追走劇を終えて②


 元王城。コーレリア大公国現君主、スケラ大公が住まうその城の一室。執務室。

 夜遅くだと言うのに、一件から当日中に、訪ねてきた二人をスケラ大公は快く受け入れた。

 相変わらず、スケラ大公の執務卓の上には山ほどの書類がどっさりと載っていた。公国というものは貴族によって運営される国であり、当座の代表として大公を据えているとは言え、国の代表者。

 責任者として判断を下し、その名を持って、様々な案件へと承認を求められ、与えなければいけないのだ。

 そんな雑然とした執務卓越しに、年老いた金狼──スケラ大公はオーディールの報告を一言一句漏らさぬよう、「ふむ。ふむ」と頷きながら、静かに聴いていた。その、年老いてもなお未だ褪せない黄金の毛並みにも負けない翡翠のような知性の宿る眼は、オーディールが一言一言重ねるたびに、憂いを帯びて、曇っていく。

 オーディールは、スケラ大公の前ではヘルムを外し脇に抱え、粗野ながらその精悍な顔つきを晒していた。その隣で、ミミングウェイ嬢はオーディールはこんな顔をしていたのかと、驚きながら黙って控えている。


「──以上の通りです」


 報告を終える頃には、スケラ大公はすっかり胸を痛めて、沈痛な表情を浮かべていた。それは本気で誰かの不幸を憂いていて。

 為政者としては、このお爺様は甘すぎる。

 もっとも、善人であるということなので、オーディールも嫌いではないのだが。心配にはなる。一つ一つに胸を痛めていては、とても抱えきれなくなるものだ。だが、この年になるまでスケラ大公は全てを抱えて生きてきた。

 そして、だからこそ、このお爺様はお嬢さんに力を貸しているのだろうと、オーディールは結論づけた。二人は、よく似ている。

 ほんの少し間をおいて。

 頭の中に整理をつけたスケラ大公が、沈黙を破って絞り出すように声を漏らした。


「歯痒いな。証拠さえあれば、我が天秤を戴くスケラの名において公爵どもを罰することもできるというのに」


 その言葉にミミングウェイ嬢も目を伏せた。

 真実には、辿り着けた。けれど、それ以上の打てる手がもはやなかった。できることがあるとするならば、これ以上の被害を出さないために睨みを効かせることぐらい。

 けれど、それはこれからのことであって、これまでのことは、何ら解決しないのだ。

 無力感がこの部屋を支配していた。


「罰されるべきが罰されず。自力救済に乗り出したもののみを罰するのであれば、それは法と呼べるのであろうか」


 法の無力を嘆く君主に、オーディールは、影の法の守護者として諌言を落とす。


「……けれども、彼らは手を汚しすぎています。罰さぬわけにはいかないかと」

「うむ……」


 それは、スケラ大公も分かっていることではあった。

 スケラ大公は力無く頷きながら、それで、話が終わった。

 そして、次の話が始まる。


「時に、オーディールや」

「はい」


 なんの話だろうか、と、オーディールは襟を正す。

 が、あまりそれは意味がなかった。


「仮面舞踏会をな、開こうと思うておるのだ」


 ……仮面舞踏会?

 思いもよらないその単語に、思わずオーディールへ目を丸くしてしまう。突拍子もない単語に、初めは頭が追いつかなかったが、徐々に頭がその意味を理解する。

 仮面舞踏会、だと!?


「はいぃ? この時節にですか? 今も貴族殺しの銀狼とその王子の話をしたばかりですが、そのような場合ですか? 控えるべきかと」


 先程よりも強い語気でもって、オーディールは諫言を再度呈する。

 そんなお遊びのようなもの、こんな時に、やっている場合ではない!

 けれど、そんな真面目な王国騎士に対し、スケラ大公は「まぁまぁ」と宥めるように手をヒラヒラとさせた。


「だからこそ、なのじゃよ。王国騎士団の者に警備を任せたい」

「だからこそ、ですか」


 そう言われてしまっては、一旦、どういうつもりか聞くまでは頭に浮かび上がる文句を飲み込むしかなかった。


「……公爵を集め、話がしたいのだ」


 ああ、そういうことか、と。オーディールは内心、膝を打つ。

 公爵共に、何かしらの釘を刺したいということなのだろう。

 とは言え、本当に仮面舞踏会である必要があるかは疑問だが、意図は分からないでもないので、その要望に柔軟に受け応える。


「ああ、なるほど。では、部下を二分いたしましょう。引き続き、捜査に当たらせるもの。仮面舞踏会の警護に備えるもの。よいですね?」

「ああ、それで構わんよ」


 そして、二つ目の話題も終わりを迎えた。

 スケラ大公は、話はまとまった、と、満足そうに頷いた。


「要件はこれぐらいか。頼りにしておるぞ、オーディールよ」

「はい。では、失礼します、スケラ大公。

 ……ああ、一つだけ」

「うむ?」


 話は終わった、と、出て行こうとしたオーディールが礼をし、一歩踏み出しかけたところで急ターンして再度向かい合ってくるものだから、スケラ大公は首を傾げて見せた。

 オーディールは、捜査中、何度も何度も頭に過った文句をぶちまけた。


「やはり、前以て、もう少しお考えになってることをお話しください。信頼してくださっているのは分かりますが、やはり現場の者としては困ります」


 約束の場所に現れたのが公爵令嬢という全く捜査には出向くべきでないものだったり、実は犯人の目星はついていたにもかかわらず、なにも話さなかったり(それはミミングウェイ嬢もだが)。

 慎重に事を進めるにしても、振り回されるこっちの身にもなってほしい。

 オーディールは敬愛すべきスケラ大公に対し、ジトリと睨みつけていた。

 オーディールは、影の法の守護者として、公に出ることはないが、その実、国の機関が抱える武人としては最強である。

 その最強の武人から殺気はないにしろ睨めあげられてしまえば、冷や汗が流れ出てしまうのもしょうがないというもの。


「たはは……、すまぬの」


 ポリポリとスケラ大公は頬を掻いて、分かりやすく、目を泳がせている。

 これは、多分、反省してない。きっとまたやる。

 長い付き合いだから、オーディールには分かっていた。

 まあだが、一応釘はさせた。今はこれでよしとしよう。


「ったく、お願いしましたぞ! では、失礼します」


 そう言い残し、今度こそと執務室を後にする。


「先に行くぞ」


 最後に、すれ違い際、ミミングウェイ嬢にそう一言声をかけて、オーディールは執務室を出ていくのだった。


「あ、じゃあ、私も──」


 と、言いかけて、オーディールに続こうとするミミングウェイ嬢に、スケラ大公は手で待ったをかけた。


「いや、其方にもしたい話があるのだ」


 出て行こうとしていた、ミミングウェイ公爵家のご令嬢は、その場で身を正すのだった。

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