マーニ・コルネリウス②

 僕が、ハティに用意してもらったコーヒーとトーストを食べ終え、新聞も読み終わったところを見計らってか、ハティが声をかけてくる。


「お風呂に入りましょうか」


 この屋敷には、お風呂がある。普通の家には風呂なんてないけれど、ハティはお風呂が好きでつけさせたのだという。

 ハティはよくお風呂に入っている。なんでも、剣の鍛錬した後にすぐに風呂が入れると助かるのだとか。今だって、ハティからは石鹸と香油の香りがした。


「でも、もうハティはお風呂入ったんじゃない?」


 おそらく、僕が起きる前に入浴を済ませたのだろう。

 ハティは僕とお風呂に入るのが好きなようで、いつも喜んで一緒に入ってくれる、というか、むしろ率先して一緒に入ろうとする。

 ただ今回に限って言えば、二度手間だ。共に風呂に入らせるのは忍びない気持ちがある。


「ええ、朝の鍛錬の前に一度、ですが、鍛錬をしましたから汗もかいておりますし、それにマーニ様のお体を洗うのは私の役目ですから」

「君はもう従者じゃないよ」

「お嫌ですか? 幼い頃からずっと一緒にお風呂に入ってきた仲じゃあ、ありませんか。今更、恥ずかしがることなんてないと思いますが」

「そういうわけじゃあないけれど」

「では、共に」


 言い負かされる。ハティに敵うことなど僕にはないんじゃないだろうか。

 こんなことでは、いつまで経ってもハティと対等になんてなれないのかもしれない。

 ハティは僕からの反論がもうないことを確認すると、風呂の準備をしに行ってしまった。そして、少し経って戻って来る。

 断りきれもせず、薪の準備をしてきたというハティと共に、ズルズルと気持ちを引きずりながら脱衣所へ。

 とは言え、好きな人と一緒にお風呂に入るのだ。

 僕だって、男で、そういうことに興味がある。

 服を脱ぎながら、こっそりハティの脱衣を盗み見る。

 ハティの露わになる体は騎士なこともあって逞しい。毛皮の下であっても腹筋が隆起しているのが見て取れるし、けれど、普段はそんなに逞しいようには見えない。逞しいというよりは、流麗なとか、その手の単語がよく似合う。着痩せするタイプなのだろうか。

 ぽ〜っと見惚れていると、目が合って、ニコリと、微笑まれる。

 バレてしまった。


「ご、ごめん」

「気にしなくて、いいですのにー」


 ハティは揶揄うように間延びした声をあげる。ハティはセンシティブな話題の時はこういう口調になる。案外下の話が好きだったりするのだろうか。

 そして、共に風呂場へ。

 こぢんまりとしているけれど湯釜に溜められた水が湯気を立てていた。

 ハティは湯釜から湯を桶で汲んでは僕の体にかけてくれる。

 そして、ハティは石鹸を手に取り、僕の体を泡だて始めた。

 ハティは僕のほぼ全てを知っている。

 こうして一緒にお風呂だって入って、体を洗ってくれる。

 僕が止めなければ、平気でペニスまで洗おうとする始末だ。そんなことをされては、きっとイキリ立たせてしまう。そうでなくともいつ心に反して体がそういう気になるかもわからない。きっとハティは目にしたところで気にしないだろうし、実際そういうこともあるけれど、ハティは微笑むだけだったし、そういう時、僕が恥ずかしがっているとハティはさりげなく自身の本気の姿を見せてくれるのだった。ハティのは、その、立派だ。

 いつ僕の下の毛が生え揃ったのかも、いつ精が通じたのかもハティは知っている。

 けど、僕はハティのことを正直なところよくわかっていない。

 ハティが本当は僕のことをどう思っているのか。

 ハティは僕が主君でなければ、僕のことなんか嫌いなんじゃないだろうか。

 ハティは、いつも僕の前ではニコニコしてくれているけれど、僕に仕えて言いなりになるように言いつけられて本当は嫌だったんじゃないか。

 そんないろんな形の不安が僕の中でぐるぐるぐるぐる渦巻いていた。

 そして、僕がいま一番気にしているのは、今朝の新聞のこと。

 夜の街での大量殺人。

 この屋敷に越して来てからというもの、たまによく眠れなくて起きていると、ハティが夜どこかに出かけていることに気づくことがあって、ハティが事件に巻き込まれていないか、関わっていないか、僕はずっと心配だったのだ。


「あの、さ」

「なんでしょう」


 頭を洗ってもらいながら、声を掛けるとハティはすぐに返事を返してくれる。

 いつものハティだ。

 僕は、意を決して尋ねてみた。


「最近、その、夜中にどっかに行ってたりする?」

「ああ、ちょっと出かけていました。私めも人間ですからちょっと羽目を外したい時があるのです」

「……そう」


 どこに出かけたかは言ってくれるつもりはなさそうだった。

 でも、夜に出掛けてることは答えてくれたので、頼み込んでみる。


「危ないから、家にいてよ。ハティに何かあったら、僕、いやだよ」


 けれど、ハティは「うん」とは、言ってくれなかった。


「私は、騎士ですから少しぐらい危なくても平気ですよ。私を狙う者がいても返り討ちにします」


 ハティが強いのは知ってる。毎日、朝稽古を欠かさずにこなしているのも知っているし、この国の他の騎士に剣を指導しているところも見たことがある。

 けど、心配してるのはそういうことじゃない。


「じゃ、じゃあ、最近、物騒だからちゃんと家にいて僕のこと守って欲しい。……僕の命令、聞いてくれる……?」


 対等になりたいと言っているのに、もう主人ではない、のに。

 縋るように、命令を下す。

 本当に、自分でも情けないと思う。

 でも、こうでもしないと、ハティがこのままどこかに消えてしまうような気がして──。

 よくない予感にブルリと体が震えた。


「……私は、貴方様のことを何があっても、お守りしますよ」


 ハティはそんな僕の不安を感じ取ったのか、泡だらけの僕の体を後ろからそっと抱きしめた。僕の震える体を宥めるように、ぎゅっと。こんな時じゃなければ、懸想しているハティにこんなことしてもらえたら嬉しくてしょうがないのだけれど、でも、今は喜べない。

 ついぞ、ハティは僕の欲しい言葉を言ってはくれなかった。

 

 ────────

 ────

 ──

 

 ハティは嘘が下手だ。

 僕には、僕だけには、絶対に事実とは違うことは言わない。

 語り忘れた真実という手法でしか僕を騙さない。

 けれど、ハティがそういうことをするということを僕は知っている。

 ハティは家にいるとは約束してくれなかったことに、僕は気づいていた。

 ハティ、君は一体、外で何をしてるの。

 何を、僕に隠してるの。

 

  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 マーニ様の取り巻く世界は政略と謀略ばかりが渦巻く暗い世界で、そんな世界にマーニ様は一人取り残されてしまった。

 マーニ様が領地を失くし、コルネリウスの家は没落したと言ってよいでしょう。

 そこに漬け込もうという輩が現れるのは必然でした。そして、マーニ様にはマーニ様の知らない血の秘密があるのです。

 この国──コーレリア大公国。その成り立ちにも関係するその秘密が。

 

 ──

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