第3話

 店を出た後、由梨亜の滞在するホテルまでの道を隣り合って歩く。


 来た時と同様、ヒカリは色々なことをおもしろおかしく話してくれた。


 ヒカリは海外の生まれで、小学校卒業と同時に両親と共に日本へ来たという。


 最初こそ皆と仲良くなれるか不安だったものの、帰国子女は珍しいのかすぐに仲の良い友達が出来た。


 但し、勉強だけは大の苦手で試験の日が近付く度に、胃痛にさいなまれたらしい。


「──それでさ、本っ当に自分でもびっくりなんだけど、毎回赤点だけは取らなかったんだ。あ、でも国語だけは今でも苦手で……」


 緩急をつけた話し方も、時折歌うように紡がれる声音も、ヒカリが明るいのも、すべては両親に大切に育てられたからだろう。


(そういえば……一翔もそうだった)


 いつも笑顔で、こちらが言葉に詰まっても急かすことなく由梨亜が話すのを待ってくれていた。


 あまり感情を現さない人だったが、それでも一翔の傍に居ると本当の自分を出せるほど気を許していた。


 だから互いに惹かれ合うのも、付き合うのも時間は掛からなかった。


「──ねぇ」


「っ!」


 すると、ぽんと肩を叩かれて由梨亜は小さく声を漏らす。


「せっかく出会ったんだしさ、連絡先交換しようよ! ここでお別れするのも寂しいし」


 慌ててそちらを見ればヒカリがスマートフォンを手に持ち、QRコードを向けていた。


「い、いいの……?」


 まさかそう言われるとは思わず、おずおずと問い掛ける。


「もっちろん! でも君の気持ちが一番だから、嫌だったら断っても」


「する! ううん、させてください……!」


 ヒカリの言葉に半ば被せるように言い、はたと我に返った。


 外とはいえ誰かに向けて大声を出したのは久しぶりで、羞恥から頬が熱を持つ。


「ふふっ、由梨亜ちゃんも同じ気持ちで嬉しい」


 くすくすとヒカリは恥ずかしそうに、しかし喜びを隠し切れない様子で笑う。


 同性と連絡先を交換する事自体、由梨亜にとってよくある事ではない。


 けれどメッセージ欄の『ヒカリ』という名前と、どこかの海を撮ったらしいアイコンが酷く特別なものに見えた。


「いつか由梨亜ちゃんにも見せたいなぁ。街並みも、海だって澄んでいて綺麗なんだよ」


 ホテルのエントランスに入る前に、ふとヒカリが言った。


 宿泊客ではないと店へ向かう道中で言っていたため、なんらおかしな事ではない。


「──だから、それまでは友達でいてね」


 ただ、そう言ったヒカリの表情がどこか寂しそうに見えた。





 ◆◆◆




 ヒカリと出会ったあの日から、実に一ヶ月が経った。


 それまでの鬱蒼とした気持ちはまったくなく、晴れやかな心で生活出来ているのだから不思議なものだと思う。


 普段ならば一翔のことを考えてばかりで、仕事にも身が入らないほどなのだ。


 しかしヒカリと出会ってからは、自然と笑顔が増えて同僚とも前より仲良くなった。


 これもヒカリのお陰なのかも、と家でゆっくりしながら思っていた時、タイミングよくメッセージアプリの通知が届いた。


『どこか行きたいところある?』


 ヒカリとは毎日のように連絡を取り合い、今日はこんな事があった、と報告し合っている。


 互いにどんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのかも知らないが、こうして誘われるのは初めてだった。


『今週の土曜日は休みだけど……どうしたの?』


 そう送るとすぐに既読が付き、ポコンという小気味よい音とともにまたメッセージが届いた。


『由梨亜ちゃんに会いたいなぁって』


「わっ」


 その拍子で座っていたソファから落ちそうになり、しかしなんとか耐える。


 なぜこんなことを突然送ってきたのか分からないが、ヒカリが嘘を言っていないのだけは分かった。


「んー……」


 頭の中で考えるも、仲のいい友達同士ではどこへ行くのか知らない。


(人が多い所は苦手だし、でもゆっくり出来る方がいいよね)


『温泉、行きたいかも』


 一時間近く思案して、なんとかそれだけを打ち込む。


『いいね。今の時期だと紅葉が綺麗だよ』


 やはりというかなんというか、ヒカリはすぐに既読を付けてきた。


『こことかどう?』


 加えて一分も経たないうちに旅館のURLを送られ、その速さに驚く。


(もっと悩んだり、ここにしようとか、そういうのは無いの……!?)


「あ、でも綺麗」


 表示された旅館は日本家屋風で、さながら昔の日本にタイムスリップしたような気がした。


 ヒカリが何を思って誘ってくれたのか分からないが、当日振り回される予感しかしなかった。





 ◆◆◆





「んー! 気持ちいいね!」


 旅館に着くやいなや、ヒカリはいの一番に部屋へ入って障子を開けた。


 ここからは海が見渡せるため、由梨亜もきっと気に入ってくれるかも──目的の旅館へ向かう道中で、そう教えてくれたのだ。


「本当に……綺麗」


 由梨亜もそっとヒカリの隣りに立ち、少し向こうにある海に視線を向ける。


 太陽に反射してきらきらと輝いて、今の時期が夏であれば泳げたのになと思う。


 ヒカリともう少し早く出会っていれば、それも可能だったかもしれない。


「本日は当旅館を選んでくださり、ありがとうございます」


 案内をしてくれた仲居が、部屋の前で正座してにこやかに言った。


 外出する時はエントランスでチェックアウトし、食事の三十分前までに部屋で待っていて欲しいと説明され、それ以外は言葉通り自由に過ごしていいらしい。


 ヒカリの選んでくれた旅館は部屋から海が見渡せるだけでなく、夕食の膳も絶品で何より歩いてすぐの所に紅葉の名所があった。


 季節の花を見るのが好きらしく、終始『楽しみだね』と由梨亜以上に上機嫌に言っていたのを思い出す。


「──では十八時頃にお夕食の準備をさせて頂きますので、ごゆっくりおくつろぎください」


 そう言うと仲居は淡く微笑み、静かに退室していった。


 由梨亜は仲居に軽く会釈し、続いて未だ海を眺めているヒカリにそっと声を掛ける。


「温泉、一緒に行かない?」


 せっかく来たのならばまずは大浴場へ向かい、もっとヒカリと仲良くなりたかった。


 裸の付き合いという訳ではないが、旅館のサイトを見てから楽しみにしていたのだ。


 ヒカリがゆっくりとした動きでこちらを振り向き、やがて桃色の唇が動く。


「ごめんね、待ってるから一人で行ってきて」


「え」


 申し訳なさそうに顔の前で手を合わされ、もう一度『ごめんね』と謝罪される。


「大丈夫なの? もしかして、私のために無理してたんじゃ……」


 まさか拒否されるとは思わず、しかしそう言ったヒカリの顔色が悪そうに見えて、先程の仲居を呼びに行こうと由梨亜は踵を返そうとする。


「や、体調は悪くないから。……ただ、この景色を見ていたいだけ」


 ヒカリはやんわりと眉を下げて続けた。


「後で行くから、そんな顔しないで?」


 にこりと笑みを深められては、それ以上言葉を紡げなかった。


 由梨亜はヒカリに見送られ、一人寂しく旅館の廊下を歩く。


(提案したのは私だけど。いいよって言ってくれて、ここを調べてくれたのはヒカリなのに……)


 女同士でこうした場にはほとんど来た事がなく、もっと仲良くなれると思った。


 けれどヒカリは、同じ気持ちではなかったのだろうか。

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