袋担ぎの姫君

@uji-na

プロローグ

 天を揺蕩たゆたう浮雲は、山を越え海を越え一体どこまで流れていくのであろうか。あるいは地をのし歩く蟇蛙ひきがえるは、谷を越え川を越え一体どこまで這っていくのであろうか。

 その果てを知る者はない。そも、それらに果てなどないのだ。

「――つまりだな、『浮雲流れる天の果てから蟇蛙がさ渡る地の果て』ってヤツを支配する大帝様ってのは、果てしなく・・・・・お偉い存在ってこった」

「ふうん。しかしよう」

「どうかしたかい?」

「しかし、どんなに大きな屋敷でも仕舞いには壁に突き当たるものだろう。長く続く道にだって終わりがある。それじゃあ一体全体、果てがないってのはどんなもんなんだい? 俺には想像もつかんね」

 大きな輿こしを担いで歩く二人組の下男は、額からだらだらと流れる汗もそのままに、そんな話をしていた。

「何を言ってやがる。お前のその太い腹の食い気と同じようなもんと思えば簡単な話じゃねえか」

 前を行く長身痩躯の言葉に、後ろの短身ふとじしは、笑った。ただ、その笑顔もすぐに神妙な面持ちへと変わる。

「まあ、確かに俺もよく食う方だとは思うが。……知ってるか? 弟姫君おとひめぎみはそれこそ化け物の様な食い気だぞ」

「おい馬鹿、滅多な事を言うもんじゃねえよ」

 肥満の相棒の言葉に、痩身の下男は思わず顔を引きつらせた。

 揺れる輿に視線を向けると、中の荷物がごっとんごっとんと大きな音を立てている。丁度、外でのちょっとした会話をかき消すようなものであった。

 たとえ、荷物と一緒に輿の中で揺られるとしても、とても下男たちの声など聞こえるはずもないように思える。

 痩身の心配をよそに、肥満の方は輿を気にしたそぶりも見せず、ぼやいた。

「それにしても、大姫君おおひめぎみの列はずいぶん先に行ってしまったなあ」

 とある豪族の娘の都上みやこのぼりの行列は、とっくに先に行ってしまっていて、その姿は見えない。彼らは、一行に付き従う荷物運びで、列の殿しんがりを務めていたのだが、置いてきぼりにされたらしかった。

「そりゃあ、お偉いお偉い大帝様の息子殿の花嫁探しとくれば、張り切るのも分かるがね」

「付き合わされる俺らとしては、たまったものではないな」

 何しろ、先に行ってしまった姫の荷物の他に、その妹までも輿に乗せているのだから、という言葉を下男たちは飲み込んだ。

 ある日、特段の前触れもなく、王子の花嫁探しの布告はなされた。

 天地の全てを知らしめす聖なる大帝の宮殿にて、盛大な饗宴きょうえんを催すゆえ、世の良家名家の御息女はこぞって参加するように――。

 この話は瞬く間に国中を駆け巡った。

 都などでは、本来この手の話題とは無縁の平民たちの間でも、この花嫁探しの噂で持ちきりという有り様である。

 もちろん各地の豪族たちのもとにも――下男たちの主人にも例外はなく――知らせはやって来る。

 当然、あわよくば次代のみかどに、自身の娘を嫁がせ、権力の一端を握ることを夢見るものだ。

 が、ぱっとしない地方の領主の懐事情はかんばしいものではない。

 まして、いきなり娘二人分の上京費用を出すというのは、土台無理な話であった。そこで、まずは姉の方の都上りの一行の体裁を整えると、妹の方には輿一つを与えて姉の列に加えることで良しとした。

「姉妹が共に都上をしたとて、何ら不思議な事はあるまい」

 というのが娘たちの父による、苦し紛れの言い訳であった。

 それでも、本来ならばそこまで問題になるような話ではないはずだった。ただ、父が思うより、姉妹の仲が良くなかったという話である。

 とはいえ、険悪かと言われるとそうでもない。

 姉のヤソ姫は、妹を見くびってはいたが無関心と言って良く、妹のナムチ姫も、そんな姉をほとんど気にしていない様子であった。であるから、普段の生活で姉妹仲が問題になる事などなかったのである。

 しかし、今回ばかりはその関係性が悪い方向に現れてしまった。

 発端は、ヤソ姫の荷物が思いの外、多くなってしまった為に、それをナムチ姫の輿の中へと、無造作に詰め込んだこと。

 特に姉に文句を言うでもなく、ナムチ姫は、荷物の入った狭い輿の中に構わず乗り込んでしまったので、下男たちが姫君姉妹に何か意見を出来ようはずもなかった。

 それで、彼らはえっちらおっちらと重たい輿をゆっくりと運んでいくのであった。当然一行からは遅れ、離されてしまうのも道理で、歩は遅く、汗ばかりが滝のように流れていく。

「あれ? 雨?」

 汗とは違う水気が頭にぽたりと垂れたことで、肥満の方の下男は不思議そうな声を上げた。

「なぁーに言ってんだよ。こんなに晴れてるのに雨だ、なん、て……」

 痩身の下男は小馬鹿にしたように笑いながら振り返る。と、そのまま呆然とした表情を浮かべて固まってしまった。

「なんだよ、急に止まって。危ないだろ」

 その様子に首を傾げて視線を辿っていくと、丁度、下男たちの真後ろには大きな大きな蛇が一匹。彼らを品定めするように見下ろしていた。

 雨だと思った水滴は、大蛇の舌先からこぼれ落ちたものだったのだ。

「ひっ」

「おっ、大蛇おろちだっ!」

 逃げろ、と言ったか言わずかの内に、下男たちは一目散に走りだした。放り出されてしまった輿は、そのまま大蛇に一飲みにされてしまう。まるで、山楝蛇ヤマカガシに捕らえられた蟇蛙のように、ゆっくりゆっくりと輿は蛇の腹へと消えていった。

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