オマケ

オマケ:いつかの夢の続き。

「えと、お風呂から上がったよ」

「ああ、おかえりなさい」


 僕がお風呂から上がって、ガウンだけを身につけて寝室に入ると先にお風呂を済ませていたハティがベッドの上で上体を起こして出迎えてくれる。

 寝室は以前の屋敷と違って別々ではなく、二人一緒に寝るようにしたから、前よりも広い。

 ベッドだってダブルベッドで。その脇の左右のサイドチェストのハティ側の方で、卓上ランプが煌々と寝室を照らしていた。サイドチェストの片方はハティので、もう片方のは僕のだ。僕の方は本が乗っている。


「今宵はいい夜にしましようね」

「あ……、うん」


 いい夜にしましょうと、ベッドの上で僕と同じようにガウンを身につけて横になっているハティに言われてしまうと、僕はどうしてもドギマギしてしまう。

 ベッドの上で寝そべるハティは、髪の長い綺麗なお姉さんに見えてしまうのだ。ガウンの下は筋肉でムキムキなのだけれど。

 中世的な美人のハティは扇状的で、どうにも目のやり場に困ってしまった僕は、ハティのサイドチェストへと視線を逃した。そこには、卓上ランプの他に、沢山のガラスの小瓶が並んでいる。


「君のサイドチェストいつも沢山瓶があるよね」

「香水とか香油とかですね」


 ハティは頷いた。

 ハティはよくそういった香水の類を使っては、甘やかな香りをいつも身に纏っている。

 そして、そういう香りが強いものを使うのは、以前は、自分が人殺しだからだとハティは言っていた。


「前は死臭を誤魔化すためだって言ってたけど、もうそんなに必要ないんじゃ?」


 僕が率直な疑問を口にすると、ハティは瓶の一つを手に取りながら頷いた。


「ああまあ、そうですねえ。でも、多分、私が好きなんでしょうね。実用を考えて始めたのに、今ではもうすっかり趣味なんですよね、こういうの集めるの」


 そして、僕にフッと笑いかけながら、瓶を卓上ランプの光に揺らして見せる。ガラスの瓶に刻まれたカットがまるで宝石の様にその姿を煌めかせ、幾何学の光の波紋をそっと壁やベッドに残した。


「ほら、光に当てると黄金色の香油の入った瓶が綺麗でしょう? 宝石と違って使えるものですしね、少々お財布が緩むと言いますか」


 そして、恥ずかしそうにはにかんでみせた。

 いつも、完璧で全てのことをそつなくこなしてみせるハティが照れるなんて珍しい。

 僕はつい素直な感想を述べてしまう。


「君にもそういうところがあるんだね」


 ハティは僕の随分な物言いにはにかんでみせる。


「ふふっ、私だって人間ですよ」


 そう。ハティだって人間だ。

 分かっているのだけれど、どうしても月光に当たっている姿とか、神秘的すぎて、人間に思えなかったりする。

 なんて考えていると、ぬらりとハティが動いて──、


「人間で欲があって」


 グイッと腕を引っ張られて、ハティの端正な顔が急接近する。

 声をあげる間もなかった。


「貴方が欲しい」


 ハティは僕諸共ベッドに倒れ込んだ。


「わあっ!」


 僕は急な顔の接近もそうだし、急にハティが色香を出してくるし、それでいてそれに驚く間も無く、ベッド引き倒されたものだからパニクってしまっていた。

 僕をベッドに引き込んだ張本人はと言えば、自分の上で僕が慌てふためいてるのを見てクスクスと笑ってる。

 もう!

 この伊達男、僕を揶揄うの大好きすぎるだろ!


「もうすっかり大人のはずなのに、軽いですねえ。片腕でベッドに引き込める」

「いきなりひどいよ」

「イタズラぐらいたまにはいいでしょう?」

「もう!」


 たまにじゃない! 最近しょっちゅうだ!

 ハティはほぼ毎日こういう揶揄いをするのだ。僕に好かれていることを分かっているからって!


