、真の森人を訪ねてこの蒼崖幽興そうがいゆうきょうの地へ赴かんとす。我ら三人の内、コウスゥグは、元々流氓りゅうぼうなり。何処いずこより来たりしか知るもの村内になし。村人これを唖人と見て恐る。しかして良知あり、山野を跋渉ばっしょうし、釣魚をくす。」と。

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二人の狩人 〜イル・イッファの森人と唖人〜【中央大陸シリーズ】 香山黎 @kouyamarei

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