第2章

月王子は夢を見る①

 夢を見ていた。僕ことマーニ・コルネリウスは夢の中で、幼少期に慣れ親しんだ屋敷のその自室、本棚に囲まれている。身に余るほどの大きなベッドのその上で、赤い金の刺繍が縫いつけられた布団と毛布に身を包まれて、上半身だけを起こしていた。

 幼少期に慣れ親しんだ光景に合わせたのか僕自身の体も幼少期のものだ。

 けれど、慣れ親しんだ幼少の思い出の中で一つだけ特異なものが存在していた。


「マーニは貴族同士の血みどろの争いなんてしなくていいんだからな」


 そう、白の騎士服に身を包み絹糸のような金髪を垂らした美丈夫が僕に笑いかけてくる。そのブロンドが窓の昼の日差しに煌めいて、僕の従者である銀狼のハティと比べても見劣りしない彼は実の兄だった。

 実際、これが夢だと気付いたのは、兄様が目の前にいるからだった。

 兄様──ソール・コルネリウスはずっとずっと前に“事故”で亡くなっていたから。

 本当であれば、僕ことマーニ・コルネリウスではなく、コルネリウスの党首を継ぐべきであった人。


「マーニは、コルネリウスの責任なんか背負わなくていい。そういうのは俺がやるからな」


 ソール兄様は思い出の中と同じ顔で僕に向かって微笑んで、ベッドで身を起こしている僕の頭を撫でた。

 兄様は、僕と出会うたびに、頭を撫でてくれた。そして、いつもなにも心配することはないと優しい言葉をかけて去っていくのだった。

 本来、貴族の兄弟は敵同士、家柄を奪い合うもの。だけれど、兄様は僕をいつも可愛がって気にかけてくれていたように思う。

 それはきっと、僕が虚弱児で歯牙にかける必要もない存在だからなのだろうと思っていたのだけれど。それだけではなかったのかもしれない。

 今の僕は、コルネリウスの血の宿痾を知ってしまった。

 コルネリウスのものでありながら、ノブレス・オブリージュを唱え、公爵の貴族でありながら自らも騎士足らんとする兄様は立派な、そう、立派なコルネリウスの党首になるはずだった。

 対して僕はといえば、病弱で、幼少は寝たきりで、従者のハティにおんぶに抱っこ、顔つきだってきっと幼さが抜けていないし、そばかすばかりで。ソール兄様に勝ることなどきっと何一つとしてなかったし、僕はソール兄様が家を継ぐんだとばかり思っていた。

 けれど、そうはならなかった。

 コルネリウスの者は、他家の公爵の者から命を狙われてきた。

 実は、王族の血を引いているから。

 それは、大公国となったこの国の体制を維持せんが為のものであったからこそ、尚更苛烈に。

 そして、ソール兄様はその毒牙にかかった。


「じゃあ、行ってくるよ。お土産に戯曲集買ってくるから、楽しみにするんだよ」


 ソール兄様が最後に僕の頭を一撫でして、手を小さく振ると踵を返して行ってしまう。その大きな背中が徐々に小さくなっていくのを見て、僕は、ハッと気づく。

 そうだ。僕が見たソール兄様の最後の姿は、こうだった。

 ソール兄様は、僕に戯曲集を買ってくると言い残し、出掛け、出掛けた先で亡くなったのだった。

 

「あ──」


 気づいた時には、ソール兄様の手はドアノブにかかっていて。

 行ってしまう。扉を開けて、今にもソール兄様が出ていこうとしている。

 これは夢だ。夢だと分かっている。けど、どうにかして引き留めたくて手を伸ばす。でも、声が出なかった。

 夢の中で体が思うように動かないのと同じで、声が出なかった。

 それでも、振り絞る。

 夢の重力の中で、記憶の枷に逆らって、必死に存在の全て、意思を込めて、反発する。

 けれど、


「兄様!」


 僕が手を伸ばし声を出せたのは、すっかりソール兄様の後ろ姿が扉の陰に見えなくなってしまった後だった。

 そして、もう終わりだとでも言うように扉がバタンと大きな音を立てて閉じ切った。

 僕が手を伸ばした、その先に、もうソール兄様の後ろ姿はなかった。

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