「そんなに怒らないでくださいよー」

「昔の君はこんなことしなかったのに」

「だって、今は恋人ですから」

「…………」


 僕は押し黙ってしまう。

 そう。恋人になったのだ。憧れの人と一緒に運命を乗り越えて、恋仲になって。

 けど、こんなはずじゃなかった。もっと、恋人になったら僕だってハティに頼りにされたりとか、そういう予定だったのに。


「はいはい、苦虫を噛んだような顔をしない」


 僕が黙ったままでいると、気を紛らわせたいのかハティはパンパンと手を叩いて大きな音を立てた。


「恋人は慣れませんか」

「慣れる慣れないというか……。実感が湧かない」


 こんなに綺麗な人と恋人な現実が信じられない。

 僕の素直な感想に、おかしかったのか吹き出すようにハティは笑った。


「ふふっ、まあしょうがないかもしれませんね。ずっと従者と主人でしたし。でも、いい加減慣れてくれませんとね」


 そして、ハティは僕にウインクしてみせた。


「こうして床を一緒にもするのですし」


 そう。僕とハティは男同士だけれど、付き合って恋人関係にある。

 そういうこともするのだ。

 いつも一緒にお風呂に入りたがるハティと別れてお風呂に入ったのは、その、色々準備があるからで、今晩は、僕がハティに抱かれる番だった。

 だから、いい加減慣れてもいいはずなのだけど、僕にはずっと気にしてることがあったのだ。


「君は、カッコいいから」

「? ありがとうございます」


 急に褒められてよく分かっていないだろうハティは素直に礼を言ってくれる。

 僕は、話を続けた。


「きっとこの街の女の人はみんな君のことが好きだよ」

「ほぅ」


 何が何だか分かっていないんだろうけど、ハティは興味津々に僕の話の続きを待ってくれている。


「お仕事だってたくさん見つけて、いまみたいな家に住めるのだって君のおかげだし」


 ハティはこの国でも騎士の指南役として、引っ張りだこなのだ。

 それというのも、アマビリスの伝説は諸外国にも伝わっており、そんなアマビリスにも似た凄腕の騎士の剣を学べると聞けば、国中の騎士、どころか外国からも指南を請う人がやってくる始末だった。


「貴方だって、子供たちの相手をするお仕事してるし家事してくれるじゃないですか」


 確かに、僕も働いている。

 この村の教会の孤児たちの前で教鞭なんかを取らせてもらっている。それはとても大事なお仕事なのだけれど、あくまで慈善というか、そう儲かるお仕事ではない。


「簡単な読み聞かせと文字を教える仕事だけだよ、それに家事だって気抜いたら君が全部やっちゃうじゃない」

「従者でしたし、慣れてますから」


 かと思えば、この騎士、家事も完璧で。気づいた時には大体の家のことを終わらせてしまっている。薪割りも、洗濯も、水汲みも。

 せめて、家のことはと僕が思ってもこれでは形無しだ。

 だから、僕はずっと不安なのだ。


「僕、君に相応しいのかなって」

「ほぅほぅ」

「他の女の人に取られちゃうんじゃないかって、ずっと不安なんだ」


 そして、ハティと対等になりたいという願いもまだ叶っていないことも、ずっと気にしている。

 ハティは口に手を当てて「ふむ」と少し考え込んでから尋ねた。


「恋人がモテるのは嫌ですか」

「嫌というか、……嫌、なのかな。君が香水集めてるのとかも気になっちゃうんだ」

「ますますモテちゃうって?」


 僕は素直にコクンと頷いた。


「多分」

「可愛いですねえ」


 やれやれとハティは肩をすくめてみせた。

 そして、何故かハティは卓上ランプを消し出した。途端に部屋が真っ暗になる。

 頼りになる明かりは、窓から差し込む月明かりだけだった。今宵の月は満月で、幸いすぐ視界は暗闇に慣れた。

 僕の視界が暗闇に慣れるのを待って、ハティが風呂上がりに緩くまとめた髪を僕に差し出した。


「髪解いてくれますか」

「えっと」


 戸惑っている僕にハティはグイッと髪を押しつけてくる。


「解いて欲しいのです、貴方に」

「う、うん」


 有無を言わせぬ圧を感じて、僕は素直にハティの髪を解いた。途端にバサリと髪が広がって、銀糸のようなその髪の一本一本が月明かりに淡く光ってみせた。

 それは、息を呑むほど美しくて、僕は言葉を失ってしまう。

 そんな僕の様子を眺めながら、ハティは目を細めた。


「どうですか、月明かりの髪を解いた私は」

「えと、綺麗だよ」

「髪を解いている私を知ってるのは貴方だけですよ」


 そして、僕を愛おしそうに見つめながら、僕の手を取り静かに言い聞かせる。


「街中の女が惚れてしまうような男のこの姿を知ってるのは貴方だけなんですよ。

 少しは自尊心上がったりしませんか」

「うん……」


 確かに、光栄は光栄なんだけれど、それはあくまでハティがすごいのであって。僕は付き合えてるからと言って、ハティの価値を自分の価値だと思えるほど、自己肯定感が高くなかった。

