獅子の紋章
ナード
感覚魔術師の萌芽
西暦2310年3月
第1話 不幸続きのレオ
この日は朝から冷たい雨が降り続いていた。
雨は路上生活者の体力を奪う。ましてや子どもであるならなおさらだ。
十歳くらいの男の子が震えながら一人、重い足取りで路地を歩いていく。彼の向かう先には人の流れがあった。
ガヤガヤと人の声が大きくなっていく。
バラバラに歩いていた人間たちが秩序を持ち始め、整列する。男の子は列の最後尾に並ぶと手で口を覆い、ゆっくりと息を吐き出した。
列の先には雨よけとして大きな幕が張られており、フォルティス家の紋章が雨に濡れながらもその存在感を示していた。その下では巨大な鍋が火にかけられている。
彼らスラムに潜む子どもたちの生命線の一つである、週に一度行われる炊き出しは、当初開催するたびに無秩序あるいは暴力的な状況を引き起こしていた。
だが主催するフォルティス家はこの国における強力な一族であり、有力な魔術師や紋章師を生み出している。
それ故生み出された混沌を力でねじ伏せ、あるいは炊き出しを打ち切ることで彼らに秩序を生み出させた。
男の子は炊き出しのスープの椀を受け取る。白い発泡スチロールの使い捨ての椀は、普段なら温かいスープを提供する。だが今日は雨が容赦なく椀へと降り注いでいる。ただでさえ薄いスープは冷め、水のようになっていく。
立ち止まっていては迷惑になると男の子は両手で椀を持ち、列から離れていった。
その男の子によそ見をしていた男がぶつかった。抱えていた椀は宙を舞い、その中身をぬかるみにぶちまけてしまう。
「てめえ! 何しやがる!」
男の子は声を荒げ、ぶつかった男の左腕をつかむ。
男は空いている右手で男の子の頭をわしづかみにした。
「うるせえぞ、ジャリ。はねっかえりはきちんと躾ないとなあ?」
「こんのウスノロ! 俺のメシをダメにしておきながらなんだぁ、てめえ」
騒ぎが徐々に大きくなる。すでに食事を得ているものは暴力への期待に歓声を、得ていないものは非難を。
そこで鍋の周りにいた騎士たちが腰の剣に手をやりながら二人の元へゆっくりと近づくと、二人はしばらくにらみ合った後に互いに手を放す。
騎士たちは再び鍋の周りで炊き出しの護衛任務に戻る。
男の子は空を見上げ、ため息を付くと路地を抜けていった。
「ついてねえ」
普段住処にしている廃屋で男の子は震えながら小さな声で悪態をつく。
雨の日はそうそうにアジトにこもるのが彼の流儀だ。なぜならば雨の日の騎士の巡回はほぼ行われないためだ。
騎士の巡回がないということは治安状態が悪化する。スラムにやってくる孤児狩りは決まって雨の日だ。
廃屋には男の子には小さすぎるものや女の子の服が落ちているが、それらの主の姿はない。
「さみぃぞ、くそったれ」
男の子は適当にその服をかき集めて床に丸まってうずくまっていると、ドカン、と爆発音とともに廃屋の壁が吹っ飛んだ。雨が降り込み、男の子の体を濡らす。
「おやおや、一人だけですか。しかも薄汚いオスガキとはね……やれやれ、赤字ですわねえ」
黒い仮面をつけた痩せた男が壁の大穴から廃屋に入ってきた。仮面の男は粘りつくような不快な声をしていた。
「あまり役に立ちそうにないですが、とはいえないよりはマシですねぇ」
仮面の男は肩をすくめてため息をついたあとに、男の子の腹に向けてつま先を蹴り込んだ。男の子はかろうじて左腕でそのつま先を止めるも、そのまま吹き飛ばされ廃屋の壁に叩きつけられる。その衝撃で壁が崩れる。
男の子はその崩れた壁を乗り越え、路地へと逃げ込む。廃屋がきしみ、潰れる。
慌てて廃屋から逃げ出した男は忌々しげに声を上げる。
「追うわよ! ただじゃ済まさないわ!」
後ろに控える黒いローブをまとった男たちは雨の中を走り出した。
男の子は路地の冷たい壁に背を預け、ズルズルと座り込む。顔色はかなり悪い。
「おや、これはまた随分と派手にやられたねぇ」
裏口のドアが開いて中から髪をひっつめにした女が出てきた。髪が濡れるのも気にせずに男の子に声を掛ける。
「うるせぇよ」
男の子が弱々しくも悪態をつくと女は目を一瞬見張り、その後半眼で男の子を見る。
「なるほど……あんた、一流になれるよ」
「レオだ」
「あん?」
「名前。あんたは?」
「ヴァレリア。ヴァレリア・ファーベル」
「んで、一流って?」
「魔術師さ。紋章なしでこの干渉力なら成長して紋章持ちになったらどこまで伸びるんだか」
ヴァレリアの言葉を最後まで聞くことなく、レオは意識を手放していた。彼女は小さくため息を付くとレオを抱き上げ家に入っていった。
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