 僕の表情で励ましの具合があまり芳しくないことを悟ったのか、ハティは困った表情をして、そして少しして、ベッド脇の瓶から一つ手に取って栓を開けた。

 そして、中の香油を手の平に多めに垂らしてみせた。


「いい匂いでしょう?」


 いつもハティからする甘やかな香りがした。

 僕は素直に頷いた。


「香油は体温で揮発して匂いが広がるんですよ。擦り合わせたらきっと貴方にも匂いがついてしまいますね」


 そう言って、ハティは微笑んでみせる。

 そして、手を合わせて香油を擦り合わせると、より一層、香油の甘やかな匂いが強く広がって。


「君の匂いでいっぱいだ」


 僕はフワフワした気分になった。

 ハティからいつもする甘い匂いが、呼吸するたびに胸いっぱいに広がって。内側からハティに侵食されていくような、そんな妄想が飛来してしまう。


「貴方が私に染まって欲しいので、今日はいっぱい香油を使って致すとしましょうか。貴方は要らないことばかり考えてしまうようですからね」


 言いながら、ハティは追加の香油を垂らして人差し指と中指に絡めた。


「敏感なところを擦り合わせて、私の匂いで染め上げて、何も考えられなくなるぐらい気持ち良くすれば、くだらない不安もなくなってしまうんですかねえ?」


 心なしか、結構怖いことを言っているなとフワフワした頭で僕が思っていると、急にハティが僕のがガウンの胸元をガバッとはだけさせた。

 びっくりする間も無く、ハティは僕のガウンの胸元に手を突っ込んで。そのまま香油を纏った人差し指と中指で、僕の身体の身中線をそっとなぞる。

 香油のぬるりとした感触が胸や腹に走って、僕はゾワゾワとしたものを背筋に感じながら固まってしまう。

 そして、その指は僕の臍の下で止まった。

 香油の甘やかな香りが、塗り広げられた側から香っている。本当にこのままハティの香りに染め上げられてしまうんだろうか。

 ハティの指先を目で追っていた僕が顔を上げると、ハティと目があった。


「試してみましょうか、ねえ?」


 このまま、さらに下に指を下ろしてもいいんだぞ、とでも言いたげにハティはニコリと笑ってみせる。

 僕の大事なところを香油まみれにして、僕をめちゃくちゃにすることだってハティはできるのだ。ハティは家事や剣だけじゃない。どこで知ったのかと思うほど、そういうことも上手なのだ。いつも僕はヒンヒン言わされている。

 だから、ハティの言葉は、脅しとして機能していた。

 そこで僕はようやく気づいた。


「怒ってる?」

「ええ」


 ハティはニコニコしたまま頷いた。

 心なしか、その笑顔が笑っているというのに黒く影って見える。


「あの手この手で励ましても効き目がないんですから」


 ハティは大抵僕が何をしでかしても、逆に僕を心配してくれるのだけど。

 唯一、一つだけ例外がある。

 ハティは僕の自嘲癖が治らない時だけすごく怒るのだ。


「君って怒る時すごいニコニコするよね」

「よくお分かりで」

「……ごめんなさい」


 僕は素直に謝った。

 すると、フッとハティの纏う雰囲気が柔らかくなって。

 謝れば、ハティはとりあえず許してはくれるのだ。


「……まあ、悪気がないのはわかっておりますよ」


 悪気がないから許してくれてるのかもしれない。

 しょうがないなあ、という素振りでハティは僕のガウンに突っ込んでいた手を引き抜いた。


「私が貴方以外に靡くはずもありませんのに、私目は悲しいですよ」


 ハティは、オヨヨ……と、芝居がかった悲しむ素振りをして見せる。

 それは分かってる。ハティが僕のことを裏切ることなんて絶対にない。

 だけど、不安になってしまうのは、僕が自信がないからで。自信がないからって、僕はどうにも大事なことを見失いがちなようだった。


「あんな運命を共にして他に目移りなんてできませんよ。貴方もそうだと私は信じておりますよ」


 そう、僕達はあの運命を乗り越えて、もう他に代わりなんていないのだ。


「私の罪を一緒に背負ってくれるのも貴方だけ、貴方だけが私のイデア。

 そうでしょう?」


 イデア──、人はみな分たれた半身を探しているのだと言う。

 もしも僕にそんな半身があるのならば、ハティがその半身に違いない。他の誰かなんて考えられなかった。

 僕は、ゆっくり頷いた。

 すると、ハティは満足そうに目を細めながら、色香を纏って僕に覆い被さった。

 いつの間にかハティはすっかりガウンを脱ぎ去っていた。

 ハティの濡れた瞳が、僕を見下ろして。

 そして、愛おしそうに、僕の頬を撫でる。

 ハティは、いつかの夢の続きを、一緒に見ようとしてくれていた。

 僕もハティのことがどうしようもなく愛おしくなって。

 力一杯ハティを抱き寄せるのだった。

 もうこの半身と分たれないように。


 そして、僕とハティは眠れない夜を今日も二人繋ぐのだった。

 月だけが、僕達の愛の行方を静かに見守ってくれていた。

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